六十三 立身国射手矢郷・真境名燎 大立ち回り
飛行訓練の最中に断りもなく敵国へ飛んだことで、石動博武は真栄城康資から叱責を受けた。その一方で真境名燎は、江蒲国で戦普請が行われているという報告をもたらした功績を賞賛された。
それは不公平だ、ふたり一緒にしたことなのだから、賞罰も双方等しく受けるべきだ。燎はそう主張したが、博武は特に不平を鳴らすこともなく平然としていた。
「江州へ行くと言ったのはおれで、軍道を見つけたのはおぬしだから、上の扱いは間違っていない」
彼はそう言っておとなしく自室で三日間謹慎したあと、何のわだかまりも残すことなく訓練に復帰した。罰を与えた康資も、この件はそれで決着したものと見なしているようだ。だが燎は自分が抜け駆けをしたように感じ、もやもやする気分をまだ抱えている。
これこそ不公平だ。彼らはもうけろりとしているのに、どうしてわたしだけ。
燎は切り替えの下手な自分を厭い、半ば八つ当たりめいた腹立ちを博武にも向けていた。彼はいつも泰然として、うまく立ち回る。それを痛快に思うこともあるが、妙にいらいらさせられもするのは否めなかった。
だから、あれ以来博武とは一度も組んでいない。訓練の際に新参同士で組むよう指示が出ると、燎は手近な誰か――親しくはないが、女がなぜここにいるのだという目つきでは見ない者たちのひとりを、すかさず捉まえるようにしていた。
彼らは一様に当惑の表情を浮かべはするものの、一緒にやろうという申し出をはねつけたりはしない。女と組むなど決まりが悪いと思っているが、そこそこ育ちのいい連中なので、すげなく断るほど不作法にはなれないのだ。
そして一度組んで飛べばしめたもので、こちらの技量が男たちにまったく劣らないことを理解する。すると、それを機に彼らの忌避感はかなり薄れるようだった。
周囲との距離は、少しずつではあるが着実に縮まっていると感じる。仲間は燎の存在にようやく慣れ、受容に傾く者も増えてきた。自分でも彼らとのかかわりを意識するようにして、最近は食事中の雑談などに混じってみることもある。
だが、彼女を嫌う者がいなくなったわけではない。
以前は徹底した無視という形で表していた拒絶を、行動や言葉で示す者が出始めている。彼らに共通するのは、訓練にうまくついていけず、やや後れを取っているということだ。仲間に引き離されて焦りを感じているので、女だてらに好成績を維持している燎が、なおさら目障りに映るのだろう。
陣屋の廊下で足を引っかける、手荷物をはたき落とすといった、子どもでもしないような嫌がらせをいろいろと仕掛けてくる。嫌な目つきでじろじろ見たり、すれ違いざまに暴言や卑猥な言葉を吐かれたりするのもしょっちゅうだ。
一度など、厩に入れている愛馬に泥水を浴びせられたこともある。朝になってそれを見つけた燎は怒り心頭に発し、下手人を見つけて叩きのめしてやろうと鼻息を荒くした。しかし、老従僕の利助が涙を浮かべながら馬を洗うのを見ているうちに心が静まり、闇雲に騒ぐのはやめることにした。
むきになって相手をしたら喜ばせるだけだ。浅薄な手合いのすることは、それこそ博武のように平然として受け流すに限る。
だが、さらに度を越した振る舞いに出るようなら、その時は目に物見せてやるつもりだった。
天隼――禽に乗るのは、馬に乗る以上に体力を使う。凄まじい風圧を受けながら鞍上で体の釣り合いを取るには、全身の筋肉を極限まで駆使しなければならないからだ。
燎は普段でも妊娠中の馬のようによく食べるが、砦に来てからはさらに食事の量が増えていた。それでも肥る気配はなく、むしろ体型が引き締まってきているのは、それだけ訓練で体を酷使しているということだろう。
昼間に長時間の飛行訓練をこなし、心身共にくたくたになったこの日、燎は息苦しいほどの蒸し暑さに耐えかねて深夜に宿舎を抜け出した。
空気のこもった室内よりはましだが、外もあまり涼しいとは言いがたい。薄物の単衣を一枚着ているだけなのに、首筋や胸元にはうっすら汗が浮き、逆上せたように頬が火照っている。
彼女は四棟から成る宿舎の周りをぶらぶら歩きながら、中天にかかる明るい月を見上げた。その白っぽい輝きですら、今夜はなんとなく暑苦しく感じられる。
副郭まで足を伸ばして練兵場を横切り、月の光を避けるように森へ入り込むと、少しだけ空気が涼やかになった。近くを小川が流れているせいだろう。
水音に耳を澄ませながら歩いていた燎は、木立の中で人声がするのに気づいて足を止めた。人数は三、四人だろうか。何をしているのか知らないが、ずいぶん盛り上がっているようだ。
好奇心をかき立てられ、足音を忍ばせながら近づいていくと、闇の中にいくつか小さな明かりが見えた。煙草でも吸っているのかもしれない。
やがて暗さに目が慣れ、周囲の物影が見分けられるようになった。木立の奥まったところに男が三人、短い紙巻きをくわえ、思い思いの格好で座ったり寝そべったりしている。
周囲に漂う特徴的なにおいで、彼らの楽しんでいるものが煙草ではないことがわかった。
妙な甘ったるさの混じった、枯葉を燻したようなにおい。月想蘭――高原にしか生育しないゲッソウランの根を乾燥させ、繊維状にしたものを燃やして煙を吸う刺激性の興奮剤だ。
眠気を覚まして気分を高揚させる効果があるため、昔はこれを一服してから出陣する武将も少なくなかったという。だが長く吸い続けていると精神に異常を来し、まともな思考や日常生活も困難になることがわかってからは、ごく一部の者だけがこっそり隠れて嗜む類いのものとなった。
燎は十三かそこいらの時に、城の厩番が吸っているところを見つけ、上役に告げ口しない条件で一服だけさせてもらったことがある。だが高揚するというよりは好戦的で刺々しい気分になり、効果が切れたあともしばらく口の中に嫌なしびれが残ったので、自分には合わないと見切りをつけていた。
しかし、すぐそこで楽しげに煙を吐き出している連中は、あれをかなり気に入っているらしい。砦で手に入るわけはないので、彼らのうちの誰かが荷物に忍ばせて持ってきたのだろう。
もう少しだけ近づくと、三人の顔がはっきり見えてきた。単衣を肩脱ぎにしている馬面は山折且行。色黒で大きな口髭を生やしているのは丹路久繁。細い目、細い眉のおちょぼ口は木賀沢京介。みな普段から、燎を白眼視している者たちだ。
かかわりにならないほうがいい。彼女はそう思い、音を立てないよう慎重に後ずさった。あと何歩か下がれば、闇に紛れることができる。あともう少し。
しかしそこで丹路久繁が顔を上げ、ぎらぎらした目をこちらに向けた。なぜ気づかれたのかわからないが、押し殺した息づかいか踵が草を踏むかすかな音でも聞きつけたのだろう。いま彼は興奮剤の影響で、すべての感覚が鋭くなっているのだ。
久繁は弾かれたように立ち上がると、猛然と突進してきた。燎に真正面から跳びかかって組み付き、もつれ合いながら下草の上を三回転する。立ち木にぶつかって回転が止まった時、上になっていたのは彼のほうだった。
燎は舌打ちし、男を振り落とそうと身をよじったが、相手はびくともしない。両膝で脇腹をきつく締めつけながら前屈みになり、嬉しそうに顔を覗き込んでくる。
「なんだ、真境名の娘じゃないか。おれと遊びたくて探しに来たのか?」
彼はそう言って、耳障りな笑い声を上げた。ほかのふたりもすでに傍に来ていて、一緒に笑いながら尻を搔いたり目をこすったりしている。
落ち着け、落ち着け。燎は自らに言い聞かせ、体から無駄な力を抜いた。それに気づいた久繁が、且行と京介を交互に見上げてへらへらする。
「こりゃ驚いた、抵抗しないとよ。おれの大太刀で楽しませて欲しいのさ」
「みんなで可愛がってやろうぜ」京介が細い目をさらに細め、舌なめずりをしそうな声で言った。「でも三人で代わるがわるぶち込んだら、明日は鞍にまたがれなくなっちまうかもな」
「そりゃ気の毒だ」
且行は裸の上半身に汗を光らせながら、すぐ近くに来てしゃがみ込んだ。手を伸ばし、燎の顎を軽く掴む。
「おれは、こっちを使うとしよう」
頬を指で押し込み、口を開けさせようとするのを無視して、彼女は久繁を横目に見た。彼は片手で燎の両手首をまとめて掴み、もう片方で後ろ手に着物の裾合わせをまさぐっている。そちらに気が行っているせいで、拘束する手の力は入ったり抜けたりを繰り返していた。
ぎゅっと締めつけ、ふっとゆるむ。締めつけ、ゆるむ。
次にゆるんだ時、燎は右手をするりと抜いて、久繁の股間をまっすぐに狙った。指を大きく開いて膨らみをがっちり掴み、絞るようにひねり上げる。
言葉にならない絶叫を迸らせて久繁が仰け反り、撃たれたように吹っ飛んで落ち葉の中に転がった。よほど痛かったのか、なおも悲鳴を上げながらのたうち回っている。仲間のふたりは、自分も同じ攻撃を受けたかのように青い顔で硬直したままだ。
燎は素早く立ち上がると、右手を顔の横でぶらぶらさせながら久繁を睥睨した。
「そんなお粗末な代物で、わたしを楽しませるだと?」
低い声で静かに言う。
「大太刀どころか、とんだなまくら小太刀だ」
苦痛に喘いでいる久繁は、嘲りの言葉にも反応しない。しかし仲間がひと足先に我に返り、怒りの雄叫びを上げた。
左に京介、右後方に且行。距離が近いのは後者だが、立っている京介のほうが動き出しが速い。
燎は体を回して彼と向き合い、片脚を前に振り上げるふりをした。金的蹴りを警戒する京介がとっさに腰を引き、やや前屈みになったところを狙って眉間に拳を叩き込む。
相手が思わず目をつぶった隙に距離を詰め、腹に一撃。さらに片手首を掴み、渾身の力でその体を振り回した。近づこうとしていた且行がぶつかりそうになり、あわてて数歩後ずさる。
掴んだ手首を引き寄せながら、彼女は京介の顎の下に腕を差し込み、片脚を払って仰向けに倒した。彼は攻撃にまったく対応できず、されるがままになっている。
折り重なるようにして一緒に倒れ込み、体重をかけてみぞおちに肘を落とすと、彼は「うっ」と呻いたまま動かなくなった。攻撃が効いたのか頭を打ったのか、完全に目を回している。
燎はそこでひと息ついて髪をなでつけ、ゆっくり立ち上がった。最後に残った且行は、一間ほど離れて茫然と立ちすくんでいる。
「おぬしも、わたしと遊びたいんだったな」
挑発するように言うと、彼の色黒な顔が陰ってどす黒くなった。
「この女、いい気になりやがって」
「わたしの口に何か入れたいそうだが、久繁よりはましな小太刀を持っているのか?」
且行は最後まで聞かず、憤然として飛びかかってきた。頭を振ってかわした打撃が頬骨をかすめ、そこにぴりっとした痛みを残していく。
当たると厄介なことになりそうな重い拳だ。
燎は足を小刻みに動かし、少し距離を取りながら戦い方を思案した。殴り合いになるのは、なるべく避けたい。
足元に一瞬視線を落とすと、草の中を這っている太い根が見えた。数歩うしろに立ち木があるようだ。
警戒しているふりをして少し下がると、且行は釣り込まれるように前進した。さらに下がると、また一歩出る。彼の顔に狡そうな笑みが浮かんだ。追い詰めていると思って、悦に入っているのがわかる。
もう一歩下がると、背中が木の幹に突き当たった。且行が笑みを広げ、逃げ場をなくした獲物に襲いかかってくる。
その瞬間を待っていた燎は、胸ぐらを掴んできた彼の左手首を握り、内側にひねり上げながら腋をくぐって背後へ回った。腿裏を蹴って膝をつかせ、腕を高く取ったまま肩を低く押さえつける。
痛みに耐えかね、且行は情けない泣き声をもらした。
「やめろ、肘が折れる!」
「気にするな。折れても鞍にはまたがれる」
燎は冷たく言い、彼の親指をしっかりと握って、関節の逆方向へじわじわ反らせ始めた。
「だが、ここは指で勘弁してやろう」
「よせ!」
彼女は容赦せず、手の中で鈍い音がするまで完全に指を折り曲げた。さらに二本、小指と薬指も手際よくぽきぽきと折ってしまう。
彼を開放して立ち上がった燎は、汗で首に張りついた髪を払い、あたりを見回した。
京介は完全にのびており、目を覚ます気配もない。睾丸を握りつぶしてやった久繁は、ふらふらしながらもどうにか立っていた。口の端に汚物がこびりついているのは、痛みのあまり吐いてしまったからだろう。且行は地面に膝をついたまま、わなわな震えながら傷めた手を見つめている。
燎は意識のあるふたりに向かって言った。
「まだやる気なら受けて立つが、もう仕舞いにしたいなら京介を拾ってさっさと行け」
且行が、きっと顔を上げて燎を見た。何か言いたそうに口を開けるが、言葉は出て来ない。月想蘭の効き目もとっくに消えて、からいばりする元気も残っていないようだ。
もう少し脅せば、あきらめて去るだろう。
「利き手の指も折られたいか」
「やめとけ」
うしろから予期せぬ声が響き、燎の全身が総毛立った。
迂闊だ。相手は三人だけだと思って、背後の警戒を怠った。痛恨の思いで唇を噛み、防御態勢を取りながら素早く振り返る。
そこに立っていたのは由解虎嗣だった。彼もまた燎を嫌っており、それを隠そうともしない者たちのひとりだ。しかし、且行らとつるんでいるところは見たことがない。
彼は太い眉を寄せ、気難しげな顔をしてぶっきらぼうに繰り返した。
「もう、やめとけ」
その時、且行が急に気力を取り戻して大声を上げた。
「おい虎嗣、その女とんでもないやつだ。おれらをいきなり襲いやがった。おれの手を見てくれよ。指を三本も折られたんだ」
哀れっぽい調子で言って、無惨に傷ついた手を掲げてみせる。
「京介は死んじまったかもしれん。さっきから、ぴくりとも動かないんだ。久繁は玉を握りつぶされた。仲間にこんなことするやつを、砦に置いとけると思うか? なあ、手を貸してくれ。おれたちで足腰立たなくなるほど叩きのめして、今夜のうちに放り出そうぜ」
燎は髪が逆立つほどの激しい怒りをおぼえ、きつく拳を握り締めた。もう我慢ならない。これだけされても懲りないなら、もっと痛い目に遭わせてやる。あとでどうなろうと、何を言われようとかまわない。
「たしかに、とんでもないやつだ」
虎嗣が且行に同意するのを聞いて、燎の胸の中で膨れ上がった怒りが冷たく凍りついた。女が嫌いだから、こいつらの肩を持つのか。わたしに対しては冷淡だが、高潔な男だと思っていたのに。
視界の端で、勝利を確信した且行がほくそ笑んでいる。しかし虎嗣が次に言った言葉で、彼の笑みは霧散した。
「だがおまえらは、そうされて当然だ」
「なんだと?」
手をかばいながら立ち上がった且行が、形相を変えて詰め寄っていく。
「どういう意味だ」
「おれは全部見てた。襲ったのはおまえらのほうで、そいつは反撃しただけだ。恥ずかしいと思わんのか、三人がかりで女ひとりに負けるなんて」
且行は言葉を失い、陸に揚げられた魚のように口をぱくぱくしている。虎嗣は彼のほうへ数歩進み、畳みかけるように言った。
「負けを認めて引き下がらないなら、次はおれが相手になるぞ。どうする、決めろ。今すぐだ」
さすがに反論の糸口が見つからないらしく、且行はがっくり肩を落とすと、何も言わずに踵を返した。気絶している京介の傍に行って担ぎ上げ、のろのろと林の中を歩き出す。そのあとを、頼りない足取りで久繁が追っていった。
陣屋へ戻って療師を起こし、手当てをしてもらえば全員ほどなく回復するはずだ。且行の指は、完治までにしばらくかかるだろうが。
三人の姿が闇に溶け込んでしまうと、燎はふうっと大きく息をついた。少し離れて立つ虎嗣が、横目にこちらを見ている。
「虎嗣どの、かたじけない」
礼を言うと、彼は渋面をつくって首を振った。
「別に、何もしとらん」
「味方をしてくれた」
「違う」頑固に言い張る。「見たとおりを言っただけだ」
「全部見ていた?」
「途中からな」
そこでようやく、彼の表情が少しゆるんだ。
「滝の落ち口でとんぼの練習をして、戻ろうとしていたら声が聞こえた。おれが見たのは、おまえが金的をやったあたりからだ。加勢しようかと思ったが、まったく出る幕がなかった」
「そうしてくれてもよかったのに」
「ああも強ければ、手助けなどいらんだろう。得物もなしに、大の男を易々と倒した」
「組み討ちは得意なんだ」
「まったく、とんでもないやつだ。おまえ、ほんとは金玉ついてるんじゃないのか」
「自分でも、ときどきそう思う」
意外にも、虎嗣はこの冗談を聞いてにやりとした。
「女が軍備に入るなど、けしからんと思っていたが、考えを改めねばならんな」
「不愉快に思う気持ちは理解できる。だが、わたしは真剣だ。隊士になりたい。おぬしと同じように」
虎嗣はまじまじと燎を見つめ、厳かな表情でうなずいた。
「それは疾うにわかっていたさ。いや、今ほどはわかっていなかったが」
そこで会話が途切れると、彼は小さく咳払いをして背を向けた。燎をその場に残して歩き出し、少し行ったところでふと振り返る。
「おまえ、こんな夜中に何をしていたんだ」
「あまりに暑いので、涼みに出てきたんだ。だが、あいつらのせいで余計汗まみれになってしまった。戻る前に、川に寄って水を浴びていく。おぬしも一緒にどうだ」
虎嗣はあんぐり口を開けた。茹でられたように、首筋にみるみる朱が上る。
「馬鹿、ふざけるな」
彼は眉を逆立て、さもばつが悪そうに言った。
「おれはもう二度と、おまえを女だなんて思わんぞ」
ぷりぷりして歩み去る彼を見送りながら、燎は必死に笑いを噛み殺していた。
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