皇国哀史 第五話
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朝日が狭い部屋の窓から差し込む。もうそろそろ起こしても良い頃合いだろう。そう思い、騎士は隣で眠る皇子に優しく声をかけた。
「殿下、おはようございます」
「あ、ああ。おはよう」
はだけた夜着から覗く騎士の逞しい体をちらりと見て、皇子は目を反らした。昨夜の名残が色濃く残る部屋で、自分はあの腕で愛されたのだ、と思うと途方もない羞恥心が込み上げる。
騎士はそんな皇子を見て小さく笑いを漏らした。
「殿下、どうなさいました?」
「いや、何でもない」
「それにしてはお顔が赤いようですが。熱でもおありなのでは?」
「何でもないと申しておる!」
更に赤くなった皇子をアルフレッドは後ろから抱き締めた。息を吸えば、皇子の甘い匂いが鼻をくすぐった。
「申し訳ございません、殿下。ご機嫌を直してはくださいませぬか」
「お前のせいであろう」
腕から逃れようとする皇子の頬に、アルフレッドは音を立てて口付けた。
「許してはくださいませんか?」
皇子は赤い顔で唸った。
「卑怯者!」
幸せな時はあっという間に過ぎ、二人は城につき国王に謁見する運びとなった。騎士が連れ戻した「封印されし乙女」が少年であるのを見て皆驚きを隠せなかったが、その血の力は本物だった。
「謁見を城の庭で行うなど、どういうことだ」
「私にも分かりませぬ」
皇子と騎士は緊張した面持ちでその時をまった。しばらくすると、国王陛下が現れた。貫禄のある鋭い眼差しに射すくめられ、騎士は自然と頭を下げた。
「リュシエンヌ二世陛下のご子息、クラウス殿。話は聞いておりますぞ。はるばるヴァルナリスへの旅、ご苦労でした」
国王は親しげな笑みを浮かべたが、その本意は黒い瞳からは計り知れない。彼は控えていた従者に言った。
「用意は出来ておるな?」
「はっ、ただいま」
そして、「人の創りし勝利の神」は城の庭に運び込まれた。
皇子の母、リュシエンヌ二世はある力の持ち主でありヴァルナリスの勝利の女神であった。勝利の女神といっても結して象徴的な意味ではない。彼女には特別な力があり、手を触れずに物を動かした、火打ち石無く火を起こすことが出来た、など数多く逸話が残っている。それに着目したある祭儀師は、彼女の力を兵器として応用することを考えた。今はもう書物にしか残らないが、「霊装」と呼ばれたそれは、ヴァルナリスに数々の栄光をもたらしたとされている。その後勝利の女神がイエルダの手に渡り、ヴァルナリスは敵の手に渡ることを恐れて霊装を完全に処分した、とされていた。
しかしそれは現に皇子の目の前に五十年の時を経て現れた。背に生えた巨大な羽、頭部には角の代わりに砲台が聳え立つ。その巨大な外観はまさに黒き竜のようで、見るものを圧倒した。
言葉もない人々を前に、国王は重々しく告げた。
「率直に申し上げよう。クラウス殿には、この霊装を操っていただきたい」
「しかし私には母上のような力などありませぬ。動かすことが出来るか……」
「クラウス殿下、こちらへ」
従者は皇子の言葉も聞かずに言った。
五十年の間陽の目を見ること無く錆び付いた霊装の中程、ちょうど一人分ほど窪みが開いている。そこに皇子は腰掛け、人差し指を針で刺し、埋め込まれた宝石に血を捧げた。
(動け……動いてくれ)
アルフレッドは祈るような思いで見つめた。祈りが通じたのだろうか。皆が言葉もなく見守るなか、巨大な霊装は不気味な音を立てて動き出した。皇子の手の動きに合わせて重い装甲は金属のぶつかる音を立てて生き物のように蠢き、そして――巨大な霊装は爆音と共に地から舞い上がった。地は大きく揺れ、地上にいた者たちはみな身を伏せた。やっと揺れが収まり、空を仰げば霊装の砲台からは竜の死の息吹のごとく青い焔があがった。
それを見て国王は歓声を上げた。
「何と素晴らしい! これぞ我らの勝利の神じゃ!」
そして傍らに控えていたアルフレッドに言った。
「ご苦労であった。そちはもう下がって良い。十分な褒美を取らせようぞ」
「はっ。有り難き幸せ」
これで若き騎士の役目は完全に果たされた。皇子が望んだとしても、もう直接会うことは難しいだろう。これで皇子は国の運命を左右する人物となり、皇子の身は彼一人だけのものでは無くなった。騎士は麗しい皇子の姿を一心に瞼に焼き付け、立ち上がり、踵を帰そうとした。
その時、謁見室に凛とした声が響いた。
「国王陛下。私からお願いがございます」
「はてクラウス殿、何でございましょう?」
「アルフレッドを私直属の騎士にして頂けませぬか? この者の働き無くは、私はここに立つことも叶いませんでした」
「しかし、クラウス殿。護衛には我が国の誇る一流の騎士をお付けしますぞ。ご心配なさらなくともよい」
「アルフレッド以上に私を心から思い、忠誠を尽くしてくれるものなどおりません。何卒、よろしくお願い申し上げます」
「ふむ、クラウス殿がそこまで言われるなら」
国王は渋々同意を示した。
こうして謁見は無事終わり、皇子は騎士のもとに走りよった。
「はは、先程は肝が冷えたぞ。動かなければ私は斬り捨てられているところだった」
「それだけではありません。殿下、どうして先程はあのようなことを。殿下にはヴァルナリスの勝利の神にふさわしい、位が高く鍛練を積んだ騎士が仕えるべきです」
「言っただろう。私の元から離れることなど許さぬ、とな。お前も覚悟を決めて私に尽くせ」
皇子は明るい笑みを浮かべたまま騎士にそう告げたのだった。
その頃、ヴァルナリスから遠く離れたイエルダの地にも、その報告は届いていた。
「女王陛下。ヴァルナリスが、霊装を起動させたとの知らせにございます」
女王と呼ばれた女は、眉一つ動かさずに答えた。朱金色の髪が、彼女の動きに合わせて肩から流れる。
「そうであろうな。皇子を連れ出す目的などそれしかあるまい」
「陛下、遺憾ながら我々の計画にはまだ少しばかり時間がかかります」
女王は真っ赤な唇の端だけをつり上げる独特の笑いを見せた。
「昔ならいざ知らず、リュシエンヌ二世は鬼籍に入っておる身。あの女でなければあれは使いこなせぬ。お前も知っているであろう?」
「は、しかし……」
「我々の支度が調うまでは、皇子にはヴァルナリスであの禍々しい竜を扱う訓練でもしておいて頂こう。全ての指揮官に伝えよ。前線の兵を下げるのだ。無駄な損害を出してはならぬ」
「はっ」
使者の去った広い部屋で、女王は一人窓の外を見つめ、呟いた。
「小賢しきヴァルナリスよ。精々、砂の城がごとき栄光に酔いしれるがよい」