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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第五章 波紋
148/161

五十六 立身国七草郷・黒葛貴之 手紙

「これから大切になってくるのは、在地領主たちとの関係の構築です」

 七草(さえくさ)城、(ふもと)御殿中奥の城主居間で黒葛(つづら)貴之(たかゆき)と向かい合い、唐木田(からきだ)直次(なおつぐ)が静かに言った。

 直次は貴之が六歳で七草黒葛家の跡取りと決められた際に、今は亡き先代黒葛貴昭(たかあき)が幾人かの候補の中から選び抜いて任命した傅役(もりやく)だ。その年から彼は黒葛家直臣(じきしん)となり、息子の唐木田智次(ともつぐ)も城へ上がって貴之に仕えるようになった。

 父の急逝により当主の座に就きはしたものの、まだ十四歳の貴之には学ぶべきことが数多く残っている。武芸や学文(がくもん)、作法などに加え、今後は政治や兵法についてももっと深く知らねばならない。そのため代替わり後も引き続き直次を傍に置き、どれほど多忙でも毎日必ず最低一刻は彼との勉強の時間に()てるようにしていた。

「ここでいう在地領主は、いま争いごとを起こしている不入地(ふにゅうち)の豪族とは異なり、立身(たつみ)国の国衆(くにしゅう)として御屋形さまに服属する外様(とざま)の武士たちです。城に出仕こそしませんが、それ以外は支族や譜代の家臣団とさほど変わりありません。自身の所領で徴税して定められた役銭(やくせん)を納付しますし、夫役(ぶやく)を課されれば普請などの労働にも従事します」

「いわば地方の徴税人のようなものだ、と前に聞いた気がする」

「はい、その通りです。また彼らは、戦が始まれば陣触(じんぶ)れに応じて参戦します。現在は所領の石高百(こく)につき六人を動員する決まりで、先の耶岐島(やぎしま)戦の例でいうと最少動員数はふたり、最大で二百人前後でした。個々に見ればさしたる数ではありませんが、在地領主自体が多くいるので、全体を合わせれば無視できぬ規模になります」

 直次は少し間を置き、浅黒い顔に物思わしげな表情を浮かべた。

「ご先代さまは強さと大胆さ、聡明さと冷静さを兼ね備えた、人に〝ついて行きたい〟と思わせる大将であり、直属の家臣ではない者たちからも信望を集めておられました。それゆえに現在のところ、当家と外様との関係は良好です。しかし今後は――」

 みなまで言われずともわかる。

「おれ自身の器量で、彼らの心を掴んでいかねばならない」

 直次はこくりとうなずき、茶托から碗を取って緑茶をひと口すすった。

「ご先代さまには、外様と接する機会が数多くございました」

戦場(いくさば)でだな」

「はい。本陣へ挨拶に来る者には必ずお会いになり、自ら陣所の見回りを欠かさず、参陣した者たちには身分の別なくお声がけされていたと聞き及びます。そうした点から、尊敬の念を超えて親しみをおぼえていた者も多かったでしょう。また戦場というのは、人同士の絆が芽生えやすい場所でもあります」

 貴之は耶岐島陣で父の見回りに同行した際、人なつこく声をかけてきた(あららぎ)泰三(たいぞう)を思い出した。〝御大将どの〟と呼んで慕っていた父の死を知り、悔やみの言葉を最後まで言えないほどに嘆き悲しんだ純朴な鄕士。たしかにあの男と父とのあいだには、何らかの心の結びつき――それを絆というのだろう――があったように感じられた。

「戦が終わった今、おれはどんな方法で外様と交流すべきだろう」

「まずは手紙でしょう。地味と思われるかもしれませんが、これが意外に効果的です」

「煙たがられないかな」

「内容が何かの要求ならば煙たがられもしますが、様子伺いであればむしろ喜ばれるでしょう。先の戦での働きを褒め、当人や家族の健康を気づかい、何か困りごとはないかと訊ねる――つまり、その人物に関心を寄せてやるのです」

「なるほど」

「次に視察です。代替わりに伴う諸々(もろもろ)もだいぶ片付いてきたことですし、そろそろ始められてはいかがでしょう」

「うん、それはおれも考えていた。だが出兵している最中なので、どうしたものかと」

 現在、貴之は六千三百の軍勢を東部地域の伊野尾(いのお)(ごう)へ向かわせている。前軍千三百は巧月(こうげつ)四日に七草を発っており、そろそろ現地に着いて布陣を始めているころだろう。本軍五千は数日あとに合流する段取りなので、開戦は巧月三十一日か観月(かんげつ)朔日(ついたち)になると予測している。

「今後、戦況に関する報告が続々と入ってくるだろう。おれは城にいたほうがいいのではないか」

「あまり遠くへ足を延ばさなければ問題はないでしょう」

「そうか。なら、手始めに杣友(そまとも)(ごう)あたりへ行ってみようか。外様の所領では大きい部類で、七草からいちばん近かったはずだ」

荷軽部(にかるべ)郷、前旬(まえだ)郷、鈴久名(すずくな)郷を経由して……往復で四日ほどですね。よろしいかと」

「では今日みなに伝えて、月が替わったらすぐにも出かける」

 貴之の言葉に直次が苦笑をもらした。気が早いと思っているのだろう。

「支度にもっと日数がいるかな?」

「御屋形さまの果断さをわたしは好ましく思いますが」

 直次が唇に笑みを留めたままで言った。

「さすがにもう、身軽に出歩いておられた若君のころのようには。警護を司る馬廻(うままわり)衆は、相応の手回しをするための時をいただきたいと思うでしょう。誰か先行させて経路の安全をたしかめ、道中のいくつかの立ち寄り所にも先触(さきぶ)れをせねばなりません」

 面倒くさいなと貴之は思った。生来、何ごとも思い立ったらすぐにやりたがる(たち)なのだ。だが最近は、周りがついてこられないような性急な振る舞いはなるべく慎むよう心がけている。

「出かける日は柳浦(なぎうら)重益(しげます)と相談して決めることにする」

「賢明なご判断です」

 自分でそのように誘導したにもかかわらず、さも貴之が自ら思いついたかのように褒めるのは直次の昔からのやり方だ。

「そろそろ昼餉のころですので、本日はここまでにしましょうか」

 勉強の始まりと終わりには、必ず双方とも形を改めて礼をする。もともときれいな姿勢をさらに正そうとするように顎を引いた直次を、貴之は片手をちょっと上げて止めた。

「もう少し話したい」

「はい」

「宗主がおれを立州(りっしゅう)国主代に任じられた際に、目付役に決まった丹部(たんべ)家の黒葛俊宗(としむね)どののことだ。赴任の支度を終えたら連絡すると言ったきり、しばらく音沙汰がないので気になっていたが、今後の予定を知らせる手紙が夕べ届いた。二十日(はつか)ごろに出立(しゅったつ)して、まずは郡楽(ごうら)へ立ち寄り、宗主に挨拶をしてから海路でこちらへ向かうとのことだ。どれほど遅くとも来月中には七草に到着するだろう」

「ようやくですか」

 直次の声に、ほっとしたような響きがかすかに交じった。なにしろ目付役が決定した元服の日から、すでに四月(よつき)が経っているのだ。なかなか動く様子を見せない俊宗に()れていたのは貴之だけではない。

「お迎えの準備を始めねばなりませんな」

「そのことを相談したかった。俊宗どのの住まいをどこにするか、あれこれ考えてはみたが決めあぐねているんだ」

 黒葛俊宗は貴之が十九歳になるまでの五年間、国主代補佐として七草に滞在することになっている。主従関係ではないので俸禄の宛行(あてがい)はしないが、彼の住居は七草家で用意することを約束していた。ただの役人なら城下の空いている屋敷を適当に割り当てればいいが、黒葛一門衆を迎えるとなるとそうはいかない。

「彼はおれのいとこ伯父だが、城内の客殿を提供するというのはまずいかな」

「そうですね。お身内ではあっても、ご家族ではありませんので。やはり城外の屋敷町にお住まいいただくのが妥当でしょう」

「屋敷町で一門衆を住まわせるのに相応(ふさわ)しい場所というと、正門前のあの一角を置いてほかにないと思うが……」

 貴之が言葉を濁すと、直次が不思議そうに眉を上げた。

「ご門前御屋敷と呼ばれている二万五千坪ですね。規模、格式ともに申し分ないかと。何かご懸念でも?」

「じつは玉県(たまかね)輝綱(てるつな)から、門前屋敷を拝領したいと申し入れをされているんだ」

 貴之は先日行った論功行賞の際に、江州(こうしゅ)(えき)で功を立てた安須白(あずしろ)玉県家を加増しようとした。しかし彼が提示した九万五千(ごく)を当主の輝綱はあっさりと断り、代わりに門前屋敷を所望したのだ。維持費ばかりかかる広大な屋敷と庭園を十万石近い知行と引き換えに欲しがるなど、貴之には彼の気持ちがさっぱりわからない。

「返答は保留にしてあるが、自分が先に願い出ていたものを俊宗どのに鼻先でかっさらわれたら、輝綱はおもしろくないだろうな」

「そこは()を折っていただくほかありますまい。輝綱さまも、まさかご一門さまと張り合おうなどとは思われぬでしょう」

 たしかに、もし彼が一門衆への配慮よりも自分の要求のほうが優先されるなどと考えるなら、それは思い上がりというものだ。

「輝綱の腹の内はどうも読めない」貴之はつぶやき、苦笑をもらした。「読めたら読めたで、もの争いの種になりそうではあるが」

 一緒に笑うかと思ったが、直次は奇妙に真剣な顔で貴之をじっと見つめている。

「御屋形さま、わたしの考えをお聞きになりますか」

 ふいに問われ、貴之は少し戸惑いながらうなずいた。

「むろん聞く。輝綱のことか」

「いえ、そうではなく――俊宗さまに関してです。ご親戚といっても、これまでほとんどおつき合いのなかったかたなので、お人柄などもさほどご存じではないでしょう」

「まあ、そうかな。前に石動(いするぎ)(じじ)さまから少し所見を聞かせてもらったが、頭がよくて温厚で、働き者だと言っていた。ただ浪費癖があるらしい。食い道楽で洒落者(しゃれもの)なのだとか。女にも金を使うとかいう話だったな」

 直次が「ふむ」と短く相槌(あいづち)を打つ。

「それから、おれが救援軍に加わって行った耶岐島で、父上に追い返されかけたところへ割って入り、由解(ゆげ)正虎(まさとら)真境名(まきな)義家(よしいえ)どのと一緒になって取りなしてくれた。ありがたかったのでよく覚えている」

 貴之はちょっと言葉を切って、直次の目を覗き込んだ。

「今のところ印象は悪くないが、彼を七草へ迎えるにあたって何か留意すべきことでもあるのか」

「信頼の置ける人物を誰かひとり、世話役として俊宗さまのお傍につけられることを進言いたします」

 世話役という名の監視役だ。

 貴之はすぐそのことに気づき、七草家にとって部外者である俊宗を疑え、警戒しろと言ったも同然の彼に鋭い眼差しを投げた。直次はそれをまっすぐに受け止め、悪びれる様子もない。

「ご一門の結束の強さは存じております」彼は落ち着いた口調で静かに言った。「しかしながら、それでもなお俊宗さまがなさることに注意し、近くで見守り、もしわずかでも気がかりがあれば御屋形さまにご報告をする者は必要である――と、わたしは考えます」

 その率直な物言いから、彼に俊宗個人を貶める意図のないことは容易に知れた。

 国主代となった自分に目付役が必要だと宗主が判断したように、権威ある地位に就く者はすべからく、その権威をどう使うかを注視されるべきなのだろう。身内を悪く言われたようであまり気分は良くないが、直次を置いているのはこういうことを教えてもらうためだし、彼はその役目を正しくこなしている。

 貴之はそう考えて、つかの間ざわついた心を押し鎮めた。

「誰が適任かな」

 彼が進言を受け入れる意思を示すと、直次は唇に薄く笑みを浮かべた。

「気働きがあり、愛想の良い人がいいでしょう。細やかにお世話をして、俊宗さまが早く当地になじめるよう尽くせることも大切ですから」

 小姓衆の中に何人か思い当たる者はいるが、有能でも若すぎると侮られるし、身分が低いと使い走り扱いされかねない。となると支族の二十代、三十代あたりから、城内でそれなりに幅が利く者を選ぶべきだろう。さらに如才なく立ち回ることができて、さり気なく監視するという難役をうまくこなす力量があり、自分が全幅の信頼を置ける人物――条件が多すぎて、なかなか難しい。

 貴之は腕組みをしてじっくり考えてから、ひとりの名を挙げた。

花巌(かざり)利正(としまさ)……はどうだろう」

 筆頭家老花巌義和(よしかず)の嫡子で当年二十九歳の利正は、耶岐島の戦いで敵総大将守笹貫(かみささぬき)信康(のぶやす)の本陣へ奇襲をかけた決死隊の一員だ。その激しい戦いの中で彼は左腕を失ったが、代替わりした貴之にいち早く臣従を誓い、今後も七草家のために粉骨砕身するという意欲を見せている。

 貴之がまだ幼かったころ、いまは亡き父の小姓だった彼は優しい兄のように、しばしば遊び相手を務めてくれたものだった。

「そろそろ出仕できると言っているので、何か意義ある役目を与えたいと思っていた」

「よい人選です」直次がうなずく。「利正どのは利発で性情穏和、忠義の志も高く、このお役目には最適と言えるでしょう」

「では義和を通して打診する」

 いくつかの懸案事項に片がつき、貴之はすっきりした気分になった。

 放置はできないが重臣たちを集めて話し合うほどでもない問題は、こうして直次に相談するに限る。彼は安易に解答を与えることはしないが、いつも示唆に富む言葉で方向性を示してくれるので、話していると自然に考えがまとまっていくのだ。

 それに直次は城内のいかなる派閥にも属しておらず、常に中立で客観的なので、偏った思想を吹き込まれる恐れもなかった。さすが父が総領息子の養育を任せるに足ると見込んだだけのことはある。

 ふと、もうひとつ彼の意見を聞きたいことが浮かんだ。

「直次、じつは――」

 しかし全部言う前に、(ふすま)の向こうからかけられた遠慮がちな声に遮られた。

「御屋形さま、ご学文(がくもん)中に失礼いたします。御膳所より弁当が届けられました。こちらへお運びしましょうか」

 新参小姓の灰谷(はいたに)良彰(よしあき)だ。

「そうだな。これから外出(そとで)するから、その支度も頼む」

 指示を与えてから直次のほうへ向き直ると、彼は不思議そうな表情をしていた。

「弁当ですか」

三輪(みわ)どのと城山を散策する約束なんだ」

「それはよろしいですな」

 貴之の許婚(いいなずけ)の名を聞いて、直次は微笑ましげに目元をなごませた。

「おふたりで、たまにはゆっくり羽を伸ばされるといい」


 着替えを終えて外へ出ようとした貴之(たかゆき)を、回廊の反対側から来た小姓頭の唐木田(からきだ)智次(ともつぐ)が呼び止めた。

「御屋形さま、丈州(じょうしゅう)から書状がいくつか届いております」

 庭へ下りかけていた足を止め、貴之は気のない眼差しを彼のほうへ投げた。

「どうせ、また俊紀(としのり)からだろう」

 苦々しい思いで、いとこの名を口にする。

 このひと月ほどのあいだに、貴之は俊紀からの親書を三通も受け取っていた。七草(さえくさ)に滞在中に雷土(いかづち)三輪(みわ)に無礼を働いたことへの詫び状だ。それと一緒に彼の取り巻き連中からの手紙も何通か来ていたが、すべて俊紀を擁護しようとする内容だった。あまりにくだくだしい書きぶりのため、少し見ただけで心底うんざりしてしまい、どれも読み通さないままで放置している。むろん返書は送っていない。

「俊紀(ぎみ)から一通と、紅子谷(べにこや)常朝(つねとも)前間(まえま)一成(かずなり)、前間朋成(ともなり)柳橋(たぎはし)昌徳(まさのり)――どのからそれぞれ一通ずつ。あと黒葛寛貴(ひろたか)さまからも来ておりますよ」

 伯父からはこれで二通目だ。一通目は水月(すいげつ)の終わりごろに早馬で届けられたが、内容はやはり息子の俊紀がしでかしたことへの謝罪だった。それはさすがに無視できないのですぐに返信したが、慇懃(いんぎん)ではあるがよそよそしい文面から伯父は彼の心情を感じ取ったことだろう。

「伯父上のだけ、あとで読む」

 貴之は手を伸ばすと、寛貴伯父からの書状を受け取って懐に入れた。

「ほかはまとめて文箱(ふばこ)にでも突っ込んでおけ」

 ぞんざいな指示を聞いて、智次が(かぶか)しげな目をした。彼は俊紀と三輪のあいだに起きた事件を知らないので、貴之が親しかったいとこに急に冷淡な振る舞いをするようになったことに当惑しているのだろう。

 智次と別れたあと、貴之は従者の戸来(とき)慎吾(しんご)をつれて城山の(ふもと)へ行った。登城路の入り口には三輪と同行者の若い侍女ふたりがすでに来て待っており、貴之の警護役の馬廻(うままわり)も木戸番所の脇に三人控えている。

「お待たせしましたか」

 彼が近づいて声をかけると、三輪はぱっと顔を輝かせた。

「いいえ、わたしたちも着いたところです。こちらのほうへは来たことがなかったので、お庭の中で一、二度、道がわからなくなりかけて」

「迎えを行かせればよかったな」

「あら、ちょっとぐらいなら迷うのも楽しいわ。探検しているみたいですもの」

 無邪気に言って、彼女は軽く身をひねって見せた。

「支度はこんなふうでよろしい?」

 三輪は涼を感じさせる勿忘草(わすれなぐさ)色の麻の小袖を短めに着ており、足元は足袋(たび)草鞋(わらじ)履きだった。山道を行くことを考えて、ちゃんと歩きやすい(こしら)えをしている。

「充分ですよ。行きますか」

「はい」

 彼女は元気に応えると、木戸へ向かう貴之を弾むような足取りで追ってきた。ふたりから少し離れて慎吾と侍女、さらに警護の三人がぴたりとついてくる。

 七草城の城山は海に近い地域では高い部類に入り、登城路の勾配も少し急なので、初めて見る者の目には険しい道のりに映るだろう。貴之は三輪が歩き通せるか心配していたが、意外にも彼女は軽快に足を進めており、山道に手こずっている様子はまったくない。

「天守曲輪(ぐるわ)まで半刻と少しかかりますが、だいじょうぶかな」

「ご心配なく」

「あなたは山歩きに慣れているんですか」

「故郷の百鬼(なきり)島は山がちな島で、特に斧研(おのとぎ)城が建つ南東部は平坦な土地のほうが少ないほどなの。わたしは城の周囲の山道や海岸へ続く崖道を登り降りして育ったから、こういう道ならいくらでも歩けます」

 思えば、彼女から生まれ故郷の話を聞くのは初めてだ。

「丈州よりもさらに南だから、今ごろの季節はさぞ暑いのでしょうね」

「とても暑くて、雨がたくさん降ります。南の海岸沿いには年間を通じて強い風が吹きつけますし、豪雨に見舞われることも多くて、田畑を作るのには向きません。でも内陸部は乾燥していて、よく水不足になります」

 厳しい土地だな、と貴之は思った。雷土氏の祖先が農耕や漁猟よりも海賊を生業(なりわい)とすることを選んだのは、島の気候風土に()るところが大きかったのかもしれない。

「暮らしやすいところとは言えませんけれど、美しい島なのですよ。大陸本土では見られないという珍しい花がたくさん咲きますし、変わった鳥や動物たちもいます」

「人はどうです。優しい? 荒っぽい?」

「海賊上がりの家が治めているから、猛々しい土地柄だと想像していらっしゃるのでしょう?」

 三輪がいたずらっぽい目をしながら言う。

「我慢強くて、目の前のことに黙々と打ち込む生真面目な人が多いと思います。でも遊びも好きで、楽しいことは見逃しません。周りから思われるほど好戦的ではないけれど、戦うとなるとしぶとくて手ごわいですよ」

「じゃあ、争わずに仲良くしたいな」

 貴之の言葉に笑いながら上り階段に足をかけた三輪の髪が、横から張り出していた木の枝先に絡め取られた。()()ったのを見て落ちるかと思い、急いで背に手を添えたが、彼女は自力でしっかりと踏みとどまっている。かなり強い足腰をしているようだ。

「いま外すから、じっとしていてください」

(いや)な髪だわ。うねっているから、すぐいろんなものに絡んでしまうの」

葉奈(はな)はうらやましがっていましたよ。毛先がくるりと巻いているのがかわいいと言って」

 妹のことを話しながら丁寧に髪をほぐして枝からそっと外してやると、三輪は少し恥ずかしそうに目を伏せて会釈をした。

「ありがとうございます」

「あなたのような髪は、島民にはよく見られるんですか」

「島では、どちらかというと男性に多い髪質です。でも父はまっすぐな髪をしているし色白なの。わたしのくせ毛と濃いめの肌の色は祖父譲りです」

 急坂に設けられた長い階段を上りながら彼女の話を聞くうちに、貴之の脳裏にひとりの男が浮かんだ。

「前にお話しした、六車(むぐるま)兵庫(ひょうご)という〈隼人(はやと)〉のことを覚えていますか。おれが百武(ひゃくたけ)城で命を助けられた――」

面差(おもざ)しや肌色がわたしと似ているとおっしゃっていたかたね」

「先月、また彼に会う機会があったので百鬼島の出身かと訊ねたんですが、南海の名もない小島で産まれたと言っていました。もしあなたと同郷だったら、ちょっとおもしろいと思ったんだが」

 笑うかと思ったが、三輪は真顔で考え込んでいる。何か気に障っただろうか。

「その人がそう話したなら――」彼女は一定の歩調で階段を上りながら、つぶやくように言った。「やはり同郷かもしれません」

「どういうことです」

「百鬼島から南南東へ小舟で一刻ぐらい行った場所に、名前のない島があるんです。周囲三百丈足らずの、高い場所がほとんどない小さな島で、定住している人は誰もいません。でも濤神(おおなみのかみ)の加護を受けた神聖な島として、昔から崇められ大切にされてきました。わたしの国では、身ごもった女の多くが産み月になると海を渡り、その島で子を産み落とします。神の島で産まれた子供は加護を得て、強く育つと言われているからです」

 階段を上り終えたところで少し息をつき、三輪は再び歩き出しながら言葉を続けた。

「島には産屋(うぶや)と呼ばれる小屋がひとつ建てられていますが、毎年夏の終わりになると必ず大嵐がやって来て、何もかも波にさらわれてしまいます。それからしばらくのあいだ、島内の湧き水から濁りが消えてまた飲めるようになるまでは、誰も島に渡ることは許されません。ひと月ほどすると〝見立て人〟が島の様子を見に行って、良しと判断したらすぐにまた新しく産屋が建てられます」

「入島禁止の時期に産まれる子供は、加護を得られず弱い子になるわけか」

「そう言い習わされているので、産み月が大嵐の時期と重ならないことをみな願っています。思うようにいかないことも、もちろんありますけれど。〝名もなき島の産まれ〟というのは、加護を得た者であることを示す百鬼島独特の言い回しなのです」

「だったら、六車兵庫は百鬼島の者かもしれないな。あの時に肯定しなかったのは()せないが」

 もっとも、世の中には出自を語りたがらない者もいる。誰しも人に知られたくないことというのはあるものだ。

「三輪どのは、六車という家名に聞き覚えは?」

「いいえ……」彼女は少し考えて、小さく首を振った。「わたしの記憶にある限りでは、城でその名を見聞きしたことは一度もありません」

「そうか。――ところで、あなたは加護を得た子なのかな」

「はい」三輪が貴之を見てにっこりする。「母は名もなき島でわたしを産みました。でも父は大嵐の時期に産まれて濤神の加護を得られなかったせいか、小さいころ体がとても弱くて病気ばかりしていたそうです。そのために祖父は一時、父を廃嫡しようとまで考えたとか」

 できるだけ強く賢い者を跡継ぎにと望むのは当然のことだ。長子がそのまま嫡子として認められるとは限らないし、当人らの資質如何(いかん)では兄が下げられて弟が繰り上げの後継者となることもある。

 貴之は肩越しにちょっとうしろを見て、同行の者たちの位置を確認した。こちらの会話が聞こえるほど近くにはいない。

「さっき傅役(もりやく)に相談し損ねたんですが――」

 彼が小声で切り出すと、三輪は察しよく身を近づけてきた。

「じつは弟の佳貴(よしたか)を、近々(ちかぢか)おれの跡継ぎに指名しようと考えています」

 この件に三輪がどんな反応をするか読めずにいたが、彼女は黙ってじっと耳を傾けている。

「跡目相続を曖昧なままにしておくと、いろいろ問題が出てくるので。弟もあまり丈夫なほうではないから多少の不安はありますが、とりあえず今ほかにこれと思う候補者はいません。むろん、いずれあなたと結婚して子供ができたら再検討します。でも運よく早めに男子が産まれたとしても、その子が六歳になるまでは、やはり誰か後継者を立てておかねばなりません」

「そうですね」

 あっさりしたものだ。本心だろうか。

「抵抗はない?」

「いいえ、まさか。必要なことだとわかっています」

 真面目な声でそう言ってから、彼女は口元をほころばせた。

「事前に教えてくださって嬉しいわ」

評定(ひょうじょう)にかけるまでは、ほかの者には黙っていてくれますか」

「もちろんです」

 その会話が終わるころには、ふたりはもう天守曲輪のすぐ下まで登っていた。巨木に囲まれた坂道から上に目を転じれば、厚い城壁の向こうに美しい破風(はふ)で飾られた天守の最上階が見て取れる。

 今日、三輪をここへ連れてきたのは、彼女が七草城の天守閣に興味を示したからだった。百鬼島には天守を持つ城がないため、一度近くで見てみたいと思っていたらしい。

「すごいわ」

 いくつかの門をくぐって頂上の曲輪(くるわ)に入っていくと、三輪は石積みの土台の上にどっしりと(そび)え立つ天守を見上げて感嘆の声を上げた。

「こんなに高い建物を見たのは初めて」

「三重四階、地下一階です。南部の天守はこれ以下のものが多くて、いちばん高いのはおそらく百武城の五重大天守だが、北部にはもっと高い天守を持つ城もあると聞きますよ」

 貴之は話しながら、曲輪の番士が開けてくれた扉から天守内部へと入った。下層階にわざわざ見るようなものは何もないので、急な階段をどんどん上っていく。

「慎吾、弁当を」

 三階でいったん足を止め、従者から弁当の包みを受け取った彼は、三輪だけをつれて最上階へ上がった。

「ここは望楼の間といって、城主かその許可を得た者しか足を踏み入れることができません」

 床に荷物を下ろし、回廊へ出るための板戸を開くと、強烈な夏の日差しと共に涼風が入り込んできた。

(まわ)(えん)から城下を眺めてみますか?」

「ぜひ」

 三輪は好奇心いっぱいの表情でうなずいたが、幅三尺の回廊に足を踏み出すと、とたんに立ちすくんでしまった。青い顔をしているのを見て急いで手を差し伸べれば、必死の面持ちで取りすがってくる。

「怖かったかな」

 体の周りを腕で囲うようにしてやると少し落ち着いたらしく、彼女は胸を手で押さえながら大きく息をついた。

「わたし、城の近くの崖から海を眺めるのが好きだったので――高いところは平気だと思っていました」

 声がわずかに震えている。

「でもこんな高さから地面を見下ろすのは、海を見るのとはまったく違いますね」

 貴之は彼女の手を引き、ゆっくりとその場に座らせた。

「どうです、立っているよりはましですか」

「はい。これならだいじょうぶです」

 三輪の瞳に力強さが戻った。怖さはだいぶ薄らいだようだが、まだ手は握ったまま離そうとしない。

 貴之は自分もそこに腰を下ろすと、高欄の向こうに広がる風景を指差しながら説明した。

「左手に見えるのは船渡(ふなと)川といって、城の外堀を兼ねています。小さいころ、あそこでよく川釣りをしました。川の水と海の塩水が混ざり合うあたりは魚の宝庫で、いろいろな種類を釣ることができるんです」

「釣りのお師匠だとおっしゃっていた、甲斐荘(かいのしょう)儀助(ぎすけ)さんと一緒に?」

「そうです。毎日のように釣りを教わりに押しかけるから、しまいには鬱陶しがられていたな」

 笑い声を上げ、ようやく緊張が解けた様子の三輪に、思い出話を交えながら城下を紹介していく。

 遊び仲間と何度も飛び込みをした海岸沿いの崖。大きな火災に二度も見舞われたが、そのたびにわずかひと月足らずで復興を遂げた職人町と、延焼を防ぐために父が命じて設けさせた広小路。叔父の石動(いするぎ)博武(ひろたけ)に連れて行ってもらった、旨い団子を食わせる茶屋のある大通り。軍勢を率いて戻る父の雄々しい騎馬姿を、出迎えの人波に紛れてこっそり眺めた立州(りっしゅう)街道。

「大きくて、見事な城下町ですね」

 三輪は街並みを見下ろしながら、感心したようにつぶやいた。

「こんな風景が見られるのなら、怖くてもまたここへ上ってきたくなります」

「あなたは怖いもの知らずかと思っていた」

「そんなことはありません」

 彼女は真剣な目をして言った。

「怖いものは、いくつもあります。島を出てこちらへやって来る時も、どんな暮らしや人々が待っているのかわからなくて怖かったわ。でも貴之さまがいらっしゃるのだからと思って、勇気を出したんです」

 時が経つにつれてきつくなる一方の日差しから逃れ、室内に戻って用意してきた弁当を分け合いながら、貴之は三輪に問いかけた。

「前から気になっていたんだが、あなたは七草に来た当初から、なぜかおれを信頼してくれているようだった。それまで直接顔を合わせたこともなかったのに」

「でも、お手紙はいただいていました」

 彼女はそう言って、里芋の煮物を上品な箸使いで口へ運んだ。

「貴之さまは、わたしよりもずっと早く読み書きが達者になられたから」

「あなたより歳が上だからですよ」

「たった一年の違いとは思えないほどだったわ」

「それは……」言われて初めて、理由に気づいた。「小さいころ、おれが会いたい話したいと思う人は遠くにいることが多かったから――でしょう。たぶん」

 いつも江州の戦陣にいた父。北方(ほっぽう)の砦で暮らす、憧れの人でもある叔父。天山(てんざん)へ行ったきりの、まだ顔を見たことすらない年上のいとこと若い叔父。そういえば、そのふたりからの文がしばらく来ていない。帰国に手間取っているようだし、短信を送ってこちらから様子を訊ねてみよう。

「会いたい人に会えないなら、せめて手紙だけでもやり取りできればと。その思いで一生懸命に字を覚えた気がします」

「わたしは、恥ずかしいですが人よりも覚えが遅かったので、二年以上も乳母や侍女に代読と代筆をしてもらっていました。でも、わたしがいただいたお手紙なのに、いつも誰かに先に目を通されてしまうことがなんだか悔しくて」

 貴之は笑ったが、三輪は真面目な顔のままでそっと箸を置いた。

「手紙にそう書いたことがあります。覚えていらっしゃる?」

「いや……」記憶をたどったが、思い出せない。「すみません、忘れてしまったな」

「わたしが愚痴をこぼしたら、次に届いた貴之さまからのお手紙に、不思議な小封筒が添えられていました。〝みわさま〟と宛て書きがあって、そのうしろに小さく(きのこ)が描かれているんです。どういう意味だろうと、みんなで額を寄せ合わせて考えていたら、希瀬(きせ)が茸の絵は〝たけ〟と読むのではないかと考えつきました。〝みわさまだけ〟、つまり小封筒の中身はわたしだけが見るようにという意味なのだと」

 これはさすがに覚えていた。

「そんなこともしましたね」

「中に何を入れてくださったか、思い出せますか?」

「たしか押し花だったかな。母に教えてもらって、奥庭に咲いていた花を摘んで作ったんです」

 三輪が嬉しそうに微笑む。

「それから、わたしの読み書きが上達するまでのあいだずっと、貴之さまは秘密の小封筒を添えたお手紙をくださいました。中身はきれいな貝殻だったり、いい香りのする落ち葉だったり、身近な人の似顔やおもしろい出来事を描いた絵だったり。どれも楽しくて、いつも封を開けるのが待ち遠しいほどでした」

 子供の時分にしたことを言われると気恥ずかしくはあるが、喜んでくれていたのだと知って嬉しく感じないはずはない。

 三輪は顔を上げ、まっすぐに貴之を見つめた。

「わたしは、わたしなりに貴之さまのお人柄を存じているつもりです」

 きっぱりとした口調で言ったあと、なぜ信頼しているかの説明はそれですっかり終わったとばかりに、彼女は満足げな表情でまた弁当をぱくぱくと食べ始めた。

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