八十九 三鼓国郡楽郷・黒葛寛貴 宣戦
皇暦四一〇年、陽月九日。
黒葛寛貴が五か月ぶりに訪れた郡楽城下は人であふれかえり、さながら豊年祭りのごとき賑わいを呈していた。
「相も変わらぬ三州の国風だな」
晴れ渡った秋空の下、大通りに馬を進めながら言うと、城外まで出迎えに来た家老の由解安親が六十年分の皺を刻んだ老顔をほころばせた。
「ちと気の早いのが玉に瑕だが、頼もしゅうござります」
戦になるという噂を聞きつけ、黒葛の殿さまにご奉公せんと奮起した者たちが、国じゅうの郷村から自主的に集まってきているのだ。陣触れも待たずに早々とやって来たため、当初は多少の混乱も生じたようだが、今は城から人を派遣して組分けなどの管理に当たらせているらしい。
出陣を待ちかねる大集団の高揚感に煽られているのか、城下の町衆もかなり気分を昂ぶらせているのが感じ取れた。寛貴の行列を見に集まった人々は一様に逆上せたような顔つきをして、きらきらと目を輝かせている。
「この者どもを見ていると、勝ち戦から帰ったと錯覚しそうになる」
寛貴がつぶやくと、安親老はしわがれた笑い声を響かせた。
「やはりご兄弟じゃ。貴昭さまも、まったく同じことをおおせられましたぞ」
弟の貴昭が二日前に入城した際にも、一行を歓迎する人々が大挙して沿道に繰り出し、凱旋した大将を迎えるかのような騒ぎになったという。
黒葛三兄弟でもっとも若い貴昭は、そもそも昔から郡楽の人気者だった。独身時代によく城下や近在の村々にふらりと出かけていっては、町人や百姓に混じって遊んでいたこともあり、町衆からは敬愛を込めて〝末の若さま〟と呼ばれ親しまれている。
むろん庶民だけでなく、城内にも弟に崇敬の念を抱く者は多かった。なにしろ十五歳の初陣以来、幾度となく戦に出て未だ負けなしの常勝将軍だ。
もっとも彼は、数万の軍勢同士が激突するような大軍の采配はまだ経験していない。次に守笹貫家とやり合うことになったら、その時こそ大将としての真価を問われることになるだろう。
しばらく見ていない弟の端正な顔が脳裏に浮かんだ。
「二日早く着いて――」近づいてきた御殿の表御門をちらりと見上げ、その視線を安親のほうへ移しながら訊く。「貴昭はどうしていた」
「ご兄弟がそろうのをゆるりと待つ構えでくつろいでおいででしたが、昨日、城に思いもよらぬ急報が届きましてな。その後は御屋形さまと共にお忙しくなさっておられます」
思いもよらぬ急報、とは妙に謎めかした言いかただ。
寛貴は右斜めうしろで手綱をさばいている、柳浦重里を肩ごしに見た。彼もまた怪訝そうな顔をしている。
いつもならここで「さては、出遅れた我らを蚊帳の外にされるおつもりですな」などと軽口のひとつも叩く男だが、口をつぐんだまま何も言おうとしない。
普段の朗らかさがないのも無理からぬことで、彼はつい最近、弟を亡くしたばかりだった。五人いる柳浦兄弟の末弟重晴が、黒葛貴昌の随員として赴いた天山で急な病に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。ちょうど十歳違いの若い弟を亡くし、その死に目にも会えなかったことで、重里はかなり気落ちしている様子だった。
今回そんな彼を同行させたのは、旅をすれば気が紛れると思うと本人が主張したからだ。郡楽城には筆頭家老を務める父親の弘重がいるので、直に会って慰めたい気持ちもあるのかもしれない。
「安親」
親友でもある家臣を気づかう気持ちをひとまず脇に置き、寛貴はわざと焦らすような物言いをする老人に問いかけた。
「なんぞ事件でもあったのか。急報とはなんだ」
安親がいたずらっぽい目をする。
「お話ししたいのはやまやまなれど、わしの口から明かすと、寛貴さまを驚かそうと待ち構えておられる御屋形さまや貴昭さまの楽しみを奪うことになりますのでな」
食えない男だ。昔からそうだった。
「わしは驚かされるのは好かん」
不機嫌面をしてやっても、安親はけろりとしている。
「たまにしかお会いになれぬご兄弟がたじゃ。つき合うておあげなされ」
くそ、意地でも驚いた顔などしてやるものか。ふいに反抗心が頭をもたげてきて、年甲斐もなくそんなことを思った。
だが決意したとおりにはいかなかった。
御殿中奥、十八畳敷きの書院。
「守笹貫道房が三州に攻め入ったぞ」
寛貴を迎えたあと小姓すらも外に出し、兄弟三人だけで気楽に車座になると、兄禎俊はいきなりそう切り出した。何を聞いても冷静でいるつもりだったが、とても澄まし顔などしてはいられない。
「どこに――いつ」
「この七日に、北方の霜鳥郷へな」
「二日前……ですか」戸惑いがつい声に出てしまう。北方の国境付近で起きたことが、たった二日でこの城に伝わるわけがない。「いったい、どうやってそれをお知りに?」
禎俊が貴昭と目を合わせてにんまりした。まだ隠しネタがあるらしい。
「貴昭、寛貴に話してやれ」
「訓練飛行中だった立州の天翔隊が、侵攻の様子をたまたま空から見ていたのです。そのうちの一騎が、第一報をもたらすべく郡楽まで飛んできました」
「北方からここまで、禽で――飛んできた?」
人が禽に乗ってそんな長距離を移動するなどという話は、これまで聞いたことがなかった。
「できるのか、そんなことが」
「できたようです。おれも驚きました」
貴昭が嬉しそうに微笑む。
「午前に水鶏口岳を飛び立ち、夜半にはもう郡楽の禽籠山――珠洲山の中腹に降り立っていたとか。そのあと山を下って朝五つには城に入りましたが、急使を務めた隊士ふたりは疲労の極みに達しており、御屋形さまの御前で報告したあとすぐに倒れました」
「すさまじいな……」
一日もかからずに南部の半分を縦断するなど、とても現実に成し遂げられたこととは思えない。そもそも、そんな途方もないことをよく考えついたものだ。
「その急使ふたりというのは?」
「真境名燎と石動博武です」
もう何度目かもわからない驚きが寛貴を打った。
「真境名――では、ひとりは女か」
天翔隊に志願するほどだから、真境名家の嫡女は並の娘ではないのだろうが、それにしても信じがたい話だ。
「会ってみたいな、その者たちに」
「あいにくだが、もう城にはおらぬのだ」
苦笑いしながら兄が言う。
「寝させて風呂に入れ、たらふく食わせてやったら半日で回復した。若いのだな。そのあと博武から天山を出し抜くおもしろい献策があったので、書状を何通か託して王州との国境へ飛ばせた」
大雑把な説明だが、言いたいことはわかった。
江州軍侵攻の報が郡楽城に伝わるまで、距離を考えると本来なら早くとも八日ほどはかかる。現時点では大皇すらも、まだ報せを受け取ってはいないはずだ。だが我々は天翔隊を使うという、誰も予想だにしなかった方法でいち早く第一報を手に入れた。
情報戦で先んじたこの貴重な一歩を利用して、私闘はならぬと大皇がやかましく言い出す前に、その口をふさいでしまおうというのだろう。おそらくは、守笹貫家に甘い顔をしてきた三廻部勝元の疚しさにつけ込む形で。
そういう献策をしたのだとすると、石動博武というのはずいぶん老獪な男らしい。たしか元博の兄で、まだかなり年若いはずだが。
「七草には、なかなかよい人材が集まっているようだな」
貴昭に視線を送る。弟はこの春に立州の国主代を拝命したばかりだが、早くも家臣団を掌握してうまく使っているらしい。
「譜代はもとより、当家に帰順した儲口家の旧臣の中にも見どころのありそうな者たちがおります」
「おお、儲口といえば」
禎俊がふと思い出したように口を開いた。
「守恒公は江州へ逃れたあと百武城で捕らえられ、義父である道房の命で磔刑に処せられたそうだ」
この話を聞くのは貴昭も初めてだったらしく、目つきが少し鋭くなった。
「それのみならず、孫の守義とその妻、守恒公の妹御と叔父夫婦をことごとく連座させたらしい。道房は当初、守恒を隠居させた上で閉門蟄居に処する心づもりでいたようだが、引見の際に突如狂乱の態を示して激しく暴行し、その場で磔刑を申し渡したとのことだった」
「立州を敵に渡した守恒はともかく……実の孫までも磔に?」
唖然としながら言ったあと、寛貴は背筋に悪寒が走るのを感じて身震いした。身内をそんなふうに無慈悲に殺すなど、黒葛家ではあり得ないことだ。いや、守笹貫家でも決してよくあることではない。
「ますますおかしくなっとるようですなあ、あの老人は」
あの老人――守笹貫道房は、かつては戦にも政にも長けた傑物だった。戦場では常に先頭に立って果敢に戦い、その豪腕と政治力で諸家を次々と屈服させ、一代で二州を支配する宗主へとのし上がったのだ。
だがここ数年は、どうも様子がおかしい。
国境でたまに衝突が起きても、自ら戦場へ出てこようとはせず、鈍物の息子に任せてあっさり砦を失ったりするようなことが増えていた。
春に守恒が立州を捨てて遁走した時も、以前の彼ならすぐさま大軍を率いて領地を取り返しに来ただろう。だが直接行動を起こすことはせず、天山の調停に任せるという及び腰な対応をした。
かと思えば、今ごろになって突然挙兵したりする。しかも攻め入った先はなぜか三州だ。これは大皇の顔に泥を塗る行為とも取られかねない。
やることなすこと、何もかもがちぐはぐな印象だ。異常、としか言いようがない。
その原因は老齢とも病とも噂されているが、たしかなことはわからなかった。ただ、八十路の坂を越えた剛将が、往時の輝きを失いつつあることは間違いないだろう。
「しかし、少々おかしかろうと道房は道房だ。もし戦線に姿を見せたら油断はできんぞ」
禎俊が厳めしい表情で言った。
兄は父景貴に代わって本陣備を率いるようになって以来、何度も道房と矛を交えており、その強さを誰よりもよく知っている。
決定的な負けを被ったことこそないが、快勝したこともない。祖父貴茂のころから三代にわたり、守笹貫道房は黒葛家にとって常に最大最強の宿敵だった。
強敵の衰えは、本来なら歓迎すべきことだろう。だが両家の長きにわたる戦いの歴史を思うと、何かうら寂しさのようなものも感じてしまうのは否めなかった。
「強いあいだに倒したかった」
貴昭が独り言のように言い、目を上げて兄たちを見た。
「――などと思うのは傲岸でしょうか」
「いや、わしも同じ気持ちだ」
禎俊は弟の不敵な面構えを見つめ、それから小さく笑みをもらした。
「だがそれは、みごと彼奴を倒した暁にあらためて言うとしよう」
「はい」
素直にうなずいてから、貴昭はふと小首を傾げた。
「ところで、先ほどの話はずいぶん具体的でしたね。百武城内での引見の際のことなど、いったいどこから伝わってきたのです」
その問いを待っていたかのように、禎俊がにやりとする。
「じつは、守恒公の孫で儲口家の現当主である守計が、当家に膝を屈して幕下に加わったのだ」
「なんと――ひとりだけ生き延びたのですか」
「うむ。半月ほど前に郡楽城下へ現れ、わしの右筆の石動孝博を通して謁見を求めてきた。祖父や両親を残虐に殺したのみならず、下賤の罪人のように磔にかけた道房を生涯の怨敵と思い定め、黒葛家と共に戦うことで復讐を果たそうと考えたらしい」
石動の名が出たのは意外だった。寛貴と同様、貴昭もそこにひっかかりをおぼえた様子で、不思議そうな表情をしている。
「しかし、なぜ石動に? 儲口家とかかわりがあるとは聞いておりませんが」
「双方の仲立ちをした者がいたのだ」
そう言って、兄は守計から聞いた話を教えてくれた。
「貴昭が七草に入って間もないころというから、初夏のことだな。まず石動博武が城下で、ある若い剣客に出会い意気投合した」
武者修行中だというその若者は七草を出たあと、北へ向かう道中で追い剥ぎに狙われていた身なりのいい老人をたまたま助けたらしい。それが誰あろう、逃亡中の儲口守恒だった。
その後彼は守恒の旅の道連れとなって百武城下へ同行し、老人が道房に会いに城へ赴くまでのあいだずっと付き添っていたのだという。そして処刑を見届けたのち、城勤めの侍をひとり捕まえて、死罪が言い渡された経緯を聞き出した。さらに田舎に潜伏していた守計を捜し当てて、それまでのいきさつをすべて伝えたそうだ。
「そのあと郡楽まで守計に同行して来て、一面識もない石動孝博にいきなり会いに行き、両者を引き合わせた。博武の親友だと嘯いて信用させ、まんまと屋敷に上がり込んだらしい」
「おもしろいやつだ。何者なのです」
貴昭が目をきらめかせながら訊いた。興味を引かれているのだ。それは寛貴も同じだった。
「何者かはわからん。一介の武芸者――本人はそう言っていたようだ。守計は剣を使うところは見ておらぬが、素手で番士ふたりを倒すほどの手練れであると話していた」
「その男、いまはどこに」
「孝博が守計の身柄を引き受けたあと、修行の旅を続けると言ってすぐに町を出たらしい」
「わかりませんなあ」
寛貴は困惑をおぼえ、思わず間抜けな声を出した。
「守計について城に来れば、何かしらいい目を見られたろうに。褒美や仕官が目当てでなかったのなら、そやつは何のためにそんな骨折り仕事をしたのやら」
「ただの親切――でしょうか」
貴昭が小さくつぶやき、唇の両端をきゅっと吊り上げた。
「ますますおもしろい。そいつ、おれの陣に欲しかったな」
「とりあえず守計は手に入った。あれも、なかなか捨てたものではない」
兄が真面目な顔で言う。
「江州の南方地域には儲口家の旧臣が多く住まっており、守計はその者たちを思いのままに動かせるそうだ。立州との国境に沿った四つの郷を号令一下、我らに内応させることができると豪語しておった」
「四つの郷を……」
貴昭が目を丸くして、深く感じ入ったようにため息をついた。
「それが真なら、立州側から江州へ攻め入る際に国境を容易く突破できます」
「そうだ。風は、我らに吹いている」
寛貴ははっと顔を上げ、兄の目を食い入るように見つめた。貴昭も同じように表情を引き締めて注視し、膝に置いた手で拳を握る。
「戦うぞ。寛貴、貴昭」
禎俊は低く言い、鋭い眼光で弟たちを釘付けにした。
「今度こそ、守笹貫家を完膚無きまでに叩く。道房の首を取り、嫡男信康の首を取り、百武城へ乗り込んで天守に黒葛の旗印を掲げる。此度の戦は一年や二年では終わらんぞ。覚悟はよいな」
応、と力強く応えた寛貴と貴昭の声が重なった。
「予想よりも早く動くこととなったが、戦備の進捗はどうだ」
「立州は順調に進んでおります」
打てば響くように貴昭が言う。自信ありげな口調だ。
「兵を徴募し、軍備の人員を三割ほど増やしました。鉄砲その他の武器は国庁を置いている荷軽部郷で量産させており、近々に七草へ届けられる手はずとなっております」
「よし。天翔隊は」
「まだ訓練中ですが、一隊は編成し終えました。年内に、少なくとも二隊が出陣可能となりましょう。攻城戦がなく出番が来ないようであれば、今回のように哨戒や急使として役立ててみるのもよいかと」
「そうだな。今後、黒葛家は天翔隊の活用で時代の先端を行きたいと思うている。前例のないことも果敢に試すがよかろう」
兄は満足そうに微笑み、寛貴のほうを見た。
「丈州は」
「天翔隊は未だ前期訓練中です。面目ない」有能な弟の前で気が引けたものの、正直に言った。「しかし鉄砲は相当量が準備できました。丈州の備では、すべての士分に鉄砲を持たせることにしております。この半年あまり訓練を重ね、練度も充分に上がりました」
「鉄砲を中心に据える戦法か」
「開戦直後に大火力で敵を圧倒し、崩れたところで一気に斬り込む心づもりでおります」
「強気の先制はおまえの得意とするところだな」
禎俊はこれまでの戦を思い返しているかのように目を細め、少し口元をゆるめた。
「同盟はどうなった」
「永州――樹神有政との婚姻同盟はすでに成り、いまは細かい条件を打ち合わせておるところです。謀反を企んでいたと見られる有政の弟清長は黒葛家との盟約を知り、以降は鳴りを潜めているとの報告がありました」
「それは重畳。貴昭のほうは」
「雷土國康と盟約を結びました。こちらも、諸条件の話し合いを進めております」
「國康公の孫娘を、貴之の妻に迎えるという話だったな。初めは長女をおまえに娶って欲しいと言ってきたそうだが、孫の婚姻で納得したのか」
「はい。なにやら近ごろ百鬼島の領民のあいだでは、〝立身国の若君には濤神の加護がついている〟ともっぱらの評判で、それを知った國康公が俄然乗り気になってきたとか。もと海賊衆の島なので、海を司る濤神は闢神闔神よりも尊ばれているようです」
「加護などと――なぜそんな噂が立ったのだ」
「湊で襲撃された際に、せがれは兇賊の手で海に放り込まれましたが、溺れもせずに平気で泳いでいたそうです。それを見て誰かが、濤神に守られていると言ったのだとか」
「船に乗る者たちがもれ聞いて、彼の島にまで伝えたか……」
禎俊が感慨深げにつぶやく。
「噂は波間を燕のごとく飛ぶと言うが、まさしくその通りだな」
「ともかく、國康公がそれで得心したのならよかった」
寛貴はほっとする思いで言った。
そもそも、國康に貴之を薦めたのは自分だ。すでに正室も嫡子もいる貴昭の奥向きを、新たな輿入れで混乱させるのは忍びないと考えての苦肉の策だった。
「当初はおまえに、えらくご執心の様子であったからな」
からかうと、弟はにっこりして軽く頭を下げた。
「その節はお骨折りいただき、まことにかたじけない。おれは先方がその気ならば娘をもらってやるのも吝かではありませんが、真木は兄上にたいそう感謝しておりました」
それはそうだろう。どんなにしっかりした女でも、自分が正室の座から蹴落とされるとなれば、とても冷静ではいられまい。
「真木からは丁寧な礼状をもらっている。あれはよい妻だな」
「はい。おれも、あれをこの件で悲しませずにすんで安堵しました」
微笑みながら、あっけらかんと言う。妻への愛情や気づかいがないわけではないが、政略のためなら別の妻を迎えてもかまわないと言ったのも、決して虚勢などではないようだ。
昔から貴昭は家が第一で、ほかのことは二の次だった。揺るぎないその意志は、この弟の強さの根幹をなしているともいえる。
「ああ、そうだ。その真木の発案で、飢饉が続いている東峽の法元国に立州の備蓄米を少し融通し、代わりに六人の領主と協定を結びました。いずれも〝傭兵座〟を支配する者たちで、こちらが要請すればただちに精鋭を部隊単位で送り込んでくる取り決めになっております」
さらりと告げた貴昭の言葉に禎俊が瞠目する。
「でかした」
声が弾んだ。東峽の領主を取り込めと指示したのは兄自身だが、こうも早く実現するとは思っていなかったらしい。
「法州の領主全員とはいきませんでしたが――」貴昭は少し申し訳なさそうにしながら、上目づかいに禎俊を見た。「主要なところはなんとか押さえました」
「六人ならば御の字だ。なにしろ、これまで西峽の領土紛争には決してかかわろうとしなかった連中だからな」
兄の満足げな表情を見て、寛貴は胸がちくりと痛むのを感じた。自分も精一杯の努力はしたつもりだが、もっと何か大きな成果を上げて、こんなふうに兄を喜ばせることができればよかったのにと思わずにはいられない。
もしや――。
いやな考えが、ふと頭をよぎる。
兄上は今回は貴昭を総大将に……任じられるのでは――。
「さあ、内輪の話はここまでだ」
禎俊が明るい声で言い、膝をぽんと手で打った。
「広間で、みなが我らを待ちかねておるだろう。酒宴の支度もそろそろ調うころだ」
御殿表の大広間では、黒葛家の支族を中心とする重臣一同が打ち揃って宗主禎俊とその兄弟を迎えた。
最奥の上段の間と接する二の間には、まず黒葛公貴と黒葛俊宗。一門衆の代表として列席した彼らは、禎俊らの父方の叔父といとこだ。
少し離れて座るのは、郡楽城筆頭家老の柳浦弘重と次席家老真栄城資長。続いて玉県綱保らそのほかの家老衆と、普段はそれぞれの所領で各地方の守備にあたっている支族当主たち。
三の間右手側には、黒葛寛貴に同行した柳浦重里ら生明城の重臣たち。
左手側には黒葛貴昭が伴った、花巌義和ら七草城の重臣たち。
黒葛三家の主立った家臣が居並ぶさまは壮観で、付書院脇から兄に続いて広間に入った寛貴は、それを目にしたとたん思わず武者震いをした。
城下で感じたのと同じ、天をも焦がすような熱い高揚感がこの場を満たしている。どこを見ても、消極的な顔はひとつも見当たらなかった。
誰もが主君の号令を待っている。「行け、戦え」と命じられるのを。
かすかな衣擦れの音をさせて、禎貴が上段の間に着座した。
「みな、すでに聞いたことと思うが、守笹貫道房が国境を侵して三州に攻め入った。この春、大皇の命により矛を収め、苦渋の思いで嫡子を人質に差し出した我らを嘲り笑うがごとき下劣なる所業だ。天山がなんと言おうと、これを黙って見過ごすわけにはいかぬ」
応、そうだ、と諸将のあいだから次々に声が上がった。
「この日を想定し、我らは半年あまりかけて隠密に備えを進めてきた。兵力、武器、戦費、いずれも存分に戦えるだけの膳立てはすでに整うている」
禎俊が言葉を切り、腰を浮かした家臣たちが一斉に前に身を乗り出す。
「決戦の時は来た」
毅然と前を見据え、彼は力強く宣言した。
「今こそ我らの総力を結集して守笹貫家を殲滅し、黒葛家千年の悲願であった南部統一を成し遂げる。一同、心してかかるがよい」
兄が珍しく声を張り上げ、天井を裂くほどの大歓声がそれに応えた。寛貴も負けじと大声で吠える。横へ顔を向けると、同じく腹の底から歓呼する貴昭と目が合った。
笑顔だ。瞳が輝いている。ただ純粋に、家のために戦えることを喜んでいる。
この弟に対抗心を抱くなど――。
寛貴はさり気なく視線を逸らし、心の中で自分自身を叱咤した。
つまらぬ見栄に囚われるな。総大将であろうとなかろうと、戦場に出れば命を懸けて戦うのは同じことだ。
「細かいことはあとで詰めるが、大まかな陣立てをここで申し伝える」
禎俊はみなの興奮が少し静まるのを待ってから、表情をあらためて再び切り出した。
「総大将はわしが務め、後陣として控える中央本陣の指揮を執る」
おお、と一同がどよめく。宗主自身が出陣するのはひさびさのことだ。
寛貴は気持ちがすっと楽になったのを感じた。兄の下で貴昭と肩を並べて戦うなら、何の憂いもなく存分に力を発揮できる。
「左翼大将、黒葛寛貴」
禎俊がまっすぐにこちらを見た。
「丈夫衆を率いて北進し、水鶏口岳南麓に布陣して江州兵を叩け。副将は石動博嗣、先鋒は真境名義家ら十八将とする」
「御意」
膝の上でぐっと拳を握る。
精強果敢で知られる石動勢をもらえた。姻族であり気心の知れている貴昭のほうへ配置するかと思ったので、少し意外に思わなくもないが、左翼の役割をそれだけ重く見ての采配だろう。
「右翼大将、黒葛貴昭」
次に兄は貴昭に目をやった。
「左翼が敵を引きつけるあいだに、立身衆を率いて立州北部から国境を突破せよ。副将は柳浦弘重、先鋒は玉県英綱ら二十将とする」
「は」
貴昭がさっと頭を下げ、そのまま横を向いて寛貴に不敵な笑みを投げかけた。
「江州兵を右往左往させてやりましょう」
「おう」
声に力を込めて応える。
兄の思い描いている戦いの絵が、ようやくこの目にも見えるようになった。
水鶏口岳を越えてきた江州兵を、まず左翼が待ち受けて叩く。守笹貫道房はさらに兵を送り込もうとするだろうが、その間に右翼が東から国境を侵す。道房は東西に兵力を分散せざるを得なくなるはずだ。そこで左翼が敵を押し戻しながら北上を始める。
両翼から攻め上ってくる大軍を、二か所で同時に食い止めるのは難しい。しかし一方に片寄れば、手薄になった一方から怒濤の勢いでなだれ込まれる。道房はどちらに注力するか、悩ましい決断を迫られることになるだろう。
もし片方を捨てて一方を押し戻してくるようなら、後陣の中央本陣が満を持して乗り出し支える。
まさに必勝の布陣だ。
兄上、お見事です――その思いを瞳に込めて、寛貴は禎俊を見つめた。貴昭も同じように、ひたむきな眼差しを兄に注いでいる。
三人の心が静かに通い合った。周りにいる者たちも、それをはっきりと感じ取っているのがわかる。
そうだ、そもそも今回は、これが目的でやって来たのだった。今さらのように思い出し、寛貴は半ば忘れかけていた自分を嗤った。
三つの州に分かれて暮らそうとも、兄弟の絆は以前とまったく変わっていない。一朝事あらば、ただちに心をひとつにして当たることができる。宗家に対する生明家と七草家の忠節にも、いささかの揺るぎもない。
それを家臣たちにあらためて示すことができた。もはや我らの結束を疑う者はないだろう。
禎俊は弟たちと家臣らの顔をゆっくり見渡したあと、やおら口を開いた。
「この戦、生き残るのはどちらか一方のみ。和議の道はないものと心得よ。たとえ山々を血に染め、野を屍で埋め尽くそうとも、必ずや父祖以来の宿敵守笹貫家を討ち果たすぞ」
激しい口調で言ったあと、彼は双眸をぎらりと光らせて咆哮した。
「者ども、いざ戦わん!」
呼応する雄叫びは地鳴りのごとく広間の壁や床に響き、長く尾を引いて、耳に届く者すべての身の裡に深くしみ入るように感じられた。
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