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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第七章 戦雲急を告ぐ
82/161

八十一 御守国御山・街風一眞 涙

 指南役の千手(せんじゅ)景英(かげひで)に他用が入ったため、八つ半から半刻あまり行われる予定だった調練がなくなり、一眞(かずま)たちは新しい塵穴(ちりあな)を掘る作業に駆り出された。

 作業場所として指示されたのは、六ノ上弦道(じょうげんどう)と七ノ上弦道のあいだの斜面。ひと月ほど前に樹木を伐採した跡地に、幅三間、深さ八尺ほどの大穴を掘れという。地中に深く根を張っている切り株や岩、大量の石などを取り除く手間も考えると、衛士寮の修練者総出でかかっても、半刻ではとうてい仕上がらないだろう。

「こりゃ、明日も作業だな」

 そろそろ当番の刻限である夕七つになろうかというころ、土いっぱいの(おけ)を肩に担ぎ上げながら、汗まみれの信光(のぶみつ)がうんざりした声で言った。

「おれは、明日の朝には体が動かなくなってるかもしれないけど」

「しぶといのが自慢だろ」

 一眞は穴底の中央近くで、掘り返した土を桶にすくいながら彼を見た。

「これしきでへこたれるなよ」

「おまえは、ずいぶん体力がついたなあ」

 上にいる者に桶の中身を空けてもらった信光が、感心したように唸りながら戻ってくる。

「ここへ来たばっかりのころは細っこかったのに、胸がこんなに厚くなってさ」

 彼は一眞の裸の上半身をじろじろ見て、硬く引き締まった胸板を平手でぴしゃりと叩いた。その手に汗と湿った土がつき、「うへえ」と顔をしかめる。

「近ごろ、おまえの斬撃やたら重いぞ」彼は桶を頭にひょいと載せて器用に釣り合いを取りながら、両手のひらを打ちつけて土を払った。「おれの粘り腰でも支えきれなくなる時がある」

 お世辞半分かもしれないが、本当なら喜ばしい限りだ。

伊之介(いのすけ)との自主稽古の成果だな」

「おれも交ぜてもらおうかなあ」

 信光はしゃがんで土をすくいながら、つぶやくように言った。

「技が上達しなくて、ここんとこちょっと煮詰まってるんだ」

「いいぜ」

 一眞はごく気軽に受け入れた。伊之介もべつに反対はしないだろう。同室でひとり仲間外れの利達(としたつ)温習(おんしゅう)の時間を持て余すかもしれないが、おそらく彼は誘っても参加したがらないはずだ。それでもいちおう声だけはかけようかと考えていると、当の本人が穴の縁から顔を覗かせた。

「終わりだって」

「なにが」信光が訊き返す。

「作業は終わり。当番へ行けってさ」

 梯子を登って穴から出ると、作業監督の饗庭(あいば)左近(さこん)が修行者を怒鳴り散らしていた。

「たらたらするな、さっさと動け。まったく、どいつもこいつも愚図ばっかりだ」

 彼は尊大な態度であたりを睥睨し、急いでその場を去ろうとしている利達を目ざとく見つけた。大股に近寄っていき、わざと斜めから突き当たって哀れな犠牲者を転倒させる。

「どこに目をつけてる、のろま!」

 まばらな下草の上に転がった利達を見下ろし、彼はのしかかるようにして罵声を浴びせた。

「人を()けて歩くこともできんのか、この能なしめ」

 足を上げ、無造作に顔を踏みつける真似をする。それを見て利達がびくつくと、左近は天を仰いでからから笑った。

「臆病者が」

 蔑むように言い、横を向いて唾を吐いてから、彼は利達の体をまたぎ越えて一眞のほうへ歩いてきた。すれ違いざま、すっと顔を寄せて低く囁く。

「ぼちぼち浪州(ろうしゅう)から返事が届いてもいいころだ」

 はっと目を見開いた彼に、左近は唇をにやりとゆがめて見せた。

「待ち遠しいよなあ」

 舌なめずりするような声で言い、ふふん、と鼻で笑いながら歩いていく。

 一眞はみぞおちのあたりが不快にざわつくのを感じながら、利達に手を貸して立ち上がらせた。

「平気か」

「うん……転んだだけだよ」

 左近にからまれるのは慣れっこのはずなのに、今日に限ってなぜか妙に沈んだ顔をしている。受け答えもどことなく上の空だ。

「どうした、痛むのか」

「あ、いや、違うんだ」利達は我に返ったようにまばたきして、やっとまっすぐに一眞のほうを見た。「ごめん、ちょっと考えごとしてた」

「なにか気がかりでも?」

「落としたみたいなんだ、あの――祈り(だま)を」

 彼は落ち着きなく周囲に目を走らせながら打ち明け、力なく背中を丸めた。

 利達の祈り珠のことは、一眞もよく知っている。彼を信仰に導いた祖父から贈られたものだと、いつか聞いたことがあった。修行者はみな自分の祈り珠を持ってはいるが、それを常に肌身離さず持ち歩いているのは、中でも特別に信心深い彼ぐらいだ。

「黒瑪瑙(めのう)と虎目石のやつだな。いま落としたのか?」

「なくなったのに気づいたのは今だけど、もっと前からなかったのかもしれない」

「朝の祈唱(きしょう)の時にはあったんだろう」

「うん」

「なら、そのあと行った場所のどこかで見つかるはずだ。練兵場か農作地か……案外、宿堂(しゅくどう)の寝間あたりに落ちてるかもな」

 一眞は利達のしょぼくれ顔を覗き込み、肩口を軽く叩いた。

「おい元気出せ。おれも一緒に探してやるから」

「ほんとに?」

 少しだけ表情が明るくなった。すがるような目をしている。

「すごく大事なものなんだ」

「わかってるよ。明日、(ひる)の休憩の時に心当たりの場所を回ろう」

 利達の焦燥をひしひしと感じるが、一眞は敢えて「今日探そう」とは言ってやらなかった。

 今日はこのあと、しなければならないことがある。祈り珠は明日になっても落とした場所にあるだろうが、こちらの用件はもう待ったなしだ。

 首尾よく運んで懸念が消えたら、いくらでも探し物につき合ってやろう。塵穴から()き出した土の山を掘り返したいと言うなら、それに手を貸すのも(やぶさ)かではない。

 なんにせよ、明日の今ごろには万事がうまく片づいているはずだ。


 暗い空に浮かぶ二十日(はつか)月が、異様なほど明るく輝いている。森の中にその光は届かないが、開けた伐採地にいる一眞(かずま)の周囲だけは白々と照らし出されていた。

 昼間掘ったばかりの穴がすぐそばにあり、その中から水を含んだ土のにおいが色濃く立ち上っている。わずかに混じるのは断ち割った切り株からしみ出す樹液と、引き抜いて山にした下草の青くさいにおい。

 むっとするそれらのにおいに包まれながら、伐採地を囲む木々の影に目を()らしていると、青い闇をかき分けるようにして(きく)が姿を現した。

 不機嫌そうな顔をしているが、視線は不安げに揺れている。ここで会いたいと一眞に言われ、宵の祈唱(きしょう)を抜けて来てはみたものの、今になって後悔している様子だ。

「何の用?」

 置き所のない両手を胸の前で組むと、彼女はぶっきらぼうに訊いた。

「菊、おまえ――」一眞は近寄っていき、単刀直入に切り出した。「今夜、左近を()れよ」

 少し目尻の垂れた菊の双眸が大きく開かれ、白目が月明かりにぎらりと光った。反射的に身を翻そうとするのを、腕を掴んで引き留める。

「まだ話は終わってない」

「離して」

 抗議する声は弱々しかった。警戒していながら罠にかかってしまった己が口惜しいのか、食い破りそうなほどきつく唇を噛んでいる。

「あいつがいなくなったほうが、おまえも都合がいいだろう」

 顔を近づけてやんわり言うと、菊は首を背けながら激しく身をよじった。

「嫌よ。できないわ。だいたい――あんたにそんなこと、命令される謂われはないでしょう」

「どうかな」

 一眞は手に力を入れ、彼女をぐいと引き寄せた。

「おまえが秘密にしておきたいことを全部ばらして、ここにいられなくなるようにしてやってもいいんだぞ」

 腕の中に捕らえた菊の体が、びくりと跳ねる。上目づかいに見上げてきた目には、怯えと怒りがこもっていた。

「左近とのことは――」

「それだけなら、自分は犠牲者だと言い張れるかもな。あいつに脅されて、無理やり犯されていただけだと」言い訳しようとする言葉を遮り、冷然と言い放つ。「だが、もうひとつのほうは、言い抜けるのはちょっと難しいんじゃないか」

 知られた。どうして。菊の表情がまざまざとそう語っていた。わずかに残っていた強気が(くじ)け、両脚が体を支えきれなくなりかけている。

「も――もうひとつって、なによ」

「おまえ、手癖が悪いらしいな」

 それが決定打となって、菊を完全に打ちのめしたのがわかった。夜目にわかるほど顔が青白くなり、がたがたと五体が震え出す。だが一眞は、ここで手をゆるめるつもりはなかった。

「不盗に不犯(ふぼん)……掟戒(ていかい)をふたつも破ってるんじゃ、徳量寛大な堂長(どうちょう)でもおまえを(かば)う気にはなれないだろう。十二宗司(そうし)の誰かに厳しく詮議されて、仕置きを受けた上で御山(みやま)から追放されることになるだろうな」

 少し間を置き、さらに追い込もうと口を開きかけた一眞を、菊が思いがけない(はげ)しさで睨み上げた。

「そう言う、自分はどうなのよ」

 窮鼠猫を噛む、そんな言葉がちらりと一眞の頭をよぎる。

 文字どおり噛みつくように斬り返した菊は、先ほどまでとは打って変わった落ち着きぶりで、自分のほうから彼に詰め寄った。

「わたしは、たしかに身持ちも手癖も悪い。悪いことも汚いことも、これまで山ほどしてきたわ。でも、少なくとも人を殺したことはない。そんなことはできない」

 彼女は大きく息を吸い、次の言葉を一眞に向かって痛烈に投げつけた。

「まして親を殺すなんてことはね」

 弾かれたように身を引き、一眞は思わず数歩後ずさった。何か言わねばと思うが、喉が詰まって声が出てこない。そんな彼を静かに見据えながら、菊がゆっくり前に進み出てきた。

「あんたの家族、盗賊に皆殺しにされたんでしょう。左近は、それをあんたが仕組んだと思ってるのよ。なんのためにやったのかは知らないけど、いま地元にいろいろ問い合わせてるから、いずれわかるだろうって言ってたわ」

 口元に小癪(こしゃく)な笑みが浮かぶ。

「わたしは話半分に聞いていたけど、どうやら、あいつの勘は当たってたみたいね」

 彼女は一眞のすぐ前に立つと、手を伸ばして彼の胸にそっと触れた。

「あんたの過去が明るみに出たら、わたしの破戒なんて吹っ飛びそう。たとえ下界でやったことでも、さすがに親殺しは許されないわ。捕縛されて故郷の郷庁(ごうちょう)に引き渡されるでしょうね」

 愛撫するようにさまよわせていた手で、万事衣(まんじごろも)の襟をぐっと掴む。

「そうなりたくなかったら、あんたが左近を殺して。おびき出すところまでは、わたしがやってもいい」

 顔を突き合わせながら鋭く言い放ったあと、菊はふいに表情をやわらげて身を寄せ、一眞の耳に艶めかしい囁き声を吹き込んだ。

「もちろん、お礼もするわよ」

 煽るかのように、豊かな胸をじんわりと押しつける。

「たっぷりね」

 一眞は頬にまつわりつく彼女の髪をふっと吹き払い、穏やかに言った。

「いいだろう。その代わり、今ここで抱かせろよ」

 菊は驚いたように顔を上げ、眉間に深々と皺を寄せた。

「ここで?」さも気が進まないという表情だ。

「そうしたら、今夜のうちに左近を殺ってやる。どうだ」

 逡巡したのは一瞬で、菊はすぐにあきらめて肩をすくめてみせた。男どもの性急さには慣れっこだとでも言いたげだ。

 同意を得たものとみなして、一眞は彼女を抱き寄せながら地面に押し倒した。無防備に仰臥した体にまたがり、腿で腰骨をしっかりと挟み込む。

 そのまま細首を両手で掴むと、前傾して体重をかけながら一気に絞め上げた。

 ようやく彼の意図に気づいた菊が、手足をばたつかせて猛然と暴れ出す。まさに死にもの狂いでもがいているが、非力な女がこの体勢に持ち込まれたら逃れるすべはない。

 手のひらに伝わる脈動が次第に小さく、間遠になっていく。それがまったく感じ取れなくなり、完全に事切れたと確信できたところで、一眞は初めて手を離した。

 女は張り裂けんばかりに目を見開いており、半開きの唇から舌先を覗かせている。真っ白な喉には、指の跡が痣になってくっきりと浮かび上がっていた。扼殺(やくさつ)されたことは誰の目にも明らかだろう。だが、この死体を自分と結びつける者はいないはずだ。

 拍子抜けするほど簡単だった。左近もこれぐらい容易(たやす)く殺せるなら、あれこれ考えなくともすむものを。

 そんなことを思いながら大きく息をついて顔を上げたところで、一眞は正面の木立の中に茫然と立ち尽くす利達の姿を見つけた。


「なんだ、また芋と昆布の煮付けだよ」

 夜の食膳を前にして、伊之介(いのすけ)が不平を鳴らす。彼は芋類があまり好きではないのだ。

 混み合う食堂(じきどう)はざわざわと騒がしかった。千手(せんじゅ)景英(かげひで)やほかの指南役が同席する時には水を打ったように静まり、漬物を噛む音すら立てる者はいないが、今夜は修行者だけなのでみな好き勝手に喋っている。

「たまには何か目新しいものが食いたいぜ」

 不満げな顔の伊之介を横目に見ながら、一眞(かずま)は芋をひとつつまんで口に入れた。昆布の旨味をたっぷり含んでおり、そう悪い味ではない。だが、行堂(ぎょうどう)で供される食事の内容がいつも代わり映えしないというのは事実だ。これにめげて降山(こうざん)してしまう修行者も、年に何人かはいると聞いている。

蓮水宮(れんすいぐう)じゃ、どんなものを食ってるんだろうな」

 伊之介の右隣で信光(のぶみつ)がつぶやいた。

祭主(さいしゅ)さまや、若巫女(わかみこ)さまたちさ。まさか、おれたちと同じものってことはないだろう?」

「さあなあ」

「ねえ」向かいに座る玖実(くみ)が会話に割って入った。「利達(としたつ)はどうしたの」

「おれもさっきから捜してるが、どうも見当たらんな」

 伊之介が、食事している仲間たちの顔ぶれをあらためて見直す。

「宵の祈唱(きしょう)の途中までは、たしかに近くにいたと思ったんだが」

「祈り(だま)を落としたと言ってたから、探しに出たのかもしれない」

 一眞が言うと、彼らは一斉にこちらを見た。

「飯も食わずにか」信光が困惑の表情を浮かべる。「そんなの、明日でもいいだろうに」

「おれもそう言ったが、ああいう性分だからな」

 ああ、と全員が一様に得心の表情でうなずく。利達が何かを気にし始めるとなかなか気持ちを切り替えられないのは、仲間内ではよく知られたことだ。

「馬鹿だな、暗い中で探したって見つかるもんか」馬鹿と言いつつ、信光の声には同情がこもっている。

「まあ、心配いらんさ」

 伊之介が気乗りしなさそうに椀の中身をつつきながら言った。

「じきにあきらめて戻ってくるだろう」

「お腹を空かせてね」玖実が苦笑をもらす。「利達の分のご飯で、お結び作るわ。帰ってきたら食べさせてあげてよ」

 食事を終えると一眞はすぐに膳を下げ、いち早く食堂(じきどう)を出た。普段みんなが食休みをしに集まる学堂の前を通り過ぎ、練兵場のほうへ向かう。

 カラマツの林道を抜けて洞窟にたどり着くと、彼は入口の前でしばし足を止めた。

 後期修行に入った日に、ここで初めて利達に出会った、その時の記憶が蘇ってくる。色白で背が高く、人好きのする笑顔を持った彼は、大皇(たいこう)を輩出した名家五十公野(いずみの)の姓を名乗って一眞を驚かせたのだった。

 真昼の空気を満たしていた爽やかな新緑のにおいや、地面に落ちていた木漏れ日の形まで思い出すことができる。

 特に重要な場面というわけでもないのに、なぜこんなにはっきり覚えているのだろう。

 一眞は洞窟に入り、真っ暗な細い道を明かりなしに進んでいった。毎日何度も通っているので、足元や横壁にどんな出っ張りやへこみがあるかはすべて頭に入っている。

 やがて足音の響きかたが変わり、天井の高い大広間に入ったことがわかった。右手の壁に沿って歩いて行き、横穴の入口を探り当てる。手を広げれば左右の壁に触れるほど狭い通路に足を踏み入れ、ゆるやかな下り道を進んでいくと、井戸のある水場にたどり着いた。井桁(いげた)に立てられた短い蝋燭の明かりが、縦に長い小空間をぼうっと照らし出している。

 一眞は井戸の裏側へ回り、奧の岩壁に走った亀裂の中へと体をねじ込んだ。ここへ入るのは二度目だ。一度目よりも隙間が窮屈になったように感じるのは、自分の体が前回よりも少し大きくなったからだろうか。

 狭苦しい亀裂を通り抜けた向こうには狭い岩棚が張り出しており、その端のほうに、目に眩しいほど白い月明かりに照らされて利達が座っていた。

 彼だけの隠れ家。〝空っぽになれる〟場所。

「ここにいると思った」

 亀裂の出口から声をかけると利達は物思いから醒め、尻を蹴り上げられたようにあわてて腰を上げた。怯えた目をして、岩棚の(へり)のほうへじりじりと後ずさる。

「おい、よせ。それ以上下がると落ちるぞ」

 急いで警告すると、彼はぎょっとしたように背後を見た。自分があと半歩で足場を失ってしまうきわどい位置にいることに気づき、もともと白い顔がさらに色を失っていく。

「こっちへ来い」

 一眞は亀裂の内側に半身を残したまま動かず、左手だけを彼のほうへ差し出した。その手を取るかどうするか、利達の視線が迷いも露わにうろうろ揺れている。

「来いって。さっきのことを、ちゃんと説明するから」

 そう言ったものの、どう説明すればいいのか、まだ考えはまとまっていなかった。事実をありのまま話すわけにはいかない。何か利達が納得せざるを得なくなる理由を、菊を殺したのはそうするしかなかったからだと信じ込ませられる言い訳をひねり出す必要がある。

「一眞――」利達が口を開き、奇妙に抑揚のない声で囁いた。「説明は堂長(どうちょう)にするといい。これから、おれと一緒に行こう」

「おまえは堂長のところに行ったりしない」

 一眞は断定的に言い、じっと彼を見つめた。

左近(さこん)のことだって、結局言いに行けなかったじゃないか」

「あれとは違うよ。指南役――左近のことなんて、どうだっていいんだ。あの人が罪を重ねて道を踏み外しても、最後にどん底に落ちたとしても、おれは何とも思わない。でも、おまえは別だ」

 切々と言葉を重ねながら、次第に必死の形相になっていく。

「おれはおまえを救ってやれない……そうしたいけど、できない。でも堂長なら、ちゃんといいようにしてくれる。もちろん処罰もなしに許されるようなことはないだろうけど、それでも何がおまえのためになるかを真剣に考えて、一番いい方向へ導いてくれるよ」

「救うって、なんだ」

 一眞は戸惑いを感じながら訊いた。

「仕置きされたり、御山(みやま)から追い出されたりすることが、なんの救いになるっていうんだ。それがおまえの言う、どん底に落ちるってことじゃないのか」

「心のことを言ってるんだ」

 利達と視線が合った瞬間、突如として一眞はひとつの理解に達した。

 おれはこいつを説得できないかもしれない。

 頭の中で言葉にすると、その考えは冷たく重い氷塊と化して胃の中にごとんと落ちた。霜が降りたように全身が冷えわたり、神経の先に鋭い痛みが走る。

 彼に殺しの現場を目撃されたのは痛手だったが、言いくるめるのはそう難しいことではないだろうと(たか)をくくっていた。内心では味方をしたがっているはずで、見たことをすぐ誰かに報告しようとする可能性も低いと。まさか、こんなふうに(ほぞ)を固めてしまっているなどとは思ってもみなかった。

 だが、まだここから挽回する方法は何かあるはずだ。利達の心を揺さぶるひと言。よくできた嘘。それさえ思いつけば。

 ともかく何か言おうと口を開きかけた一眞を、利達の悲しい眼差しが押し留める。

「一眞」

 語尾がかすれ、彼はごくりと唾を飲み込んだ。

「おまえはおれの、一番大切な友達だ」

 絞り出すような声で言った瞬間、利達の両眼からどっと涙があふれ出した。

「血のつながった弟よりも、本当の兄弟だと思えるやつだ。おまえが傍にいて励ましてくれたから、おれは今日までここで頑張ってこられた。大好きだし、尊敬しているし、おまえのためならどんなことだってしてやりたい。だけど、これだけは駄目なんだ」

 激情と罪悪感と苦悩に震えながらも、彼は一眞をまっすぐに見たまま視線を逸らさなかった。

「何も見なかったことにして全部忘れるって、言えるものなら言いたいよ。もし、あの時おまえがおれに気づかなかったら――たぶん、そうしてたと思う。でもおれは見てしまったし、おまえはおれが見たことを知ってしまったんだから、お互いに今さらなかったことにはできない。おまえだって、それはわかってるだろう」

 わからない。そう言いたかった。

 なかったことにできないと思うのは、おまえがおれと一緒に落ちたくなくて逃げ腰になっているからだ。そう言いたかった。

 だが虚しい反論が唇を通り抜けることはなく、代わりに出てきたのはまったく違う言葉だった。

(きく)()ったのは、あの女が知りすぎたからだ」

 利達が息を呑んで口を閉じ、噛み合った歯ががちっと鳴る。

「同じ理由で、左近も始末したいと思ってる。あいつを殺るのは菊よりずっと難しいが、何か策を考えるつもりだ」

 ふたりのあいだに沈黙が落ち、岩壁に生えた草木の中を風が通り抜ける音と、夜気の中に声を響かせている虫の()が急に大きく聞こえてきた。

「知りすぎた、って……」かなり長い間を置いて、利達がおずおずと問いかける。「何を?」

「おれが親殺しだってことを」

 一眞は彼の反応を待たず、淡々と先を続けた。

「前におまえは、おれが両親に大事にされて、いい育ち方をしたんだろうと言ってたが、それは違う。お袋は体も気も弱くて、息子にすがりつかなきゃ生きていけないような女だった。そして親父は――お袋が生きてるうちから妾と連れ子を母屋に同居させて、身を守る力もなかった餓鬼のおれを三日にあげずぶん殴るような男だった」

 もう済んだことではあるが、こうしてあらためて話すと、黒々とした怒りがまた腹の底から湧き上がってくる。

「おれは親父を恨んで憎んで、いつか必ず殺してやろうと心に決めてた。そして――殺したんだ、今年のはじめに」

 無意識に唇が笑みを形作った。

「小悪党連中に仲間入りして、実家を襲撃する計画にそいつらをうまく巻き込んだ。やつらにさんざん暴れさせたあと、おれは親父と妾と連れ子をなぶり殺した……心底楽しみながらな。それから、手伝わせた連中も皆殺しにした。事情を知る者を残さないためだ」

 少し強い風が吹き、万事衣(まんじごろも)の袖をはためかせる。岩棚の(へり)に立つ利達が不安そうに身を縮めた。

「そのまま家を継いだらおれひとりが得をしたことになって、さすがにどこかから疑いの目を向けられるだろうから、所領と財産を御山(みやま)に献納して昇山(しょうざん)することにした。ほとぼりが冷めるまで身を潜めるには、ここはもってこいの場所だからな」

 いま思い返してみても、あれは最良の選択だったと確信を持って言える。

「だが最近になって左近が、おれのやったことを嗅ぎつけたふうを匂わせてきた。殺してやろうと思ったが、あれでかなり腕は立つし警戒心も強いだろう。それで、菊を操って手先に使うことを考えついたんだ。ところがあの女、左近から寝物語におれのことを聞いてて、逆に脅しをかけてきた」

 だから殺したんだ、と静かに締めくくった一眞を、涙に濡れた利達の目が虚ろに見つめている。

 彼は途方に暮れたような顔でしばらく黙っていたが、やがて(はな)をひとつすすってから口を開いた。

「おれ、知らなかった。おまえが家にいたころ、そんなつらい思いをしてたなんて」

「話さなかったからな」

「勝手に呑気な――馬鹿みたいな想像してごめんよ」

 こんな場面で生真面目に謝ってしまうとは、いかにも利達らしい。

「いいさ」

「でもわからないよ、一眞。指南役に脅されて危険を感じたなら、逃げてしまうことだってできたはずだ。御山に留まろうとするから、おまえは菊を……殺さなきゃいけなくなった。今だって、こうしておれと話してる間に姿を消せたはずだろう」

 べそをかいた顔のまま、小首を傾げる。

「どうして山を下りなかったんだ」

 責めているのではなく、それは単に純粋な質問だったが、一眞はがつんと頭を殴られたように感じた。

 どうして山を下りなかった。

 そうだ、どうしてだ。左近がいやみったらしく脅してきた時に、もうこれまでと見切りをつけて山を去ることはできたはずだ。もともと本気で奉職者になりたかったわけではない。下界で生きていく自信がないわけでもない。

 御山は窮屈で退屈だ。祈りは苦行で、仕事は単調で、飯はまずい。下界よりもおもしろいことなどひとつもない。でも、ここには――。

「逃げる気はない。今はまだ」

 一眞は奥歯を噛みしめながら言った。

「山を下りるのは嫌だ」

「だけど……」

「嫌なんだ」

 なぜなら、ここには。

「留まったら、厄介なことになるよ」

「それでも残る。邪魔するやつらを全部殺してでもだ」

「どうしてなんだ」

「知るもんか!」知らず知らずのうちに叫んでいた。「理由なんかない。ただ、ここには――」

 ふいに、憐憫に満ちた眼差しを注がれていることに気づき、一眞ははっと口をつぐんだ。途切れた言葉の先を、利達が小さな優しい声でそっと補う。

「堂長がいるから? そうなんだね」

「ち――」

 違う、と反射的に言おうとした。だが言えなかった。

 なんてことだ。

 心の奥底にあって、自分でもほとんど意識すらしていなかったことを、いとも容易(たやす)く暴かれた。表面だけ見てすぐ人を信じてしまう、こんなお人好しの小心者に。

 だが――と、ふと思い直す。彼は以前から、そんなことを何度か話していたじゃないか。

 利達は一眞の表情を窺いながら、どこか申し訳なさそうに言った。

「おまえは堂長が苦手だとか憎いとか言ってたけど、それは好きな気持ちの裏返しなんだろうなって思ってたよ。わかるんだ、おれは――おれも、母に対して同じように感じるから」

 また泣き出しそうに顔をゆがめる。

「ひどい親父さんに苦しめられたから、それとは真逆の堂長に理想の父親像を見てるんだね」

 黙って利達の言葉を聞きながら、一眞はめったに感じないものを感じていた。羞恥心だ。それは灼熱した怒りに変わりかけたが、寸前で力なく燃え尽きて(くすぶ)る灰だけを残した。事実を指摘されて恥を感じたからといって、利達に腹を立てるのは筋違いだ。

 千手(せんじゅ)景英(かげひで)に初めて会った時から、彼を警戒していた。その怜悧さと、厳正さと、すべてを見通すような鋭い目を恐れていた。なぜなら彼もまた、一眞が何か(やま)しい過去を抱えていると、うすうす感づいている者のひとりだ。しかし感づいていながら、景英は敢えて追及することなく彼を受け入れ、御山で新たな自分を見いだせと言ってくれた。

 それ以来ずっと慎重に、用心深く距離を取りつつも、内心では彼にかまわれ、理解され、認められたがっていた気がする。じつの父親に対しては一度も持てなかった信頼感と憧憬を抱きながら。

 一眞は重いため息をつき、力なく目を伏せた。

「おまえの言うとおりだ。たぶん」

 認めても、気持ちは少しも楽にならなかった。

「だから、おれはここにいたい。そのために菊を殺した。左近も殺す」

「駄目だよ、そんな――」

 急いで言いかけた利達を、鋭い目つきで牽制する。

「おまえが止めたって、おれはそうする」

「だったらおれは、やっぱり堂長にすべて話しに行かなきゃならない」

 利達は顔をくしゃくしゃにして、胸の前で両手を握り合わせた。祈るように。

「そんなことをさせないでくれ」

「そんなことはするな」

 足を半歩前に進める。初めて亀裂から体が完全に外へ出た。

「おれをここにいさせてくれ」

 懇願した瞬間、ふいに両眼から熱い涙がこぼれ落ちた。堰を切ったように、止めどもなくあふれ出てくる。

「今夜のことは全部忘れろ」

「そうしたい。けど、できないよ」

「利達、頼む」

「……できない」

 一眞はうつむいて足元に目を落とし、ややあって顔を上げると、まっすぐに利達を見据えた。

「下がるな」

 そう言いながら、足を大きく前に出して間合いを詰める。利達がほとんど無意識にうしろへ下がった。打ち合い稽古で相手に踏み込まれると、いつもそうしていたように。

 彼は退()いた先に踏む地面がないことに気づくと呆気にとられた顔になり、そのまま声も立てることなく谷底へ落ちていった。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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