娘①
大晦日、おヒマな時にお読みください。
マサルが帰宅の挨拶をするとこの屋敷内では、聞くことのできない音を立てる一人の女が近づいてくる。
「お父様!おかえりなさい。待ち侘びましたわ。」
そう言ってマサルに抱きついていた。
「サクラ!ただいま帰ったよ。ちゃんといい子にしていたかな?」
サクラと呼ばれたその女は、毎日手入れを欠かしていないと思われる少しブラウンがかった髪と雪のように白い肌が印象的な女だった。
少し暑いと感じる室温によって今にも溶けてしまいそうな彼女は、室温のせいか、頰は桜色に色づいていた。その色がこれから来る桜色に染まる季節を連想させるようで春の到来を待ち遠しいと感じさせる。
「もちろんです。それと、私も16歳なのですから、子供扱いしないでください。」
サクラは、マサルの発言に少し左頬を膨らませ、可愛らしく怒って見せた。それは、本当に怒っているのかわからないものではあったが、マサルは、その可愛らしい様子に今までに見せたことのない父親として、娘を愛していると感じさせる暖かい目をして言った。
「ごめん。サクラも16歳か!もうすっかり大人だな。これからは、レディーとして扱うように気をつけよう。」
マサルはそう言って、サクラの機嫌をとると、サクラの目線の先に気がついて、説明をしようと思って口を開いたが、先にサクラに質問されてしまった。
「お父様?この女性はどなたなの?もしかして、側室の方?お父様が?」
アマネを見てサクラは、少し驚いた顔をする。一般的に妻子持ちのマサルがわざわざ娘の前に同じ年齢ほどの愛人を連れてくるはずはないとは思うが、どうやら、アマネを見て勘違いを起こしてしまったらしい。
サクラは、考えがまとまらないままに、といった様子で呆然と立ち尽くしていると、マサルが慌てて訂正をする。
「サクラ!な、何を言っているんだ。そんなはずがないだろう。どこで覚えたんだ。彼女は、私の友人の娘さんで名前をアマネという。今日から、食客扱いのメイド見習いといった形態で働いてもらうんだ。」
とマサルが簡潔にアマネの紹介を済ませる。とサクラは、口に手を当てて、大げさに驚いてみせた。
「彼女!? やっぱり……。下手な言い訳です、お父様。」
「いや、カンジョってそういうことじゃない。サクラ勘違いだぞ。私は、サクラとかあさんを一番に愛しているんだ。」
サクラの、発言に反応するかのようにマサルがおどろおどろしく勘違いの修正を試みる。
「ふふ、冗談です。お父様がそんなことしないことなんて私が一番わかっていますわ。お父様がなかなか帰ってきませんので、少し意地悪をしましたの!」
と先ほどの驚きだとか、悲しみの表情を洗い流した。そして、舌を少し出すと、悪戯めいたまだまだ手のかかる子供のような顔をしてマサルをからかっていた。サクラは、とても感情豊かで、それを表現することに長けていた。
「な、なんだ。お父さん本当に驚いたぞ。サクラにそんな勘違いをされるなんて……、これからどうしようかって悩むところだった。」
とマサルは大げさに笑ってはいるものの、その笑いは乾ききっていて、ただ広い玄関に虚しく響いていた。
そんなマサルを見て、サクラは本当に楽しそうに笑った。この親子の関係とはこういうものなのだろうとわかってしまう一幕間劇だった。
そんな様子をマサルの後ろでただじっと見ていたアマネの方にサクラが近づいて言った。
「私はサクラです。これから共同生活ですね。お仕事頑張ってくださいね。」
そう言って手を差し出してきた。アマネもそれに応えるべく、自己紹介をした。
「はい。これからお世話になります。アマネです。良きお友達になりましょう。」
アマネはそう言った。確かにそう言った。何もおかしなことは言っていない。ただの自己紹介のはず。社交辞令だと受け流すこともできたはずである。だが、サクラは、表情を落とした。先ほどの花のような顔から笑顔が消えた。差し出されていたはずの手は、下げようとしていた。その下げた勢いで自身の背後にいるマサルに振り返る。
「お父様。私は、お友達なんていらないと言いましたよね? アマネさんが私のお友達になるためにわざわざ連れてこられたのなら、すぐに返して差し上げてください。私には、無用の長物。不必要なもの。そんな私には、この方がただかわいそうなだけですわ。」
先ほどのやり取りとは、まるで違う。穏やかではない言葉。明確な敵意がその言葉には含まれていた。それを聞いたマサルは、眉毛を下げてサクラに言った。
「そんなことを言わないでくれ。アマネ君は、サクラとお友達になりたいと言ってくれているんだ。だから、そんなことを言うものじゃない。今アマネ君は、ここにいるんだ。もっと場所を選びなさい。」
マサルは、サクラを諭すように優しく優しく言っているが、当のサクラは、その言葉を聞く気がないらしい。マサルから目を逸らして、アマネに振り返ると
「私は、あなたとお友達になりたいと思いません。あなたのことが嫌いです。どうぞ、おかえりになってください。」
アマネにサクラは言った。とても辛辣な言葉であり、トゲトゲしいほどの鋭い言葉だった。普通のヒトなら、そのまま帰ってしまっているかもしれない。それとも、ただただ、立ち尽くしているかもしれない。泣くものだっているかもしれない。だが、アマネは、その言葉で傷つかない。傷つきようがなかった。だから、淡々と言うことができた。
「そうですか。しかし、私はサクラさんとお友達になりたいのです。このまま帰りたくもありません、不躾であろうことはわかっていますが、しばらくの間ご厄介になります。」
そう言って、アマネは、両手を腹部の前で重ねると、綺麗にお辞儀をした。
その光景を見たサクラは、一瞬たじろいだ。サクラが言った言葉にすぐに応えた言葉は、自身が想定していた言葉ではなかったための尻込みだったのかもしれない。はたまた、暴力的なまでのその言葉に対して、頬を叩かれる覚悟をしていたため、拍子抜けしていたのかもしれない。
そして、少しの間を空けて、サクラがアマネに言った。
「どうぞ、勝手にしてください。でも、私はあなたのことが嫌いです。友達になりたくないということをお忘れなく。では、また、ごきげんよう。」
強い口調で言い放った。感情の高ぶりからか、瞳には涙まで浮かべている。瞬きでもしたならば、それはこぼれ落ちてしまうだろう。だが、サクラは、堪えた。ここで泣いてしまっては、弱みを見せてしまうと思ったのかもしれない。
サクラは、アマネにいい終えるとすぐに二階に向かうための階段に小走りで去っていった。
その様子を、頭を上げたアマネは静かに見ていた。
アマネは、考えていた。どうすれば、友達になるという使命を全うできるのかを。
「すまないアマネ君。娘は昔から友達を作りたがらなかった。なんでだろう。私が知る限り、親しい同世代の友人というのはいないと思う。どうだ? 娘の友達になるのは、諦めて他の仕事でもするか? 君が決めてくれて構わないよ。」
アマネは、考えずに言葉を言った。考える余地などないというのもある。
「いいえ。マサルさま。私は、お嬢様のお友達になりたいのです。ですので、このままこのお屋敷においていただけることを望みます。」
予定通りの会話だったマサルは、無表情のまま誰にも聞かれないようにいう。
「愚問だったな。初めから、私は、娘の友人にするために君を購入した。だから、その答え以外は、聞きたくない。というよりも、その答えがないのなら、君は不必要な存在だ。君に決定権などない質問だ。」
だが、マサルの発言は見当はずれもいいところだ。アマネは、別にマサルを喜ばせたくて、友達になることを承諾したわけではない。
それは、新しく主人になるサクラがなんだか哀しい顔をしていたためだ。哀しみを知ったアマネだけが気づけた隠された感情。いや、それも気のせいであったかもしれない。本当に友達になりたくなくて、そう言っていたのかもしれない。だが、アマネは、友達なんていらない。と言った主人の顔が頭から離れなかった。その理由が知りたくて、友達になることを承諾したのだ。
マサルが言うように不必要で捨てられるなら、それは仕方のないことだし、また、新しい契約者が現れるだろうことも容易に想像できた。アマネにとって、マサルは、購入者や契約者という扱いであり、真に主人と呼べるものではない。優先順位は、極めて低いのだ。
「さてさて、なかなか辛辣なことを言われてしまったな。友達になるというのは少し難易度が高かったか。まあ、頑張ってくれたまえ。それでは、君の部屋をここのメイド長に案内させよう。」
マサルが誰にも聞こえるような声でそう言った。紹介してくれたのは、マサルと同い年代くらいのメイド長だ。マサルは、30代でも通用しそうな容姿ではあるが、メイド長は、歳相応の容姿であり、長年ここで働いているためか、仕事に対しての自信があった。その自信が立ち振る舞いに出ていて、余裕を常にまとっていた。
「ミタさん、アマネ君を部屋まで案内してくれ。くれぐれも丁重に扱ってくれよ。サクラのお友達候補なのだからな。」
「はい、旦那様。重々承知しておりますわ。」
ミタと呼ばれるメイド長は、マサルに和やかに笑いかけた。そして、アマネに向きを変えると
「では、アマネさま。お部屋に案内いたします。ついてきてくださいませ。」
丁寧にそう言った。
三棟がコの字型になるように建てられたこれらの屋敷は、都市部から少し離れている。それは、体の弱いサクラのため、生まれてすぐに空気の良い場所に移居したという経緯があった。
総面積約1万5,000坪の広大な敷地の中に建てられた今いる中央の屋敷は、二階建て500坪。建築面積1000坪と敷地からしたら小さいと感じるが、実際には、屋敷の案内には数時間を費やしてしまうほどに広い。この屋敷は、家族とそれに連なる者の部屋がある。もちろん、使用人の部屋も数部屋はあるが、それは管理上、仕方のないもので、使用する者もメイド長のミタだったりと役職の高いものが使用している。
ならば、部屋を持たない100人以上200人未満の使用人は自宅通いかというとそうではない。ここでは、セキュリティ上、自宅通いをしている使用人はいない。大半の使用人は、コの字型の両端の屋敷に住んでいる。そこが使用人専用の屋敷となっている。
アマネの部屋は、二階にあるらしく、先ほど主人が駆け上っていった玄関から一番近い階段から登っていく。案内されている時に、メイド長のミタは、アマネに話しかけた。
「アマネさま。サクラさまは、あのようにおっしゃっていましたが、本当はお友達が欲しいのです。このお屋敷には、若い使用人というものがいないもので、私どもは、いつも一人でいらっしゃるサクラさまを見ていましたから、よくわかります。先ほどの言葉は、照れ隠しほどに思っていただけたらよろしいかと思います。」
「はい。お気遣いありがとうございます。そう考えておきます。」
アマネがそう言うと、ミタはにっこりと微笑んだ。そして、続けていった。
「私どももできる限り、お二人は仲良くなれるように命令されております。何なりとお申し付けください。」
「はい。宜しくお願いします。」
歩きながら会釈をした。頭を下げて、上げている間にメイド長のミタが止まっていることに気がついて、アマネもそれに合わせて止まった。
ミタは、自身の後方を歩いていたアマネの方を向いた。そして、少しの間、沈黙が流した後、アマネは、ミタが何かいいたそうな予感を感じて、何も言わずにそれをまった。
ミタは、自分の言いたいことがまとまっていないようだったが、それでも小さく言った。
「私は、サクラさまがまだ赤子の時よりお世話してまいりました。僭越ながら、娘……、いえ、孫のように可愛いのです。もし、アマネさまがサクラさまを嫌いになり、傷つけるようなことがありましたら、私は、アマネさまを傷つけずにはいられないのです。たとえそれが、さらに、サクラさまを悲しませるような行動であったとしても、私はサクラさまを傷つける者を許しておくことができません。ですので、もし、お友達になることが叶わぬとお思いならば、このお屋敷から出て行ってもらいたいのです。」
ミタは、自分がどうしようもなくわがままなことを言っていると自覚している。それでも、自身が大切に想っているサクラの悲しむ顔を見たくなくての言葉だった。この言葉を言ってしまっては、きっとアマネは不快な感情を抱いてしまうことも理解していた。そればかりでなく、この言葉がきっかけで二人の仲が改善不可能なほどに悪くなるかもしれない。それでも、主人の悲しむ顔など見たくないというのは、過保護な忠誠であろう。
だが、アマネも遠回しに帰ってくれと言われても、帰るわけにはいかない。自身の命令は、主人と友達になるということ。それは、ロボットとして必ず遂行しなくてはならない。命令を遂行できないということは、自身の存在意義がないものと同じである。だから、アマネは、断固としてこれを否定した。マサルとの対話と同じように、すぐにこれを否定した。
「いいえ、それはできない相談です。私は、お嬢様のお世話をしに来たのではありません。私は、お嬢様のお友達になりに来たのです。友達とは、悲しいことや嬉しい事。楽しい事を共有するものではないですか? 私は、お嬢様とそれらを共有しに来たのです。ミタさんがお嬢様の悲しい顔を見たくないというのもわかりますが、それでも、私はここから出て行く事はないのです。申し訳御座いません。」
アマネは、そう言った。
ミタは、アマネの言葉を聞いて、少し考量して頷いた。
「わかりました。では私どもの方でも、お二人が仲良くなれるように計らわせていただきます。」
とミタは言った。それから、また歩き出したが、部屋に着くまで見たが再びアマネに話しかけることはなかった。
部屋の扉の前について、ミタは、アマネに話しかけた。
「アマネさま、ここがアマネさまのお部屋になります。補足としまして、この部屋の正面、右隣のお部屋がサクラさまのお部屋になります。今日は機嫌が悪いと思いますので明日にでも、ご挨拶に行かれるのもよろしいかと思います。何かご用がありましたら、このお屋敷のいたるところにありますコールボタンを押していただくか、近くの使用人にお申し付けいただくかしていただければ、すぐに伺わせていただきます。それでは、ごゆるりとお過ごし下さい。」
「ありがとうございます。ところで、私は、メイド見習いなのですが、お仕事などはしなくてよろしいのですか? これでは、さすがにただのお客になってしまいます。」
アマネの質問にミタは、答えた。
「旦那様からは、メイド見習いだが、丁重に扱うようにと申し付けられております。アマネ様は、お仕事などしなくても、大丈夫です。」
その言葉を聞いて、アマネは、感情がないロボットながら、眉をひそめてしまった。なかなか人間的な表情である。これもマサルからの命令である。ネタバレを防ぐためのものなのだろう。
アマネは、人間的な表情をしてからこの言葉に対して、注文をつける。
「では、お友達になる一環としまして、これから毎日、私にお嬢様のお部屋の掃除をまかせていただけないでしょうか?」
アマネのこの発言に、再度、眉をひそめることになるのはミタだ。この屋敷の重要人物であるサクラ関連の全ては、使用人内でも争奪戦になる程に競争率が高い。年の若い可愛いサクラの部屋を誰もがお世話をしたいのだ。それは、メイド長ミタですら、サクラの部屋を掃除できる機会は、一ヶ月に二回あるかないか……。それほどまでに少ない。それなのに、今日来たメイド見習いの少女にその重要な役回りを取られてしまいそうになっているので、ミタは眉をひそめた。だが、断る理由もない。先ほど、ミタは、仲良くなるために計らうとまで言ったのだ。軽々な発言をした先ほどの自分を恨んだ。
「あの……。アマネさま?無理をしてメイドの仕事をしなくて良いのですよ?」
「いいえ。無理などしておりません。お嬢様とお友達になるためには、とても必要なことであると思います。」
“お嬢様のために必要”と言われてしまっては、メイド長ミタもこれ以上断ることもできなくなってしまった。
ミタは、顔、態度や口調には出すことはないが、内心では、落胆の色に染まりつつあった。
だが、ミタの執念は驚くべく頭を回転させた。そして、アマネに言った。
「承知致しました。それでは、アマネさまにサクラさまのお部屋のお掃除をしていただきましょう。ただし、私どももメイド見習いのアマネさまのご指導ということで、指導役をつけたいと思います。よろしいですね?」
ミタの言葉は、反論は許さない。と言ったように語尾は、質問調の上がり方はしていなかった。
「はい。それで構いません。ご指導のほどをよろしくお願い致します。」
アマネは、メイドとして、完璧とも言えるお辞儀をした。それを見たベテランメイドであるミタは、絶句した。それは、指導なんてすることこそおこがましいほどの見事なお辞儀だったからである。
そのメイドを知りたかったら、お辞儀を見ることが最善であることをベテランメイドのミタは知っている。メイド研修もお辞儀から始まる。完璧なお辞儀ができないうちは、次の内容に進まない師匠すらいるほどだ。それは、計らずして、客人の前にすら出ることがあるため初めにそれを教える。これは、雇い主の顔に泥を塗らないための教えでもあるが、メイドとして、完璧なお辞儀をして初めて一人前と呼ばれるほど、重要なことだ。
ミタは、アマネのお辞儀の美しさに見惚れていた。ベテランであれば、あるほどにその人間離れした完璧な礼は、感動すら与えた。
ミタは、見惚れていた自分にすぐに喝を入れた。頭を上げたアマネがこちらを不思議そうに見ているためだ。
「で、では、明日からサクラ様のお部屋の掃除をいたしましょう。その時間になりましたら、お迎えにあがります。それでは、今日はごゆるりと旅の疲れをとってくださいまし。失礼します。」
アマネに負けじとミタも完璧な礼をした。それは、ベテランの意地とも言えるとても見事な礼であったことは言うまでもない。
読み終わっている頃には、年が明けていますか?
そうであるならば、あけましておめでとうございます。また良いお年を!