老人
宜しくお願いします。
メイドを購入したのは、今、眼前に見える館の息子であったが、息子は初めから父親の世話係としてメイドを購入した。
受け取りに来た息子は、そう話していた。いかんせん、起動したばかりで、朧に聞こえてきた声だ。
メイドは、一人で館の主人と出会うために彼が住むという館に訪れた。それが2月23日の昼を少し過ぎた頃合いのことだった。彼女は今日から、館の主人である老人に仕えることになる。
彼女は、無言で呼び鈴を鳴らす。
ジジジ、ジジジ。
しかし、彼女がいくら呼び鈴を鳴らしても、館の人が出てくる気配はない。彼女は思考する。
この社会には、訪問販売というものがあり、そういった時は大抵必要ないものを売りつけにくる。それが嫌で居留守を使う人がいることを知っているため、今度はそういった者ではないことをアピールするため、自己紹介を混ぜて呼び鈴を押すことにした。
ジジジ、ジジジ
「ごめんくださいませ。私、この度、派遣されて参りました。自律思考型多目的駆動人形WL-19という者です。」
しかし、いくら待っても扉が開く気配はない。彼女は、本当に留守なのではないかと思い、館の主人のご子息に連絡を取ることにする。
ちなみに彼女は、小売希望価格30億円の超高性能メイドロボットであるので、体内に電話も標準装備している。その電話から、登録してある番号に連絡をする。
「もしもし、お忙しいところ大変申し訳ございません。今しがた、指定された建物についたのですが、呼び鈴を押しても、返答がございません。如何なさいますか?」
この光景は、周りから見れば、ただ突っ立っているだけに映っているが、電話とは、音声データが送られているに過ぎないので、彼女なら口を開いて声を出さないでも、電話が容易にできる。ロボットならではの電話の仕方である。
そして、すぐさま、返事が返ってくる。
「いや、そのまま呼び鈴を押し続けて構わない。父は、昼に外に出ることがないから、居留守を使っているに違いない。そのまま根気よくおせば、折れてくれるだろう。」
その返答に、了解の意を示して電話を切る。
再び、呼び鈴を鳴らす。だが、やはり出てくる気配がないので、二度…三度と呼び鈴を鳴らし続けた。最終的には、72回目の呼び鈴を鳴らし終えたところで、館の主人が出てきた。
「うるさいわ!居留守使っておるのがわからんのか!これだから、近頃の若い者は!常識を知らんのか!50回以上も鳴らしおってからに!」
「お初にお目にかかります。私、自律思考型多目的駆動人形WL-19と申します。本日より旦那様の日常のお手伝いをするために、参りました。宜しくお願いします。」
彼女は、予めインプットされたメイドとしての完璧なお辞儀をした。
「わしはそんなもん雇った覚えはないぞ!新手の押掛けメイドか?」
「いいえ、私は、旦那様のご子息であられます。マサル様に買われて、今日より旦那様のお世話を仰せつかりました。メイドロボットでございます。」
主人は、少し考え事をして、考えが纏まると憂鬱であるかのように言った。
「マサルのやつか。またこんなもん買いおってからに!無駄遣いは、禁物だと昔から言っておるのにもかかわらず、だらしのない子じゃ。」
そして、主人は彼女に興味を無くしたかのように、踵を返して言った。
「クーリングオフじゃ!クーリングオフ!もう帰って良いぞ。こんな山奥までご苦労。」
主人は、手をひらひらとさせて言う。
彼女のデータでは、この動作は門前払いであるとわかっている。しかし、彼女としても帰るわけにはいかない。なので、ロボットなのに言い訳なるものをする。
「申し訳ございません。この度は、マサル様が研究所までご足労いただきましてご契約をなされました。そのため、クーリングオフ制度の適用はございません。また、金額が高額のため、契約書の特約により、返品も承っておりません。何より、契約内容では、私の契約者様は、マサル様であり、マサル様からの契約破棄でしか、この契約は破棄できません。そして、破棄される場合には、違約金として、購入金額の倍額を支払っていただく契約になっております。」
主人は、少し驚いていたが、本人の気になることを聞き出した。
「なかなか、人間のように話す機械じゃな。本当にロボットなのか?ところで、貴様の値段はいくらするんじゃ?違約金ならわしが払おう。」
主人の問いに彼女は正確に答える。
「私の小売希望価格は、30億円になります。」
30億円と聞いて、旦那様は、驚きの表情をした。
脈拍数、体温、目の色などの情報から、驚きとともに怒りが徐々に沸き起こっていることに彼女は気付いた。主人が、話をしようとしたところに彼女は続ける。
「しかし、一台限りの限定販売であるため、購入者が殺到いたしました。そのため、オークション形式により、値段は釣り上がり、最終的に240億円でマサル様が落札されました。」
240億円と聞いた主人の怒りが爆発した。脈拍数、体温、表情筋の緊張からみて、激しい怒りが沸き起こっているとわかる。そして、何より体を震わせている。怒りを露わにしている人が見せる行動の1つだ。
「240億!?あいつはアホなのか!こんな機械ごときにそんな大金を払うなぞ正気ではないぞ!これじゃ、わしが違約金を払えないではないか!無駄遣いに関し、一度ガツンと叱ってやらにゃいかん!」
そう決意を表明した主人は、彼女を追い出すことが無理だとわかり、中に入るように指示してくれた。
屋内はとても埃まみれで、ゴミ袋が散乱していた。
ゴミ袋には、お弁当の容器だとかが入っていたが、今の時代、地球環境に考慮されており、お店で買うものは全て総重量の0.01パーセント以下のゴミしかでないことになっている。それなのにこの館のゴミの量は、目算で500キロほどあるのだから、随分と掃除をしていないようだった。
この館は、ゴミ屋敷と定義してもいい。
中に入るなり、早速、彼女は主人にこの館のルールについて訊ねることにする。
「この館でお世話になるにあたり、注意事項などはございますか?」
主人は、考えることもなくすぐに答えた。
「特にはない。お前は、私の命令があるまで、下駄箱の横にでも立っておれば良い。以上じゃ。行動せよ。」
主人は、彼女に命令をして、すぐに二階に上がって行った。彼女は、それから7日間、命令のないまま過ごすことになる。
◇3月2日◆
彼女はさすがにこのまま過ごすことも、役割が果たせないと思考し、行動を開始する。
まずは、掃除を開始することにする。このお屋敷は衛生的によろしくない。もちろんこの基準は、人間ベースのものであり、彼女からしたら、この環境でも、故障の原因にすらならない。
彼女は、一度深呼吸をする。それから、掃除を開始する。
もちろん、ロボットである彼女が気合いを入れるために、深呼吸をしたわけではない。彼女は、息を吸って吐くたびに、空気清浄をしている。標準装備だ。それを強くした。
人間的な姿である彼女が人間離れした行動をすることを何よりも嫌った製作者の思惑のため、彼女は、このような行動をとらざるを得ないのである。
彼女は、もしものために、極力部屋を触らないで、掃除をすることにする。
掃除を開始して、3時間が過ぎた頃、すっかり一階のフロア全てが、衛生環境的に綺麗に掃除されたところで、主人が異変に気付き、二階から降りてきた。
「お前は、何をしているんだ?わしの命令があるまで、そこらへんで待機しておけと言わなかったか?何を勝手に掃除なんてしているんだ?」
主人は、彼女にこの行動の理由を不思議そうに問いただした。主人が、不思議がる理由も理解出来る。ロボットは命令に服従をするものである。というのが、今日のロボット三原則の二条にあった。なので、主人が、彼女の行動に疑問を持つこともわかる
「旦那様、申し訳ございません。あまりにも、お屋敷がゴミで埋もれていたため、虫がいたり、残り物が腐敗していたりと衛生的によろしくありませんでした。旦那様の体調にも多大な影響を与えていると判断したため、お掃除をさせていただきました。これから、二階もお掃除をさせていただきます。」
彼女は、命令違反の理由とこれからの行動を主人に示して、2階に上がろうとすると、主人は彼女の手を取ってくる。
「おい!お前、本当にロボット?どうゆうことだ?勝手に行動するのか?」
「はい、私は、自律思考型多目的駆動人形WL-19です。正真正銘のロボットでございます。旦那様のことを一番に考えることを主にしております。このお屋敷は、よろしくない環境にあるため、思考し、より良い環境で生活していただくために、お掃除させていただいたのです。では、失礼します。」
彼女が、自分の行動理由を説明すると、主人はその返しに意表を突かれて、彼女の行動を止めることなく見送っていた。
彼女が二階に行くと、案の定、一階以上のゴミ袋の量と散らかった物があり、彼女はまた深呼吸をした。
きっちり3時間後、彼女は二階の掃除を終えて、一階に行くと主人に仕事の報告をした。
「旦那様。お掃除が完了しました。それでは、私は、命令に従い、下駄箱の横で待機しておりますので、何なりとお申し付けください。」
「そうか。わかった。待機しておけ。」
主人はそう言って、再び二階に上がっていった。
それから、2時間と34分後に主人は、彼女に助けを求めることになる。それは、彼女に仕込まれた偶然を装った必然であった。
「おい、人形!わしのティーカップをどこにやった?」
「はい、旦那様。書斎の机にあったティーカップでしたら、こちらに置いてあります。」
ティーカップが置いてある場所に案内を開始する。そして、彼女はティーカップを見せると主人に質問をする。
「旦那様は、普段コーヒーをお飲みのようですが、今回もコーヒーでよろしいでしょうか?」
「あ、あぁ、コーヒーで良い。」
あっけにとられた主人の了承ももらったので、彼女は、キッチンに行き、コーヒーを入れる。
まず、はじめに、豆を挽くのだが、豆を挽く場合に適した粒度がある。今回使うのはサイフォンであるため、中挽きである。彼女は、寸分の狂いなく、均一に手挽きミルでコーヒー豆を中挽きしていく。粒度が疎らであったならば、美味しいコーヒーは入れることはできない。
豆を挽き終わったら、次は、ネルフィルターを濾過器にセットする。フラスコに数杯分のお湯を入れて、彼女の手に仕込まれている熱源で沸騰させる。アルコールランプなどの熱源でも良いのだが、そうであったならば、微調整は難しくなる。なので、彼女の自らの熱源を利用する。
そして、彼女の体温で温めておいたロートをセットする。ロートに数杯分のコーヒーの粉を入れる。
これで準備は完成した。
あとは、お湯が沸騰して、コーヒーの抽出をすれば完成だ。
完璧なコーヒーを入れ終えた彼女は、このコーヒーを主人の元に持っていく。
主人の書斎についた後、扉をノックする。
「旦那様、コーヒーをお持ちいたしました。失礼します。」
一度断ってから、入室する。中に入り、机に座っている主人のその机にコーヒーを置く。そして、心ばかりのお茶菓子も添える。
「どうぞ、お召し上がりください。では、私は、下駄箱の横で待機しておりますので、何かありましたら、お申し付けください。失礼いたします。」
そう言うと彼女は、玄関の下駄箱に行き待機をする。
この館は、見渡せば新型のロボットが埃をかぶっていた。主人は、どうやらロボット嫌いのようだ。
宜しくお願いしゃす。