五十八 王生国天山・石動元博 ときめき
半月前に慶城で行われた詮議以来、〈賞月邸〉にはちらほらと客が訪れるようになった。
久留馬家の若殿久留馬輝朗と、その弟久輝。
津雲家の当主、津雲長治。
妙泉家先代当主、妙泉公隆。
そのほかにも、天山の三の曲輪や四の曲輪に屋敷を構える有力武家が次々にやって来ている。すべて黒葛貴昌への表敬訪問だ。
あの厳しい局面で、彼は臆病さや卑屈さを微塵も見せることなく、大皇を相手に最後まで堂々と答弁しきった。その毅然とした姿や誠実さが、並み居る武将たちの心を打ったのだ。
南部衆と馴れ合っているように見られるのを警戒してか、大半の者は堅苦しく挨拶をして帰るだけだが、久留馬家の若い兄弟は黒葛禎貴も交えて半刻ほど話し込んでいった。津雲長治老も貴昌をよほど気に入ったらしく、後日の再会を約して帰っている。
今日もまた、白須家当主時貞とその妻が訪れることになっていた。
「白須家は、三廻部家が天山の主になる以前からの支族です」
居間で客を待ちながら、黒葛禎貴が貴昌に教えた。
「王生国南西部の尾首郷と樋下田郷を領しており、先祖代々富裕で知られる家柄とか。くれぐれも、高価すぎる進物はお受け取りにならぬよう」
「はい」
素直に答えつつも、少し不安そうな顔をした少年に、横から傅役の朴木直祐がそっと声をかける。
「若君、いただいてよいかどうか、わたしが合図してお教えしますからだいじょうぶです。お断りする場合、どうおっしゃるべきかはご存じですね?」
貴昌はうなずき、すらすらと言った。
「ご厚情のほどかたじけなく存じますが、お気持ちだけありがたくちょうだいいたします」
「けっこうです」
石動元博は黙って座り、感心しきりでやり取りを聞いていた。それが傅役の務めと言えばそうだが、直祐は本当によく貴昌を教導している。
そこからの連想で、ふと一来将明を思い浮かべた。
大皇の長女である三廻部亜矢の傅役で、いつも姫の傍についている。しかし直祐と違い、彼は亜矢姫の養育にあまり熱心そうには見えなかった。放任主義とでも言うのだろうか、少女がどれほど常識に外れたことをしても、ほとんど口を出さずに放置している。
いや――ふと記憶を辿って考え直した。
口を出さないというのは勘違いだ。そういう印象が強いが、毎回いちおう諫めはしている。
宿屋で元博を成敗すると息巻いた時。
貴昌を相手に剣術遊びをしたがった時。
彼はいつも、きちんと道理を説いて聞かせていた。だが姫が自分の言葉を聞き入れなくとも、それはそれでかまわないという態度を取るので、いかにもやる気がなさそうに映るのだ。
元博は以前から何となく、彼には亜矢姫への思い入れが薄いのではないかと感じていた。
そもそも、女子に傅役がついているというのもおかしな話だ。まだ男子がいないので、長子である彼女をとりあえず嫡子として扱っているということなのだろうか。
だとすると、いずれ大皇に男子が産まれたら将明はお役ご免になるか、そちらの傅役に任命され直すことになっているのかもしれない。もしそうなら、今の御役は腰かけ仕事のようなものだ。あまり身が入らないのも理解できなくはない。
でも、亜矢姫がちょっと気の毒だな。
元博の心に、ちらりと同情がきざした。
姫君には直祐のように、愛情を持って厳しく躾けてくれる人が必要だ。将明にやる気がないなら、御殿奥の乳母や侍女が代わりを務めればいいのに。
「白須時貞どのがお見えになりました」
訪問客の到着を告げる声に、物思いを断ち切られた。末席で急いで威儀を正す元博の前を、色鮮やかな着物が通り過ぎる。
時貞夫妻だけと聞いていたが、客は三人連れだった。夫妻のうしろに、若い娘がくっついている。
全員着座して型どおりの挨拶を交わしたあと、「ささやかなものですが……」と進呈された贈り物は、どれも貴昌が喜びそうなものばかりだった。
きれいな彩色が施された、大小さまざまな独楽。竜虎が描かれた一対の凧。榧材の脚付き碁盤。『西国物語』『蘭歌集』といった古典の写本。
直祐から受納の許可を得た貴昌は、顔を輝かせて時貞夫妻に謝辞を述べた。
「お喜びいただけて、ようございました」
四十代半ばでふくよかな体つきの白須時貞が、温厚そうな目をなごませて微笑んだ。
「妻とふたりして、あれこれ考えた甲斐があります」
「この碁盤はとても立派ですね。囲碁を習い始めたところですが、自分の碁盤は持っていなかったので嬉しいです」
「先日、真名さまとの午餐の席でそう伺いましたので」時貞の妻、志摩がにこやかに言う。「わたくしがお選びしました」
横に控えて会話を聞いていた元博は、その瞬間、思わず「あっ」と声を上げてしまった。
白須志摩とは一度会っている。大皇妃の名が出てきたことで、ようやくそれを思い出した。
天山へ来たばかりのころ、桔流邸内の庭を散策中の婦人たちと出くわしたことがあった。志摩はその時、真名に付き従っていた取り巻きのひとりだ。
「桜並木の……」
小さくつぶやいた元博に、志摩が眩しいほどの笑顔を向けた。
「はい。元博どのとお会いするのは、これが二度目。覚えていてくださいましたか」
「すぐに気づかず、失礼いたしました」
あわてて頭を下げる彼を、隣から由解宣親が訝しげに見つめた。
「奥方と顔見知りなのか?」
「若君が真名さまから猫をいただいた時、一緒にいらしていたのです」
その経緯はみな知っているので、なるほど、と得心のいった表情になる。
「ところで、お連れの娘御はどなたかな」
ふいに黒葛禎貴が訊いた。そういえば夫妻のうしろに控えたまま、その少女だけまだ名乗っていない。
「これはわたしの弟の娘で」答えたのは時貞だ。「美緒と申し、奥勤めをしております。真名さまから若君へのお届け物を託されたとのことなので、同行させました」
夫妻の姪が伏せていた顔を上げると、今度は貴昌が「あ」と声をもらした。ほぼ同時に、元博も再び同じ声を発している。
「お結び」
「朝顔の」
ふたりが口々に言うのを聞いて、真栄城忠資がぷっと吹き出した。
「またか元博。それに若君まで、いったいどうなさったのです」
「詮議の時、慶城でお呼び出しを待っているあいだに、お結びをこっそり届けてくれた女中がいた。美緒どのは、その人だと思う」
少し自信なさげな貴昌の言葉を聞いて、禎貴が「おお」と膝を打つ。
「たしかに、あの時のお女中だ。その節は、まことにかたじけのうござった」
丁寧に礼を述べられた美緒は恐縮の態で、深々と平伏した。
「まあ、それは聞いておりませんでした」志摩が心底驚いたように言う。「お結びですって?」
伯母に訊かれた少女は、消え入りそうに小さな声で答えた。
「はい。差し出がましいかとも思いましたが、控えの間でずいぶん長くお待ちになられておいででしたので……」
「あの差し入れのお陰で元気が出て、お取り調べを乗り切ることができた。あらためて礼を申す」
貴昌から直に声をかけられた美緒が、ますます恐れ入って身を縮める。
「過分なお言葉を賜り、光栄に存じます」
それから彼女は、脇に置いていた塗り箱を彼の前に呈した。
「こちらは、大皇妃陛下がお好みのお菓子です。どうぞお召し上がりください。また陛下から、〝近々、二の曲輪御殿での舟遊びにお誘いしますので、ぜひお運びください〟とのお言伝がございました」
「必ずや伺いますと、陛下にお伝えして欲しい」
「かしこまりました」
使いをすませた美緒は、ここで辞去して御殿へ戻ることになった。時貞夫婦はいま少し残って歓談するという。
黒葛禎貴から「美緒どのを、表門までお見送りするように」と命じられた元博は、〈賞月邸〉を出る前に朝顔模様の風呂敷を自室から取ってきた。
「お返ししたいと思っていました」
玄関で待っていた彼女は少し驚いた表情を見せ、ためらいながらそれを受け取った。
「大事に取っておいてくださったのですか」
「とてもきれいな風呂敷だったので」
正直な感想に、嬉しそうな笑顔が返ってくる。
「わたしも、この染め柄は大好きです」
「花丸紋は華やかでいいですね。見ているだけで気持ちが浮き立つように思えます」
勢いづいて言ったあと、元博はちょっと気恥ずかしくなって頭を搔いた。
「わたしはどうも、こういうことにいちいち目が行きがちで。男のくせに可笑しいですよね」
「いいえ、ちっとも」
ふたりは連れ立って玄関を出ると、庭園内の小道を歩いて表門へ向かった。
「わたしからも、あらためてお礼を言わせてください」元博は彼女に歩調を合わせて、竹林の中をゆっくり進みながら言った。「あの時は、本当にありがとうございました」
「お役に立ててよかったです」
うっすら頬を染めて、美緒がうつむく。かなり内向的な性格のようだ。
「どうして、見ず知らずのわたしたちに、親切にしてくださったのですか」
「あの……黒葛の若さまのことは、大皇妃陛下からたびたび伺っておりました。陛下は貴昌君にとても好意を持っておられて、よくお噂されるのですよ。それに伯母も、元博さまのことを」
「えっ、わたしですか?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。ぱっと口を押さえた元博を横目に見て、美緒が小さく微笑む。
「年若いにもかかわらず、慇懃で隙のないお振る舞いをなさる。それでいて物言いやわらかく、明朗で親しみのわくお人がらだと」
「まいったなあ、志摩どのは褒めすぎですよ」
「でも伯母の言うことは、ほんとうだと思います。わたし……いつも殿方の近くにいると口もきけないほど緊張してしまうのですが、元博さまのお傍では、なぜだか気持ちがほぐれるように感じますから」
今度は元博が赤くなる番だった。女性にこんなことを言われたのは初めてだ。
なんとなく気詰まりになり、少し沈黙したあと、彼は話題を変えることにした。
「奥勤めは、いろいろと気苦労も多くて大変でしょうね。お休みはあるのですか」
「わたしは十一の時より三年お仕えしておりますので、今年から年に八日ほどお休みがいただけることになりました」
ということは十四歳、ひとつ年上か――元博は心の中でぼんやり思った。
「年に八日とは、ずいぶん少ないんですね。それ以外は、ずっと奥御殿に?」
「はい、ほとんどは。でも中奥や表に出て行くことはよくありますし、月に一度ぐらいは何かしらのご用を言いつかって外出もしています」
また会えるかな。ちらりとそんな考えが頭に浮かんだ。しかし、正面切って訊くのはさすがに気が引ける。
話の接ぎ穂を探しているうちに、もう表門が見えてきた。門扉脇の番所で番士と喋っていた中年の男が、さっと立ち上がって美緒を迎える。彼女の伴連れのようだ。
「では、ここで」
少し名残惜しく思いながら告げた彼を、美緒が初めてまっすぐに見た。
二重まぶたの大きな目。眉はくっきりと濃く、控え目な物腰とは裏腹に意志が強そうだ。細かい産毛の生えた水蜜桃のような頬に、髪がさらさらと触れている。
「ご家来衆にも、舟遊びのお誘いがあると思います」
彼女は静かに言って唇をほころばせ、はにかむように睫毛を伏せた。
「きっとその時に、またお会いできますね」
一瞬、心を読まれたかと思った。鼓動が少し速くなった気がする。
「楽しみにしています」
もっといろいろ、気の利いた返答はあるに違いない。だが今の元博には、それだけ言うのがやっとだった。
その夜は、天山には珍しいほど蒸し暑くなった。風はそよとも吹かず、湿り気を帯びた空気が重く淀んでいる。
元博は夜着をはねのけ、もう半刻近くも寝床の中で輾転反側していた。
眠れないのは暑さのせいだけではない。目を閉じると、雑多な思考がとめどもなくわいてきて心を騒がせるのだ。その中にちらちらと、昼間会った白須美緒の面影が紛れ込む。
桃色をした彼女の頬。思わず触れてみたくなるような艶のある黒髪。恥ずかしそうな表情。ぱっちりしたふたつの目……。
彼は勢いよく跳ね起き、乱暴に頭を振ってため息をついた。
なんなんだ。ちょっと女の子にいい顔をされたからって、馬鹿みたいに逆上せ上がって。
心の中で自分を罵り、いらいらと立ち上がる。
寝衣の背中が、汗で湿って気持ち悪かった。夜気を招き入れれば、少しは室内を居心地よくできるだろうか。
障子戸を開けに行きかけた時、蛙の声に混じってフクロウの鳴き声が聞こえてきた。桔流邸の庭にはたくさんの野鳥がいるが、フクロウの姿はまだ見かけたことがない。
元博は濡れ縁に出て草履をつっかけると、裏木戸を抜けて苑路を歩いていった。
今夜は月に叢雲がかかっており、園内の風景は紺色の闇に包まれている。しかし目が慣れてくると、岩組みや水路の形を見分けることができるようになった。
蒸し暑さは同じだが、やはり屋外のほうが室内よりはずっと過ごしやすい。
涼を求めて水際を歩いていると、またフクロウの声が聞こえた。奥庭の雑木林に来ているようだ。
低くやわらかい鳴き声を追って木立に分け入った彼は、小道の先に思いがけない人物を見つけた。
随員仲間の柳浦重晴だ。
こんな時刻にこんな場所へ?
訝しみながら、元博はさっと木の陰に隠れた。身を低くして、足音を立てないよう慎重に近寄っていく。
重晴は肩に一羽のフクロウを乗せていた。ずいぶん馴れているらしく、おとなしく体を触らせている。
その時、鳥が急にこちらを見た。警戒を促すようにひと声鳴き、翼を広げて舞い上がる。
はっと思った時には、疾風のように走り寄った重晴に襟首をがっちり掴まれていた。
「元博……?」
すぐに気づいたようだが、押さえつける手は緩まない。
「何をしている」戸惑いが混じっているものの、厳しい声だ。
重晴は大柄で力も強いが、決して無闇に暴力を振るうような男ではない。それをわかっていてもなお、あまりの迫力に身がすくむのを感じた。
「ね、眠れなくて」喘ぐように息を継ぎ、必死に説明する。「散歩をしていたんです」
のしかかるようにして聞いていた重晴の表情が、少しやわらいだ。同時に、襟を絞り上げていた手が離れていく。
圧力から解放された元博は、ふうっと大きく息をついた。まだ首筋に冷や汗が浮いている。
「お邪魔をして、すみませんでした」
謝罪すると、重晴は急に笑顔になって、元博の腕を優しく叩いた。
「こっちこそ怖がらせてすまん。人に見られたと思って、ちょっと焦った」
彼は穏やかに言って、左腕を高く差し上げた。
「玉輪」
押し殺した呼び声に反応して、すぐにフクロウが戻って来た。木の梢にとまって、様子を窺っていたのだろう。
鳥は重晴の腕に舞い降りてから、左の肩に登ってそこに落ち着いた。大きな丸い眼が闇の中できらりと光る。
重晴はフクロウの胸をなでると、その脚に縛りつけられていた細い紐のようなものを解き、代わりに別の紐を結びつけた。
「重晴どの、それは……」
「通信文だ」
細かく折り畳まれていたそれを、手早く広げてみせる。手のひらほどの大きさの紙に、細かい字でびっしり何か書かれていた。
「見られたのがおまえでよかった。桔流家の人間なら殺すしかないし、ほかの随員でも厄介な成り行きになっていたのは間違いない」
殺すという言葉を、彼があまりにもあっさり言ったので、元博は一瞬聞き間違えたかと思った。だがたしかに彼はそう言ったし、ふざけているわけでもなさそうだ。
「わたしは……生かしておいてもらえるのですか」
おそるおそる訊くと、重晴はちょっと驚いた顔をして苦笑をもらした。
「当然だろう。さっきも言ったが、見られたのがおまえだったのは不幸中の幸いだ」
「なぜです」安心すると同時に、むくむくと疑問がわきあがってきた。「なぜ、わたしならいいのですか。重晴どのはいったい、何をなさっているんです」
重晴はふいに元博の腕を掴むと、木立のさらに奥まったところまで引っ張っていった。かすかな抵抗にも、肩の上で羽ばたくフクロウにもお構いなしだ。
やがて足を止めると、彼は元博と向かい合って立ち、真剣な目つきで言った。
「他言無用」
即座に答える。「わかっています」
「おまえは以前、丈州の生明城で寛貴公に仕えていたから、おれの長兄を知っているな」
「家老の――柳浦重里さまですね。もちろんです」
「では、兄の裏の役目も承知しているだろう」
「役目?」
そこで、はたと思い当たった。と同時に、謎がすべて氷解していく。
「間諜……」
つぶやくように言った元博に、重晴がにやりと笑いかけた。
「そういうことだ」
彼の兄の柳浦重里は生明城の家老職を勤める傍ら、黒葛家に仕える忍びの一族を束ねて、国内外で諜報活動を行わせている。元博は寛貴の小姓だったころに、忍びの長である空閑宗兵衛を城内で二度見かけたことがあった。
「おれは兄に命じられて、天山に来た日からずっとここの情報を集めているんだ。そして七日に一度、下の曲輪にいる空閑忍びと連絡を取り合っている」
「空閑の者は、この曲輪にはいないのですか?」
「入り込めるのは、せいぜい五の曲輪までだ。四の曲輪以上は屋敷町で警備が厳重だし、曲輪門での取り調べもことのほか厳しいからな。まあ、いろいろ事前に手配をすれば入れなくはないが、ずっと留まることはできない」
「それで重晴どのが諜報を……」
「真似ごと程度だがな」
「でも、なぜそれを仲間に知られてはいけないんですか? わたしならよくて、ほかの人は駄目だというのも解せません」
重晴は元博の目をじっと見つめていたが、やがて小さくため息をつき、重苦しい口調で言った。
「おれは天山のことを探ると同時に、一緒に来た随員の監視もしている」
元博は驚きのあまり、大きく目を見開いた。
「仲間に……疑いを?」
「疑っているんじゃなく、用心しているんだよ。若君をお守りするためにな」
「真栄城忠資どのも?」どうしても訊かずにはいられない。「おふたりは親友同士なのに、信用しておられないんですか」
「あいつのことは信じているさ。それでも、用心するに越したことはないだろう」
にわかには呑み込めない話だ。貴昌君の随員となり、さまざまなことを共に乗り越えてきた七人は、決して変わることのない固い絆で結ばれていると思っていた。
「では――なぜ、わたしは例外なのでしょう」
茫然と訊いた元博に、重晴が肩をすくめてみせる。
「例外はふたりいる。おまえと、黒葛禎貴さまだ。共通するのはなんだと思う」
元博は眉間に皺を寄せて考え込んだ。共通点だって? そんなものがあるだろうか。
からかわれているのかと思い始めたころ、ようやくそれが頭に浮かんだ。
「――寛貴さま」
「そうだ」重晴が力強くうなずく。「おまえと禎貴さまだけが、寛貴公に推挙されて随員になった。誰か、あるいはどこかの家の思惑で送り込まれたわけじゃないことが、最初からはっきりわかっている。だから、おまえには知られてもいいと思ったんだ。禎貴さまにも、いずれは打ち明けるかもしれない」
でも、ほかのみんなには言わない。黙ってひそかに、今後も見張り続ける。そういうことだ。
元博はにわかにやるせない気持ちになり、悄然と肩を落とした。
見るんじゃなかった。聞くんじゃなかった。
後悔の念がぐるぐると頭の中を駆けめぐる。そんな彼の顔を、重晴が間近から覗き込んだ。
「なあ元博、納得のいかない気持ちはわかる。おれがこれを楽しんでると思うか? 胸くその悪い役目だよ。だが、必ず誰かがしなければならない仕事でもあるんだ。ご宗家の嫡子をお守りして、何ごともなく故国へお帰りいただくためにな。何より大事なのはそれだろう」
元博は顔を上げ、彼の目を見た。強い信念と苦悩が、その中でせめぎ合っている。
「おっしゃるとおりです」すっきりしたわけではないが、彼の言うことは理解できたし、筋が通っているのも否定できない。「すべて若君とお家のためですよね」
「おれは、そう思っている」
「だったら、わたしは支持します」
重晴がほっとした表情になった。きっと彼にはこのことで、自分が想像する以上に大きな重圧がかかっているのだろう。
「もう一度言うが、他言無用に願う」
「絶対に言いません」
「それと今後、できたら少し手伝ってくれるとありがたい」
元博の胸の中に、ひやりと冷たい感触がさした。手伝うって何を? 仲間の監視を? そんなのはまっぴらだ。
でも――と思う。一時、玉県吉綱に疑いを抱き、彼の行動に目を光らせていたことがあった。あれは監視ではなかったと言い切れるだろうか。
しかし幸い、重晴が要求しているのはそれではなかった。
「天山で出会う人や物事の中に、何か気にかかるものがあったら教えて欲しいんだ。ちょっとしたこと、つまらないと思うようなことでもいい。つなぎ役に知らせるべきかどうかは、おれが判断する」
「わかりました。何か気づいたらお知らせします」
「助かる。おれの相棒を紹介しよう」
彼は微笑み、フクロウを腕に乗せて元博に近づけた。
「たしか、玉輪と呼んでいましたね」
「玉輪というのは月のことだ。こいつの丸い眼は、まるで満月みたいだろう」
フクロウは元博をじっと見つめ、小首を傾げて低く鳴いた。恐ろしげな嘴や爪を見ると触る気にはなれないが、茶色の羽根はやわらかそうだし、姿形はとても可愛らしい。
「餌をやってみるか。さっき草むらで捕まえたんだ」
重晴が袂から何か取り出し、元博に手渡した。よく見ると、生きている大きなコオロギだ。
指まで食われそうで怖いが、せっかくなので挑戦してみることにした。できるだけ餌の端のほうをつまみ、こわごわ差し出してみる。
フクロウはさっと片脚を伸ばし、器用に掴み取って口へ運ぶと、あっという間に呑み込んだ。
「さあ、これでこいつは、もうおまえのことを覚えたぞ」
楽しそうに笑って、重晴は腕を大きく振った。ぱっと飛び立ったフクロウがふたりの頭上を旋回し、木々の梢をすり抜けて去っていく。
それを見送ってから、彼は元博のほうを向いて、ふいに訊いた。
「眠れなかったと言っていたが、どうしたんだ?」
「別に、どうもしません」
無難に答えたが、重晴は納得していない表情だ。
「そういえば夕めしの時にも、なにやら上の空だったな。いや、白須夫妻の訪問のあと、今日はずっとそんな感じだ」
彼はつぶやくように言い、勝手に結論を出してにやりとした。
「ははあ、わかったぞ。あの美緒って娘が気になってるんだろう」
まいった。そんなに見えみえなんだろうか。
元博は努めて真顔を保ったが、頬がかっと熱くなるのを感じた。これだけ暗ければ、少々赤くなっても相手には見えないはずだが、炭火さながらの放熱で気づかれてしまいそうだ。
「気になんかしていませんよ」
平然と答えて憶測を封じたつもりだが、重晴には通用しなかった。
「馬鹿だな、気にしろ。同じ年ごろだし、家格の釣り合いもいいし、なかなかかわいい娘だったじゃないか」
諭すように言われ、頭の中が真っ白になる。
「でもわたしは女の子になんか、かまけていい立場では……」
「何を言ってるんだ」
重晴はふいに表情を引き締めると、彼の肩を強く掴んだ。
「いいか、人質奉公に来ているからって、そういうことをあきらめる必要はない。友人を作ってもいいし、心惹かれる相手に出会ったら、好きになったってかまわないんだぞ」
思いがけない言葉に、はっと胸を衝かれた。
「そうなんですか」
「たしかにおれたちは重要な役目を担っていて、それは何よりも優先されなければならない。だが、ここで過ごす日々だって人生のうちなんだ」
彼は手を離し、いたわるような眼差しで元博を見つめた。
「そのことを、決して忘れるなよ」
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