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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第二章 血戦の果て
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二十二 江蒲国百武郷・黒葛貴之 桜下の哀哭

 百武ひゃくたけ城攻略戦に臨むに当たり、貴之たかゆき耶岐島やぎしまと同じく最前線で戦いたいと思ったが、伯父黒葛(つづら)寛貴(ひろたか)はそれを許さなかった。

 曰く「大将が早々に前線へ出てくると、兵は不安になる」。こういう大軍おおいくさで、戦いが始まって間もないうちから主将が出張るのは、戦況がかんばしくない印と受け取られるらしい。

 自分は大将ではないと抗弁してみたが、その名代みょうだいを務める立場なのだから右翼軍将士から見れば大将も同然だ、と返されてぐうの音も出なかった。

 ようやく出撃の許可が出たのは開戦から五日目。ふもと御殿のある本曲輪ほんぐるわを攻めていた主力隊が、ついに山城の大手口を突破したという報がもたらされたひるすぎのことだった。登城路に殺到した黒葛軍は、早くも二合目あたりまで攻め上っているという。

 貴之はすぐさま武装を整えて騎乗し、寛貴伯父やいとこの俊紀としのりに先んじて戦場いくさばへ乗り出した。

 従者の戸来とき慎吾(しんご)が付き添っているのは普段どおりだが、今日は馬廻うままわり組の顔ぶれが少し異なっている。半分は元からいる貴之自身の護衛衆、残り半分は亡き父貴昭(たかあき)に仕えていた者たちだ。

 この件については、百武城下の陣所に入ってからずいぶんともめた。

 玉県たまかね輝綱(てるつな)をはじめとする父の馬廻組がこの戦から貴之の護衛につくことを望み、その申し出を耳にした柳浦なぎうら重益(しげます)らと険悪な雰囲気になったのだ。

 家の当主が代替わりをすると、家臣との主従関係をいったん解消して新たに結び直すが、その際にこういうことはしばしば起こるものらしい。先代に寵遇されていた家来が代替わり後もそのまま城に残ると、老臣扱いされて重職から遠ざけられ、次代の城内で影が薄くなってしまうことがある。輝綱たちはそれを恐れ、この機会に働きぶりを見せて売り込んでおこうと考えているのだろう。

 ずいぶん気の早いことだ――と、まだ自身の就封しゅうほうも定かではない貴之はひそかに思っている。

 七草さえくさ家を貴之が継げるかどうか、あるじとして城に留まれるかどうかは、すべて黒葛家の宗主である黒葛禎俊(さだとし)の意向次第だ。若年であることや力不足を理由に、もっと小さな所領へ移封いほうさせられることも充分にあり得る。そうなったら、今いる家臣を残らず連れて行くことなどできはしない。

 むろん輝綱たちもそんなことは承知の上で、いざという時にあわてずにすむよう備えているだけなのだろうが。

 貴之はしばらく成り行きを見ていたが、どちらも譲る気配がなく、いつまで経ってもらちが明かないことにうんざりして、「双方半数ずつが馬廻を務め、残りは陣所で父の病室としている部屋に詰めるように」と命じた。今回はそれで片づいたが、きっと今後、代替わりの手続きを進める中で、さらなる問題が次々と持ち上がるだろう。

 家を、城を、国を預かるというのは難儀なことだ。貴之はつくづくそう思い、生前に父からそうしたことについてもっと話を聞いておくべきだったと悔やんだ。


 山裾の本曲輪ほんぐるわを通り抜けながら見た御殿の各殿舎入口には、すでに黒葛つづら幟旗のぼりばたが何本も立てられていた。城方しろかたはまだ抵抗を続けているが、討ち死に覚悟の小部隊がいくつか奮戦しているだけのようだ。

 貴之は馬廻うままわり組に守られながら城山へ入り、大手側の登城路を上っていった。

 頂上の天守曲輪を含め、山には四つの曲輪くるわがあるが、そこでも戦闘はもはや散発的になっている。広大な城域全体を制圧するまでには、まだ少し時がかかりそうだが、戦いの趨勢すうせいはほぼ決したとみていいだろう。

 山のなかばまで登ったところで馬を降り、あとは歩行かちで頂上を目指すことにした。このあたりから先は道幅が少し狭くなっている。

 敵の残党が襲ってくることを警戒していたものの、雑兵五十人あまりを引き連れた武者集団に敢えて挑むような者はもう残っていないらしい。

 難なく山のいただきに達した貴之たちは、登城路の突き当たりにある急な石段を上って門をくぐり、高い壁に囲まれた通路へ入った。途中に三つの門を設けて区画された長い道で、天守曲輪の外壁に沿って一周している。

 最後に坂道を上ってまた門をくぐり、直角に折れた長い階段を下ると、再び山の南側へ出ることができた。そこは天守曲輪の入口を守る馬出うまだしの役目を兼ねた副曲輪そえぐるわだ。

 瀟洒しょうしゃで小さい茶亭のような建物と、その周りにわずかな植栽がみられるだけの広い曲輪の中は、大量の死体で埋め尽くされていた。ここで、かなり激しい斬り合いが行われたようだ。時折強く吹きつけて地面の土を舞い上げる春の風は、顔をしかめたくなるような血なまぐさいにおいを含んでいる。

 その凄惨な光景を、広場の奥にそびえ立つ天守閣が静かに見下ろしていた。

 反りのある長大な石垣に載った、目に眩しいほどの白壁。優美な破風はふで飾られた瓦屋根。最上階には華頭かとう窓が設けられ、黄金の装飾が陽を受けて輝いている。

「素晴らしいな……」

 貴之が思わず足を止めてつぶやいたほど、その姿は雄大かつ華麗だった。七草さえくさ城にも天守はあるが、規模はこの半分ほどだ。

「あちらに門が見えます」

 重益しげますに促されて副曲輪の東へ行くと櫓門があり、それを抜けた先は枡形虎口(こぐち)になっていた。山の頂上に達してから、もう小半刻ほども歩き続けているが、なかなか目的地に到着しない。

 さらにふたつの門をくぐり、一度中庭へ出てから西の小天守の地階へ下りると、ようやく大天守へ続く扉の前にたどり着けた。漆喰と鉄の二重扉の脇には、槍を携えた味方の兵士がふたり控えている。

「中の様子は」

 重益が問うと、そのうちのひとりがさっと膝をついて答えた。

「各階はすでに立天隊りってんたいが制圧し、最上階で城主と側近の身柄を押さえました」

 貴之はちょっと振り返り、うしろで槍持ちを務めている久喜ひさき伝兵衛(でんべえ)を見た。耶岐島やぎしまで叔父石動(いするぎ)博武(ひろたけ)から預かった彼の従者は、主人の部隊である立天隊の働きぶりを聞いて満足げにほくそ笑んでいる。

「入って、上で寛貴ひろたか伯父を待とう」

 扉を抜けて足を踏み入れた天守閣の内部は、異様なまでの静けさに包まれていた。各階に詰める味方の兵は、勝利が決定的になった今もまだ気を抜いておらず、何かあればすぐにでもまた戦い始められるよう引き締まった表情で備えている。

 そんな彼らを小声でねぎらいながら四階まで上がったところで、手勢を五人連れた甲冑武者がひとり、うしろから息せき切って追いついてきた。

 彼が身にまとうよろい草摺くさずりの一部が壊れ、小札こざねが数枚剥がれ落ちている。大きな裂け目が入った左の籠手こては、血に浸したように濡れていた。鹿角ろっかくを模したかぶとの前立ても、片方が根元からぽっきりと折れている。ここへたどり着くまでに、かなりの敵を相手取って戦ってきたのだろう。小粒な両眼には疲労の色が窺える。

 貴之は、顎の尖ったその面長な顔に見覚えがあった。

儲口まぶぐち守計(もりかず)どの」

 それは非業の死を遂げたという前立州(りっしゅう)国主代、儲口守恒(もりつね)公の孫だった。貴之とは顔見知り程度の仲だが、郡楽ごうらで共に宗主に仕えている叔父の石動孝博(たかひろ)とは親友同士だと聞いている。

「陣所ではお見かけしなかったので、あなたも来ているとは知らなかった」

「貴之さま」

 守計は丁寧に礼を取り、張り詰めた顔に少しだけ笑みを浮かべた。

「上までご一緒してもよろしいですか。ただその場に立ち会いたいだけで、分別を欠いた振る舞いは決してせぬとお約束します」

 不思議なことを言う。

 首をかしげる貴之に、うしろからそっと顔を寄せて重益が囁いた。

「守計どのは、守笹貫かみささぬき道房(みちふさ)曽孫そうそんです」

 はっとなった瞬間、守笹貫家と儲口家が姻戚であったことを思い出した。そして守計は母方の曾祖父である道房に、祖父の守恒や両親など儲口家の親族をことごとく殺害されたのだ。その報復を果たすために、彼はかつての領国である立身たつみ国を奪った仇敵の黒葛家に膝を折った。守笹貫家を滅ぼすという大きな目的が一致していたからだ。

 では今日、彼は守笹貫道房の死にざまを見届け――ついに遺恨いこんを晴らすのか。

 身のうちに、ぞくりと震えが走るのを感じた。

 胸に湧き上がるのは、最後まで心折れることなく思いを貫き通した守計への深い畏敬の念だが、その中にほんのわずかに厭悪えんおの情も混じっているような気がする。

 身内の結束が強い家に生まれ育ったので、血縁同士が殺し合うことに対して反射的に拒絶感を抱いてしまうのかもしれない。

 とはいえ、それは個人的なことだ。守計にも彼なりの正義がある。それに己にしたところで、彼の立場に置かれたら血縁者に殺意を持たないという保証はない。

「行きましょう、守計どの」

 そう言って階段のほうへいざなうと、守計はほっとしたように微笑んだが、足を踏み出すと口元が少しゆがんだ。痛みをこらえているのかもしれない。見た目以上に、彼が負っている手傷は深いようだ。だが、歩みを支えようと伸ばした若い従者の手を、彼は無言でそっと押しのけた。これから顔を合わせることになるかたきに、弱さを見せたくないのだろう。

 幅の狭い階段をのぼって上がった五階の大広間には、ざっと四十人ほどの兵士が控えていた。うち半分は甲冑をまとわない軽武装で、黒い絹地の長袍ちょうほうを身につけている。天翔てんしょう隊の隊士たちだ。

 そのうちのひとりに近寄ろうとした時、階段の下り口に近い壁の腰板がぱっと開き、中から何かが貴之の眼前に転がり出てきた。

 武者隠しか――理解と同時に戦慄せんりつし、総毛立ちながら踏み留まったが、もう遅い。壁裏の隠しむろで息を潜めてこの時を待ち構えていた敵兵は、すでに立ち上がって刀を振り上げている。

 白刃がきらめいた瞬間、目の前が真っ赤に染まった。突如巻き起こった風に顔をなぶられて鋭く息を呑む間に、奇妙にもその色がふわりと剥がれ落ちる。

 再び視界が開けた時には、あの敵兵は血に染まって床に倒れ伏していた。そのすぐそばに、抜き身を引っ提げた長身の男が立っている。

 電光石火のごとく敵兵との間に飛び込み、命を救ってくれたのは天翔隊士だった。先ほど見た赤い色は、ひるがえった長袍の裏地だったらしい。緋色は部隊長の印だ。

 貴之は首筋に冷や汗がつたうのを感じながら大きく息をつき、彼の背中に向かって言った。

「立天隊の者か。お陰で命拾いをした。恩に着る」

 振り向いた〈隼人はやと〉は得意顔をするでもなく、やや淡々とした物腰で礼を取った。少し異国的な雰囲気のある色浅黒い強面こわもての偉丈夫で、ゆるやかにうねった豊かな髪を長く伸ばしている。一度見たら忘れられない特徴的な風貌だ。年は三十代の初めぐらいだろうか。

「どこかで会ったかな」

 初対面だとわかっていて敢えて訊いたのは、今日初めて見たはずの彼の顔に何か懐かしさのようなものを感じたからだった。

「お目にかかるのは初めてですが、叔父(ぎみ)の博武さまよりお噂はかねがね」

 こちらも叔父から、彼について何か聞いていただろうか。思い出せない。名前を訊ねようと思ったが、口を開きかけたところで柳浦なぎうら重益に先を越された。

「かたじけない」

 隊士に向かって礼を述べる声が堅苦しく、表情も強張こわばっている。急襲された際に馬廻うままわり組が一歩も動けず、護衛の役目を天翔隊士に肩代わりさせた不手際を恥じているのだろう。

「いえ。隠し戸を見逃したのは、我らの手抜かりです。もっとよく調べるべきでした。申し訳ございません」

 隊士は深みのある低い声で言い、貴之と馬廻組に向かって頭を下げた。

「〈隼人〉はふだん何もない空で働いているから、戸や間仕切りの多いこういう場所では、隅まで気が行き届かぬものとみえる」

 父の筆頭警護役だった玉県たまかね輝綱(てるつな)が、おっとり微笑みながら言った。皮肉のつもりかどうか、その表情からは定かではないが、天翔隊士の中には不快そうに眉をひそめている者も少なくない。もし冗談なのだとしても、配慮を欠いた物言いなのは確かだ。

 不穏な空気が流れかけたその時、階段の下り口に溜まっていた人をかき分けて儲口守計が前へ進み出た。

兵庫ひょうごどの?」

 彼が驚きの表情を浮かべながら呼びかけたのは、貴之を救ったあの長身の部隊長だ。

「守計どの」

 兵庫は短くうなずき、懐かしそうに目を細めた。

「あなたは必ずここへおいでになると思っていました。ついに宿願を果たされる時がきましたね」

「天翔隊の……隊士になったのか」

 戸惑いも露わな守計を前に、兵庫が唇の端をちょっと上げて笑う。

「紆余曲折ありましたが、結局そういうことに」

正幸まさゆきがいないのが残念だ。兵庫どのに会いたかっただろうに」

「彼はいま?」

「屋敷にいて、我が家の家政を取り仕切っている。三年前までは戦場いくさばに帯同していたが、負傷して手が少し不自由になったのを機に内勤めにさせた」

 どうやら知り合いらしいふたりの会話を貴之が黙って聞いていると、それと悟った守計がこちらを気づかうように説明した。

「彼――六車むぐるま兵庫どのは、儲口家にとって恩人とも言える人なのです。亡くなった祖父と交誼こうぎがあり、昔わたしの家が没落した際にずいぶんと助けてくれました」

 へえ、と思いながら貴之は兵庫を見上げた。振る舞いは慇懃だが、卑屈なところの少しもない堂々とした男だ。彼には亡き父に備わっていたような鷹揚さと品位を感じる。六車などという名はこれまで聞いたことがないが、それなりに格のある家の出なのだろう。

「守笹貫道房の様子は? 彼は高齢で頭の働きが鈍っているという噂だが、事態を理解しているのか」

 上階を窺いながら訊ねると、兵庫はふっと目を陰らせた。

「自害や逃走を試みる気配はないので、いまはひとりにしています。しゃべることはできますが、大方はぼんやりしていて呼びかけにもあまり答えません。しかし、たまに思考がはっきりするようで、その時には周囲で起きていることを把握していると思われます」

 彼が話しているところへ、黒葛つづら寛貴(ひろたか)丈州じょうしゅうの武将たちが到着した。伯父は残敵が掃討された登城路を悠々と進んできたらしく、武装には傷ひとつついていない。

 すぐうしろには俊紀としのりが従っており、由淵ゆぶちで会った時に彼が自慢していた赤漆せきしつ塗りの洒落しゃれた具足も新品同様だった。にもかかわらず、珍しく何か気がふさいだような表情を浮かべている。おもしろくないことでもあったらしい。

 寛貴は階段を上りながら兵庫の言葉を半分がた聞いていたようで、すっかり呑み込んだ顔をしていた。

「負けたことはわかっているのだな」

 通りすがりに訊ねられ、兵庫はちょっと考えてからうなずいた。

「意識明瞭なあいだは」

「よし。自刃して果てる気がないのなら、っ首落として息子のあとを追わせてやる」

 寛貴は凄味のある声でそう言い、広間に控えている黒葛軍の兵士たちをさっと見渡した。

「貴之と俊紀、立天隊指揮官と馬廻筆頭は共に来い」

 大股に階段へ向かう伯父を追いながら、貴之は守計に〝あなたも〟と目くばせをした。ここまで来て置いて行かれたのでは彼も切ないだろう。

 寛貴を先頭にして八人が最上階へ上がり、内陣の中央にちんまり座っている守笹貫道房を取り囲んだ。彼は貴之が想像していた以上に老いしおれており、自力で立ち上がることすら難しそうに見える。

 敵にこれほど間近まで押し迫られても、道房は視線を動かしさえしなかった。陣羽織に包まれた両肩は力なく落ち、手は膝の横に無造作に投げ出されたままだ。

 重そうに垂れた瞼の下のどんよりと虚ろな瞳からは、恐怖も焦りも、そのほかのいかなる感情も読み取ることはできない。

 もし、これが父や伯父たちなら――貴之は痩せ衰えた老人を見つめながら思った。黒葛の男たちなら、落城を悟った時点で「これまで」と覚悟を決め、すぐさま自ら腹をかっさばいて果てるだろう。敵に討たれるまで、こんなふうにただじっと待っていたりはしない。

 だが、ここまで老いてしまったら、そうすることもできなくなるのだろうか。活力も胆力もみなぎってあふれんばかりの若い貴之には、それはまだ考えすらも及ばないことだった。

「守笹貫道房」

 寛貴伯父が呼ばわり、内陣にずかずか踏み込んだ。その顔には、貴之がこれまで見たこともないような傲岸ごうがんさが表れている。

「おぬしは負けた」

 冷淡に言い放ち、彼は道房の上に屈み込んだ。

「城へ逃げ戻った者どもから聞いていようが、跡取りの信康のぶやす耶岐島やぎしまでわしの弟貴昭(たかあき)の軍が討ち取った。そのほかの血縁もこれまでの戦いでことごとく命を落とし、もはや残るのは老いさらばえた当主のみ……」

 しんと静まりかえった中に、伯父の気迫に満ちた声だけが朗々と響く。

「守笹貫家はこれで終わりだ」

 家の滅亡という事実を突きつけられても、道房はぴくりともしなかった。肩すかしを食らわされ、寛貴が興ざめした表情になる。

「――が、父祖の時代から長年にわたりほこを交えてきた強敵に、武人として敬意を抱かぬではない。潔く己の手でけりをつけるつもりがあるなら、この場で割腹して果てることを許そう。どうか」

 道房は何も言わない。顔を上げて彼を見ることすらしない。寛貴は少しの沈黙をはさみ、あきらめたようにため息をついた。

「黒葛を担う次代の若者らに皺首しわくびを落とさせるのも一興だが、最後の温情として、せめて腕のたしかな者に任せよう」

 そう言って首を回した彼は、六車兵庫の横に立つ儲口まぶぐち守計(もりかず)を初めて目に留めた。

「おぬしは……」

「はい」

 この時を待ち構えていたように、守計がぐっと身を乗り出す。

「儲口守計にございます。恐れながら、我が家の仇敵の末路を見届けんとまかり越しました」

「うむ」寛貴はうなずき、強い眼差しを彼に注いだ。「おのが手で親族のあだを討ちたいか」

「いえ――」

 守計は小さく首を振り、隣に泰然と佇んでいる兵庫に視線をやった。

「たとえ不倶戴天ふぐたいてん怨敵おんてきといえど、わたしのつたない腕で万一にも首斬り損ねて、いたずらに苦しめるようなことをしたくはありませぬ。その役目はぜひとも、腕利きの剣士であり亡き祖父の友人でもあった六車兵庫どのに」

 指名された兵庫にあらためて目を向け、寛貴は頬を引き締めた。

「よし、やれ」

 昂ぶる様子もなく一礼して、兵庫が前へ進み出ようとしたその時、どこからともなく奇妙な音が聞こえてきた。

 細くかすれた笛ののような、戸口の隙間から吹き込む風のような。居合わせた者たちが一瞬顔を見合わせ、それからはっとして道房に視線を集めた。

 先ほどまで置物のように微動だにしなかった老人が、小刻みに肩を振るわせている。その口から、ヒー、ヒーと途切れとぎれに声がもれていた。窒息しかけているのかと思ったが、引き笑いをしているようだ。

 ひとしきり、そうやって苦しげに笑ったあと、彼はゆっくりと顔を上げて寛貴を見た。どんよりしていた瞳に、わずかに輝きが戻っている。

「つづら……の、若造。ふふ」

 彼は嬉しそうに頬をゆがめた。

「ひとり、し、仕留めてやったわ」

 舌をもつれさせながらも誇らしげに言う。それを見おろし、寛貴は怪訝そうに眉根を寄せた。

「なんだと」

「苦しんだか」

 道房はそこでまた少し引き笑いをして、疲れたように大きく息をついた。だが挑発的な視線は寛貴から外さない。

「耶岐島陣、わしが――」

 瞳に点じた光がさらに強くなる。

「あの〝とげ〟を放った。ぼんくら信康の加勢に、な」

 寛貴の目が吊り上がった。ようやく理解が及んだ様子の彼を、老人が鼻で笑う。

「弟は苦しんでんだのか」

 なぶるような問いかけを聞いた瞬間、貴之の思考は吹っ飛んだ。

 血が逆流するほどの怒りに任せて足を踏み出した時にはもう鯉口を切り、右手は刀の柄にかかっている。この時ばかりは冷静さも分別もすべて剥がれ落ちていた。

 そのままであれば、自分に斬れるかどうかなど考えもせず、道房の首に刃を突き立てていただろう。だが彼が鞘を払うよりも、寛貴が憤怒の雄叫びを上げて刀を振り抜くほうが速かった。

 一閃した白刃が老人の顎の下に食い込み、すくうように斬り上げる。

 鮮やかに切断された首は斜めに跳ねて背後の柱にどんとぶつかり、血の跡を残して床に落ちた。寛貴が鬼のような形相で大股に近づき、それを力任せに蹴り飛ばす。

 首はごろごろと四間ほども転がって、階段の下り口近くでようやく止まった。危うく階下まで落ちるところだ。

 驚愕のあまり、貴之の頭は瞬時に冷えた。

 ほかの者たちも寛貴が見せた憤りの激しさに圧倒され、声ひとつ立てられずに固唾かたずを呑んでいる。

 その息詰まるような沈黙の中、刀を荒っぽく血振りして振り向いた伯父は、その両眼いっぱいに深い哀しみをたたえていた。


 守笹貫かみささぬき道房(みちふさ)の首級を携えて階下へ下りると、巨大な天守閣全体が揺れるほどの大歓呼に包まれた。

「天守曲輪(ぐるわ)そえ曲輪の外周に黒葛つづら旗幟きしを立て並べ、勝ちどきを上げよ」

 黒葛寛貴(ひろたか)は足を止めることなく下の階層へ下りていきながら、侍臣たちに次々と指示を出した。

「捕虜にした者はふもとへ下ろし、本曲輪ほんぐるわの一角に集めて身元をあらためさせろ。守笹貫の血筋に連なる重臣や、支族の生き残りはひとりたりとも見逃すな。女子供は別にして、ひとまずどこか屋内に入れておけ」

 貴之たかゆきは伯父について下りる途中、石動いするぎ博武(ひろたけ)を見つけて足を止めた。彼はずっと西の小天守で城方しろかたと戦っており、天守五階の大広間へやって来たのは貴之らが最上階へ上った直後だったらしい。

「叔父御、もう少し早く来られていたら、道房の最期に立ち会えたのに」

 貴之が残念がると、博武は呑気そうに笑ってみせた。

「なに、かまわん。兵庫ひょうご立天隊りってんたいを代表して立ち会ったからな」

 第五隊の隊長だという六車むぐるま兵庫は、これまでの経緯を博武に簡単に報告したあと、部隊の者たちを連れてすぐに姿を消した。最終決戦は終わったとはいっても、このあとしばらく各地で掃討戦が続くので、のんびりしてはいられないらしい。

「あの兵庫という〈隼人はやと〉のことを知っている気がします。何か懐かしいような」

 一緒に天守の出口へ向かいながら言うと、叔父は怪訝けげんな顔をした。

「だが、会ったことはないはずだぞ。兵庫は若いころに一度七草(さえくさ)へ来たことがあるが、その時おまえはまだ二歳かそこらだった」

「叔父御は、彼とは親しいのですか」

「同年の友人だ。もう長いつき合いになる。あいつとうちの家には奇妙な縁があってな。狩集かりづめにいる親父どのや郡楽ごうら孝博たかひろ兄とも知り合いらしい」

守計もりかずどのは、儲口まぶぐち家の恩人だともおっしゃっていました」

天翔てんしょう隊へ落ち着くまでに、どこで何をしてきたのやら」

 ははは、と快活に笑う叔父を横目に見ながら、友人同士なのにそういう話はしないのか――と、貴之は少し驚いていた。大人の友達づきあいは、子供の自分が思うものとは異なっているのかもしれない。

「ところで、伝兵衛でんべえは邪魔にならなかったか」

 ちらりと従者を見て博武が訊いた。本来の主人と再会した久喜ひさき伝兵衛は、いつもの澄まし顔でうしろに陣取っている。

「細やかに気づかい、よく面倒を見てくれましたよ。行軍中におれの食が落ちると、どこからか手に入れてきた水菓子を出してくれたり」

 実際、父を亡くした直後でふさぎ気味だった時に、彼は慎吾しんごと同じぐらい親身になって世話を焼いてくれた。

「叔父御の従者でなければ、もらい受けたいほどです」

「欲しいならやるぞ。もっていけ」

 素っ気ない主人の言葉に傷つく様子もなく、伝兵衛が軽く鼻を鳴らす。

「わたしがおらねば、身形みなりもまともに決まらぬかたが何をおっしゃるやら。そら、またそのように、ちぐはぐな小袖と袴を合わせたりして」

 彼がざまに言うほど叔父の身形は悪くないと思うが、たしかに今日の衣装の色合わせは、普段に比べるといまひとつに見える。

「伝兵衛は、叔父御といるのがいちばんですよ」

 こういう他愛ない話をもっとしていたかったが、貴之は天守曲輪の中庭で叔父たちと別れた。このあと自分は陣所へ戻るだけだが、彼らは何かと忙しい身だ。

 大手道を下って行く途中、爆発的に湧き上がる歓声とときの声を何度も聞いた。首級を掲げた伯父の一行がふもとへ向かう道すがら、合戦の大勝利を触れ回っているのだろう。

 中腹まで下りたところで、行きに残していった馬たちと合流した。林の奥で世話役の足軽衆に守られていたため、傷ひとつ受けてはいない。

「馬の支度ができるまで、少し休まれるといい」

 柳浦なぎうら重益(しげます)に勧められ、貴之は登城路の脇に立つ大木の根方に腰を下ろした。歩いている時は平気だったが、座ると疲労感がどっと押し寄せてくる。今のいままで、自分が疲れているなどとは微塵も感じていなかった。

 なぜこんなにもくたびれているのだろう、と不思議に思う。今日は戦闘らしい戦闘をしていないのに。

 貴之は木の幹にもたれ、登城路を下って行く兵士たちの姿をぼんやり眺めた。傷ついて、仲間に抱えられながらようやく歩いている者も少なくはない。朝から戦い続けて血と泥にまみれ尽くし、誰の足もひどく重そうだ。しかし、意外にも表情はみな明るかった。見るからに〝勝った側〟の顔をしている。

 そうか、勝ったのだな……。

 彼らを見ているうちに、遅ればせながらようやく勝利の実感が湧いてきた。

 守笹貫家を……ついに倒した。黒葛家千年の悲願、西峽せいかい南部統一を成し遂げた。大きな――犠牲を払って。

 ふうとため息をつき、そのまま瞑目していると、膝に載せた手の甲にそっと何かが触れた。

 雪? 違う、花びらか。

 貴之は顔を上げ、頭上に枝を広げている満開の桜に初めて気づいた。首をめぐらせてみれば周囲はみな桜の木ばかりで、花房の隙間に覗く空が酔ったような薄桃色にけぶって見える。

 行きにも通った道なのに、その時には桜が咲いていることなどまったく意識に上りもしなかった。

 きれいだ。

 こんなにも美しいのに、なぜだろう、見ていると胸がつまる。やり場のない思いが――こみ上げてくる。

「御大将どのの若さま」

 遠慮がちに呼びかけられてはっと我に返ると、登城路に見覚えのある男が立っていた。耶岐島やぎしま戦場いくさばで出会った、声も体も大きい長柄ながえ足軽だ。

「あの……」

 傍に来ようとする彼を、木の陰にいた重益がさっと前に出て止めた。表情が険しい。

「重益、かまわん」

 貴之はそう言い、手を上げて差し招いた。重益が道を空け、男が申し訳なさそうな顔をしながら近寄ってくる。

 彼は少し手前で立ち止まり、背後の登城路を行く足軽仲間たちを気にする様子でちょっと振り返ってから、またさらに近づいておずおずと膝をついた。

「お邪魔をしてすみません」

あららぎ泰三(たいぞう)、だったな」

 貴之が名前を口にすると、彼は目玉がこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。

「若さまは、わ、わしの名をご存じで……」

「父から聞いた。いつも戦陣で熱心に働いてくれていると」

 泰三の顔に大きな喜びと感動が広がる。

「そういうおかたなのです、御大将どのは。わしのような取るに足らぬ者の名までお覚えになり、何かとお気にかけてくだすって」

「耶岐島では、おれの意をよくんでくれたな」

 陣頭で父に成りすましているのを泰三に気づかれた時、彼が何かうかつなことを言って、馬脚をあらわすはめになるのではと焦ったのを覚えている。だが泰三は意外な明敏さを見せ、すかさず企みに荷担してくれた。

「あの時は助かった。礼を言う」

「めっそうもない」

 恐れ入るといったふうに顔を伏せたあと、彼は少し表情を硬くして上目づかいに貴之を見た。

「あの、若さま、では――やはり御大将どのは……?」

 察してはいても、それでもまだどこかにかすかな希望を残していたのだろう。すがるような面持ちで問いかけてくる。

 父は生きていると言ってやりたいが、そういうわけにもいかない。どちらにしろ遠からず、すべての立身たつみ衆にこのことを告げねばならないのだ。

「あの戦場で最後の突撃をかけている最中、敵の放った刺客に討たれた。だが、この話は胸に仕舞っておいてくれ。父は急な病に倒れ、看病の甲斐なく息を引き取った――と、みなにはそう話すつもりだから」

 小声で教えると、泰三は素直にうなずいた。

「このたびは、まことに……」

 威儀を正し、そう言いさして彼は絶句した。見れば顔面はくしゃくしゃにゆがみ、ぎゅっと閉じた瞼の両端から滂沱ぼうだの涙が流れ落ちている。

「まことに……」

 懸命に声を振り絞るが、その先がどうしても出てこない。泰三はこらえかねて貴之の膝元に突っ伏すと、激しく身を震わせながらむせび泣いた。しゃくり上げるたびに、広くたくましい背中が大きく波打つ。

 貴之は彼の純な涙に心洗われるのを感じながら、幼子をあやすようにしばらくその背をなでさすっていた。

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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