幼馴染・親友・味方
僕たちの高校は海に近い。だから屋上の戸を開けるといつも潮の匂いが立ち込めてくるのだった。晴れの日に屋上から見える海は太陽の光が反射してキラキラ蛍の最後の灯のように輝くのだが、今日は曇り。残念ながら視界も良くなく、かすかにさざ波の音が聞こえるのみだった。
屋上を見回すと先についていたアヤの姿はあったが、他の生徒の姿はなかった。7月に入り教室ではクーラーが入るようになったためわざわざ屋外で昼食を食べる酔狂なやつはいなかった。今日は湿度も高くなおさらだった。
「よかった。聞こえてなかったんじゃないかって思った」
アヤは僕の姿を見つけると指で彼女の隣に座るように促した。
「たとえ聞こえなくても表情でなんとなくわかるさ」
僕は隣に座ると、登校前に買っておいたコンビニの弁当を取り出した。アヤの手には彼女の母親が作った弁当がすでに広げられていた。僕は箸でおかずをつまみながら隣にいる幼馴染のことを考えた。
時任彩香。10年間僕と席が隣であり続けるという奇跡の幼馴染。僕はずっとそばにいるという境遇から忘れがちだが、アヤにはかなりおおきな特徴が1つだけある
それが「強烈な美しさ」だった。小学生、中学生、高校生の同級生はもちろん、男性教師や近所のおじさん、果ては社会見学先の工場長。そういった初対面の男は必ずアヤを見たとたん向日葵のように顔をアヤに向け続ける。皆が皆思わず見とれてしまった自分を恥じて慌てて顔を背けるのだが、気が付けばまたみんな目でアヤのことを追っているのだった。告白を受けた数も2桁では足りないらしいが彼女から直接聞いたことはない。けれども完璧人間というわけではなく、中身は怒ったり泣いたり毒を吐いたりする普通の人間だった。そんな人間臭さも彼女の美しさを際立てているのかもしれない。本来は笑ったりもするのだが、最近はめっきりその回数を減らしてしまった。原因はもちろん僕と奴らだった。なんでこんな美人が未だに僕と一緒にいるのだろう。クラスから浮いている、ましてや席を逆さづりにされるような人物から離れてしまえばいいのに。そんな卑屈なことを考えても栓ないので黙って昼食を食べていた
「シュウ? どうしたの、お箸止まってるよ? 」
「ああ、そうだな」
僕は指摘されて慌ててご飯を口に運んだ。
「ねぇ、やっぱり今朝の事件のこと気にしてる?」
「気にしていないといえば嘘になるな。やつらの行動は目に余る」
けれどもアヤに危害が加わらないなら別にまだ我慢できる、という繋ぎの言葉は喉の奥に残しておいた。
「前から言ってるけど、絶対先生に相談した方がいいよ」
「常識的に考えればそうかもしれないけれども、机を逆さ吊りにするようなやつらだぞ?先生に注意されたところで反省するとは思えない。下手をすれば逆効果だ」
「でも」
「それに、何度も言うけどね、僕は事を荒立てたくない。できるだけ平穏に高校を過ごしたいんだ。クラスの他のみんなにも平穏に過ごしてほしいんだ」
「もう平穏なんてレベルじゃないよ!」
それまでは抑えめだったアヤの声が急に鋭さを増す。最近はずっとこんな感じだ。平穏を望む僕にアヤが反論して大声をだす。教室にいるといやがおうにも注目を集めることになるから屋上で話すようになった。
「このままでいいの? このままじゃシュウが望んでいるような生活は絶対に訪れないよ」
「確かに平穏じゃないかもしれない。けれどねアヤ。大輔たちは暴力をふるうこともなければ金をゆすってくることもない。やってくることいえば机にチョークの粉を振りかけるとか、教科書を糊漬けにするくらいだ。怒ってはいても大したこ……」
「大したことだよ! なにか対策を打たないと。先生に相談するのがダメなら知り合いの輪を広げてイタズラされる隙をなくすとか。でないと私、シュウがこんなになってるのは悲しいよ……」
アヤは僕に顔を近づけて涙をためていた。こんなに親身になって僕と話してくれる友人の存在がありがたかったし、同時に不覚にも涙を浮かべたアヤが美しいと思ってしまった。涙がただでさえ大きな目を殊更に強調する。アヤの目は夜の海を彷彿とさせる。ずっと見ていると吸い込まれそうになる、夜に溶け込むことなくそこに海があると主張するようにうねりを上げている。そんなきれいなモノを僕は同時に怖いと思ってしまった。