娘⑩
宜しくお願いします。
警報が鳴り、ある程度遅いと思えるほど経ってからマサルたちはアマネの部屋の扉を乱雑に開けた。
バタンッというよりもドカンッという音がやけに大きくアマネの部屋に響いいていた。その音にサクラは、少し飛び上がった後に、扉の方に大きくした目を向けた。
その時のマサルの驚きは、ずいぶんと大きかった。
サクラとアマネが一つのベッドの上で楽しそうにおしゃべりをしながら、トランプゲームをしていたからだ。その様子があまりにもサクラらしからぬ表情で、笑い声で、話し方で、マサルを動揺させていた。
「まあ、お父様。こんな時間にレディーのお部屋にそんな乱暴に入るのは、一体どういう了見かしら? 事と次第によっては、お父様でも容赦しませんわよ?」
サクラは言葉の内容とは違い、とても楽しそうに父を窘める。その言葉にマサルは思わず、頬を緩めて、かわいいなあと考えていた。が、いかんと思い直し、当初の感情に戻した。
「それは、こちらのセリフだ。サクラ……、これはどうゆうことなんだ?」
「パジャマパーティーですわ! 恋の話とか、ゲームをして夜を明かしていますの! 初めてしましたけど、とっても楽しいですわね」
サクラとマサルの温度差は激しく、マサルはこの状況を理解できないでいた。というのも、サクラは時として辛辣な物言いをするが、普段はお淑やかであり、今アマネに見せているような無邪気な笑顔を向けることはなかった。
今、サクラが向けている顔は、近親者に向ける笑顔だった。
マサルの一瞬の硬直は、サクラの心の変化に放心してしまった結果に他ならない。そのマサルとは、反対に状況の飲み込めていない瓦礫によって汚れている使用人達は、動揺を言葉にする。その全てのものの一人残らずが
「マサル様。サクラ様とマサル様を引き離すべきです。サクラ様のお部屋の惨事は、アマネ様の仕業であることは明白です。さあ、今ここで言い渡してくださいませ」
この場にいる使用人の全てのものがマサルの言葉を待っていた。
サクラは今もアマネに向けて話し、笑顔を向けている。その様子にアマネが来てからのピースの全てがマサルの中で駆け巡っていたし、その全てのピースの一つ一つが正しい場所にピタリとはまっていた。
「ああ、そうゆう事か」
「はい! そうゆうことなのです。さあ、早く言ってくださいませ」
サクラとアマネの当の二人は、こちらの意向など気にするような素振りなどせずに笑いながらに、談笑をしていた。もはや二人だけの空間であって部外者の入る余地すらなかった。
「アマネくん。サクラをよろしく頼む」
マサルの言葉にアマネはちらっとマサルに視線を向けた。
「かしこまりましてございます」
「もう! パパったらそんなに嬉しそうな顔しないでよ! 友達ができただけじゃない。ふふ」
そう、ただ友達ができただけだった。サクラにただ友達ができただけ……。それだけであるはずなのに、マサルの心は大きく揺れ動く。発熱したように身体は火照り、嬉しさのあまり笑みが人知れず表に出る。そして、小さくガッツポーズをしてしまった自分に恥ずかしさと再び嬉しさにサクラとアマネを再び視線を移す。
「あまり遅くならないようにしなさい。明日もまた遊べるんだからね」
「お父様わかりました」
「かしこまりました」
そう言ってマサルは、使用人を引き連れて、アマネの部屋を出て行く。マサルの指示には、従わざるを得ない使用人たちは、マサルの後をついていくが、内心ではこの状況を認められないでいた。
そして、この使用人の中で、最も力を持つ使用人であるリーは、ついにマサルに問いただす。
「アマネ様を追い出すことをなさらないのですか? サクラ様に近づけては危険です」
マサルは、リーの尋問にも近い質問に答えるために、夜が遅いことで少し暗くなった廊下で立ち止まった。
「君には、親しい友人はいるかね?」
マサルの逆質問に対して、リーはそんなことはどうでもいいのだというように、おざなりに答えた。
「ええ、少ないですがいます。それが今、関係あるのですか?」
「そう、普通はいるのだ。知らず知らずのうちに親しい人間ができるのだ。では、君は友がいることがどんな素晴らしいだと言葉にできるか?」
「それは、ええっと、楽しく過ごすことができたり、共通の話で盛り上がってリフレッシュしたりとかですよ。旦那さまだってわかっておられるでしょう?」
「ああ、私はその言葉でもわかる。君の言うことは、身にしみてわかる。だが、サクラは私たちが”経験”して知っているは、”知識”でしか知っていないんだ。私たちがあれこれと言葉で友の良さを話していてもそれは伝わらない」
そして、マサルは再び歩き出した。
「過保護に守ることも必要だろう。だが、守るだけでは壊せない壁がある。アマネくんは、見事それを壊した。それは私たちが“言葉”で友の良さを話すよりも確実に考えを変えられる。そして、今サクラはアマネくんと過ごすことで変わろうとしている。少し過激すぎるが、私が許したことだ。—父である私がそれを止める道理がどこにある?」
リーの常識はサクラには通じない。人なら友達がいて当然であり、それは素晴らしいものだという常識はサクラには通じない。そして、友は時として、己を傷つけてしまうかもしれないという常識はサクラには通じない。
ここにサクラとリー、そしてアマネの間に距離が生じていた。“知っている”を前面に出すリーは、“知らない”者の立場に立てなかった。
「ええ、そうですが……、ですが、危険が……」
だから、リーは危険という言葉でその全てを解決しようとした。だが、問題はそこにはない、リーは己が持っているもの全てで『常識』を語ろうとしたことにある。そこには少しのわがままがあった。言い換えるのであれば、少し傲慢なことだった。
人は、厳正中立には立てない。そんな存在は神であることと等しい存在であり、しかし、リーの中には常識などは皆無だからである。
「君は勘違いしているようだが、危険がない人間などはいない。危険はあってしかるべき、人は傷つくし、傷つける。いいかい? 君の持っている知識は、全てが尊く、素晴らしい。確かに君のものだ。だが、それは押し付けるべきものではないのだよ」
そうして、マサルは『常識』とは何かを知っている者だった。
常識は、社会の共通認識の中にある。それは決して自分の中にはないもので、他者との関係が有るたびに生まれ、書き換えられていく。
己を押し付けた延長線上に虐待があり、いじめがあり、戦争があるのだろう。
「う、うう」
リーは、もはや何も言うことができなかった。それは、自分を押し付けるからこそ生じる恥ずかしさ。知っていることが無知だと言われた敗北感がリーを襲っていた。
「アマネくんは、私との約束を正しく果たした。これにて、彼女への物議は聞かないものとする。彼女はよくやってくれたよ」
「「「はい」」」
リーを含めたアマネを追い出そうとする勢力は、マサルに忠誠を尽くす返事をした。
これにてアマネを追い出そうとするものは、表面上は形を潜めた。
その頃、サクラは多くのことがあった今日という日を終わりたくないと考えて、寝ようとしていなかった。だが、病人であるサクラは、普段から規則正しい生活をしており、いつもより夜更かししたことと日常でない出来事を経験したことで、眠気はピークを迎えていた。
「サクラ様、もうお休みになってください。お体に触りますよ」
「寝たくないの! 明日には、いつも見ている夢のように友達なんていなかったってなったら嫌じゃない」
サクラも本心では、友達を欲しいと思っていた。それが今、現実になっている。サクラは、これもまた夢であるかもしれないと疑っていた。
「では、一生このまま寝ないでおきましょう。私も今日は寝たくありません」
「でしょ! アマネはわかっているわ。なんだか、初めてもらったクリスマスプレゼントのように胸がそわそわするのよね」
「ええ、そうですね」
もちろん、アマネはクリスマスプレゼントなどをもらったことはない。だが、サクラが感じているそわそわした感情をクリスマスプレゼントと表現したことで、クリスマスプレゼントをもらった時は、このような気持ちなのだろうと認識したにすぎない。
「でね、お願いがあるの。もう、眠すぎて寝てしまう前に、手をつなぎましょ? 私の夢だったの。いいでしょ?」
「手をつなぐのですか? いいですよ」
アマネは、二人で同じ方向で寝ているサクラの手を掛け布団の中でつないだ。
「サクラ様、これでいいですか?」
「いいけど、ダメ。やり直し。サクラ、これでいい? でしょ?」
そんなことを言うサクラをアマネはクスッと笑った。
「なんで笑うの! 呼び捨てくらい普通でしょ? 違うの?」
「いえ、普通だと思いますよ? 私もサクラが初めてのお友達ですから、よくわからないんです」
「なんだ、アマネもそうだったんだ。よかった。私少し不安だ……ったの…」
サクラは、最後まで言うことなく、寝てしまった。その様子の全てをアマネは記録し、大切なフォルダに保存した。
「サクラ、おやすみ」
普段から規則正しいサクラは、いつもの時間に目を覚ましていた。手にある感覚は、寝る前と同様のもので、約束通り夜中じゅうずっと手を握っていたことがわかった。
その様子にサクラは、ホッとしていた。というのも寝ている時、サクラはいつも通り夢を見ていた。それはサクラの夢の内容の中でも多くを占める“友達”についての内容だった。そこではいつもサクラは、三人称視点であり、自分と顔の分からない人間とが笑いあっているのを近くもなく、遠くもない距離で俯瞰していた。
夢の中のサクラは、とても楽しそうだった。
けれども、それを見ると、サクラは夢の中でありながら、見ている自分はなんとも現実とはかけ離れているのだろうと思い、いつもそこで目がさめた。
そんなところで目が醒めるものだから、その日の機嫌は悪いものであった。そして、今日もそんな夢で目がさめていた。
しかしながら、今回は違っていた。目がさめて手にある感覚を手繰るように視線を滑らせると、そこにはアマネがいた。その光景を見たサクラはまだ寝ていると思わしき、アマネに嬉しくて思わず、
「おはよう」
と言っていた。
その言葉にアマネは、瞳を開け
「おはようございます」
と返した。
アマネは、サクラが朝の挨拶をする時には、すでに活動を開始いていたのだが、サクラがあまりにも気持ちよさそうに寝ていたものだから、手を離して、単独行動をすることも憚れるし、そして何よりも、“友達”と交わした初めての約束であったから、今日くらいはサクラの言う通りにずっと手をつないでおこうと思考していた。
そうして、二人して起き上がり、
「今日は何をしましょうか! たくさんやりたいことがあったのに、いざとなれば、何をしていいのかわからないですわ」
「一つずつ片付けましょう。私は、いつもでもサクラの近くにいるんですから」
サクラは、早速ベッドから飛び降り、アマネを呼んだ。そして、鏡台の椅子に座らせて、アマネの髪を梳かした。
そして、アマネをいつも通りのポニーテールにする。
アマネは、終わるのを確認すると
「今度は私がサクラの髪を結ってあげますね」
「え? アマネはやっぱりわかっているわね。私、こうしてもらうのも夢だったの」
そうして、アマネはサクラに聞いてみた。
「どんな髪型にしますか? お客様」
「ふふ、何? 美容師さんのマネですの? でも、乗ってあげますわ。アマネと同じ髪型でお願い」
アマネがサクラの髪を結い上げる間、サクラの口は止まることを知らない。父のこと、母のこと、料理長の趣味、サイトウのドジ話。そして、アマネの大好きなサクラの祖父のこと……。
「私もサクラのお爺様のことが大好きですわ」
「お爺様は、とても偏屈な方ですけど、納得することには本当に素直なんですよね」
そうですねとアマネが相槌を打った。
ノックの音が響き渡る。
アマネとサクラの話を遮ったのは、リーのノックの音だった。
「お、おはようございます。ちょ、朝食の準備ができました」
リーは、何処かぎこちない。
「はい。わかりました」
「リーさんは、アマネの担当だったのね」
「ええ、リーさんはとてもいい方ですよ」
そう言われた時、自分の行いが恥ずかしくなったリーは突然謝った。
「アマネ様。数々の嫌がらせをいたしました、申し訳ありませんでした」
アマネは全てを知っている。アマネが数々の失態ともいえる行動を行っていたことは、リーが原因であるということを。最初こそアマネは自身の過ちによっての結果だと思っていたが、後になり思考してみると、やはり、どこかがおかしいという思考に至っていた。
アマネは、別の方向でその原因について調べた。それは、屋敷に数ある監視カメラ、マイク、振動検知、数ある探知器機を利用した。だが、巧みに細工されており、あまり証拠を得られなかった。だから、宇宙に108ある犯罪監視衛星:コード・Fの管理システムに侵入した。
補足するならば、コード・Fは、あらゆる感知システムを採用しており、情報の組み合わせ、抽出次第で、どこまでも情報を確認することができた。基本的にマサルの企業が技術協力をしており、そのシステムの定期的なメンテナンスなどを請け負っている。
しかし、コード・Fで確認出来る屋内の様子には、限度がある。何よりもマサルの屋敷内の多くの素材がそういった感知システムを遮断する材料により構築されている。だが、それでも確認できないわけではなかった。
その感知システムで確認した時、わずかであったが、リーが廊下にあるツボに細工しているところが映っていた。そして、その細工をアマネが通った時に使っている決定的瞬間が映っていた。
アマネは、リーがアマネ自身にしている行為を見て、それを利用しようと考えた。
当初、アマネは、リーも協力してくれるものだと思考して、そう事を進めようと考えていた。だが、その感情は正反対のものであった。だが、計算がずれたところで、プラスの感情もマイナスの感情も大差がないということに思い至って、計算に組み込むこととした。
「はい! あなたの全てを許します」
それがこの言葉に集約されていた。アマネにとって、サクラ以外のことはどうでもよく全てが利用する対象だった。だた、それだけだった。ただ、アマネは、ヒトに対して、恨みもなければ、感謝もない。好意もなければ、悪意もない。
ただ冷徹に、粛々と、事を成すことができる。それは、とてもアマネらしいことだが、とても悲しいことだった。ロボットだからと、ヒューマノイドだからと簡単に片付けることはできる。
だが、アマネの父は、そんなことを望んでいないことをここでは述べておこう。
「まあ、よくわかりませんが、アマネがいいのでしたら、それでいいのよね」
「はい! それでいいです。—朝食ですって! 一緒に行きましょう?」
アマネに手を引かれ、部屋を共に出る。
サクラにとってこれから始まるたくさんの楽しい日々が手を引かれる温もりに溢れていた。
そして、またいつかこの手を離さなくてはならない日が来ることを考えたくはなかった。
サクラとアマネが部屋に入ると、マサルは珍しく二人よりも早く、席についていた。
二人が仲良く部屋に入り、隣の食卓に座る様子を見てマサルは、やはりこれで良かったのだと思って、アマネに感謝の言葉を心で述べる。
サクラは、運ばれてくる料理に感嘆の声を上げながら、楽しく食卓を囲む。それがアマネの演算の導き出した、最初の解答だった。
3人で机を囲みながら談笑をし、食事をする。アマネは、団欒というものを最初の答えとした。アマネが入った程度の小さな変化だが、この様子をアマネはイメージしていた。
3人で多くを話した。3人で多くを笑った。3人で多くを過ごした。
その食事は、普段の食事よりも多くの時間を費やしていた。
運ばれてくる食事にすら、目もくれない3人に料理長のマイクがついに
「セッカク、ツクッタゴハンがサメちゃうよ!」
と片言の困った声をあげた。
マイクに言われたことで、サクラは慌てて食事を済ませた。その様子にアマネもサクラに合わせるように食事をすませる。
「料理長、ごちそうさま! 今日もとっても美味しかったですわ」
「ごちそうさまでした」
二人は、ドタバタとは行かないまでも、普段では考えられないような勢いで部屋を出て行った。
サクラは幸せだった。“友”という己が願ってはならないものが与えられた。それだけで、それだけなのにサクラは幸せで高揚する。それだけで、歩く歩幅は、アマネに合わせる。
友達のアマネとたくさんのことをした。
春になり、中庭に咲く多くの花で花飾りを作りあった。
夏になり、小川まで遠出をして二人で水をかけあった。
秋になり、紅葉が彩る山で金木犀の匂いを感じながら散歩をした。
冬になり、雪で銀世界になった森で使用人が心配するまで話しつくした。
二人でたくさんのことをした。その全てがサクラの思い出になり、色あせない思い出となった。そして、またアマネも同様に……。
サクラは17年の空白の期間を埋めるかのようにアマネに全幅の信頼を置いていく。それは、唯一無二の親友とも言える存在にまでなっていった。
来週も投稿します。