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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第一章 戦(そよ)ぐ春景
2/161

一   浪枚国大日方郷・一眞 皆殺し

 聳城国たかしろのくに東峽とうかい南部に位置する浪枚なみひら国。その西端を縦に走る真路しころ山脈と、中央部を真横に貫く木庭袋きばくら山脈が出合うあたりの麓に、巨大な椀の底のような浪枚盆地が広がっている。

 土地の中央部は緩やかに窪み、その近辺では地下水が地表に噴出して生まれる自噴泉を数多く見ることができた。中には、湖と言っていいほど規模が大きくなっているものもある。そのひとつであるはざま湖の湾曲した縁に沿って、細長い三日月のような形の大日方郷おびなたごうがあった。このさとは前方を湖、背後を山に囲まれ、盆地のほかの集落からは孤絶した立地となっている。

 真路山脈の最南端に連なる舛巴ますとも山に登れば、大日方を含む盆地全体をほぼ一望することができた。浪枚国最大の河川癸生(きぶ)川の源流でもあるこの山は、西隣の歳桃さいとう国から関所を避けて浪枚国へ入ろうとする者にとっては格好の抜け道となっている。垂直に切り立つ岸壁など難所も多い反面、周囲の山に比べるとさほど標高はなく、慎重に探せばアカマツやアラカシの常緑樹林帯とごつごつした岩場の中に砂礫の道を見いだすことができるため、比較的山越えはしやすかった。明け方の霧が発生する時間帯に動き回ることさえ避ければ、道迷いで難儀をする確率もかなり低くなる。

 一眞かずまとその仲間は夜明け前、まだ暗いうちに歳州さいしゅう側の麓からゆっくり登り始め、中腹をぐるりと回り込むようにしてひる前に浪州ろうしゅうへ入った。馬を連れているので、途中の急峻な岩場にやや手こずったものの、脱落者や怪我人はひとりも出ていない。

 麓まであとわずかという地点に突き出た巨岩の上に立ち、一眞は眼下に広がる緑豊かな盆地と、日の光をきらきらと反射しながら風にさざ波立つ硲湖を見下ろした。足元から時折乾いた冷たい風が吹き上げてきて、歳州沿岸部から旅をしてくるあいだに伸びてもつれた髪をさらにかき乱していく。

「おめえ、何食ってんだ」

 うしろから問いかける声を無視して、一眞は手に持った袋から干し杏をまたひとつ取り出し、その半分を囓り取った。

「よう、何食ってんだってばよう」

 声の主の猫目ねこめが近づいてきて、馴れ馴れしく肩に腕を回す。こちらを覗き込んだ彼は頭成兜ずなりかぶとを被り、身体に合っていない桶側胴おけがわどうをつけていた。その顔はやつれて目の下にくまができ、前歯を二本失っている口からは枯葉をいぶしたようなにおいが漂っている。

あんずだよ」こいつまた月想蘭げっそうらんを吸ってやがるなと思いながら答え、一眞は相手の頭をぞんざいに押しやった。「餓鬼のころ好きだったんだ」

 猫目が離れていくと、彼は残り半分の杏を口に放り込んだ。半月前、下見のためにひとりで浪州へ入った時に、麓近くの村で買い求めた浪枚盆地の特産品だ。ほかの土地で売られているものよりも値は張るが、ずっと甘みが強く、酸味もより爽やかだった。

 この一帯の主要産業は、豊かな水系の恵みを活かした果樹栽培だ。干戈かんか時代から、大日方郷の歴代領主も複数の果樹園を所有し、大勢の小作人や季節労働者を雇って葡萄や梅、杏、桜桃といったさまざまな果樹を育ててきた。収穫した質のいい果実の一部は酒や乾物に加工し、残りは近隣の郷や他国へ出荷することでかなりの儲けを出している。

「餓鬼のころだとよ」麓への降り口に溜まって戦支度に余念のない連中が、一眞と猫目の会話を耳ざとく聞きつけて囃したてた。「おめえなんざ、まだまだ餓鬼のうちだ」

 彼らも景気づけに月想蘭を一服やったらしく、かなり興奮気味で目をぎらぎらさせている。

 一行の中でもっとも年長の伊佐いさは少々くたびれた鎖具足をつけ、長槍を横にして肩に担いでいた。木炭の粉を水に溶いて顔に面妖な隈取りを施した虎熊とらくまは、上帯を締めて打刀うちがたなを差しているが具足はなく、半端に篠籠手しのごてだけをつけている。小柄な体つきの赤猿あかざるはどこで盗んだものか、身に余るような大太刀を携えていた。そっくりな顔だが双子ではないという瓶子へいし銚子ちょうしの兄弟は、馬の尾毛を獅子のたてがみに似せてあしらった、揃いの総髪兜そうはつかぶとを被っている。ふたり並んだ姿は異様で、まるで一対の鬼か夜叉やしゃのようだ。

 一眞自身は小袖を尻からげにして、上半身には二枚銅の鎖具足と黒漆塗りの鎖籠手、下半身には草摺くさずり臑当すねあてをつけていた。兜はないが、銅の板を縫い付けた額当てを持っている。

 彼は残りの杏を袋ごと丸めて懐に突っ込み、額当てをきつく頭に巻いた。

「よし、行こうぜ」

 馬に引き返しながら言うと、仲間たちが威勢のいい雄叫びを上げて一斉に騎乗した。猫目や赤猿はあまりうまい乗り手ではないが、ここから麓までの下りは緩やかなので、さほど問題はないだろう。一眞は自分も馬に跨がり、伊佐と共に先頭に立った。

「手はずはわかってるな」全員に届くよう、声を張って言う。「集落のほかの家には構うな。一直線に領主の館へ乗り込め。今は冬梨の収穫期で、家の奉公人の半分とさとに住む小作人の大半は果樹園へ出払ってるが、夕暮れ前には戻ってくる。邪魔が入る前に、全部片づけるぞ」

 一眞が馬に拍車をかけて先陣を切った。あとの者たちも数瞬と後れず続いてくる。麻薬常習のならず者集団にしては、そこそこ統制が取れていた。だからこそ手を組むことにしたんだがな——と心中でつぶやきながら、さらに馬をき立てる。

 彼が伊佐たちと知り合ったのは約一年前、歳州さいしゅう沿岸部の漁港をうろついていた時だった。馬と刀を持っていたため、それに目をつけた彼らから、ある小領主の金蔵を襲う仲間に加わらないかと誘われたのだ。

 虎熊から馬をどうしたと問われた一眞は、街道でひとり旅の侍を狙って刀もろとも分捕ぶんどったいきさつを話し、たちまち一味に気に入られた。仲間が欲しかったわけではなかったが、徒党を組んでみるのも悪くはない。以来、彼らと共に歳州を転々とし、行く先々で武家屋敷や商家を荒らし回っている。だが、ほかの国で仕事をするのはこれが初めてだった。


一眞かずま」もうもうと土煙を立てて駆け下りながら、馬上から首を伸ばして伊佐いさが訊いた。「本当に門を突破できるんだろうな」

「おれたちが近づいたら門は中から開く」声を張り上げて言い、首に巻いた黒い布を鼻まで引き上げて顔半分を覆う。「そう段取りできてるんだ。余計な気を回すな」

 彼らは全速力で駆け下りた勢いのまま、平坦になった細道を一気に走り抜けて、大日方おびなた(ごう)の中へと侵入した。周りを囲んでいた木立が途切れ、きらめく真昼の太陽が目を射る。一眞は鼻に皺を寄せて眉をしかめ、目指す居館へ続く分かれ道を探した。

 大日方領主とその家族が住む館は、さとの西の端のわずかに盛り上がった土地に建っている。広い農作地の間を抜け、その先で枝道に入ると、館を囲む黒板塀と立ち上がり門、さらに母屋の瓦屋根の一部が見えてきた。周囲の道にも、少し離れたところにある数軒の農家にも今のところ人の姿はない。

 近づけば門は開く、と一眞は言った。そのはずだ。下見の時に、館で働く者につなぎを取り、入念に打ち合わせをしてあった。あいつが約束を忘れていなければ——づいていなければ、馬を止めることなく敷地内へ駆け込める。

 仲間に手で合図を送り、一眞は馬の腹を蹴った。人馬一体の七組がひとかたまりとなり、立ち上がり門へまっしぐらに向かって行く。そして彼らの眼前で、門扉が滑らかに開いた。

 期待以上に速やかで粛然とした乗り入れだったが、馬のいななきや足音で、家の者には遠からず侵入を悟られるだろう。一眞は馬の足が止まる前に飛び降りると、門の脇に立つ壮年の男の傍へ大股に近寄った。

「よくやった、義益よします」ねぎらいの言葉をかけ、辺りを油断なく見回す。「万事、打ち合わせ通りだな?」

「はい。門衛は倒して、植木の陰に隠してあります。裏門は閉じて、外から釘で打ち付けておきました。奉公人はほとんど収穫に駆り出されたので、残っているのは邸内の番士ばんしが三人と、殿さまと若さまの側仕えがひとりずつ、あとは下男ひとり、下女ふたりだけです」

 早口で報告する義益に、一眞は自分の脇差しを手渡した。

「中から出てきた者は誰も通すな」

「心得ております」

 目を合わせてうなずき、彼をそこに残して、下馬したまま待っている仲間たちの元へ足早に戻る。

「邸内にいるのは、家の者三人と奉公の者八人。うち三人は番士だ。まずそいつらを片づけて、次に残りの奉公人をやれ。領主と女房、餓鬼は殺すな。見つけたら、縛って奥座敷に放り込め」

「おたからは?」興奮に息を弾ませながら、そわそわと訊いたのは赤猿あかざるだ。

「漁るのは中の連中を片づけてからと、前もって決めただろうが」伊佐が鋭く言い、じろりとめつける。「余計なことを考えずに、飛び込んだらとにかく斬りまくれ」

 一眞は伊佐の言葉を聞き、その存在を頼もしく感じた。さすがに年長者だけあって腰が据わっている。中で万一何か不測の事態が起こっても、彼と自分がいれば何とかなるだろう。

「やろうぜ」舌なめずりしながら虎熊とらくまが言った。両眼をぎょろりといているため、隈取くまどりの顔がなおさら不気味に見える。「もう待てねえよ」

 全員が一眞を見た。潮時だ。

「やれ」

 猛々しい咆哮と共に彼らは邸内へ躍り込んだ。表玄関から入った東のむねは、台所と奉公人の寝間、番士控えの間、巨大な地炉じろを切った囲炉裏いろりの間で構成されている。一眞はまず、玄関脇にある番士控えの間を覗いた。が、誰もいない。

 玄関前から延びる中折れ廊下は、書院造りの大広間と納戸がある中の棟へ続き、その先で渡り廊下となって、奥座敷や主人らの寝間がある西の棟へと至る。渡り廊下の入り口にも控えの間があるので、おそらく彼らは今そちらへ集まっているのだろう。

「番士は廊下の奥から来る」

 囲炉裏の間へ入ろうとしている伊佐と猫目ねこめに警告すると、ふたりは方向を変えて身構えた。間髪を入れず、畳廊下を滑るように走り抜けて番士が打ちかかってくる。その刀を、伊佐が槍で受け止めた。耳をつんざくような音を立ててはがねがぶつかり、火花が飛び散る。

 伊佐は激しく突きまくって、番士を中の棟の廊下の半ばまで後退させた。狭い場所では、間合いを支配できる槍の猛攻からは逃れようがない。形勢不利と見た番士は、廊下の折れ目にさしかかる寸前、南側の大広間に背中から飛び込んだ。伊佐と猫目がすかさずそれを追う。

 一眞はうしろから来た銚子ちょうし瓶子へいしの兄弟に目で合図し、中の棟をぐるりと囲む外廊下へ回らせた。邸内の主要廊下はこれで全部押さえたことになる。どちらから敵が来ても対応できるはずだ。

 中の棟の北にある小廊下と湯殿ゆどの、裏庭を見回った虎熊が邸内に戻ってきて、一眞の背後についた。

「次が来たらおれにやらせろ」

 彼が野太い声でそう言った瞬間、ふたり目の番士が絶叫と共に第二の控えの間から飛び出してきた。虎熊が一眞の横をすり抜けて前に立ち、打刀を抜き合わせる。剣術の腕自体はお粗末だが、その攻撃は獰猛そのもので、一切迷いがなかった。彼の異相と迫力に間近で相対した番士は、明らかに腰が引けている。

 一眞は大広間の手前にある十畳間を通って虎熊の戦いを迂回うかいし、再び畳廊下に戻った。残りの番士が見当たらないが、主人を守るために西の棟へ行っているのかもしれない。剣戟けんげきが響く中、足早に先へ進む一眞の後を赤猿が追ってきた。

「女中らは台所に固まって震えてた」にやにやしながら報告する。「ありゃ逃げ出す気力もねえな」

「あとで好きに料理しろ」

 短く言って、一眞は渡り廊下への入り口から顔を出し、兄弟を行かせた外廊下を覗き込んだ。最初の折れ口の手前で、銚子が二刀を引っ提げて警戒態勢を取っている。瓶子のほうは大広間に入り、伊佐が倒した番士を猫目と一緒になって切り刻んでいた。このむねでの仕事は、もうほぼ片付いている。

「西の棟に入るぞ」

 さほど大声を出したわけではなかったが、全員が即座に反応した。まず伊佐と赤猿、次に血まみれの猫目と瓶子、最後に番士にとどめを刺した虎熊が集まってくる。一眞は後衛を銚子に任せ、全員を引き連れて最後に残る棟へと向かった。


 西のむねには中庭と回廊があり、その周囲に土蔵、四つの小座敷、茶室、祭壇の間、奥座敷と当主の寝間が配置されている。一党は棟の入り口で三手に分かれて、一眞かずま虎熊とらくま猫目ねこめが回廊の右、伊佐いさ赤猿あかざる瓶子へいしが左へ進み、銚子ちょうしは土蔵を確認しに行った。

 まだ姿を見せていないのは七人。番士ばんしひとりと下男ひとり、側仕えの侍ふたり、そして家族三人だ。西の棟で隠れるとしたら——中庭か、それとも納戸か。考えをめぐらせていた一眞は、回廊の北角の三畳間から突如飛び出してきた番士と危うくぶつかりそうになった。相手の得物は鎌槍だ。

 下から突き上げるように顔を狙ってきた鋭い穂先を、りながら膝を沈めてかわし、抜き打ちに右足首へ斬りつける。凄まじい叫び声を上げ、番士はもんどり打って転倒した。なかば切断された足首を引きずり、板敷きの廊下に血のわだちを残しながら、必死に這って狼藉者たちから遠ざかろうとしている。虎熊が三歩でそれに追いつき、打刀うちがたなで背中を二度突き刺した。

「やられたかと思ったぜ」うしろに立つ猫目が低く囁いた。声がわずかに震えている。「無事でよかった」

 一眞は振り返り、小さくうなずいて見せた。いかれた連中だが、いじらしいほど仲間思いなところがある。

「こいつは、そう簡単にやられやしねえよ」打刀の露を払いながら、虎熊が吠えるように笑った。「どこで技を覚えたか知らねえが、刀を持たせたら鬼神も逃げ出す強さだ」

 その時、彼らの足元で瀕死の番士が呻き声を上げた。不意を突かれた猫目が、脅かされたネコそっくりに飛び上がる。それを仲間に見られたのがよほど気恥ずかしかったのか、彼は衝撃から立ち直ると同時に激高して「この野郎! 死にやがれ!」とわめきながら猛然ととどめを刺した。

「これで番士は三人とも仕留めたな」一眞は死体の着物で刀身をぬぐい、別方向へ行った仲間の様子を窺った。聞こえてくる物音から察するに、座敷のふすまや納戸を次々に開けて残りの者たちを捜しているようだ。「先へ進むぞ」

 西の棟の最奥にある祭壇の間で、虎熊が三人家族のうちふたりを見つけた。

「女房と餓鬼だ!」

 彼は大声で言い、障子を閉め切った薄暗い室内から女を引きずり出して、悲鳴や抵抗をものともせずに手早く縛り上げた。猫目は部屋の中へ入っていき、泣き叫ぶ子供を笑いながらあしらっている。

 ふたりの横を通り抜けて回廊の曲がり角へさしかかった一眞は、中庭に面した障子戸に薄く人影が映っていることに気づいた。

 次の呼吸で来る——。

 刀の柄に手をかけた瞬間、戸を蹴破って袴姿の若い侍が躍り込んできた。当主か息子の側仕えだろう。刀を抜き、目を血走らせているが、一見してわかるほど膝が激しく震えている。

「当主はどこだ」一眞は静かに訊き、鞘を払った。「教えたら見逃す」

 侍は女のような金切り声を上げながら、めくら打ちに斬りかかってきた。それをいったん迎え撃ち、突き放し、次の一手で腹を真一文字に切り裂く。あんぐりと口を開けた男が自分の腹を見下ろし、刀を床に落として、力なく膝をついた。大きく開いた傷口から、赤黒い蛇のようなはらわたが音を立ててこぼれ落ちる。

「当主は?」一眞は重ねて訊いた。「言えば、楽に死なせてやる」

 侍は大量の血を吸った黒い袴を両手で握り締め、前後にしばらくふらふらと揺れていたが、やがて白目をき、膝を折ったまま仰向けに倒れた。まだ生きてはいるが、もう声も出せそうにない。

 ゆっくりと死んでいく男を見下ろしていると、回廊の角を曲がって伊佐たちが姿を現した。瓶子が左腕に軽い手傷を負っている。

「侍をひとりやった」彼は傷を押さえ、手のひらについた血をべろりと舐めた。「野郎、押し合ってる時に脇差しを抜きやがってよ」

 さらに虎熊と猫目もやって来る。

「女と餓鬼は奥座敷に入れた」

「よし、あとは下男ひとり。女中ふたりは台所だ」一眞は仲間の顔を見回した。「全員散らばって当主を捜せ。ほかは見つけ次第、殺すなり犯すなりしろ」

 赤猿がはしゃぎながら真っ先に東の棟へ戻って行き、虎熊がそれを追う。猫目は、銚子が行っている土蔵のほうへ走った。

「おれはもう一度、全部の部屋を見てまわる」

 伊佐が言い、瓶子がうなずく。

「ならおれは逆順で行く」

 ふたりはそこで分かれた。血に染まった長槍の穂先が右へ、総髪兜そうはつかぶと尾毛おげが左へ消えていく。

 一眞は奥座敷と小座敷に挟まれた七畳ほどの茶室に入り、外廊下に立って庭園をざっと見渡した。中ほどに組井筒くみいづつがあり、そこから流れ出た水が小川となって庭を巡っている。数本の梅の木と石灯籠いしどうろうの根元にこごる影に目をこらしていると、植え込みの向こうから義益よしますが顔を覗かせた。家へ入る前に与えた脇差しを手に持ち、高く上げて振ってみせる。

「下男を仕留めました」

 囁き声で報告する彼にうなずき、一眞は屋内に引き返した。女中たちも、そろそろ赤猿と虎熊が片づけている頃合いだろう。あとは当主を見つけるだけだ。

 その時、伊佐が高らかに叫んだ。「いたぞ!」

 彼は当主に縄をかけ、うしろから尻を蹴りながら廊下を引き立ててきた。そのあとから、ほかの仲間たちも続々と集まってくる。

「女中どもは仲良くあの世行きだ」虎熊が赤猿と目を合わせてにやつき、一眞のほうを見た。「下男はどうした」

「外の見張りが殺した」

「じじい、どこにいやがったんだ?」

 猫目がそう訊いて、鼻に皺を寄せながら近づくと、当主はさも嫌そうに顔をそむけた。伊佐が槍の石突きでその後頭部を小突く。

「便所だよ。おれらが斬り込んだ時にたまたま入ってて、そのまま出られずにいたってわけだ」

 伊佐の話を聞き、仲間がどっと笑う。

「情けねえじじいだぜ」

「これでも領主さまかね」

 嘲笑と悪罵あくばを浴びせながら彼らは当主を前に立たせ、奥座敷のふすまを開け放った。部屋の奥に転がされていた妻と息子が、驚愕に大きく目を見開く。伊佐が中へ突き入れると、当主は畳の縁に爪先をかけ、妻子の上に倒れ込んだ。折り重なる三人を、一眞と仲間たちが居並んで取り囲む。

 肥満気味の父親の下から這々(ほうほう)ていで抜け出した息子が、ふと一眞の顔を見上げて息を呑んだ。

「あ、あに……兄上?」

 やや自信なさげに訊く彼の上に屈んで、一眞は覆面を外した。

「おれのつらを覚えてたのか」


 当主と妻が同時に顔を上げ、信じられないという表情を浮かべた。それにも劣らず動揺しているのが、うしろに立つ伊佐いさたちだ。

「兄上って——じゃ、ここはおまえの家なのか?」

「領主の若さまってことか」得心がいったというように瓶子へいしがつぶやく。「どうりで腕が立つし、学もあるわけだ」

 一眞かずまは腰を伸ばし、驚きを隠せずにいる仲間のほうを振り返った。

「昔はそうだったが、今はもうおれの家じゃない。この因業いんごうじじいに、二年前に勘当されてからはな」

「それでもこいつら、おまえの親と弟なんだろう?」訊いたのは猫目ねこめだ。

後添のちぞいと連れ子だ。おれと血のつながりがあるのは——」つながっていなければどんなにいいかと、これまでに何度思ったことだろう。「じじいだけだ」

 憎しみに満ちた目で睥睨へいげいする息子を、父親の街風つむじ成泰(なりやす)が負けじとにらみ返す。一眞は大股に前へ出ていくと、刀の柄頭をいきなり彼の顔面に叩き込んだ。鼻の骨が砕け、ほとばしった鮮血が畳の上にぱっと散る。

 妻のりくが身を縮めて悲鳴を上げ、息子の新之助しんのすけがべそをかきだした。成泰は潰れた鼻からぼたぼたと血を滴らせながら、低く呻いている。

「おれの母親は体が弱かった。死んだのは胸の病のせいだ。だがこのじじいは女房がまだ生きてるうちから、あのあばずれを家に連れ込んで、ただでさえ苦しんでるおふくろの最期の半年を生き地獄に変えた」

 一眞はその屈辱的な日々を、母の悲しみと苦悩を、まるで昨日のように思い出すことができた。他人の家に入り込んで贅沢三昧の毎日を送るりくと、色に溺れて妻子を全くかえりみない成泰。際限なく甘やかされて育ち、ぐずれば何でも思うままになると思っている、小暴君のような新之助。その三人が我が物顔に支配する家で、一眞と母親は片隅に身を寄せ合うようにして暮らしていた。

 もちろん、ただ黙って我慢していたわけではない。母を苦しみから救いたい一心で、一眞は何度も父親に立ち向かった。めかけを持つなとは言わないが、母の前で奥方づらをさせるな。さとのどこかに妾宅しょうたくを構えて、息子ともどもそこへ住まわせろ。だが、そのたびに彼は怒り狂った成泰から完膚かんぷ無きまでに叩きのめされた。もともと乱暴な男ではあったが、若い妾を囲ってからはさらに凶暴さが増したようだった。

 素手で、あるいは棒で、激しい殴打は時に一刻あまりも続くことがあった。意識を失うまで決して降参しない一眞は、腕を折られ、肋骨あばらぼねを折られ、額を割られ、体中を傷とあざに覆い尽くされた。

「おれが家を出るまでのあいだ、さんざんいたぶってくれたよな」一眞はそう言って、沸き上がる衝動のままに、血にまみれた父親の顔に蹴りを入れた。たまらなく気持ちいい。「何度骨を折られたっけ。三度か? 四度か?」

 成泰は何も答えず、ただ呻くだけだ。

「一眞よう」うしろから虎熊とらくまが問いかける。「おめえ、こいつらをどうしたいんだ?」

 彼は一眞の肩に手をかけて振り向かせ、奇妙に優しい目で見つめた。

「どうとでも、して欲しいようにしてやる。こいつらが何やったのか、詳しいことは知らねえ。だが、おめえがこいつらを心底憎んでるのはわかった。おめえがかたきと思ってるなら、おれにとってもこいつらは仇だ」

 そうだ、とほかの連中も声を上げる。

「じじいは手足を落として、舌を抜いてやろうぜ」赤猿あかざるたかぶった声で言う。

「いいな」一眞はうっすら笑みを浮かべた。

一物いちもつを切って、腹をさばいて、てめえの臓腑ぞうふを食らわせろ」と銚子ちょうし

「それもいい」

「一眞は骨を折られたと言ったぜ」瓶子へいしがにんまりしながら提案する。「殺す前に四肢ししを全部叩き折ってから、庭を一周()わせるってのはどうだ」

「なあ餓鬼は? 餓鬼のことを聞かせろよ」

 猫目が促し、一眞は義弟に歩み寄った。

「この甘ったれた餓鬼は〝兄上がやった〟ってのが口癖だった。てめえが勝手に道で転んでも、玩具おもちゃを壊しても、こいつは〝兄上がやった〟と言う。それを聞いて、あばずれがきゃんきゃんく。するとじじいがおれをぶん殴る」

ろくでもねえ糞ったれだ。こんな餓鬼、三枚下ろしにしてやろうぜ」

 虎熊が吠え、隈取くまどりの顔を恐ろしげに歪めて、横たわる新之助をまたいだ。頭髪をむんずと掴まれた少年がたちまち泣き出し、股の下に黄色い池が広がる。それを見た仲間たちが一斉にはやしたてた。

「糞ったれじゃなく、小便たれだ」

「ばばあのしつけがなってねえんだろうよ」

「次はばばあだ」伊佐が声を張り上げる。「一眞、ばばあについて話せ」

「このばばあはな、肥えた臭い年寄りを金目当てでくわえ込んだあばずれだ。そのくせ若い男のあれを欲しがって、じじいの目を盗んでは奉公人と片っ端からやりまくってた」

 成泰がはっと目を目開き、身をよじって妻のほうを見た。鼻の痛みも一瞬忘れてしまったようだ。その疑いの視線を浴びたりくが、顔面に血を上らせてわめき散らす。

「この……この嘘つき! かたり者の悪党! おまえの言うことなど、誰が信じるものか」

「そうだな。言っても、じじいは信じなかった。てめえが下男や小作人に股を開いてるってことも、まだ餓鬼のおれにまで色目を使って、ことあるごとにしなだれかかってくるってことも」一眞は首を回して仲間たちを見た。「なあ信じられるか? おふくろが死んで後妻になったあとすぐ、このあま、義理の息子のおれに乗っかろうとしたんだぜ」

 伊佐たちが顔を歪めて嫌悪の呻きをもらす。

「どうしようもねえ淫乱ばばあだな」

「つらを切り刻んで、乳を切り取って塩をり込んでやろうぜ」

「汚ねえ穴ぼこにおきを突っ込んで焼き潰せ」威勢よく言った赤猿が、ふと真顔になって訊く。「おめえ、そん時いくつだったんだ、一眞?」

「十三だ。誰がこんな、男なら誰とでも寝るような色狂いの年増とやるかってんだ」

 横たわるりくに唾を吐きかけ、さらに一眞は、血と脂汗と屈辱にまみれてわなわなと震えている成泰の顔をまた蹴った。ぎゃっという叫びと共に、折れた鼻から再び血が噴き出し、横にいる妻と子に降りかかる。

「現場をじじいに見つかって、ばばあはおれに襲われたと言った。それを信じたじじいはおれを半殺しにして、家から叩き出したんだ」

 一瞬の沈黙のあと、障子戸がびりびり震えるほどの怒声が上がった。

「じじいもばばあもぶっ殺せ」

「餓鬼も道連れだ」

「待て、待て」いきり立つ仲間たちを、伊佐が穏やかになだめる。「一眞に決めさせようぜ。三人とも殺すか? 殺すなら、どう殺したい?」

 一眞はわずかの間も置かずに、全部、と答えた。

 伊佐が怪訝けげんそうに眉をひそめる。「全部?」

「さっきおまえらが言ったこと」一眞は成泰らの蒼白な引きつった顔から、期待と興奮にのぼせた仲間たちの顔へと視線を移した。「全部やりたい」

 そして、彼らはやった。挙げられたことのすべてではないが、少なくともその八割方は実行した。やり終えた時には、成泰と新之助は人の姿すら留めておらず、りくは下半身が黒焦げになり、奥座敷の中には合戦場もかくやという血と臓物ぞうもつのにおいが深く濃く立ちこめていた。

「じじいは、たんまり貯め込んでる」一段落すると、一眞は未だ血に酔った目をしている仲間たちに言った。「奉公人部屋以外は、どの部屋にも何かしら金目のものが隠してあるはずだ。徹底的に漁りまくれ」

 猫目を先頭に、彼らは歓声を上げながら各部屋へ散っていった。

「いいのか、一眞」一度行きかけて、かまちの手前で足を止めた伊佐が訊く。「この家の金はおまえのもんだろう?」

「金なんかいらない」

 えび茶色に染まり、金気臭くなっている畳の上から、一眞は誰のものかわからない短刀を拾い上げた。

「おれはただ恨みを晴らしたかった。そのために、おまえらの手を借りたんだ。だから、当然の報酬だ」

「なんだ、水くさいやつだな」伊佐は部屋の中に戻り、ちょっと照れくさそうに言った。「虎熊も言ってただろう。おまえの仇は、おれらの仇だって」

 無法の権化のような彼らの心に内在する、愚直なほどの義理堅さにあらためて深く胸を打たれながら、一眞はじっと伊佐の目を見つめた。

「おまえらは本当にいい仲間だ」

 囁くように言うと、彼は短刀を握った右手を無造作に上げ、刃先を伊佐の首に当てて、右の鎖骨から左耳の下まで一気にき切った。表情も変わらず、声もないまま、彼の体がその場にくずおれる。一眞は流れる血の川の中から出て縁側へ行き、義益よしますを呼び寄せた。

「片付きましたか」室内の惨状を目にした彼は、一瞬ぎょっとした様子を見せたが、すぐに表情を引き締めた。「ご本懐ほんかいを遂げられましたな」

「おまえと、あいつらのお陰でな」

 一眞は預けた脇差しを受け取って、代わりに先ほどの短刀を手渡した。

「みんないいやつらだ。だから、できるだけ苦しませるな」

「承知しました」

 ふたりは一緒に各部屋を回り、ひとりずつ息の根を止めていった。誰も一眞を疑わないので、抵抗らしい抵抗もない。左右か前後を挟んで距離を詰め、ただ粛々《しゅくしゅく》と急所を突くか斬るかで簡単に片はついた。

「これから、どうなさいますか?」

 すべて終わったあと、薄暗い土蔵の中で義益が訊いた。ふたりの足元には、最後に殺した猫目が横たわっている。

「まずは、わたしが生き残りの者を装って郷庁ごうちょうへ届け出るとして、若さまがお家を継がれるためには——」

 背中を向けていた一眞は振り向きざまに脇差しを抜き、義益の胸を下から突き上げた。はっと硬直した彼の肩を掴んで引き寄せながら、刃先をさらに深く沈めていく。義益は低くあえぎ、丸く見開いた目で一眞を凝視しながら、猫目の横に膝をついた。

「家を継ぐつもりはない」一眞は言い、彼の体を両腕で抱えて、ゆっくりと土の上に寝かせた。「あのじじいの跡継ぎなんて、真っ平だ」

 みるみる血の気を失っていく義益の上に屈み込み、その曲がった鼻に優しく触れる。

「いつだったか、おれを殴るあいつを止めようとして、鼻を折られたっけな。この家で、おれをかばってくれたのはおまえだけだった。今日、じじいの鼻を折って、仕返しをしてやったぞ」

 義益の目がどんよりと曇っていく。もう、声が聞こえているのかどうかもわからない。だが、かまわず一眞は話し続けた。

「この先どうするかは決めてる。餓鬼のころからおまえに仕込まれた剣術の腕があれば、生きていく手立てには事欠かないだろう。だが次はもう少し、ましな生き方ってやつができるかを試してみるつもりだ」

 一眞は義益の薄くなりかけた額髪を丁寧になでつけ、完全に光を失った両眼をそっと閉じてやった。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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