表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

月世界へのラブレター3

 人間、頑張ればできるものだ。俺は、大きな息をつくと、疲労のためピントがあいにくくなっている目を擦った。数度の感電(しかも、数百ボルトの)と睡眠不足を引き換えに、送信機の調整が奇跡的に終わった。これで、最大出力を出しても、機械が壊れる心配はない。だが、実際に最大出力を出した場合、本当に設計通りの出力が出るかどうかはわからない。何故なら、自宅でそんなバカでかい送信をしたら、周囲の家のテレビが見れなくなる可能性があるからだ。そんなことになったら、誰かが通報し、摘発が行われる可能性が高い。問題は、本番をどこでやるか、だが…


 俺はその解決案として、旧市街の外れにある丘の上からの送信を考えていた。だが、それには大電力を供給する電源と、荷物を運べる車がないとダメだ。あいにく、俺は車を持っていない。送信機を作ることができても、運用手段を考えていないとは、完全な俺のミスだった。


 今日は、期日の十一月二十三日。放送まで、あと半日もない。俺は、胃酸過多で苦しむ胃を抱え、優恵から貰った発泡タイプの胃薬を湯に溶かしつつ頭を抱えていると、玄関のチャイムが鳴った。

「はーい」優恵が、パタパタと音を立てながら玄関へと向かう。その際、俺のことを心配そうに一瞥したので、俺は情けなく笑い返した。


「あ、ラウルさん!」優恵のそんな声が聞こえるや否や、ラウルは俺の部屋へと入って来た。

「おい、電源車を用意してやったぞ。放送は今日なんだろ?」ラウルが、窓から外を指差す。そっと覗いてみると、そこにはテレビ局の中継に使うようなバス、ただし何故か全体がピンク色、が止まっていた。俺が窓から顔を出すと、クラクションが何度か鳴る。


「さあ、機材を積んで行ってこい」ラウルは微笑むと、親指をグっと立てた。俺は腰の力が抜けるのを感じた。助かった。

「ああ、助かったよ」

「まあ、いつも月からのラジオを聞かせてもらってるしな。このぐらいは、やらせてくれよ」


「でも、今日の放送はどうします?」と、優恵が口を挟む。

「丘の上から送信するよ」と、俺。

「じゃなくて、月からの放送を聞きたい人たちが、ここへくるでしょう?」


 そうか。今日は、月へメッセージを送信するだけでなく、月からも放送があるわけだ。俺が困ったように首を何度もひねると、ラウルが部屋の外にいるらしき人物を呼んだ。

「大丈夫、ここは俺とワイフが準備するよ」

「助かった、ありがとう」俺はそう言いながら、送信機を抱え台車に移した。その間に、優恵は簡単な弁当の用意をしてくれている。なにがそんなに嬉しいのか、鼻歌まで唄っている。


「優恵ちゃん、気が利くよな。お前にはもったいない」ラウルがニヤけ顔で言う。

「それより、送信機を運ぶのを手伝ってくれよ」

「ははは、照れるなよ」ラウルは俺の肩を何度も強く叩くと、台車に機材を積むのを手伝ってくれた。そして、彼の奥さんは優恵の手伝いをしてくれている。本当に彼らは頼りになる、素晴らしい友人だ。


「ところで、今回の依頼人はいつ来るんだ?」台車から荷物が落ちないよう、ベルトで締めながらラウルが言う。

「あ、四時過ぎに家に来てくれと伝えてあったけど…。もう、四時十五分前か」俺は、腕時計の真っ黒な文字盤を見つめながら答える。この時計、ゼンマイ式だから結構誤差は大きい。しかも、ここしばらく調節していないから、数分の遅れがあるかもしれない。


「そうだな、あと十数分ってところか。まあ、車に荷物を積んでいるうちに、時間になるだろう」ラウルも腕時計を確認する。俺は大きく頷くと、ギシギシと音を立てるオンボロのエレベータを呼んだ。


 ピンク色のバスに機材を積み終えるころ、咲坂が現れた。玄関の前に止まる奇妙な車に、目を丸くする咲坂。

「なに、ここでは放送できないから、町外れの丘に行くんです」俺がバスのドアを閉めると、咲坂はバスを見つめながら黙って頷いた。


「おい、早く乗っちまいな」

 車の中からモヒカン姿の中年男が、窓から身を乗り出す。その様子を見て、ますます咲坂は目を丸くする。俺のような仕事をしていると、こんな変わり者に出会うのは日常茶飯事だ。だが、彼女には免疫がないらしい。

 俺と優恵はラウルたちに留守を頼むと、咲坂をつれてバスに乗り込む。中では、前歯が数本抜けたモヒカンの男の他に、ケバい化粧をした中年に近い女性が微笑んでいた。


「俺は、サイゴン。こいつは、キャス。俺らは、放送局をやっている。この車が放送局さ。今日は、月に放送をするんだってな。たまげたよ、ぜひ協力させてくれ」モヒカン男のサイゴンはそう言うと、手を差し出した。俺は笑いながら握手をする。優恵も同じようにするが、咲坂は引きつった笑みを浮かべたままだった。

 サイゴンとキャス。彼らはきっと、海賊放送局を運営しているのだ。確か、真夜中にテレビに怪番組がうつった、なんて話を聞いたことがある。


 大げさな唸りをあげて走り出す、ピンク色の趣味の悪いバス。どうやら、サイゴンが色を塗ったらしく、塗装が汚い。が、それはそれでいいと思う。なんて事を考えていると、俺は優恵に寄りかかりまどろみ始めた。意識がなくなる瞬間、俺は大きな月が覆いかぶさる夢を見た、そんな気がする。


    *


 モヒカン男サイゴンの声で、俺は意識を再びこの世界へと戻す。俺はぼんやりと外を見つめる。まだ、月は見えない。

 月から一人でメッセージを送る、鏑木。彼は何を想って、何を望んで、放送を続けるのだろう。地球のことか、咲坂のことか、いやもしかしたら、俺たちには思いもよらない遥か遠い天空のことを考えているのかもしれない。月へ行った人間は、何かしら変わると言うからな。

 そう言えば、月から見る地球は、まだ、美しいのだろうか。


「…でよ、このリニアアンプ、あんちゃんが作ったんだって? すげえな。俺は、番組を作るのには自信があるが、機械には弱くてよ」サイゴンのダミ声が聞こえる。俺は、あいまいに相づちを打った。

「でよ、良かったら、俺らの機材が壊れたときに面倒見てくれねえかな? もちろん、謝礼は払うからよ」


「当たり前だよ!今時、技術屋なんて少ないんだからさ。それにしても、何であんたみたいな人が何でも屋なんてやってるんだい? インテリなんだから、職なんていくらでもあるだろうに」と、キャスがくわえていた煙管を置く。俺は彼女の歯に衣を着せない物言いに、腹が立つ、というより、どうやってこの場を誤摩化そうかと懸命になった。

「まあ、こっちの仕事の方が面白いし、性にあっているから」俺は、言葉をぶつ切りにして答えた。

「そうかい? ふーん」キャスは俺の心を見透かすように見つめる。


「よせやい、男には口に出せないことがあるもんだ。お、ついたぜ」サイゴンは乱暴にブレーキを踏むと、外へと飛び出した。キャスと咲坂もそれに従う。

「じゃあ、降りよう」俺が優恵の肩を叩くと、彼女は瞳をわずかに潤ませながら俺を見つめている。確かに俺が今の仕事をするのは、優恵のためでもある。そのことを、優恵は心苦しく思っているのだ。


「ばか、泣くな。お前を泣かせるために、俺は今の仕事をやっているわけじゃないぞ?」俺は笑うと、コツンと優恵の額を軽く小突いた。

「あれれ? 泣いてないですよ??」

「…でも、ありがとう…」優恵は、鼻を微かにすすると笑顔を取り戻した。


 俺はそんな優恵の姿に後ろ髪を引かれたが、バスから飛び降り、送信機とアンテナの設置を進めた。時刻は夕方五時半前。準備に一時間はかかる。その間に、月はその輝きを俺たちに見せるだろう。


    *


 月が顔をのぞかせ始めてから、俺は急ピッチで作業を進めた。といっても、アンテナの微調整を行うだけだ。それも、コツを掴んだので、以前よりはかなり早くできるようになっている。サイゴンは、そんな俺の手際を見て、しきりに感心している。はっきり言って邪魔だったが、俺は彼をチラりと見つめるだけで、黙々と作業を続けた。


 出力を落として送信してみる。周波数は、月基地との非常通信用。この周波数で信号を送れば、自動的に向こうの受信機が動作するはずだ。今から動作させてはまずいので、出力は極力絞っている。

「あー、本日は晴天なり」俺はマイクに向かって声を出した。数十メートル先で実験用の受信機に耳を傾けていた優恵が、大声で笑い出す。

「なんだか、間抜け~」

「うっさい、試験放送のときは、こう言うって決まっているんだ!」


 送信機のテストの様子を見ていた咲坂の、安堵の声が聞こえた。

「大丈夫そうですね…」

「ああ、月からの放送まであと十分。放送終了間際に、こちらから最大出力で送信してやれば、きっと鏑木さんは気付くよ」俺は優恵のもとに歩み寄りながら、咲坂にそう言った。そして、受信機の前に座ると、いつもの月からのラジオ放送の周波数に合わせた。簡易的な受信機なので、テスト用の発振音が濁って聞こえる。


 そして、月からの放送が始まった。今日の番組では、鏑木はほとんど喋らず、リクエストされた曲をかけるだけ。そんな、いつもとは違う鏑木の様子に、皆、表情を曇らせる。

 何曲目かのリクエストの後、鏑木がマイクのスイッチを入れた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ