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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第四章 別れゆく夏
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四十四 王生国天山・石動元博 密会

 石動(いするぎ)元博(もとひろ)は〈賞月(しょうげつ)邸〉の玄関前で出迎えに立ちながら、北部の名門志鷹(したか)家の新当主となった志鷹頼英(よりひで)を興味津々で観察していた。

 すらりと背の高い色白の美青年で、顔のつくりが完璧に左右対称だ。眉はほとんど女性的とも言えるほど細い。髭の薄い(たち)らしく、肌は陶磁器のようにすべすべとして見えた。

 物腰はゆったりとして、二十一歳という若さに似合わぬ落ち着きがある。少なくともその佇まいからは、これから天勝(ちよし)国を率いていくことへの気負いは微塵も感じられない。  

 頼英が供回り六人を伴って邸内へ入ると、元博は由解(ゆげ)宣親(のりちか)ともどもその場に残ってひと息ついた。〈賞月邸〉の中は狭く、黒葛(つづら)貴昌(たかまさ)の居間と広間を合わせても十二畳ほどにしかならないため、両家の面々がすべて居並ぶにはいささか窮屈だ。そこでふたりは対面のあいだ外で控えているようにと、あらかじめ黒葛禎貴(さだたか)から命じられていた。

 中でどんなやり取りが交わされるのか、気にならないと言えば嘘になるが、堅苦しい席にいなくてすんで助かったとも思っている。

「志鷹家は、天山(てんざん)の外の守りを担う一族と聞きました」

 玄関前に立って暖かな日差しを浴びながら、元博は宣親に小声で話しかけた。

「やはり、ものすごく強いのでしょうね?」

「強いかどうかは知らんが、(そなえ)の規模はでかい」

 昨日からの騒ぎで寝不足の宣親が、欠伸(あくび)を噛み殺しながら答える。

「分家の華表(とりい)志鷹家と合わせて、本陣備(ほんじんぞなえ)の兵数は十万とも十二万とも言われているな。一門でそれだけの軍力を有しているのは、聳城国(たかしろのくに)広しといえども志鷹家と黒葛家だけだ」

「十二万か……すごいなあ」思わず感嘆がもれた。「頼英公はあの若さで、その総大将を務めることになるんですね」

「あんな二枚目(づら)の若造に務まるのかね」

 口の悪い宣親がずけずけと言う。元博はつい吹き出しそうになり、あわてて口を手で覆った。

「宣親どのも、同年代じゃないですか」

 それに彼も、頼英に負けないくらい美男子だ。宣親のほうがやや荒削りで男っぽいが、ふたりとも人が振り向くような容貌であることは共通している。

「年はともかく、ああ生っ(ちろ)いんじゃ、甲冑をつけても(さま)にならんだろう」

「でも長身でいらっしゃるから、ちょっと古風な大袖や、長めの佩楯(はいだて)などが映えそうではありますね」

「それを全部つけたら、たちまちよろめきそうな柳腰だ」

 ふんと鼻を鳴らし、再び宣親が欠伸をもらした。見ていると、こちらまでうっかりつられそうになる。

「だいぶ眠そうですね」

「そりゃ眠いよ、ほんの一刻半ほどしか寝てないんだから。おまえだってそうだろう」

 (いわい)城での詮議を終えて、元博らが桔流(きりゅう)家屋敷へ戻ってきたのは、もう夜が白々と明けるころだった。夜っぴて帰りを待っていた宣親たちと相談の上、(ひる)までのあいだに交替で少しずつ仮眠を取ったものの、全員寝が足りていないのは明らかだ。宣親の機嫌がいつになく悪いのは、おそらくそのせいもあるだろう。

宿直(とのい)は当番制だからいいが、夕べのように突発的な徹夜はけっこう(こた)える。それに、若君のことが心配でずっと気を張っていたから、神経がくたびれているんだ」

「わたしも慶城では緊張しっぱなしだったので、なんだか今日は体の節々が軋んでいる気がします」

 ふたりで苦笑いし合ったところに、桔流和智(かずとも)の三男智克(ともかつ)がやってきた。彼は元博よりもひとつ年上の十四歳で、厳格な父親にはあまり似ておらず、性格はかなり楽天的だ。

 よく見ると彼のうしろに、三女で末っ子の香那(かな)もくっついていた。十歳という年齢よりもやや幼さを感じさせるおっとりした姫君で、最近は貴昌のいい遊び相手になっている。

「札遊びか絵双六(すごろく)でもしないかと思って誘いにきたんだ。貴昌は?」

 智克は朗らかに声をかけ、辺りを見回した。元博がいれば、必ずその近くに貴昌もいると思っているのだ。

「若君は中です。志鷹家のご当主がみえられて、お話をなさっているところなんですよ」

 元博の説明を聞いて、彼はなーんだと言いたげな顔をした。

「お客人がまだいらしたのか。さっき、主屋でわたしもご挨拶したよ。でも、もう帰られたものと思っていた」

「たぶん、こちらもすぐに終わると思いますが」

「じゃあ待とう」

 智克はそう言って、玄関脇の濡れ縁に腰かけた。香那のほうは、もじもじしながら宣親に近づいていって手を握り、菖蒲(あやめ)が群れ咲いている池のほとりへと引っ張って行く。楽しげな少女の様子を見て、呑気者の兄がほのぼのと笑った。

「小さくても女だから、やっぱり男前が好きなんだな」

「頼英公に会われたら、どんなお顔をなさるでしょうね」

「どうだろう。怖がるかもしれない。あのかたは眉目秀麗だが、ちょっと冷たそうに見えるから」悪気も何もない様子で、智克はさらりと言った。「昔ここにいらしたころから、そうだったと聞いた気がする。あのかたと兄君も貴昌と同じで、子供のころに人質奉公をされていたんだ。知っているか?」

「はい。椹木(さわらぎ)彰久(あきひさ)どのからお聞きしました」

「彰久はたしか、ちょうどご兄弟が〈賞月邸〉に住まわれていた時期に、天山へ上がったんじゃなかったかな。たぶん八歳ぐらいの時だよ。わたしは当時まだ小さかったから、兄たちと本領の城にいたけど」

 元博はふと、前々からの謎を解き明かす、絶好の機会が訪れたことに気づいた。気さくな智克は、訊ねればたいていどんなことにでも答えてくれる。

「あのう、つかぬことをお伺いしてもよろしいですか?」

 智克は好奇心をそそられたように目を輝かせ、身振りで先を促した。

「彰久どのには、こちらへ来てからずっとお世話になっているのですが、あのかたが桔流家の中でどういう立場にいらっしゃるのか、未だにわからずにいるのです」

 すると智克はにんまりしてうなずいた。

「士分のようでもあり、中間(ちゅうげん)や小者のようでもあり?」

「そうです」

「彰久はいちおう士分だ。泉妻(いずのめ)国の片田舎に小さな領地を持っているらしい。両親を早くに亡くして、幼いころに相続したんだ。でも、まだ五歳かそこらだったから、父が城に上げてわたしの姉や兄たちと一緒に養育した。というのも、彼の母親がわたしの母の遠い――ほとんどつながりはないほど遠い縁者だったからだ」

「では、ご一門さまというわけではないのですね」

「まさか」智克は肩をゆすり、屈託なく笑った。「立場としては、あくまで家来のひとりだよ。ただ、〈賞月邸〉の管理を任されたりと、仕事の幅や権限はかなり広い。それに彼は、本来なら小者がやるようなことも平気でするだろう?」

 まさにそれが、元博が彼の立ち位置を理解しきれずにいた理由だった。

「はい。馬取りをなさったり、他家への使いにご自身で走られたり」

「父の機嫌を取るためなら、彰久はどんなことでもするんだ。そういうところが、いささか品性に欠けるというので、周りからはあまりいい目で見られていない」

 最後はちょっと声を落として言い、彼は唇に指を一本当てて、いたずらっぽく微笑んだ。

「今の話は、ほかの者には内緒だぞ」

「心得ております」

 軽く頭を下げながら、元博は彰久の言葉を思い出していた。自分は出世を望む性質(たち)だ、と言っていたのを覚えている。その貪欲さゆえに仕事熱心だが、同僚からは意地汚いやつだと思われてしまうのだろう。

 そうまでして成り上がろうとする動機が何なのか、元博には想像もできなかった。唯一察せられるのは、桔流家で育ったことが影響していそうだ、ということぐらいだ。和智公が天山で権勢を振るう姿や、子供時代を共に過ごした真名(まな)姫が大皇(たいこう)妃となって栄華を極めるさまを()の当たりにしてきたことで、彼自身もより高みを目指したくなったのかもしれない。

「お、すんだかな」

 智克のつぶやきで我に返ると、ちょうど玄関から真栄城(まえしろ)忠資(ただすけ)が顔を覗かせたところだった。

「お帰りだ」

 元博はうなずき、智克に「失礼します」と会釈して玄関前へ戻った。宣親と共に敷石の脇へ立ち、素早く見送りの態勢を取る。

 ややあって、志鷹頼英が現れた。退屈しきった猫のように物憂げな表情を浮かべている。中でどんな話をしたのかは知らないが、少しも楽しまなかったのは間違いなさそうだ。

 彼は元博らに一瞥すら与えることなく、まっすぐ前を向いたまま歩いていき、やがて主屋へ向かう小道の向こうに消えた。もう一度桔流和智と顔を合わせ、そのあと辞去するのだろう。

 志鷹家の人々が見えなくなると、智克が腰を上げてぶらぶら近づいてきた。玄関を覗き、土間で見送りをした忠資に声をかける。

「貴昌は遊ぶ元気があるかな?」

「これは智克さま。さ、どうぞ中へ。若君は奥の間におられます」

「勝手に行くから案内はいい」智克はのんびり言って、妹を呼んだ。「香那、おいで」

 ふたりが邸内に入ると、入れ替わりに忠資が外へ出てきた。

「おふたりが来てくださってよかった。若君もお気が晴れるだろう」

 日ごろ鷹揚な彼には珍しく、苦々しい口調でつぶやく。元博は忠資がこんな調子でものを言うのを聞いたことがなかったので、驚いて思わずまじまじと見つめてしまった。

「頼英公とのご対面で、何かあったのですか?」

「あったも何も」

 元博と宣親は彼から、邸内での顔合わせの様子をざっと聞かされた。

 そもそも挨拶をしたいと申し入れてきたのは志鷹家のほうだが、対面に臨んだ頼英はいかにも気乗りしなさそうな雰囲気だったという。型どおりの挨拶をしたあとは、無表情に口をつぐんで何も言おうとしない。貴昌や禎貴の問いかけには答えるものの、ぽつりぽつりと素っ気ない返しをするだけだ。

 彼の態度に忠資は苛立ちをおぼえたが、それが怒りに変わったのは、頼英が残酷な物言いをして貴昌を狼狽させたからだった。

「そんなにもつまらないなら、すぐにでも引き揚げてくれればいいのにと内心思った時、急に若君をまっすぐに見据えて、こう訊ねられたんだ。〝ご兄弟はおありか〟と」

 貴昌はようやく興味らしきものを示されたことに安堵した様子で、亡くなった兄のことを伝え、一度も兄弟共に過ごせなかったことを残念に思っていると話した。すると頼英はあの美しい顔に冷笑を浮かべ、「労せずして総領の座を手に入れたとは、実にうらやましい」と返したという。

「なんだそりゃ」宣親が憤然として吐き捨てる。「そんな言いぐさがあるものか」

「いやまったく」

 忠資は眉をしかめて首を振り、重いため息をついた。

重晴(しげはる)が隣で鬼の形相をしていたが、わたしも思わず頭に血が上ったよ」

「でもなぜ、頼英公はそんなことをおっしゃったのでしょう?」

 当惑しながら訊いた元博を、彼は意味深な面持ちで手招いた。ついでに宣親も肩を掴んで引き寄せ、三人で顔を突き合わせる。

「どうやら彼は、つい最近謀反を起こして、兄の朋房(ともふさ)公から志鷹家当主の座を奪い取ったらしい」

 元博はぎょっと目を見開いて、忠資の顔を凝視した。

「そんなお話を……頼英公が、若君になさったのですか?」

「いや、さすがにそれは話さなかった。これはわたしが夕べ、若君が城から戻られるのを待っているあいだに、彰久どのから聞いたことなんだ。普段から方々に顔を突っ込んでいるだけあって、彼は事情通だよ」

 謀反には暗殺がつきものだが、頼英公は自分の兄を殺したのだろうか。元博が抱いた疑問を、そのまま宣親が口にした。

「それで、朋房公は謀殺されたのか?」

「いや、そこははっきりしない。彰久どのは亡くなったものと見ているが、領民のあいだには城の地下に幽閉されているという噂が流れているそうだ」

 忠資はちょっと間を置いて、不愉快そうに口をゆがめた。

「ただ、朋房公に味方した者たちが、かなりの数、粛清されたのはたしからしい」

 ぞっとする話だ。春の日差しの中にいながら、元博は骨のあいだを冷たい隙間風が通り抜けていくように思えた。

 下剋上は世の常とも言えるが、自らの親族や(あるじ)に刃を向け、その権力を力ずくで奪い取る行為には嫌悪の情を感じずにいられない。臣民を苦しめる暗君ならばまだしも、天州(てんしゅう)の国主について、そんな悪い評判は聞いたことがなかった。ということは頼英は単に自らの欲望に任せて、実の兄に牙を剥いたのだろう。

「他国の事情はさておき……」元博は眉間に皺を寄せながら、つぶやくように言った。「亡き兄君を慕う貴昌(ぎみ)に対して、なにもそんな、あてこすりめいた物言いをなさらずともよさそうなものですが」

「まったくだ」

 宣親が鼻を鳴らし、憎々しげに主屋のほうを見た。

「ここが南部なら、生きては帰れぬところだぞ」

 忠資がふふ、と小さく笑う。

「南部でなくとも、この離れ家がわたしの屋敷だったら、あの場で鼻っ面に拳のひとつも叩き込んでやったのにな」

 あまりにもあっさりと言うので、逆にその言葉は真実味を帯びて聞こえた。柔和な顔に浮かんだ笑みも、かえってもの恐ろしい。

 この人は怒らせたくないな――元博は心中ひそかに思い、わずかに首をすくめた。

「それで、若君はだいじょうぶですか?」

「少し消沈しておられたが、智克さまや香那さまと遊べばお気が紛れるだろう。さて、わたしは若君のおそばに戻るよ。元博は夕飯まで休んでいていいと、禎貴さまがおっしゃっていたぞ」

「えっ、ほんとうですか」

 思わず笑顔になった元博を、宣親がうらやましそうに見た。

「部屋で寝るんだろう?」

「いえ、ちょっと祭堂(さいどう)に行ってこようと思います」

「若いくせに、辛気くさいやつだなあ」

 あきれたように言う宣親を、玄関に入りかけていた忠資が肩ごしに振り返った。

「おぬしは足軽を何人か呼んで、裏の壊れた柴垣を修理させてくれ。あのまま放っておくと体裁が悪いし、若君がご覧になると、昨日のことを思い出してお気に病まれるからな」

 彼が中に引っ込むと、宣親はやれやれというように肩をすくめた。

「眠気覚ましに、いっちょう修繕仕事をやっつけるとするか」

 俗っぽい口調で元博を笑わせてから、彼は足軽長屋のほうへ歩いて行った。


 ゆらゆらと揺れる蝋燭の()明かりを顔に受け、燃える香から立ちのぼる香気に包まれながら、元博(もとひろ)は祭壇の前に長いあいだ(ぬか)ずいていた。目を半眼にして神像の足元を見るともなく見つめ、ゆっくりと祈り(だま)()っていく。

 口の中で「奉神礼謝、(びゃく)(ごう)悪……」と祝文(しゅくもん)を唱えながら、ひんやりした黒瑪瑙(めのう)の珠を指の腹でひと粒ずつ繰るごとに、心のこわばりが(ほど)けていくように思えた。

 祭堂は元博にとって、静かに自分自身と向き合える数少ない場所のひとつだ。天門神教(てんもんしんきょう)の信徒ではなくとも、祈りたい気持ちさえあればいつでも受け入れてくれるのがありがたかった。いっそ、〈(かど)迎えの儀〉を受けて信徒になってしまおうかと思うこともあるが、それには信心がまるで足りていない気がする。

 軽々しく決断をする前に、信仰を持つことについて五葉(ごよう)祭宜(さいぎ)と話をしたかった。彼は伝道の祭宜だから、やはり入信をすすめるだろうか。でも案外、必ずしも信徒になる必要はない、などとあっさり言いそうでもある。

 五葉のことを思い出すと、胸に温かな灯がともったように感じられた。天山の麓で別れてから、もうひと月になる。今ごろ、どこの空の下を歩いているのだろう。

 荷箱を背負った黒い法衣姿を思い浮かべ、小さく微笑んだ拍子に、膝頭がきりりと痛んだ。ずっと床につけたまま動かさなかったので関節が強張(こわば)り、袴の布地が皮膚にぴったりと貼りついてしまっている。それを剥がしながら立ち上がると、彼は杉の大柱のあいだを縫って歩いていき、小祭宜ふたりと話している九重(ここのえ)堂司(どうし)に近づいた。

「堂司」

 折を見て呼びかけると、彼は小祭宜に何か指示を出してから、こちらを見て柔和な笑みを浮かべた。

「元博さま」

「お忙しそうですね」

「もうじき夏の大祭礼なので、その準備をしているところです。祭祓(まつり)にはおいでになりますか? 舞いの奉納もありますし、夜に行う門柱(かどばしら)焚きの儀式などは、なかなか見応えがありますよ」

「夜は外出できませんが、昼間に〈祭歌(さいか)〉を聴きに来られたらと思っています」

「ぜひ、そうなさってください。祭祓の日には、唱士(しょうし)たちは早朝から深夜まで一日じゅう唄います。聴いてくださるかたがあれば、励みになりますから」

 彼は穏やかに言ったあと、澄んだ漆黒の瞳で元博の顔をじっと見つめた。

「ずいぶん、ご熱心に祈りを捧げておいででした。お心の憂いは晴れましたか」

 ずばりと訊いてきて、元博をどぎまぎさせる。

「そんな風に見えましたか?」

「何か、鬱屈を抱えておられるように感じました。祈りで安らぎを得られたならよいのですが」

 見抜かれていたと思うと、少し落ち着かない気分になった。建具の隙間から音もなく忍び入る夜霧のように、知らぬ間に胸の内へ入り込まれた気分だ。

 動揺を隠すために襟元を直すふりをしてから、堂司のまっすぐな視線と向き合う。

「はい、すっきりしました。ここへ来ると、不思議に心が(たい)らかになります。祭堂の雰囲気が、わたしには合っているのかもしれません。でも、信徒でもないのに図々しいですね」

 照れ笑いしながら頭を搔く元博に、九重は真顔で答えた。

「すべての人にとって、祭堂はそのような場所であるべきだと、わたしは思っています」

「そう言っていただけると、ほっとします。天門神教は、信心のない者にもずいぶん寛容なのですね」

「とはいえ、信徒以外のかたを、まったく排除していた時代もあったようです。また、第三代から第八代にわたる祭主(さいしゅ)は、他宗教の存在そのものを認めなかったため、たびたび激しい争いが起こりました。もしご興味がおありなら、いつかそんなお話もさせていただきましょう」

「はい、ぜひ。楽しみにしています」

 そこで切り上げ、元博は堂司に別れを告げて祭堂を出た。

 夕飯まで、まだ二刻近くはある。〈賞月邸〉に戻って、少し睡眠を取ってもいいかもしれない。そんなことを考えながらぶらぶらと歩き、桔流(きりゅう)邸の近くまで戻ってきたところで、彼はふと真栄城(まえしろ)忠資(ただすけ)から聞いた話を思い出した。

 三の曲輪(くるわ)の西側に並んで建つ久留馬(くるま)家と津雲(つくも)家の屋敷は、元からそこにあったと思しき小さな雑木林で隔てられている。林道を抜けた先には岩棚が張り出していて、縁まで行くと天山の麓まで一望できるらしい。地元では〝空中露台〟などと呼ばれているそうだ。

 元博はがぜん探検心をかき立てられ、出たついでにちょっと立ち寄ってみようという気になった。たいして遠くはないので、すぐに戻ってこられるだろう。

 午後も半ばとなり、曲輪道は人通りが増えていた。三の曲輪は(いわい)城に近接する格の高い屋敷町であり、曲輪門番所での身元(あらた)めも厳しいので、麓の町にたむろしているような素性も定かでない者はほとんど入って来ない。馬が歩きやすいように(なら)された曲輪道をのんびりと歩いているのは、大半がこのあたりに住まいを持つ武士とその家来たちだ。今日の勤めを終えて下城し、これからそれぞれの家に帰るところだろう。

 その中にちらほら混じる、脇目もふらずに曲輪門を目指す集団は、この下の四の曲輪や五の曲輪に屋敷を構えている人々に違いない。大手道を下る途中で日が暮れると厄介なので、その前に下の階層へ辿り着こうと急いでいるのだ。

 元博は邪魔にならないよう、道の端に寄って歩いて行った。草履取りの下男を連れた婦人や、曲輪への出入りを許されている行商人たちも、同じく遠慮がちに脇を歩いている。

 彼らとすれ違いながらしばらく行くと、道の反対側に例の雑木林が見えてきた。ふたつの家の塀に挟まれた入り口は幅六間にも満たず、意識していなければどちらかの屋敷の庭の一部と勘違いしてしまいそうだ。

 道を渡ろうとしたところで、騎馬を中心とした三十人ほどの行列が近づいていることに気づいた。これも門へ急いでいる様子なので、行く手を横切るのはやめたほうがいいだろう。元博はその場に立ち止まり、行列が通過するのを待つことにした。

 列の中ほどで馬を進めている、ひときわ立派な風采の男の羽織には〈違い(まさかり)〉が染め抜かれている。この家紋は、どこの家のものだったろう。たしか牟田神(むたがみ)家……いや、比与森(ひよもり)家だったかな。

 記憶を呼び起こしながら行列をやり過ごしていた元博は、その向こうに見える雑木林の中から、突然見知った顔が現れたのではっとなった。

 人の動きが邪魔になって見えづらいが、たしかに玉県(たまかね)吉綱(よしつな)だ。彼は、天山へ来てからさらに丸くなった肥体を揺らしながら大儀そうに向きを変えると、桔流家屋敷の方角へのろのろと歩き出した。ひと声かけたいところだが、まだ行列に遮られているのでどうにもならない。

 まあいいか、と苦笑してあきらめかけた時、林の奥の影になったところから、さらに別の誰かが姿を現した。先を窺いながら慎重に歩いてくるその人物は、吉綱とは違って抜け目なくあたりを警戒しているように見える。

 雑木林の外に出た彼が日差しに顔をさらした時、じっと見守っていた元博は危うく声を上げかけた。

 椹木(さわらぎ)彰久(あきひさ)だ。 

 若者は行列を見て足を止めると、その場にしばし佇んだまま左右に目をやっていた。何かを探しているようであり、また、何もないことを確認しているようでもある。

 元博はそれと意識しないまま、とっさに身を翻した。二歩下がって通行人の陰に隠れ、道の脇に建つ土塀のほうへ体を向ける。それからややうつむき気味になり、横目に彰久の様子を観察した。行列と通行人をあいだに挟んでいるので、彼がこちらに気づくことはなさそうだ。

 なぜ、そうやってこそこそするのか、自分でも理由はわからなかった。ただ、彰久が人目を避けているように思えるので、逆に彼をよく見なければならないという衝動にかられたのだ。それも視線を悟られることなく。

 ややあって、彰久は桔流家屋敷とは反対のほうへ歩き出した。特に急いでいる様子はないが、歩調はかなり速い。

 どうする。あとを追ってみようか。それとも――元博が逡巡しているあいだに、彼は行列の先頭に追いつくほど進んで行った。そのまま道なりに曲がり、どこかの屋敷の塀の向こうへ姿を消す。それと同時に行列も行き過ぎて、曲輪道は急に閑散となった。大勢の足が踏んで行ったあとに、白っぽい土埃だけがかすかに舞っている。

 元博は通りを渡り、雑木林の入り口に立って、彰久が行ったほうを呆然と見つめた。

 いったい、わたしは何を目撃したんだろう。

 単純に見れば、雑木林から吉綱が現れ、それに続いて彰久が出てきたというだけのことだった。吉綱は元博と同じく、露台からの眺めに興味が湧いて、ふと見に来てみたのかもしれない。彰久もまた、仕事の合間に生き抜きがしたくなり、たまたま立ち寄ったにすぎないとも考えられる。思いがけず同じ時に来て出くわしたなら、きっと本人たちも驚いたことだろう。

 そう思いつつも、元博はやはり彼らがここで会っていたに違いないと確信していた。

 でも何のために?

 元博が知るかぎり、吉綱と彰久は天山で出会ってから、片手で数えても余るほどしか言葉を交わしていなかった。桔流家の屋敷内で、ふたりきりになったことすらないはずだ。そんな彼らに、どんな接点があるというのだろう。

 頭に渦巻くのは疑問ばかり、そして答えはひとつも見つからない。

 露台へ向かう小道は、背の高い松の木立に左右を囲まれていて薄暗かった。人の行き来があるので道自体には草も生えていないが、林床には下生えがびっしりと生い茂っている。

 道を歩いていると、すぐ近くの幹を何かがさっと走り抜けた。急いで視線を向けても姿は捉えられなかったが、きっと木のうろに栗鼠(りす)の巣でもあるのだろう。

 規模は小さいが玄奥(げんおう)な雰囲気の雑木林を抜けると、忠資から聞いていた通りの壮大な風景がぱっと目の前に開けた。天山と同じ高さの山は存在しないため、はるか彼方まで視界を遮るものは何もない。

 おそるおそる岩棚の縁に近づくと、薄い雲の幕を透かして下層の様子を見ることができた。四の曲輪は比較的距離が近いので、家々や曲輪道、そこを歩く人々の様子などがはっきりとわかる。だが五の曲輪になると、もう男女すらも見分けられなかった。それ以下の曲輪はせいぜい、色の違いで自然物と建物を区別するぐらいしかできない。

 天山の外に目をやると、緑の毛氈(もうせん)を敷き詰めたような丘陵が、はるか遠くまで広がっていた。その中をうねうねと縫っている、細い紐のようなものは河川だろう。山々ですらもここから見下ろすと、ほんのわずかな地表の出っ張りとしか感じられない。

 眼下に広がる世界はあまりにもちっぽけで、まるで箱庭か何かのようだった。天山の高みにいると傲慢になり、下で暮らす人々を虫けらのように感じ始める、と彰久が言っていたのを思い出す。日々こんな景色を見ていたら、たしかにそうなってもおかしくはない気がした。

 吉綱と彰久は、ここから一緒に〝雲の下の世界〟を眺めたのだろうか。手の中に掴み取れそうなこの風景を見下ろしながら、いったい何を話し合ったのだろう。それとも、これは自分の勝手な勘繰りに過ぎないのか。

 岩棚の下から、ふいに突風が吹き上げてきた。きつく結い上げていた髪が幾筋か乱され、着物の袖がばたばたと激しくはためく。

 ほのかな夏のにおいをまとったその風は、心にさざ波を立てていくように思えた。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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