だいたい、小説ってどうやって書くんだ!!
またお目にかかりましたね。さて、本日もやらかした話でございます。
前回、「ぼくらの、『新世界』を創ろう」を初めて通しで読んでみた事をお話しました。その時の印象としては、「こいつ、小説わかってないなぁ」って感じでした。もちろん、内容は自分好みで考えているわけなので大いに結構なのですが、書き方がなってないのです。以下、気になった点を挙げていきます。
○細かい動きの描写が多い
○細かい表情の描写が多い
○当事者以外への言及が多い
○内容が薄い割に、進度が遅い などなど
結局、何が小説っぽくないかというとですね、全てを文章に落とし込もうとしているんですよ。登場人物が台詞を言ったとか、どちらを向いたとか、どんな風に立った座ったとか、喧噪の中の名もない人物の台詞だとか、そんなものが矢鱈めったら書かれているのです。特に前半はひどかった。ただ、誤解のないように書いておきますと、詳細な描写がいけないわけではありません。ようは加減と使い所だろうと思います。
それで何故こんな事になったのか思い返してみると、小説という媒体を誤解していたのだと思い至りました。小説が漫画や映画、アニメほど情報を詰め込めない事をわかってなかったんですね。絵や音、動きのある映像媒体は非常に情報量が多いですよね。登場人物の一挙手一投足、背景の描写や、通行人の「がや」など一つの場面にこれでもかと情報が盛り込まれます。それでも冗長にはならない。まあ、現実では人間はそれ以上の情報を処理していますし。
一方、小説は文字だけを使用した媒体です。文字が映像と違うのは、入ってきた情報を理解してから想像する分、直感的に理解するのに向かない所でしょう。映像なら一瞬で提示できる情報も、文字で全てを説明しようとすると結構な長文になってしまいます。
上記の事を理解せず、頭の中にある絵を文章に落とし込もうとしたため、変に細かい情報が増えていき、文字数の割に内容が薄く、進度が遅い作品になってしまったという事なのです。
では、どうするのが正解だったかと言うと、もっと読者の想像力を喚起するような表現で書けば良かったのです。よくいわれる事ですが、「~と言った」とか書く必要はない。もっというなら、「怒り口調で喋った」とか「饒舌だった」とか「ゆっくりと言葉を紡いだ」とか、皆一緒です。そんなの台詞を読めばわかるんですから。逆に言うとそれがわかるように台詞を書かなければいけないわけです。
動作に関しても同じことです。例えば、「倒れた――の正面に立つと、膝を折って中腰の姿勢になり優しく右の掌を差し出した」みたいな文章を「ぼくらの、『新世界』を創ろう」では書いていたわけです。こんなの「――に向かって、手を差し伸べた」で十分でしょう。主人公が倒れている事なんて、どうせそこまでに描写されてるんでしょうし。
余計な情報を削ぎ落しても、足りない部分は読み手の方々が脳内で補完してくれます。「雨が降っていた」と一度書けば、読者さんの頭の中では、雨音と湿った空気、ほの暗い情景が場面が代わりまではちゃんと思い描かれていますよ。読者さんの想像力をもっと信用しなさいと書いていた頃の自分に言いたい。大事なのはミスリードしない事、雰囲気を正しく伝えられる言葉選びをする事です。
今回のやらかした、余計な詳細情報を詰め込み過ぎて、文章が冗長になっていた事でした。
次回から、無駄な情報の削ぎ落として、その分、内容を濃く出来る様な表現を磨きたいと思います。
今回は珍しく解決策が提示できて良かった、良かった。