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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第一章 戦(そよ)ぐ春景
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二   立身国七草郷・六車兵庫 武者修行

 立州りっしゅう街道を南下し続け、峠の向こうに小さく海を望める辺りまで辿り着くと、空気の色が少し変わったように感じられた。太陽すらもいくぶん輝きを増したようだ。峠を下り、スギの木立を抜けた先には、青々とした田園風景がどこまでも広がっていた。立身たつみ国は西峽せいかいきっての穀倉地帯として知られ、温暖な気候と起伏の少ない土地を活かした二毛作が行われている。今は表作の時期なので、植えられているのは稲だ。

 六車むぐるま兵庫(ひょうご)は街道をそのまま進み、道沿いに立てられた境界石の横を通り過ぎて、木々に若葉が芽吹き始めた七草さえくささとに足を踏み入れた。

 道は郷の中心部へと続いている。旅装に身を包み佩刀はいとうした彼が、農作地やその周辺にまばらに建つ農家の傍を速い足どりで通り過ぎていくのを、田畑で働く百姓たちのほとんどは気にも留めなかった。この郷は立身国の国庁が置かれている荷軽部にかるべに隣接しており、立州街道沿いの宿場の中では最も大きいので、余所者よそものの流入はさほど珍しくないのだ。

 彼は百姓に道案内を乞うため一度だけ畑の横で足を止めたが、その後は脇目もふらず歩き続け、商人町のはずれにある一軒の剣術道場へと行き着いた。のどかな昼下がり、母屋とつながった道場を囲む板塀の内側は静寂に包まれている。道場主や門人が中にいるとしても、おそらく今は休憩時間なのだろう。一方、塀の外は賑やかだった。数人の子供たちがそこに集まって、身体を使った単純な遊びに興じているのだ。

 兵庫は道の脇で梢を広げているケヤキの影にひとまず入り、腰に下げていた竹筒から水を飲みながら、しばしその様子を見物した。

 武家の子息と見える者と、明らかに百姓の風体ふうていをした者とが混じり合い、一対一による勝ち抜き形式の取っ組み合いを繰り広げている。今は、中でもひときわ身体の小さい少年が、自分より頭ひとつ分でかい少年を相手に戦っていた。

 敏捷さは小さいほうがまさるが、さすがに力では大きい者に敵わない。それでも彼は思いのほか善戦した。小回りの利く身体を活かして相手の死角に素早く回り込み、帯を取って足払いをかけるなど、うまい小技をいくつも繰り出していく。しかし最後にはやはり力で押され、背中からひっくり返されて負けとなった。高い歓声が上がり、すぐにまた次の勝負が始まる。

 盛り上がる仲間たちから離れ、負けた少年はいかにも悔しそうに頬を膨らませながら、彼のいるほうへぶらぶら歩いてきた。後頭部できつく一本に結い上げた髪はほつれ、顔にも着物にも土汚れをこびりつかせているが、負けん気の強そうな瞳は炯々(けいけい)たる光を放っている。

 少年が自分の前を通りかかった時、兵庫はふいに口を開いた。

「敏捷なことに自惚れて、防御が大雑把おおざっぱになっている」

 少年がぴたりと足を止め、苛立いらだったようなきつい目で見上げる。しかし兵庫は気にせず、淡々と言葉を続けた。

「組みかかられた時、全身でけるから次の出足が遅れるんだ。軸足だけ残して、小さく半円を描くようにたいをかわすといい。相手の利き手の側にな」

 少年が、はっと目を見開いた。想像力に富んだ利発な頭で、瞬時にその教えの意味を理解したのだ。

「わかるか。そうすれば力の流れを利用して、簡単に利き腕を取ることができる。そのまま、残した軸足で相手の向こうずねすくい上げてやれば、自分よりでかいやつを転ばせるのもそう難しくはない」

 体格差を補うための方法はいくつもある。そのひとつを示唆してやっただけだが、少年は素直な歓喜に顔を輝かせた。兵庫は、少年の口から出かけた感謝の言葉を押し止めるように彼の頭を軽くなで、「次は勝てる」と短く言葉を残して道場の門へと向かった。


 道場主の名は椙野すぎの平蔵(へいぞう)兵庫ひょうごが幼いころから師事している剣術師範の旧友であり、街道沿いではかなり名を知られた剣客だ。

 ちょうどひる時とあって門人は誰もおらず、彼は玄関口で自ら客に応対した。五十がらみの長身痩躯(そうく)の男で、筋張ってはいるが力の強そうな大きな手をしている。兵庫が紹介者として師の名前を告げると、平蔵はすぐに彼をしょうじ入れた。

 道場は九十坪ほどで、無垢の松を使った床材が張られている。ふたりは一段高くしつらえられた見所けんぞへ上がり、向かい合って腰を下ろした。

「よく、おいでなされた」

 穏やかに声をかけられた兵庫は、軽く頭を下げてそれに応えた。平蔵の目が、油断なくこちらを観察しているのがわかる。彼はさらに言葉を続けようと口を開いたが、威勢のいい啖呵たんかにそれを遮られた。

「正面から堂々とかかってきやがれ、このくそったれの卑怯者!」

 平蔵は「しばし、ごめん」と断って腰を上げると、軽く舌打ちしながら北側の壁に開いた武者窓に近づき、格子の隙間から見下ろして大音声で怒鳴り上げた。「これっ、匡七郎きょうしちろう! 汚い言葉を使うでない。剣の腕だけでなく人品も磨いてこその侍だと、いつも申しておるだろう!」

 頭の上から雷を落とされた少年が、慌てて謝罪する。

「はいっ、すみません!」

「お客人がおいでなのだ。遊ぶなら道へ出て遊べ」

 厳しく言い置いて座所へ戻った彼を、兵庫は遠慮がちな苦笑で迎えた。平蔵も、思わず苦笑いをして頭をく。

「いやはや、お恥ずかしいところを。あれはうちの道場の最年少ですが、いかんせん気が強くて手に負えません」

「元気で結構かと。いずれは先生のご指導で、一廉ひとかどの品格も身につくでしょう」兵庫は静かに言い、微笑を浮かべた。「わたしも子供のころには、ずいぶんと師を手こずらせました」

「あの御仁は、今もご息災であられましょうかな?」

「は、老いてますます——といったところで。わたしを送り出す際、先生とのご親好をひどく懐かしんでおりました」

「わしを忘れずにいてくださったばかりか、まな弟子をこうして寄越よこしてくださるとは、まこと嬉しい限りだ」

 旧友への思いを馳せながら目を細めた平蔵の前に、兵庫は二通の封書を差し出した。

「紹介状のほかに、師から先生への書状をお預かりしております」

 平蔵はそれらを押し戴き、紹介状にさっと目を通したあと、自分宛の書状をゆっくりと読んだ。

 師匠は兵庫に、各地の道場主への紹介状を七通渡したが、私信を託したのはこの一通だけだ。この平蔵という道場主は、きっと師匠とは浅からぬ縁のある人なのだろう。そんなことを考えていると、書状を読み終えた平蔵が顔を上げた。その目に、なにやら先ほどとは違う輝きが灯っている。師が自分について彼に何を伝えたかはわからないが、興味をそそるようなことが書かれていたのは間違いない。

「六車兵庫どの」書状を閉じた平蔵が、表情をあたらめて名を呼ぶ。「委細承知いたした。ご覧のとおりのあばら道場なれど、お気の済むまでゆるりと滞在なされよ」

「かたじけのう存じます」

 兵庫は深々と頭を下げ、客分として快く迎え入れられたことへの謝意を表した。


 母屋のひと間を滞在中の寝間として貸し与えられた兵庫ひょうごは、手回り品を入れた風呂敷包みをそこへ下ろして旅装を解き、再び塀の外へぶらりと出て行った。

 子供たちは、まだ道で取っ組み合いを続けている。見ると、先ほどの少年が、今度はさらに大柄な相手と戦っていた。感心にも、教えられたことをさっそく実践している。兵庫は思わず口許をほころばせた。

 体格と腕力にまさる相手が、唸り声を上げながら真正面から猛然と組みかかる。少年は右肩をわずかに引いてそれをかわし、すかさず左手でぽんと腰を突いて、相手にたたらを踏ませた。

 うまいぞ、そうだ。心の中でつぶやき、きびすを返して歩き出した兵庫の背中に、子供たちの歓声がひときわ大きく響いた。どうやらあの少年が勝ったらしい。

 兵庫は十町ほど先に見える七草さえくさ城を目指し、椙野すぎの道場から西へ広がる商人町の中をゆっくりと通り抜けていった。道場に近接しているのは大工町で、その先にも職人が多く住んでいるようだ。開け放しの戸口をちょっと覗けば、い桶師や針摺はりすりの仕事ぶりを見ることができた。道には豆腐の歩き売りをする女や、しきみ売りの老爺ろうやなどが町民に混じって行きっている。

「冷えた瓜だ。食べごろの枇杷びわもあるよ。兄さん、ひとつ買っていきな」品物を満載した荷車の脇に立つ農夫が、道行く人々に大声で呼びかけていた。どこかの隠居らしい風情の老人が足を止め、その男を相手にのんびりと青梅を値切り始める。

 軒先へ出した縁台に腰かけ、道具箱を脇に置いて、隣人と四方山話よもやまばなしに興じながら飾り物を作っている者の姿もあった。その足元では、ふたりの幼い少女が小石を弾いて遊んでいる。

 鮮やかな藍色の暖簾のれんを出している紺屋を右に見ながら通り過ぎた先には、商家らしき建物と蔵がずらりと並んでいた。中には瓦葺かわらぶき屋根を載せた二階建てもある。かなり羽振りがいいらしいその商家は、味噌や醤油を商っているようだった。

 街路は幅広く、脇道までしっかりと土をき固めてあり、よく整えられている印象だ。いかにも城下の商人町らしく、通りは活気に満ちていた。

 商人町は水路に突き当たって終わり、短い木橋を渡れば、その先は屋敷町だ。といっても、俸禄ほうろくの少ない下級武士や雇い兵が住まう一角はまだ質素で、職人たちが集まっているあたりとさほど見た目には変わらない。長屋の粗末なこけら葺き屋根には重石おもしが載せられ、共同の外便所からつんと臭気が漂ってくる。土壁の多くは陽にさらされ、白っぽく色褪せていた。

 そこから少し進んで城に近づくと、かなり屋敷町らしい雰囲気になってくる。小さいながらも板塀で囲まれた屋敷が散見されるようになり、やがて立派な門構えや瓦葺きの切妻きりづま屋根、白い土塀、広い庭などを持つ閑静なたたずまいの武家屋敷群が現れた。いわゆる〝家中かちゅう屋敷〟で、城主に仕える武士の半分はここに住んでいる。

 兵庫はそれらの武家屋敷の多くが、それぞれ何かしら手を入れている最中であることに気づいた。庭に植木職人が入り、樹木の植えつけをしている家がある。板戸や障子を取り替えている家がある。瓦をき直している家、土塀の化粧直しをしている家、そして所帯道具を今まさに運び入れている家も何軒か見受けられた。

 最近大がかりな家臣団の異動か、入れ替えでもあったのだろうか。

 彼は屋敷町を抜けながら、立身たつみ国に関する知識を頭の中に呼び起こした。

 立身国は江蒲つくも国と並ぶ守笹貫かみささぬき家の所領のひとつで、西峽せいかい南部五国の中では最大の領域を有する。国主代行は、守笹貫家の庶家にあたる儲口まぶぐち家の当主守恒(もりつね)立州りっしゅうは古来より南部の名家による分捕ぶんどり合戦が最も集中した地域で、干戈かんか時代には支配者が年ごとに替わるほどだったという。約百年前に守笹貫家の所領となってからは、大きな戦の舞台にはなっていないはずだ。だが、今も争いの火種がここにくすぶっていることは間違いない。

 おれが他国を歩いているあいだに、どこぞに火がいたのかもな。そう結論づけてふと顔を上げると、兵庫はいつの間にか城山の麓に辿り着いていた。街道から望んだ時はさほどとも思わなかったが、近くで見るとかなり険しく高い山だ。

 七草さえくさ城の縄張りと城下町の境には、天然の川を利用した外堀が築かれていた。縄張りの中にある家中屋敷は、城主の一門や重臣たちのものだ。普通は曲輪くるわの内側へ入るほど格式も上がっていく。そして全ての中心に、城主とその親族が住まう麓御殿ふもとごてんがあった。

 どの国でも城は山上に築かれるものと決まっているが、あくまでそこは城砦であり、よほどのことがない限り住居として使われることはない。平時はまつりごとを含め、あらゆることが御殿を中心に執り行われていた。そして戦が始まると、麓の者たちは丸ごと城へ登り、城下町や周辺のざいに住む百姓たちは外堀の内側に入る。こうして防備を固めた城を、下から攻め落とすのは容易なことではない。

 外堀にかかる幅広い木橋のたもとに立って見上げると、山上に建つ物見櫓ものみやぐらと城の外囲いや城壁、天守の瓦屋根の一部などをかろうじて見ることができた。虎口こぐちと登城路は複数(もう)けられているはずだが、いずれも樹木の間にうまく隠されているようだ。少し角度を変えて探してみても、ひとつも見つけることはできなかった。

 内と外で二本、あるいはそれ以上の堀。いざとなったらすぐに落とせる木橋。城下町を一部取り込んだ厚い外曲輪そとぐるわ。誰が築城したのかは知らないが、これはなかなか見事な戦城いくさじろだ。彼は再び山上を振り仰ぎ、目を細めながらそう結論づけた。


 さて、このあとどうする。

 兵庫ひょうごは道の脇で足を止めたまま考えた。橋を渡って縄張りに入り、外曲輪や内堀を見て、ついでに城の大手門まで行ってみようか。その時、ふいに背後から声をかけられた。

さとの者か?」

 振り向くと、明るい目をした身なりのいい若者が、少し離れてたたずんでいた。涼しげな白い波頭はとう模様が大きく染め抜かれた薄浅黄うすあさぎの小袖と、凛々(りり)しい紺青こんじょうの袴をつけている。うしろにひとり、鹿毛かげの馬を引いた従者を伴っていた。馬につけた鞍も彼らの腰の物も、華美ではないが立派なこしらえだ。

「思索の邪魔をしたならすまん」

 悪びれる様子もなく言われ、兵庫は急いで口を開いた。

「いや、こちらこそ失礼を。城に見入って、気を抜いておりました。郷の者ではなく、来たばかりの新参で」

「ああ、なるほど。たしかに、この辺の者の顔とは違う」

 若者は気安げに近づいてきて、兵庫の顔をじっと覗き込んだ。

「もっと南のほうの風貌だな。丈州じょうしゅうあたり。どうだ?」

「そのさらに南の、南海に浮かぶ島で産まれました」

「おれは三州さんしゅうの出だ。ここに来たのはほんの半月前だから、同じく新参者だよ」若者は人なつっこい笑みを浮かべた。「石動いするぎ博武(ひろたけ)だ」

「六車兵庫と申します」

 兵庫は内心の驚きを押し隠しながら名乗った。石動家といえば、南部を代表する旧家のひとつだ。三州の北西部に所領を持ち、武勇のほまれ高い家柄として知られている。三鼓みつづみ国を本領とする名家黒葛(つづら)家の支族のはずだが、それがなぜ立州りっしゅうまではるばる来ているのだろう、と彼は不思議に思った。

 石動家の現当主にまつわる話を、かつて師匠から聞いたことがある。十年ほど前、永穂なんごう国を支配する樹神こだま家が三州西部に侵略の手を伸ばし、支族の蓬田よもぎだ家を差し向けたことがあった。樹神家はかれこれ数百年にわたって、三鼓国分捕(ぶんど)りの機を執拗に窺い続けているのだ。

 国境くにざかいを侵して三州に入った蓬田軍は兵数約二百。それを石動博嗣(ひろつぐ)が自前の手勢六十あまりで迎え撃ち、わずか一刻の戦いで全滅させた。その後彼は「あまりに手応えのない敵で、力が余ってしもうた」と不満をもらし、帰路の近くにあった笛吹うすい山に立ち寄って、そこに巣くっている山賊一味まで討伐してしまったという。

「石動のご当主は剛胆なかただとか」兵庫は博武に言った。「笛吹山の武勇伝を耳にしています」

 博武が弾けるように笑う。「おい、聞いたか伝兵衛でんべえ」彼は馬を連れている従者のほうを振り返った。「親父どののやんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]が、南の島の衆にまで伝わっとるぞ」

 伝兵衛と呼ばれた壮年の男が、馬の首をなでながら小さくため息をつく。

「近年ではご子息のやんちゃの噂が、それを上回る勢いで広まっておりますしね」

 辛辣しんらつな物言いを聞いても、博武はまったく意に介さない様子だった。この従者とは長いつき合いで、気の置けない仲なのだろう。

「おれはおぬしが言う、その剛胆な当主のせがれなんだ」彼は兵庫に向かって言った「ここへは御屋形おやかたさまについて来た」

「石動家は黒葛家の支族と聞いていますが、なぜ儲口まぶぐち家の所領へ?」

「つい先ごろ、黒葛家がその儲口家から立州を分捕ったからだ。それで、おれのあるじの黒葛貴昭(たかあき)さまが、ご宗家から国主代行に任じられた」

 兵庫は瞠目どうもくしつつ、深くうなずいた。それならば、屋敷町のあの様子も合点がいく。

 三州の黒葛家は干戈時代の初期から続く、聳城国たかしろのくに有数の武門の名家だ。三州のほかに丈州とふたつの島を領有し、それ以外の地域にも着々と版図はんとを広げている。遠からず、彼らは南部統一を成し遂げるだろうと見られていた。本当に立州を奪ったのだとしたら、それが現実になる日はぐっと近づいたと言える。

「では七草城にはもう、黒葛さまが入られているのですね」

「そう、貴昭さまが新たな城主だ。といっても、おれたちがやって来た時、七草城はすでに空城からじろ同然だったんだが」

「空城?」

 怪訝けげんそうに眉を上げる兵庫を見て、博武がにやにや笑う。

「それがなかなか、おもしろい話でな。暇があるなら聞いていくか? そこらの茶屋で団子でも食おう」

 あまりの気取りのなさに面食らいながらも、兵庫は我知らずうなずいていた。そんなふたりを見ながら、さもあきれたように伝兵衛が鼻を鳴らす。

「また、そうやって横道に。こんな調子では、いつまで経ってもお屋敷には帰り着けませんな」

「うるさいぞ伝兵衛」博武はひとにらみくれてから、兵庫をいざなって商人町のほうへ歩き出した。「おれは小さいころから話し好きが玉にきずで、よく、口から先に生まれたと言われるんだ。おぬしは無口なほうだろう?」

「あまり口数は多くないかもしれません」

「おれの兄貴に似ている。兄の孝博たかひろは今、三州で黒葛のご宗家に仕えているが、くすぐってやっても笑い声ももらさぬような男だ。弟の元博もとひろは陽気な気質たちで、おれと気が合う。昨年から丈州の生明あざみ黒葛家で、ご当主寛貴(ひろたか)さまの小姓を務めているんだ」

 博武は商人町の中ほどにある葉茶屋はぢゃやの前で足を止めた。すのこをかけた張り出しの軒下に縁台がふたつ並んでおり、炉にかけた茶釜では湯が沸いてさかんに湯気を立てている。彼が縁台に腰を下ろしながら中へ声をかけると、すぐにたなの者が応対に出てきた。年のころ四十あまり、恰幅かっぷくのよい、おたふく顔をした色白の女だ。

「あれまあ若侍さま、またおいでなさいましたか。よっぽどうちの串団子がお気に召したようで」

 大きな声で無遠慮に言い、けらけらと笑う。博武も一緒になって笑っているが、少し離れて馬と立っている伝兵衛は苦い顔だ。

「団子と茶を三人前ずつくれ」慣れた様子で申しつけてから、博武は隣に座った兵庫のほうを向いた。「七草に着いた当日ここを見つけて、もうかれこれ三度ばかり来ているんだ。茶はどうにも品のない渋茶だが、団子がうまいぞ」

 そこでやや声を落とし、伝兵衛のほうを横目で見ながら続ける。

「あんな仏頂面をしているが、本当はあいつも甘味には目がない」

「おつき合いしているだけでございますよ」聞こえているぞ、と言いたげに伝兵衛が口を挟む。「ご身分に似合わぬことを、連れもなしにおひとりでなさっていると、外聞がいぶんが悪うございますからね」

「なら、今日は連れがあるから、頼むのは二人前でよかったな」

 ちくりと言われても、伝兵衛は涼しい顔だ。

「三人でやって来ながら二人前しか頼まぬでは、けちな男と噂がたちます」

「まったく、ああ言えばこう言う」

 博武が肩をすくめ、兵庫は思わず笑みをもらした。こうまでくだけた主従関係を見るのは初めてだ。だがこのふたりには、何となく好感を抱かずにいられない。

 ややあって葉茶屋の女が、れたての茶と串団子を運んできた。兵庫に物を言う間も与えず、茶代は博武がさっさと払ってしまう。

 茶は濃く濁っていて、たしかに渋そうだ。だが団子は白くふっくらとしていて、飴色の葛餡くずあんが上にとろりとかけられており、見るからにうまそうだった。

「さっきの続きだが——」さっそく団子に食いつきながら、博武が話を切り出す。「七草城の元の城主は、守笹貫かみささぬき家から立州の国主代行に任じられている儲口まぶぐち守恒(もりつね)だった。だがあの御仁、近ごろは城を離れて余所よそに住んでいたんだ」

「離れていた? なぜです」

「さっき七草城をちょっと見ただろう。どう思った」

「守りの堅い、実によい戦城いくさじろだと思いました。容易くは落とせぬでしょう」

「そうだ。だが、守恒にはそれが気に入らなかった。戦城は無骨で味気ない、城山は上り下りが大儀だ、などとつねづね文句を垂れていたが、ついにある時、親族と近臣を引き連れて引っ越してしまったんだ。清流に屋形船を浮かべて、日々気ままに船遊びを楽しめるような風雅で辺鄙へんぴな土地にな」

 絶句するような話だ。兵庫はあきれかえって、すぐには言葉が出なかった。

「しかし——隠居するならばともかく、国主代行当人がそんな田舎に引きこもっていたのでは、所領を守れるはずがありません」

「その通りだ。おれも最初に知った時は、まさかと思ったよ」博武が皮肉っぽく笑う。「守恒がそんな体たらくとは、おそらく守笹貫家も知らなかっただろう。我らが立州に侵攻したのは、守笹貫家の支族が三州の一部を荒らしたことへの報復だったんだが、まさかろくに戦いもせず国ごと分捕れるとは思ってもみなかった。守恒を本拠の七草から追い払って、この一帯の三郡ばかりを黒葛家の支配下に置けば、さぞ守笹貫家に苦虫を噛ませてやれるだろう、とまあ、初めはそれぐらいの心算だったんだ。ところが、いざ攻め寄せてみれば、七草には年寄りの城代が残っているだけ。その城代すらも黒葛の旗印を見たとたん、一目散に逃げ出すという有様だ。もちろん守恒の引きこもり先にも出張でばっていったが、着いた時にはそこもすでに空になっていた」

「家来たちの抵抗はなかったのですか」

「身内と近臣は守恒と共に逃げたし、城下に残っていた者たちはもう、おのれらのあるじにほとほとうんざりしていてな。降服を促すまでもなく大半が自発的に降って、そのうち半数あまりは黒葛家の配下に収まった。統領と臣民の心がああまで隔たっていては、どのみちこの国は長続きしなかっただろう」

 戦乱の世の常とはいえ——兵庫は胸の中で独りごちた。臣従の誓いなどというのははかないものだな。

「儲口どのは江州こうしゅうへ逃れたのでしょうか?」

「おそらくは。だが守笹貫家からは、かなり冷淡な扱いを受けるはずだ。なにしろあの腰砕けな御仁のせいで、南部の勢力図が一気に塗り替えられたわけだからな。居づらくなって、いずれは北部へでも流れていくだろう」

 西峽せいかい南部では守笹貫、樹神こだま、黒葛という三つの勢力によって、五つの国をめぐる覇権争いが長年にわたり続けられてきた。君主である大皇たいこうを後ろ盾とする守笹貫家。調略と外交にける樹神家。絶大な武力を有する黒葛家。この三家の力関係は、これまではほぼ拮抗していたと言っていい。

 だが黒葛家が五国のうち三国までをも支配下に置いた今となっては、その均衡はもはや完全に崩れたと見るべきだろう。

「黒葛家は——」兵庫は一言ひとこと考えながら、ゆっくりと言った。「南部に今後さらなる嵐を巻き起こしそうですね」

 博武はすぐには答えなかった。湯飲みに残った冷めかけの茶を飲み干し、首をめぐらせて七草城をしばし見つめる。ややあって兵庫のほうを向いた時、彼の口許には凄味のある笑みが浮かんでいた。

「そうだ。おもしろくなるぞ」

 その不敵な言葉に、兵庫も笑みで応じる。

「ご主君は、どのようなおかたですか」

「黒葛宗家のご三男で、御年二十一。ご兄弟の中では最も若く大胆だが、仁徳も備わった人情味のあるおかただ。おれは姉の真木まきが貴昭さまに嫁いでいるよしみで召し抱えられたんだが、今回の移封いほうには自ら願い出てご一緒させていただいた。まあ、おととし生まれた甥があまりにかわいいので、離れがたかったというのも少しあるが」

 ふたりの若者は声を揃えて笑った。伝兵衛さえも口許をほころばせている。

「おれのことばかり喋ってしまったな。おぬしは、なぜこのさとへ来たんだ?」

 水を向けられた兵庫は、剣の師匠に命じられた武者修行の旅の途中であることを話した。これまでに立ち寄った道場は四軒。紹介状は残り三通。すべてを訪れたら師の元へいったん戻り、その後はどこかの家の軍備いくさぞなえに入軍するつもりだ。

「どこのそなえに入るかは、まだ決めていません。こうして諸国を回って知見を広げ、旅を終えるまでには心を決するつもりです」

 兵庫の言葉に、博武は深くうなずいた。

「そうか。もし石動の備に入る気になったら、三州にいるおれの親父か兄を訪ねて、七草で博武に口説かれたと言うがいい。すぐに入れるぞ」

 兵庫が微笑む。「覚えておきます」

「三州で黒葛家を見たら、おそらく心惹かれるだろう。ご宗家の軍備は南部一、いや大皇の天山備てんざんぞなえにも匹敵し得る破格の強軍だ。内にいくつもの備を抱える本陣備で、とにかく全体の規模が途轍もなくでかい。それだけに、これといった軍歴も後ろ盾もなく入軍した者は、大勢の中に呑み込まれてしまいがちだ。おぬしが行く末に何を目指すにしても、まずは焦らず、おれの実家や玉県たまかね家のようなほどほどの備を持っている家に身を寄せて、しばらく軍歴を積むといいぞ」

 実情を知っている人ならではの、ありがたい助言だ。兵庫は心からの謝意をこめて頭を下げた。

「必ずそうします」

「長話につき合ってもらって悪かった」

 博武が腰を上げ、兵庫もそれに続く。

「いえ、いろいろと教えていただけて助かりました」

「まあ今現在の七草に関しては、元から住んでいる者たちよりも、おれのほうが詳しいのはたしかだな」

 そう言って彼はちょっと考え、小首を傾げるようにして兵庫を見た。

「おぬし、いくつだ」

「大皇三廻部(みくるべ)義勝(よしかつ)さまの御世、三九四年の生まれです」

 唐突な問いに苦笑しながら答えると、博武はさも愉快そうに笑った。

「なんだ、おれもだよ。同年だったのか。ずいぶん背が高いから年上かと思っていた」

 彼は鹿毛かげの馬に近寄ってひらりと跨がり、伝兵衛から手綱を受け取った。

「おぬしの逗留とうりゅう中にはもう無理かもしれんが、お互いこのまま武と剣に生きていれば、いずれどこぞの戦場いくさばでまた顔を合わせることもあるだろう」馬の首を城のほうへ向けながら言う。「その時、味方同士であったらいいな」

「そう願います」

 軽く会釈し合った後、伝兵衛が引き手を取り、主従はゆっくりと去っていった。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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