皇国哀史 第三話 R-15版
いつも読んで下さりありがとうございます。BLにつきご注意ください。
こうして若き騎士は、一睡もすることなく朝を迎えた。ザルサの森の香りが辺り一面に満ち、清々しかった。
「おはよう。お前のお陰でよく眠ることができた。五十年も眠っていたというのにな」
「ご機嫌麗しゅう、殿下。お役に立てて光栄にございます」
「そう固くならずともよい。そうだ。まだ名を聞いていなかったな。何と申す?」
「は、名乗る程もない、一騎士にございます」
「何を言っている。お前は私の恩人だ。ああ、それともこう言うべきか。名乗れ。命令だ」
皇子は悪戯っ子のように笑っている。
「アルフレッド=ロホス=ルセックにございます」
「アルフレッドか。良き名だ」
少年の名残のある美しく澄んだ声。野苺のように艶やかな赤い唇から自分の名が漏れ出る。
ふと、皇子が潤んだ目で熱い吐息を漏らし、自分の名を呼ぶ所を想像してしまい、アルフレッドは邪念を必死で振り払った。
「我々は先を急がねばなりません。ご支度が整い次第、直ぐに発ちましょう」
予想を裏切り、皇子は泣き言も言わずに険しい道のりをひたすら歩いた。アルフレッドはもう一泊の野宿を覚悟していたが、夕日が空を赤く染めるまでには森を抜けることができた。
「ここからは街に出ます。殿下のお召し物を用立てなくてはなりませんな」
宿場町の仕立て屋に入ると、主人は皇子を見て目を細めた。
「なんと綺麗なお嬢さんだ。仕立てがいもあるってもんよ」
皇子は赤くなってうつむいている。騎士は主人に耳打ちした。
「女ではない。訳あって女の服を来て身を隠しているのだ。しかし、これからの道のりでは男の服が必要になる。仕立ててくれぬか」
「男なのかい。そりゃ残念」
「前払いだ。できるだけ急いでくれ。そしてこのことは誰にも言うなよ」
騎士が金貨を握らせると、主人は目を丸くした。
「へえ、こんな大金。腰が抜けちまう。すぐに取り掛かりましょう。明日の朝までには必ず仕立て上げます」
二人は近くに宿を取った。部屋に入ると皇子は言った。
「今日こそはお前もゆっくりと休めるな」
「お気遣い頂き、ありがたき幸せ」
皇子は騎士を心配そうに見遣った。
「お前、あちらこちらに怪我をしているな。薬湯に浸かって癒してくるといい」
「は、しかし私が殿下より先に休息するなど」
「騎士が自分の体も手入れできず、どうする。いいから、先に入ってこい」
宿の名物の薬湯に浸かると、少し傷に染みて騎士は顔をしかめた。しかし、肌あたりの良い湯は冷えて強ばった体を癒し、心までほぐれていくようだった。
「ふふ、遅かったではないか。私を待たせるなど重罪だ」
部屋に戻ると皇子は寝台の上から蠱惑的な笑顔を向けた。招かれるままに寝台に腰掛ければ、柔らかな唇が頬に触れる。アルフレッドは皇子の髪をかきあげ、耳元で囁いた。
「申し訳ありません、殿下。お許し下さい」
「仕方ないな、いつものように激しく愛してくれるというなら、許してやっても良いぞ」
「仰せのままに」
皇子の瞳が期待に見開かれ、騎士は白磁のような首筋に顔をうずめた。皇子は熱に浮かされたように、赤い唇から騎士の名を漏らす。
「ああ。アルフレッド、来てくれ」
「アルフレッド、アルフレッド、こら、起きぬか」
「は、殿下?」
皇子は呆れたように言った。風呂から上がってきたようで、ほんのりと顔を上気させている。
「風呂上がりにこのような所で寝ては風邪をひくぞ。布団に入れ」
見れば、部屋に戻ってきた後、机に腰掛けたまま眠ってしまったようだ。
「お前が居眠りとは。やはり疲れておったのだな。今日はゆるりと休むがいい。私も休ませてもらおう」
そう言うと皇子はすぐさま寝台にあがり、静かになった。