宣伝エッセイを書いてしまったorz
今回のお話は、失敗談というよりも、懺悔です。
しかも、何をそんなに悔いているんだと思う様な、しょうもない話です。
私が何をしたかといいますと、『とかくなろうは儘ならん』という宣伝エッセイを書いてしまった事があるのです。ああ、恥ずかしい。
私がこのことを何故そんなに悔いているのか説明します。
『とかくなろうは儘ならん』の内容を要約すると以下の様になりです。
一週間かけて話を煮詰め、確認作業もして投稿している『ぼくらの、「新世界」を創ろう』よりも、ろくに考えもしない一発書きの食事エッセイ『うちの献立紹介します』の方がアクセス・ユニークともに多いのが自分の中で納得できないな。
このエッセイのどこが恥ずかしいのか、わからないですか。まあ、少なくとも情けなくはありますよね。
話にはまだ続きがあります。
話は変わりますが、小説を書いている多くの方が、自分の作品を誰かに読んでほしいとお思いでしょう。初めて書いた時には、「執筆が楽しいのであって、誰かに見てもらわなくたって構わない」なんて斜に構えていた私も、今ではアクセスして頂けるだけで一喜一憂の有様です。
小説を書く人の想いって、それほど多様ではない気がするのです。
「すっごい話があるんだよ。聞いてくれよ」
「超面白い奴がいてさ、紹介させてよ」
詰まる所、上記の様な事が物語を書く人間の本音なのではないかと思うのです。
ならば、少しでも読者を増やすように努めるのは、当たり前のことなのかもしれません。少しでも話を聞いてほしいのならば当然です。
そうなると、宣伝エッセイを書くことの何がいけないのかという話になります。
私も、決して自作を宣伝すること自体に、否定的な意見を持っているわけではありません。
別に後ろめたいことをしているわけではないんですから、堂々と宣伝すればいいんです。活動報告でも、ツイッターでも、ブログでも、違法行為でないのなら何を使っても構いません。
ただ、ここで問題なのが”堂々”という所です。
白状すると、『とかくなろうは儘ならん』はステマ・エッセイだったのです。
比較される両作品の内容には全く触れず、自分のかけた労力とアクセス数が噛み合わないと嘆くだけのエッセイ、そんなものを読んだ人はどう思うでしょうか。
女々しい奴だと思いましたか。おっしゃる通りですが、いま求めているのはその回答ではありません。
「作品の内容が全然わかんないから、判断できないな。」
となります。さらに殊勝な方なら、
「それじゃあ、試しに読み比べてみるか」
となるかもしれません。
はい、これにて、お一人様ご案内ってなもんです。
弁明させて頂けるなら、書いていた時は、本当にやり場のない気持ちをエッセイにしてしまおう、という以上の意図はなかったんです。
しかし、投稿してから読み直すと、遠回しに『ぼくらの、「新世界」を創ろう』読んで、と書いてある。しかも、実際に多少アクセスがあるときたもんだ。ああ、地下シェルターがあったら入りたい。
これは恥ずかしい。
以後、絶対にステマ・エッセイなんて書かないぞと、心に誓い、ここに懺悔したいと思います。
そういえば、新しい小説を書いたんですよ。短編です。
前作『ぼくらの、「新世界」を創ろう』がファンタジーを名乗りながら、あまりファンタジーっぽくなかったので、もう少しファンタジーに寄せた作品になってます。題名は『血塗れの聖母』です。
明日の夕方までに投稿したいと思っているので、読んで頂ければ幸いです。
よし、このくらい堂々とした宣伝なら大丈夫。




