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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第七章 戦雲急を告ぐ
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七十八 立身国射手矢郷・真境名燎 伴侶

 大事な話がある、と玉県(たまかね)綱正(つなまさ)に呼び出されたのは、鉢呂(はちろ)山へ来てからからふた月が過ぎた詠月(えいげつ)半ばの夕暮れだった。

 何の話かは、おおよそ見当がついている。七草(さえくさ)にいるころから気のある素振(そぶ)りをしばしば見せていたが、ついに直接的な働きかけをするつもりになったのだろう。

 午後の訓練を終えたあと、真境名(まきな)(りょう)は綱正の従者から告げられた通りに、練兵場の森の際まで足を運んだ。

 今日は残暑がきつかったため下着まで汗みずくになっており、できれば一度宿舎に戻って着替えたいところだが、彼のためにめかして来たなどと思われては業腹だ。おかしな期待をさせてもいけないので、不快ではあるがしばらく我慢するしかない。

 森の中を抜ける道の入口で待っていた綱正は、燎が大股に歩いてくるのを見て、微笑とにやけ顔の中間のような笑みを浮かべた。そこそこ二枚目(づら)なのに、この男はなぜか笑顔がいつも(さま)にならない。

「綱正どの、待たせた」

 ぶっきらぼうな口調で型どおりの謝辞を述べると、綱正は眉尻を下げて愛想よくうなずいた。

「来てくれて嬉しいよ」

「それで、話とは?」

 単刀直入に訊ねる燎を、彼は何か剽軽(ひょうきん)で可愛らしい動物でも見るような目で見つめた。

「燎どののそういう直截簡明なところは好きだけど、よければ話の前に、ちょっとふたりでそこらを歩かないか」

 なんだ、面倒くさい。内心ではそう思ったが、最低限の礼儀を思い出してぐっと押し隠す。

「暑いから日陰を行こう」

 勝手に決めてさっさと歩き出すと、綱正は黙って森の中へついてきた。

 ここに砦が作られてから、燎たち自身が何度も往復して踏み分けた道を通り、小川が流れているほうへぶらぶら歩いていく。昼間も枝葉で日差しが遮られていた林道は涼しく、袖の中を通り抜けていく微風はひんやりしていた。

「前期訓練もいよいよ終わりだね」

 隣に並んだ綱正が、ほがらかに話しかけてきた。

「脱落者も多少出たが、意外に大勢残ったと思わないか」

「今いるのは四十人だったか」仲間の顔ぶれを思い出しながらつぶやく。「全員が隊士になれば二十組作れるから、ちょうど一部隊だな。負傷して途中で抜けた者もほぼ戻って来たし、前期訓練は大成功と言えるだろう」

「御屋形さまもご満足くださるかな。まあ、後期訓練で減らないという保証はないけどね」

 彼の軽々しい言い方が気にくわなかったので、燎はただ軽く鼻を鳴らすに留めた。

 類を見ないほどの過酷さだった前期訓練を耐え抜き、肉体的にも精神的にも研ぎ澄まされた剛の者たちが、念願の隊士になったあとでそうそう尻尾を巻くとは思えない。

「相方を選ぶ時期がきたわけだけど――」のんびりと喋りながら、綱正が意味深な視線をよこす。「燎どのは誰にするか、もう考えているのかな」

「いや」

 短く答え、燎はちらりと綱正を見た。

「おぬしはどうだ。もう決めたのか」

「わたしもまだだよ。それ以前に、乗り手になるか斬り手になるかで迷っているところなんだ。どちらも同じぐらいうまくこなせるからね」

 得意げで鼻持ちならないが、彼の言うことはほんとうだった。綱正は(とり)を操るのもそれなりにうまいし、斬り手を務めても模擬空戦で好成績を叩き出す。

「燎どのも両方器用にこなすけど、選ぶなら乗り手のほうだろう?」

「おそらく」

 敢えて断言は避けたが、自分が乗り手を選ぶであろうことはほぼ確信していた。

 斬り手もそれなりに楽しくはある。初めのころは恐怖感が先に立っていたが、すっかり慣れた今では、空中に身を投げて敵に斬りかかる際に高揚感すらおぼえるようになった。だがその昂ぶりは、禽を操って自在に空を駆ける途方もない爽快さには遠く及ばない。

 もし乗り手になれなかったとしても天翔隊(てんしょうたい)を去ることはないだろうが、きっとひどくがっかりはするだろう。とはいえ、全隊士候補の中でもっとも巧みな騎乗者である燎に、指南役たちが斬り手を選ばせるとも思えない。まず間違いなく希望は()れられ、乗り手として後期訓練に臨むことになるはずだ。

 相方である斬り手については、あまり考えないようにしていた。指名するにせよされるにせよ、四十人の中のあぶれ者同士で組むことになるだろう。

 近ごろはのけ者扱いされることこそなくなったが、戦場(いくさば)で生死を共にする重要な相方に、女を選ぶような酔狂者などいないのはわかっている。

 そんなことを考えていると、ふといたずら心が沸いた。

「綱正どのが斬り手を選び、わたしを相方に指名するというのはどうだ」

 絶対にそうはしないと知っていて、答えに窮するところを見てやろうと思ったのだが、意外にも彼は少しも迷うことなく笑顔で首を振った。

「それは、よしておくよ」

 こちらも彼を相方に選ぶつもりなど毛頭ないが、そうもきっぱり断られるとやはり(しゃく)に障る。

「なぜ。わたしはいい乗り手だと思うが」

「もちろん、そうさ。燎どのより優れた乗り手は、仲間内にはいないよ」

 立ち木の向こうから水の流れる音がする場所で綱正は足を止め、燎と向き合って目をきらめかせた。

「でも燎どのとは御役の上での相方ではなく、もっと違う形でのつながりを持ちたいんだ」

 きたな――燎は腹の中で思いながら、自分より上背のある彼を見上げた。

「つながり?」

 察しの悪いふうを装い、何食わぬ顔で訊き返す。

「どんなつながりだ」

 その問いを待っていたというように、綱正が少し身を乗り出す。

「本来ならこれは、うちの親戚筋から然るべき人を立てて真境名家に申し入れをすべきことだけど、その前に燎どのの意向を聞かせてもらえればと思う」

 ここまで聞いて、まだわからない顔を続けるわけにはいかない。だから燎は表情を引き締め、やたらと持って回った言い方をする綱正にずばり訊いた。

「わたしと結婚したいのか」

 あまりにも情緒に欠ける問いかけをされた綱正が、さすがに鼻白むふうを見せる。いくら男勝りな女でも、こういう話題になれば恥じらいの色ぐらいは見せるに違いないと期待していたのだろう。

 しかし女の扱いに慣れている色男だけあって、彼はすぐにいつもの調子を取り戻した。

「はっきり言ってくれてありがとう」

 柔和に微笑み、燎の右手を取って両の手のひらで優しく包み込む。

七草(さえくさ)で共に御役に就いてから、ずっと考えていたことなんだ。わたしたちは年回りも、家柄の釣り合いも悪くない。それに、奇しくも同じ〈隼人(はやと)〉になるという目標を抱くぐらいだから、きっと相性だっていいはずだ。理想的な夫婦になれそうだと思わないか」

「たしかに、条件的にはお互いに悪くない」

 燎は言下に認めると同時に、嬉しそうな顔をする彼の手の中から自分の右手をさっと引き抜いた。

「だが、相性はどうだろう」

 綱正が少し表情を曇らせる。

「わたしの妻にはなりたくない、と?」

「そこからして、考え方に食い違いがあるな」

 燎は彼の目を見据え、淡々と言った。

「わたしは真境名(まきな)家の嫡女だから、結婚する時には婿を取る。つまり、わたしがおぬしの妻になるのではなく、おぬしがわたしの(つま)になるのだ」

 実際、これは単なる言い方の違いだけに留まらない。真境名家には女が当主の座について所領を統治する伝統があり、その配偶者の立場は自ずと一段低く見なされるのだ。

「それに、このあと首尾よく〈隼人〉になれたとして、わたしは結婚しても隊士を辞めるつもりはないし、戦になれば真境名家の代表を名乗って出陣する。夫となる者には城での留守居を引き受けてもらうことになるが、おぬしはそれでかまわないのか」

 もともと出世欲が人一倍強く、(きた)る戦の花形になれるからという理由で〈隼人〉を志した綱正が、三州の外れの真境名家所領に引っ込んで留守居を務めたいなどと思うはずもない。

 彼は凝然として立ち尽くし、しばらく言葉も出て来ない様子だった。求婚するにあたり、勝手になにか甘やかな幻想を抱いていたようだが、燎はそれを粉々に打ち砕いたらしい。

「しかし――」

 ややあって自分を取り戻した綱正が、失地回復とばかりに口を開く。

「嫡女なればこそ、燎どのは跡継ぎを産まねばならぬだろう。いずれ子供ができれば、当然ながら戦場には出られなくなる。その時は、夫が代わりに出陣することになるのでは?」

 なるほど、(はら)ませて家に縛りつけようという腹か。燎は綱正を上目づかいに見て、にやりと不敵に笑った。

「我が家の流儀はとことん風変わりで、必ずしもわたしの産んだ子が跡を継ぐ必要はないのだ。当主の役目は家と所領を守り、主家に誠心誠意仕えること。子作りは兄弟姉妹に任せて、最初に産まれた女子を養嗣子(ようしし)にもらいうけたという例が過去にいくつもある」

 少し間を置き、ふっとため息をもらしてつけ加える。

「おぬしがわたしの子を産めるなら便利なことこの上ないし、喜んで婿に迎えるのにな」

 綱正の顔から愛想のよさが消えた。

「あくまで夫は自分の添え物――そういう考えなのか、燎どのは」

「そうだ。こういうわたしを理解し、従える男はそうそういないだろう」

「わたしが嫌いだから、わざと極端なことを言っているわけではなく?」

 嫌いではないが、どうでもいい人間だ。そう正直に言ってもよかったが、妻にと望んでくれた男にそこまで苛烈な態度を取ることもないだろう。

「ほんとうのことを、ありのままに言ったまでだ。今後わたしを伴侶にしたいと言う者がほかに現れたとしたら、やはり同じことを伝える」

 これで綱正の矜持はなんとか保たれるはずだ。だが、すげなく振られたという屈辱的な思いは残るに違いない。

 彼はここを引き際と見定めたようで、素早く態度を切り替えた。

「無駄に気を持たせるようなことをせず、率直に話してくれて嬉しかった。燎どののそういうところが気に入ってもいたが――残念ながらわたしたちは、夫婦になれるほどの宿縁で結ばれてはいなかったようだ」

 堂々たる撤退宣言だ。燎は少し感心しながら、小さくうなずいた。

「わたしの意志を尊重してくれて感謝する」

 それ以上言うことは、互いにもう何もなかった。今後も同じ隊の仲間として共に精勤することに変わりはないが、つき合いは一定の距離を置いたよそよそしいものになるだろう。

 もっとも、これまでも馴れ馴れしい態度を取っていたのは彼のほうだけだが。

 威厳を保とうとするかのように昂然と頭を上げ、ことさらゆっくりと歩み去る綱正を、燎はその場にじっと佇んで見送った。


 綱正(つなまさ)の姿が林の向こうへ消えると、(りょう)はひと仕事終えたように感じながら深呼吸をした。生まれて初めて求婚されたにもかかわらず、当たり前のように断った自分に少しあきれてはいたものの、じつに清々しい気分であるのは否めない。

 ついでに小川で汗をぬぐい、体もさっぱりさせていこうと立ち木を回り込んだ彼女は、そこで由解(ゆげ)虎嗣(とらつぐ)に出くわして愕然とした。

 彼は岸辺に座って裸足の両足を水に漬け、対岸に立つ燎を見上げたまま硬直している。眉間には深い皺が寄り、口は「あ」と「い」の中間の形に開いて上下の歯並びが覗いていた。

「虎嗣……どの、いつからそこに」

「さ、最初からずっと……」

 互いに言葉をつかえさせながら言ったあと、燎はにわかに我に返り、下生えに覆われたゆるい斜面を水際まで下りていった。

「盗み聞きを?」

「違う」ようやく驚きから立ち直った虎嗣が、憮然として否定する。「ここで足の打ち身を冷やしていたところへ、おまえらがやって来たんだ」

「声をたてるなりすればいいのに、最後まで黙って聞いているなんて趣味が悪いぞ」

 少し気恥ずかしい思いもあって責めると、彼は険しい顔をしてうつむいた。

「まさか、あんな話を始めるとは思わんだろうが」

 それは、たしかにそうだ。

 燎は思わず微笑みながら草鞋(わらじ)の緒を解くと、草の上に腰を下ろして素足を水流に突っ込んだ。訓練で疲れ、火照った足裏を冷たい水が心地よく洗っていく。

「なんだっておれは、おまえが気を吐いてるとこにいつも居合わせるんだろうな」

 虎嗣はぼそりとつぶやき、いかにも気まずそうに身じろぎした。

「婚姻の申し入れをされて、あんな断りかたをするやつなど初めて見たぞ」

「仕方ない、全部ほんとうのことだ。どうしても一緒になりたいなら、綱正が条件を受け入れるしかない」

 素っ気なく言って、爪先で水をかき回す。

「わたしは結婚にむいていないんだ」

「それでも、いつかはするのだろう」

 目を上げると、虎嗣が生真面目な顔でこちらを見ていた。

「世の中には一生縁づかない女もいるが、おまえは格の高い旧家の嫡女だ。まさか独り身を通すわけにもいくまい」

「その旧家が問題でな」

 燎は懐から手ぬぐいを出しながら、ため息混じりに言った。

「かつては黒葛(つづら)家筆頭支族と呼ばれたこともあるが、今の真境名(まきな)家はまったく駄目だ。ここしばらく目立った活躍がないせいで、すっかり影が薄くなってしまった。わたしは、わたしの代でなんとか再び盛り返したいと考えている」

「影が薄いなど――」虎嗣が遠慮がちに言う。「そんなこともあるまい。たんに今は花巌(かざり)玉県(たまかね)の威勢が強いだけだ」

「気をつかわなくていい、虎嗣どの。郡楽(ごうら)生明(あざみ)七草(さえくさ)、いずれの城の筆頭家老にも次席家老にも就けていないのは、今は支族の中では我が家だけなんだ。せめて貴昌(たかまさ)(ぎみ)天山(てんざん)行きに、長弟の邦高(くにたか)を随員として加わらせたかったが、それも叶わなかった」

 由解(ゆげ)宗家は、虎嗣のいとこにあたる次男宣親(のりちか)を天山へ行かせている。砦の責任者である真栄城(まえしろ)康資(やすすけ)の弟忠資(ただすけ)や、玉県綱正のいとこの吉綱(よしつな)石動(いするぎ)博武(ひろたけ)の弟元博(もとひろ)も随行家臣団の一員だ。ここで彼らと顔を合わせていると、なにかの拍子にそのことを思い出し、ふと引け目を感じることがある。

「当代である母の(みね)は真境名家始まって以来の女傑と言われた人で、算術に明るく頭も切れるが、子供を五人も次々と産んだせいで城勤めはほとんどできなかった。父が代わりに頑張ってはいるが、当主自身が働くのとでは、やはり御屋形さまに与える印象が違う」

「まあ、それはそうだな」

 虎嗣は曖昧に言って流れに片手を入れ、すくい上げた水を首筋にかけた。

「そもそも、なんで真境名家は男を当主にしないんだ」

 もっともな問いだ。燎は濡らした手ぬぐいで顔や腕を拭きながら、真境名家にまつわる因縁話を語った。

「我が家では昔から、男子が家を継ぐと早死にするんだ」

 それは、聳城国(たかしろのくに)建国以前の干戈(かんか)時代から続いていることだと言い伝えられている。

 創設当初の真境名家では、普通に男子が当主の地位に就いていた。だが五百年ほど前から、跡継ぎが代替わり後に数年も経ずして不慮の死を遂げるようになったのだ。

「戦の多い時代に戦場(いくさば)で死ぬなら不思議はないが、おかしな死に方をした者が多かったらしい」

 日ごろ壮健だった人物が、風邪などをこじらせて呆気なく死ぬ。慎重派の若殿が喧嘩沙汰に巻き込まれて命を落とす。温厚篤実で知られた名君が、信頼していた家臣に逆恨みで謀殺される。

 そういうことが何代か続いたために跡継ぎの男子がいなくなり、仕方なく女子を当主にしたところ不審な早世の連鎖が断ち切られた。

「だが、戦に出られない女が当主では家が栄えない。そこでまた男に戻すと、やはりすぐに死んでしまった」

 真剣に聞いている虎嗣の顔はこわばり、周囲によく〝鬼瓦〟と揶揄(やゆ)されている表情になっている。

「なんだ、それは。いったいなんの呪いだ」

「さあ、なんだろうな。呪いを(はら)う儀式だのなんだの、いろいろやってみたそうだが、効果はなかったらしい。で、ここ五代はずっと女が跡を継いでいて、家は勢いを失ってしまった――というわけだ」

「それで母御は次代のおまえを、己を超える女傑に育てたわけか。(いくさ)働きさせて、真境名家の家勢を再び上向かせるために」

「わたし自身が戦に出たいんだ。母の嫡女教育が行き届きすぎたのも多少はあるだろうが、もともとわたしは身体的にも気性的にも柔らかみに欠けていて、外見こそ女に近いが中身はほとんど男だった」

 虎嗣がぶっと吹き出し、あわてて口元を手で押さえる。笑わば笑え、とひと睨みして、燎は水から足を上げた。

「滑稽に聞こえるのはわかってる」

「それは違う。滑稽だなどとは思っていない」

 ふいに表情を引き締め、虎嗣は真剣な声で言った。

「おまえの覚悟は立派だ」

「ありがとう」

 薄く笑んで礼を言うと、彼は眉根に深く縦皺を刻んだ。

「おれもいちおう菰田(こもだ)由解家の嫡男だが、家の先行きなどほとんど考えていない。おまえは同世代なのに、おれよりずっとしっかりしているな」

「うちは、いろいろとわけありだから」

「だが、軍功を上げて家を盛り立てて――それだけか?」

 虎嗣が気づかわしげな目をして訊く。

「ただ家と主家のために働き続け、寄り添える相手も求めずに、ずっとひとりで生きていくのか? そんなのは寂しいだろう」

 少し前までは嫌われていた相手から予期せぬ思いやりを示され、燎はふと胸が熱くなるのを感じた。

「おぬしは優しいな」

 思ったままを素直に口に出すと、虎嗣は戸惑ったように顔を伏せた。

「結婚もいいものだぞ――たぶん。おれも、まだしてはいないが」

「でも相手はいる?」

「うん」

 彼は日焼けした頬を少し赤くして、どこか子供っぽい仕草でこくりとうなずいた。

「実家の近所に住んでた、ふたつ年下の幼なじみだ。家の格はちょっと低いが、何より気が合うんで、親を説き伏せて許婚ということにさせてもらった。一年ほど前から家に入って、うちの母と祖母にいろいろ教わってる」

「婚儀はいつ」

「来年ぐらいかな」

 照れくさそうにしながらも、嬉しさを隠さずに出すのが微笑ましい。

「その人のことが好きなんだな」

「お互いに、なんでも話せるんだ。いいことも悪いことも。そういう相手は、ほかにはいない」

 虎嗣は顔を上げ、真摯な眼差しを燎に向けた。

「おまえもいつか、夫でなくとも――誰であれ、心を分かち合える相手を得られるといいな」


 二日後、早朝の練兵場に集まった隊士候補たちの前で、真栄城(まえしろ)康資(やすすけ)が前期訓練の終了を宣言した。

「みな、今日までよく頑張った」

 全員の顔を見渡し、よく通る太い声で厳かに言う。

「おぬしらはこれより、立州(りっしゅう)天翔隊(てんしょうたい)の正式な隊士だ」

 わっと大きく歓声が上がった。誰もが満面の笑顔になり、周りにいる者たちと背や肩を叩き合っている。(りょう)もその輪の中にいて、叩いたり叩かれたりしながら歓喜の声を上げた。

 砦に来た当初は誰からも遠巻きにされたことを思うと、今こうしてそれなりに受け入れられていることに感慨をおぼえずにはいられない。

「喜びに水を差すつもりはないが――」康資が手を打って静粛を求める。「明日からはさっそく後期訓練を開始する。前期は遊びだったのかと思うほどに厳しいぞ」

 興奮が一気にしぼみ、あちこちから低い呻き声がもれた。

「その前に各人の役割を定めた上で、ふたり組を作ってもらう。初めに話したのを覚えていると思うが、乗り手と斬り手は一蓮托生の間柄であり、ふたり揃うことで意味をなす。相方を誰にするかはよくよく考えることだ」

 彼は広場の中央へ歩いて行き、隊士たちのほうを振り向いて、闢神(びゃくしん)像のように両手を広げた。

「斬り手を望む者はわたしの右手側に、乗り手を望む者は左手側に集まれ」

 燎はすぐに歩き出し、誰よりも先に左手側へ行って、どちらを選ぶべきか迷っている者たちを眺めた。

 彼女と同様すでに決めていた者は約半数で、残りは今ようやく考え始めたかのようにぐずぐずと悩んでいる。康資は少し待ってから、決意を後押しする言葉をかけた。

「より適性があると思うほうへ、とりあえず行っていいぞ。あとからわたしが見定めて、最終的に数が合うよう調整する」

 それを機に迷っていた者たちがのろのろと動き出し、しばらく入り乱れたあとで、どうにか二手に分かれて落ち着いた。見たところ、乗り手側の人数のほうが多いようだ。

 玉県(たまかね)綱正(つなまさ)由解(ゆげ)虎嗣(とらつぐ)は斬り手側にいた。石動(いするぎ)博武(ひろたけ)の顔もそちらにある。彼もまた、迷わずに行き先を選んだ者のひとりだった。

「よし。では、これから調整を行う」

 康資は集団の中を縫ってゆっくり歩を進めながら、適性の自己判断に誤りありと見なした者たちに声をかけていった。

種智(たねとも)は乗り手側へ。和長(かずなが)は斬り手側へ行け。おぬしもだ、京介(きょうすけ)

 移動を命じられた者は特に反論することもなく、みなおとなしく従っている。三州(さんしゅう)天翔隊の古参の隊士であり、これまでずっと指南役を務めてきた康資には誰もが絶対の信を置いていて、その見立てに間違いはないものと思っているようだ。

義昌(よしまさ)は斬り手側。辰兵衛(たつべえ)もだ――案ずるな、できるぞ。あとは……綱正は乗り手側へ」

 最後に移動を命じられたのは綱正だった。乗り手と斬り手、どちらもうまくできると豪語していた彼は、それでも斬り手側に気持ちが傾いていたのか少し不満げな顔をしている。

 これで二十人ずつの同数に分かれ、ひとまず役割が決定した。次は相方選びだ。

「相方は斬り手側が指名する。己の命を預ける相手だ、慎重に考えて選ぶようにな。指名が重複した場合は、乗り手側に選択権があるものとする。では、まず新納(にいろ)澄隆(すみたか)から」

 康資は乗り手側からひとり選び、肩を押して一歩前に出させると、斬り手側に目をやった。

「澄隆を相方に望む者は」

 やや間を置いて、斬り手集団の中央から手が挙がった。

「わたしが」

 まるで()り市だ。燎は軽く眉をひそめて、乗り手が斬り手に選ばれていく様子を見守った。

 指名者がひとりだけですぐに決定することもあれば、複数の指名が重なって少し手間取ることもある。どうしても決めかねる者がいれば、康資が的確な助言を与えてうまくまとめていた。彼はそれぞれの技量や性分を熟知しており、最適な組み合わせを提案することができるのだ。

 やがて、ついに燎の番がきた。

「次、真境名(まきな)燎」

 前に進み出ながら、こういう場面でひとりも指名がつかなかったら、さすがに決まりが悪いかもしれない――と思う。

 だがそれは杞憂に終わり、燎にも指名がついた。しかも四人だ。

 燎を相方に希望したのは藍田(あいだ)信孝(のぶたか)阿間見(あまみ)清蔵(せいぞう)、由解虎嗣、そして石動博武だった。いずれも、仲間内で一目置かれている斬り手ばかりだ。その全員と何度か組んで飛んではいるが、まさか彼らから相方に望まれるとは思ってもみなかった。

 そういえば、虎嗣や博武はここまで一度も指名に動かなかったが、初めからわたしを選ぶと決めていたのだろうか。

「人気者だな」康資がほがらかに笑いながら燎の傍へ来た。「さて、誰を選ぶ?」

 せっかく指名してくれた残り三人――特に虎嗣に悪い、という思いが胸をよぎったのはほんの一瞬で、彼女は間髪を入れずひとりの名を挙げた。

「博武どのを」

 声に迷いはなく、凛として力強かった。

 乗り手の多くは、新隊士の中でも目立つ存在であり、斬り手としての技量で他を大きく上回っている博武と組みたかったはずだ。だが、そうする権利を与えられたのはただひとり、燎だけだった。

 これまで博武のことを実力者と認めてはいたものの、相方になることを意識したりはしなかったように思う。だが彼に指名された時、それに応じる以外の選択肢はまったく浮かばなかった。ということは、やはり内心では自分も彼と組みたいと思っていたのだろう。

 そんなことを考えているあいだにも、相方選びはどんどん先へ進んでいる。燎を獲得し損なった者たちもそれぞれ相手を選び直し、最終的には収まるところへ収まった形になった。

「四十人、二十組。上出来だな」

 康資が新隊士たちの顔をゆっくりと見回す。

「明日からは、すべての訓練をふたり一組で行うこととする。飛行と空戦に加えて、今後は連携、戦略、そして天隼(てんしゅん)の世話についても籠長(ろうちょう)からひととおり学んでもらうので、そのつもりでいてくれ」

 彼は、自分の言葉がみなの頭に浸透するのを待つように間を置いてから、一転晴れやかな笑顔になって言った。

「今日の訓練は休みとする。一日ゆっくりして鋭気を養うといい。解散」

 歓呼して仲間たちが散らばっていき、ふと気づくと燎は博武と向き合って立っていた。

「これから楽しくなるな」

 澄明な目をして微笑む彼に、燎もにやりと笑みを返す。

「そうですね」

 どちらからともなく森のほうへ歩き出しながら、ふと思い出したように博武が言った。

「後期訓練に入ったら、これまで使っていた中から騎乗したい(とり)を選ばせてもらえるらしいぞ」

「ほんとうですか。つまり、今後は各々の専用になると?」

「そういうことだろう」

 木陰の道に足を踏み入れた燎の頭に、いつも抜群の相性のよさを感じていた一羽の姿が浮かぶ。

「あれを」

「あれだな」

 つぶやいた声はほとんど重なっており、ふたりは驚いて顔を見合わせたあと、弾けるように笑い出した。

「飛びたいですね、今すぐ」燎は笑いすぎて痛む脇腹を押さえながら、目尻ににじんだ涙を指で払った。「今日このあと訓練がないのが残念だ。空を舞って、全身で風を切りたい気分です」

「いいぞ、飛ぼう」

 博武がいたずらっぽく言い、燎の腕を掴む。

「滝だ」

 彼の意図するところはすぐにわかった。

「よし」

 同時に地を蹴ったふたりは、林道を駆け抜けて川を飛び越え、そのまま一気に森が切れるところまで来た。すぐ先では勢いを増した川の水が、崖の(へり)から轟音を立てて流れ落ちている。

 燎と博武はちらっと視線を合わせると、滝の落ち口に向かって大きく跳躍し、一対の翼のように颯然と宙空を舞った。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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