世界観づくりを勘違いしてた。
さて、今回は世界観について話しましょう。
呼び方は舞台設定でも世界設定でも何でも構いません。
キャラクターとストーリー展開、この二つがあれば小説は出来ます。優秀な俳優と素晴らしい台本があれば、例え、舞台が朝礼台でも観客を魅了出来るはずです。
でも、どうせやるなら、朝礼台より国立劇場の方が良いですよね。
簡単でも良いが煮詰めるに越したことはない、世界観とはそういった類のものだと私は思っています。
さて、それでは「ぼくらの、『新世界』を創ろう」の世界観を作る時、私は何を考えていたかというと、「どうせ習作のつもりだし、色々な事を書いてみたいから自由度が高い設定にしたいなー」てなものでした。そうやって考え出したのが「真理」という設定でした。登場人物たちは一人一つだけ「新世界」における普遍的な法則を決められるという設定です。これなら、自分の書きたい展開に合わせて新しい「真理」を出していけば、どんな展開にも対応出来ると思ったのです。
設定を足しやすい世界観こそ、自由度の高い世界観だと思っていたわけですね。
しかし、いざ書き始めてみるとこれは全くの間違いだった事に気付くのです。全然自由じゃない。むしろ、設定を足せば足すほど制約が増えていきました。そう、設定というのは小説内のルールですから、増やした分だけ自由度は制限されるのです。
例えば、主人公ユウの「真理」は「『新世界』に悲しみはいらない」です。
初っ端からこの「真理」は最悪です。
序章のノリだけでこんな「真理」考えるんじゃなかった。
だって、悲しむ描写は全部アウトなわけですから。
かといって、本当なら悲しんで然るべきシーンで登場人物達があっけらかんとしていたら、読んでいて不快ですよね。結局、悲しみを喚起させるようなシーンはほとんど書けませんでした。
それから、ジュリアの「人は嘘をつけない」も厄介でした。
これにより、登場人物の言動には嘘がないという事になるわけですから。騙し合いなんて絶対に書けませんよ。
他にも、会話の流れで出てしまうちょっとした誤魔化しとかも、危ないです。誤魔化しではなく、ぎりぎり本音が混じっているという微妙なラインの表現を探す羽目になります。
出来ない系でなくとも設定は自由度を制限します。
「魔法」が使えるという設定をつくれば、「魔法」を使用出来る事が前提になるわけですから、「魔法」が存在しない時に起こるであろう可能性は全て無かった事になるのです。この例はだとわかりづらいですね。
別の例えで言うと、地面を設定すると登場人物は地面の上に置かれる事になります。しかも、上と下という二つの方向も規定されます。地面という設定がなければ、上もなければ下もなく、右も左もなかったのに、地面を設定した事でこんなに縛りが増えてしまいました。
結局の所、今回は何が言いたかったかというと「世界観の設定は足し算ではなく引き算である」と言う事です。設定を詰めれば詰めるほど出来る事は少なくなる。かといって、穴だらけの世界観でも困りますから、何かしらの制限がかかる事を承知で世界観を練る必要があるという事です。
これは本当に想定外でした。やってみなけりゃわからない事は思いの外、多かったです。