皇国哀史 第四話 R-15版
話が動いています。許されざる恋。BLにつきご注意下さい。
安宿でも、暖かいだけ野宿よりはありがたい。昨日の夢を思い出すと気が重くはあったが、一晩眠ったことで傷付いた騎士は幾分か回復した。体を起こすと昨日よりは軽くなっている。
そして騎士はすぐに重大な事に気づいた。隣の寝台に眠っていたはずの皇子が見当たらない。まさか、自分が眠りこけているうちに連れ去られてしまったのか。アルフレッドが青ざめていると、軽快な足音と共に部屋の扉が開き、青い服の裾が見えかくれした。
(敵襲か)
騎士は剣を抜き身構えた。足音の主が部屋に入ってくる。
「おっと、私だ。剣を納めてくれ」
皇子は大袈裟に両手を頭の上に上げた。
「これはご無礼を。お許しください。もしや、そのお召し物は」
「昨日の店に寄ってみたらもう仕立て上がっておった。感心な仕事ぶりだ」
仕立屋は渡した金に見合った仕事をしたらしい。上質な青い絹が朝陽にきらめいた。襟元には金の刺繍が施されている。皇子の白磁の肌が服の青に映え、女の格好をしていた時よりも凛として清婉だった。騎士は感嘆してため息をついた。
「良くお似合いです、殿下」
「そうか。店の主人はまだ私が女でないのが残念だ、などと申しておったのは心外だが」
皇子は不満げに顔をしかめた。
「とはいえ、お一人で出歩かれるのは危険です。私を起こしてくだされば」
「お前はぐっすり眠っていたから起こすのは忍び無かったのだ。次いでに朝の市で食べ物を買ってきた」
「何と、そのようなことは私にお任せください!」
「良いではないか。お前も食べよ。腹が減っては戦はできぬと言うだろう」
皇子は太陽のような爽やかな笑みのまま、騎士に紙で包んだ温かいパニーニを差し出した。自分を気遣っての行動に強く言うこともできず、騎士は礼を述べた。
「過分なるお心遣い、痛み入りまする」
幽閉されて育った皇子にしてみれば、おそらくアルフレッドは初めて出来た親しい存在であり、友人のように思っているに違いなかった。
(それなのに私は、殿下の信頼を裏切り邪な心を抱いてしまっている)
皇子の琥珀色の目はあまりに清く、悩める騎士にとっては覗きこむ度に己の浅ましさが写し出される鏡のようだった。
そしてもうひとつ、いつまでもこのままと言うわけにはいかない理由があった。ヴァルナリスに帰れば皇子は人々の希望の星であり、王位継承権のある歴とした王族でもある。人の上に立つものとして、一騎士がいつまでも馴れ馴れしく傍にいるべきではない。
道中は順調に進んだ。次の宿場町は大きく、貴族にふさわしい宿を取ることができた。騎士は皇子を奥の間に通した。
「殿下、私は騎士の間に控えております。狭き部屋にございますが、ごゆるりとお過ごし下さい」
「お前もこちらに来ぬか。話し相手がおらねば退屈だ」
「いえ、私は。御用の際は直ぐに参りますゆえ」
「ならばここにいても変わらぬではないか」
「それはなりません」
騎士は目を伏せたまま答えた。皇子は少し驚いた様子で頷いた。
「そうか。ご苦労であった」
皇子を突き放したようで少し胸が痛んだが、これで良かったのだとアルフレッドは自分に言い聞かせた。
その夜。騎士はは久しぶりの一人の時間を過ごしていた。書物をめくっては見るものの、皇子の顔がちらついて内容が頭に入らない。物思いにふけっていたせいか、騎士はその人物がドアから入ってくるまで全く気配に気づかなかった。
「殿下! なぜこのようなところに」
「ふふ、この宿の警備など竹網のごとく穴だらけだ。誰にも咎められずにここまで来られた」
そして皇子は寝台の上に座っていたアルフレッドの隣に当たり前のように腰を下ろした。驚いたアルフレッドは身を離そうとしたが、皇子は騎士の腕を掴んだ。
「待たぬか、なぜ逃げる」
体勢が崩れ、アルフレッドは皇子の下敷きになった。前を見れば吐息が感じられるほど近くに皇子の美しい顔があり、とっさに顔を背ける。
「殿下、今すぐ私から離れてください」
皇子は悲しげに肩を落とした。
「私は何か気に障ることをしてしまっただろうか?」
「いえ、決してそのようなことはありません」
「しかし、目も合わせてくれぬ。私が嫌いか?」
「そうではありません。……ただ、今の私は殿下に何をするか分かりません」
皇子は首を振った。
「お前が私に害を成すつもりなら、その機会はいくらでもあったはずだ。嘘を申すな」
皇子の澄み切った琥珀の目が自分を写している。逃れられないと悟り、アルフレッドはふっと息をついた。
「私は、殿下をお慕い申し上げております」
「分かっておる」
「いいえ。殿下は分かっておられない。私が殿下に対して抱いているのは、劣情です。貴方を抱き、その美しい唇で私の名を呼んで欲しい。そのような邪念です」
皇子は少し驚いたようだったが何も言わなかった。アルフレッドは諦めたように言った。
「殿下、申し訳ございませんでした。もうすぐ城下につきます。そうすれば私は殿下の警護の任を解かれ、私の身分ではもうお会いすることもありません。せめてそれまでは、お仕えすることをお許しいただけますか?」
「許さぬ」
アルフレッドは目を閉じ、苦しい息を吐いた。全ては皇子に邪念を抱いた自身のせいだ。本当のことなど言うべきではなかった。皇子は失望し、落胆しただろう。
しかし皇子はその細い腕で騎士の頭を包み込むように抱いた。
「殿下? 一体何をなさいます」
「城下についたらもう二度と会わぬだと? そのようなことは許さぬ」
アルフレッドが言葉の意味を測りかねていると、皇子は騎士の目を見つめたままゆっくりと言った。
「気付いてやれず、すまなかった。臣下の胸の内を察することもできぬとは、主君失格だな。辛かっただろう。私にそなたの想いをぶつけてみよ」
「……殿下も酷なことをおっしゃる」
アルフレッドは自嘲気味に笑った。
「お覚悟を」
アルフレッドは皇子を抱き上げて寝台の上に下ろし、その上に覆いかぶさった。無我夢中で皇子の唇を貪る。
「――んんっ!はぁ、少し待たぬか、んっ」
皇子は襲い来る唇から逃れようと細い腕で胸板を押すが、その腕はいとも簡単に頭上に縫い付けられる。
「それは出来ぬ相談です」
歯がぶつかるほどの荒々しい口付けに、皇子は呼吸もままならないようだった。
「思いをぶつけてみろ、とおっしゃったのは殿下ではありませんか」
耳元で低い声で囁いてやると、皇子の顔に朱が差す。あまりにうぶな反応にアルフレッドはあることに思い至った。
「殿下、失礼ながら、女を抱かれたことは?」
皇子は顔を赤らめてふいと目を反らした。
「私に子ができれば争いの基になるゆえ、許されなかった」
その答えに、アルフレッドの心は満たされた。まだ誰も踏み入ったことのない新雪に自分が初めての跡をつけるのだ。
「では私が手ほどき致しましょう」
アルフレッドは皇子の唇に軽く音を立てて口付けた。
「今日のところは、このくらいにしておいて差し上げましょう」
アルフレッドの体はまだ昂っていたが、皇子に無理はさせられない。力の抜けた体を横たえ、腕枕をしてやると、長い睫毛が窓からの月光で頬にくっきりと影を落としていた。許されぬ恋と知りながら、騎士はその甘さに陶酔していた。