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玉響(たまゆら)の群像  作者: 唐橋遠海
第二章 血戦の果て
105/161

十三  江蒲国由淵郷・黒葛貴之 援軍

「おお、古風だな」

 目を細めながら、黒葛つづら寛貴(ひろたか)が言った。

「だがよう似合におうている」

 江蒲つくも由淵(ゆぶち)(ごう)に陣を構えている叔父のところへ着陣の挨拶をしに出向いた黒葛貴之(たかゆき)は、褒め言葉ににっこりしながら頭を下げた。

「ありがとうございます」

「その甲冑、見覚えがあるぞ。父のものか」

「はい」

 貴之が身につけている具足ぐそくは、父貴昭(たかあき)がかつて初陣に際して着用したものだった。

 鉄板に硬革を重ねた特製の小札こざねを、色革紐で縦横につなぎ合わせた胴丸どうまる。白、紺、紫の糸でおどされた袖。異国の意匠と金箔で装飾した杏葉ぎょうよう。一時代前に主流だった形式で、当世風のものに比べると堅牢さではやや劣るが、格式の高さと華麗さで見る者を圧倒する。

 それに鉄の一枚板で作られる当世具足の胴よりも、こちらのほうがずっと細身で上半身を動かしやすい。

「合わせてみたら、当時の父よりおれのほうが二寸ほど背が高いようだったので、少し手直ししてもらいました」

「立派な武者ぶりだ。貴昭もさぞかし自慢に思うておるだろう」

「父には〝よろいに着られている〟と言われました」

 初陣はまだ早い――父はそう思っているようだった。

 それでも許してくれたのは貴之の決意が固く、事前に後押しを頼んでおいた叔父石動(いするぎ)博武(ひろたけ)からの強力な口添えもあったからだ。

 母の真木まきは心底不安そうで、七草さえくさ城を出発する間際まで何度もしつこく翻意を促してきた。しかし男子が一度決めたことを、そう容易たやすく覆したりできるはずはない。

「そのかぶと――」

 寛貴がふと目に留め、興味をひかれた様子で訊いた。

「銀糸を編み込んであるのか。珍しいな」

「これは……」

 貴之はちょっと言いよどみ、顎のところで諸鉤もろかぎ結びにした太緒に触れた。

許婚いいなずけ雷土いかづち三輪(みわ)どのから、初陣のはなむけにと贈られたものです」

 二色の絹糸で丁寧に編まれた組み紐。紺青こんじょうと銀――深い海とにきらめく波頭はとうの色。海洋から遠く離れていても濤神おおなみのかみの加護が常に身近にあるようにと、そんな思いを込めて三輪が手ずから組んでくれたものだ。

〝誰かにこれを切られたりなさらないでね。必ず無事に戻るとお約束ください〟

 城の大手門まで見送りにきた三輪は、別れ際にそう言った。勝ち気な娘だと思っていたが、あの時は少し涙ぐんでいたように思う。

 貴之はとにかく早く戦に出たくて、送り出す者たちの気持ちなどたいして気にもしていなかったが、いざつ段になるとやはりいろいろ考えさせられた。

 思えば彼自身も父を戦地へ送り出す時は誇らしさと同時に、一抹の不安と寂しさをいつも感じていたものだ。

 とはいえ今回の出陣には、母や三輪が大仰に心配するほどの危険はない。

 本当は父の陣中で働かせて欲しかったが、元服げんぷくもしていない子供の出る幕はないと言われ、伯父の陣所に入って戦場いくさばというものの動態を見せてもらうだけになった。後見役もつき、いちおう体裁は整えてもらえるという話だが、実際に槍を取って戦わないのなら初陣したとは言えないのではないかと思う。

 こうして着陣はしたものの、内心では大いに不満を感じていた。だが、父や伯父の意向には逆らえない。

「許婚とうまくやっているのか。それは重畳ちょうじょう

 三輪の話を聞いた寛貴が嬉しそうな顔をした。雷土家との縁組みは、貴之がまだ幼児だったころに彼がまとめてくれたものだ。

「城へ迎えた当初はそうでもありませんでしたが、近ごろはだいぶ気が合うようになりました。三輪どのは黒葛の家風に合っていると思います」

「わしの仲人なこうどぶりも捨てたものではないな」

 伯父は朗らかに笑い、貴之を陣屋へ誘った。

「中で、少し話をしよう」

 由淵郷は守笹貫かみささぬき家の本拠である百武ひゃくたけ(ごう)から、道明どうみょう街道沿いに南へ三十里ほど下ったところにあるさとだ。領内は土地の起伏が少なく、太い川も流れていないので、小高い丘の上に空堀からぼりを巡らせた平城が築かれている。

 左翼軍を率いる寛貴は、その城を北に見据える位置に馬防柵を張り巡らせて対陣し、陣地の最奧に建つ大きな農家を陣屋として接収していた。近隣の家々も将兵の仮宿所としており、さらに周辺の農地には雑兵たちが寝泊まりするためのわら小屋が大量に作られている。ずいぶん念入りなこしらえだ。

「伯父上」貴之は兜を取り、陣屋に入りながら訊いた。「この戦、長引くとみておいでですか」

「いや、陣所を居心地よく整えるのは、昔からのわしのこだわりなのだ。腹いっぱい食って夜ぐっすり眠れれば、兵たちは士気を高く保ってよく働く」

「なるほど」

 外は人であふれかえっていたが、陣屋の中は静かだった。戦が始まるまで数日あるので、まだ緊迫した空気は漂っていない。

 広敷ひろしきに数人の武将がおり、廊下を歩いてくる貴之の鎧姿を目に留めた彼らは、一様に「ほう……」と感心するような表情を見せて頭を下げた。

七草さえくさから甥っ子の貴之が加勢に来た」寛貴が笑顔で言う。「此度こたびの戦が初陣となる」

「甥御さまがご着陣とは、心強うござりますな」

「さすがは勇猛で知られる貴昭公の御曹司、まこと凛々(りり)しい武者ぶりじゃ」

 口々に言う彼らに、貴之も居住まいを正して一礼した。

「若輩ですが、どうぞよろしくお頼み申します」

 主筋の自分のほうが身分は高いが、相手は黒葛家を長年支えてきた歴戦の武将たちだ。それを踏まえて、礼を失することのないよう丁寧な口調を心がけた。伯父はそれを隣で満足げに見ている。

「交戦中は、せがれの俊紀としのりともどもわしの旗本に置く。丈夫はせべ衆の戦いぶりを存分に見せてやってくれ」

「心得ました」

 彼らと会釈を交わして先へ進み、貴之は陣屋の奧の座敷に入った。庭に面した八畳間で、普段は居間か主人の寝所として使われているのだろう。障子はすべて開け放してあり、桃月とうげつ(なか)ばのうららかな日差しが縁側と畳のへりを明るく照らしている。

 庭を囲む生け垣の外へ目をやると、陣屋の近くに物見(やぐら)を建てている様子が見て取れた。木柵や防塁なども造っている最中のようで、岩を転がしたり木槌きづちを使ったりする音が絶え間なく聞こえてくる。

 そこに混じるざわめき。何か呼び交わす声。馬のいななき。

「陣所というのは、賑やかなものですね」

 貴之が畳に腰を下ろして言うと、伯父は目尻に皺を寄せて微笑んだ。

「今回は六万もの将兵が集まっているからな。それらをまとめ、心をひとつに動かすとなると、なかなか大変だ」

 寛貴は言葉を切り、少し表情をあらためた。

「もう由淵ゆぶち城を見たか」

「はい」

「どう思った」

「堅城とは言いがたいかと。堀は幅が狭いですし、建物自体も大きいばかりでしつらえが古い。土塀の一部は老朽化しており、東側にふたつある脇門は控え柱のないむね門のようでした。あんなもの、その気になれば簡単に打ち壊せます」

「戦に出たいと自ら言い出すだけあって、よく勉強しているな」

 尊敬している伯父に褒められて嬉しいが、この程度の知識なら誰でも持っている。肝心なのは、それをうまく活用できるかどうかだ。

「敵は城にもる構えですか」

「そのようだ。城主の満倉みつくら永家(ながいえ)は手勢をすべて城内に入れ、十日ほど前から籠城戦に備えている。江上えがみ神代こうじろ入木田いりきだといった将が加わっており、総勢七万あまり」

「兵力差はたいしてありませんね」

「だが戦端が開かれると同時に、守笹貫かみささぬき道房(みちふさ)か息子の信康のぶやす、あるいはその両方が乗り込んでくる可能性が高い。探索に行かせている者の報告では、ここしばらく百武ひゃくたけ城の人の出入りが多くなっているそうだ。兵糧を大量に動かしているという話もあるので、最低でも四万ほどは軍勢を連れてくるだろう」

 もし本当にそうなったら、一気にこちらの形勢は悪くなる。道房の軍勢が到着すれば、籠城していた将兵も一斉に城外へ押し出て、黒葛軍を挟み撃ちにしようとするだろう。

「その守笹貫軍が、父のほうへ行くということは?」

 貴之の父、黒葛貴昭(たかあき)率いる立身たつみ衆を中心とした右翼軍は、ここから四十里ほど東へ行った佐武さたけ街道沿いの耶岐島やぎしま(ごう)に布陣していた。由淵郷と同じく守笹貫家の支族が治めているさとで、百武攻めの前に必ず落としておかねばならない最後の要衝ようしょうでもある。

 道房が百武から出てきて参戦する場合、由淵と耶岐島のどちらへ向かうかというのは、今回の二拠点同時決戦における最大の懸案事項だった。片方へ道房が赴き、もう片方へ息子を行かせるという選択肢もなくはないが、おそらく彼はそうはしないだろう。軍勢を二手に分けるよりはまとめて一か所に投入し、この機に黒葛軍の右翼か左翼を殲滅せんめつしようとするに違いない。

 その標的とされた方は、想像を絶する激戦を強いられることになる。

「道房が来るなら、百武郷と同じ道明街道沿いにある由淵だろう――というのが大方の意見であり、わしもそう見ている」

 寛貴はそう言って、指先で顎髭をいじった。心配事がある時、伯父がたまに見せる仕草だ。

「しかし、耶岐島へ行かぬという保証はない。あちらは守笹貫家の筆頭支族である高閑者たかがわ家の所領だ。当主の元嘉もとよしは道房の寵臣で、信康からの信望も厚い」

「御屋形さま――宗主禎俊(さだとし)さまはどうお考えでしょうか」

「前回の軍議の折りには、まず由淵で間違いはなかろうとの見解を口にされていた。だが、いざという時にはどちらへでも駆けつけられるよう、今は立州りっしゅうとの国境くにざかいに近い鯉登こいと(ごう)まで中央本陣を北上させておられる」

 少し遠い、と貴之は思った。

 鯉登郷から由淵までなら四日の行軍だが、耶岐島へは最低でも七日はかかる。父がそうそう下手を打つとも思えないが、道房の標的にされた場合、援軍が到着するまで果たして支えきれるだろうか。

 だが、胸に湧き上がった不安を口には出さなかった。数多あまたの戦いを経験してきた大人たちが、そのあたりのことを考えていないはずはない。きっと、何かしらの手は打っているだろう。

 だから、別のことを訊いてみることにした。こちらも不安材料のひとつではある。

「伯父上、道房公の動きも気がかりですが、それに加えてまた二年前のようなことが起こりはしませんか」

 二年前の江州こうしゅう決戦。虎の子の精鋭部隊を失い、兵糧も矢玉も尽き、屈服寸前まで追い詰められていた守笹貫軍に、どこからともなく湧いて出た四万の兵が加勢して盛り返した。

 兵力を秘かに提供したのは天山てんざんの主三廻部(みくるべ)勝元(かつもと)、それを雇う資金を出したのは永穂なんごう国の支配者樹神(こだま)有政(ありまさ)だろう、と黒葛家はなかば確信しつつ疑惑の目を向けている。樹神家とは同盟を結んでいるが、そんなものはたいして当てになりはしない。

「樹神家の動きは抑えた」

 寛貴は確信に満ちた口調できっぱりと言い、貴之を驚かせた。

「金が出ねば、兵も出ぬ。守笹貫家はもはや孤立無援だ」

「年改めの日に郡楽ごうら城で会った時、俊紀としのりは伯父上が樹神家に対して働きかけをされるようなことを言っていましたが……」

「そうだ」

 寛貴は少し意地の悪い、いたずらっ子のような目つきをした。

「何をなさったのです」

「せがれにな、許婚いいなずけの樹神真璃(まり)のところへ、初陣を飾ると言いに行かせた」

 思わせぶりな言葉を投げて口をつぐみ、にやにや笑っている伯父を、貴之は困惑の表情で見つめた。

「初陣すると言いに……それだけですか」

「それだけで事足りた。真璃は初めての戦場いくさばへ赴く俊紀の身や、またしても戦が不首尾に終わった場合に己の立場を保てるかが心配になり、父親の有政に書状を送って守笹貫家と手を切るよう泣きついた」

 話を聞きながら、貴之は郡楽で挨拶をした真璃姫を思い出していた。

 ふっくら白い頬をした、自信なさげで内気な姫君。俊紀の許婚として生明あざみ城で四年も暮らしていながら、実家との確執があるせいで婚家の人々から冷たく扱われて心細そうにしていた。

「せがれのほうは違うようだが、真璃は俊紀に惚れているのだ。それに、あれでなかなか頭がいい。戦に出ると伝えさせただけで、言外の意味をみ取って即座に動いた。有政の反応も速かったぞ。なにしろ真璃はあの男の子供らの中ではただひとりの、目に入れても痛くない愛姫まなひめだからな」

 伯父上は真璃姫の心情や、父親と交わした書状の内容をご存じ――ということは、日ごろからあの人の行動は監視され、書きものや持ち物はすべて盗み見られているわけか。

 貴之はそう思い、ふと自分の許婚のことを考えた。

 三輪はどうなのだろう。これまでそういう話を聞いたことはなかったが、父もまた彼女のことを秘かに監視し、その動向を通して雷土いかづち家の動きや考えを探っているのだろうか。

 あり得ることだと思いつつも、その想像は彼を少し落ち着かない気分にさせた。

 

 貴之たかゆきが連れて来た六百人の七草さえくさ衆は、陣所の西の一角を割り当てられて陣を張っていた。侍衆には農家二軒が宿所として与えられており、着陣と同時に仮小屋の建設も始まっている。

 伯父との話を終え、焚き火や炊飯の煙があちこちに立ちのぼる中を縫って陣地へ戻ると、いとこの黒葛つづら俊紀(としのり)が訪ねて来ていた。

「やあ貴之。今朝着いたんだって?」

 宿所の前庭で明るく微笑む彼は装備をつけず、近所でも散歩するような身軽な姿をしていた。腰に刀も差していない。

「いま、伯父上にご挨拶してきた」

 傍に控える従者の戸来とき慎吾(しんご)かぶとを渡し、貴之は呑気そうに立っているいとこを呆れ顔で見た。

「なんだその格好は。陣羽織と脇差しぐらい身につけておいたらどうだ」

「開戦が迫ったらちゃんとするさ。おまえこそ、今からそんななりをしていたらくたびれるぞ」

 そう言って、俊紀は貴之の身ごしらえをじろじろ観察した。

「ふうん……その鎧、古めかしいけど格好いいな。貴昭たかあき叔父上のものか」

「そうだ」

「わたしは当世風のものを新しく作ってもらったよ。赤漆せきしつで彩色してあって、とても洒落しゃれているんだ」

「目立つと標的になりやすいぞ」

「今回、わたしたちは陣幕の外に出やしないんだから平気さ。腰のそれは、軍扇ぐんせんか?」

 貴之は上帯に差していた扇を抜き、いとこに手渡した。

「重いぞ、これ」

 受け取った俊紀が面食らった顔をする。

「親骨が鉄なんだ。いざという時には武器にもなる」

 鉄製の親骨には漆が塗られ、螺鈿らでんの飾りが施されていた。黒色の紙を貼った扇面の表は金の日輪、裏は銀の三日月。月は中央をずらして配置され、その周囲に金銀のはくを使って銀河を思わせる図柄が描かれている。

「とても良いものだな」

 広げてつくづくと見入りながら、俊紀が感心したように言った。

「細工の手が込んでいるし、何より美しいじゃないか。こんな気のいた品物を持つなんて、無骨なおまえには珍しい」

貴昌たかまささまにいただいたんだ」

 年末にちょっとしたものを贈った返礼として、黒葛宗家の嫡子でいとこの貴昌から軍扇が送られてきたのは先月の中ごろだった。出陣に間に合うようにと、急いで仕立てさせてくれたのに違いない。添えられた手紙には、能筆の彼らしい美麗な筆跡で「武運を祈る」と書かれていた。

「じゃあ……この軍扇は、天山てんざんで作られたわけか。どうりで趣味がいいと思った」

 俊紀は扇を返し、唇をちょっとすぼめて渋そうな顔をした。

「おまえ、貴昌さまとつき合いがあるんだな」

「手紙をやり取りしているだけだ。おまえはしてないのか」

「父がうるさく言うから、時候の挨拶を兼ねて年に何度かは。だって、それ以外に何を書けばいいのか見当もつかないよ。いとことはいっても、貴昌さまとは一度もお会いしたことがないんだぞ」

「南部のことや、身の回りで起きたことを何でも書き送ればいい。おれはそうしてる」

「おまえは筆が立つからいいけど、わたしは読むのも書くのもあまり得意じゃないんだ」

 気取り屋のくせに、しばしば無防備に弱みをさらす――俊紀のこういうところが、なんとなく憎めないと思う。

「今夜は一緒に夕餉を食べよう。昼間はたいてい陣所をうろついているけど、夜はわたしは父と陣屋にいる。とりの刻ぐらいに来てくれ」

「わかった」

 俊紀が去ったあと、貴之は宿所に入ってみた。かなり古びた農家だが、きれいに掃除され、見苦しいものは片づけられている。小姓の唐木田からきだ智次(ともつぐ)や近侍の者たちが、少しでも快適に過ごせるようにと気配りしてくれたのだろう。

 囲炉裏のある広間へ行くと、警護筆頭の柳浦なぎうら重益(しげます)が珍しく不機嫌な顔をして待っていた。陣屋へ行く際に、黙って置いていったので怒っているのだ。

「若」彼は貴之が炉端ろばたに座るなり、説教くさい調子で切り出した。「おひとりで勝手にうろうろされては困ります。必ず誰か側役をお連れください」

「慎吾を連れていた」

「万一の時に、お身を守れる者をという意味です」

「いざとなれば、あいつもけっこう戦うぞ」

 貴之よりも四つ年上の戸来慎吾は、黒葛家に仕える忍びの空閑くが一族に連なる者だ。彼自身は忍びではないが、頭目の空閑宗兵衛(そうべえ)の血縁だと聞いている。

 その伝手つて七草さえくさ城内にある道場へたまに通ってきており、剣術が好きでいつも入り浸っていた貴之と顔見知りになった。

 慎吾は常に控え目で物静かだが、ひとたび木剣を握って立てば、打たれて鼻血を出していようとも決して退くことをしない。周りからは考えの読めない陰気なやつだと見られていたが、貴之は彼の内に秘めた力とひたむきさを感じて好ましく思っていた。

 二年ほど道場仲間として友達づきあいをしたのちに、父に頼んで従者にしてもらったのは、慎吾のほうから「家来にしてください」と申し入れをされたからだ。戸来家の男兄弟で最年長の彼は、酒で身を持ち崩した鉄砲足軽の父親に代わって、十五歳から家族を養わねばならなくなった。

 以来、慎吾はずっと傍にいる。共有している時間でいえば、両親や兄弟、近習きんじゅうたちよりも彼とのほうが長いかもしれない。

「むろん、慎吾は若のためとあらば戦いもし、危険が迫れば我が身にかえてもお守りするでしょうが――」

 重益が言葉を切ったのは、話題にされている当人が部屋へ現れたからだ。慎吾は貴之と重益の前にれたての熱い茶を置き、静かに一礼すると影のように音もなく出て行った。

「真面目で気もくが、どうにも愛想がありませんなあ」

「あれで、わりにどじだったり猫舌だったり、可愛げもあるんだ」

 そうだったかな、という顔をしながら重益が煎茶をひと口すすった。

「ともかく慎吾や小姓衆だけではなく、馬廻うままわり組を最低ひとり、戦場いくさばにいるあいだは必ずおそばに連れていてください」

「わかった、わかった。身内の陣所の中だから、いいと思ったんだ」

「大勢の中に敵が潜まぬとも限りません」

 それは一理ある、と感じたので反論はしなかった。自分は初陣目前の小僧に過ぎないが、一応はそこそこ値のつくかぶと首だ。敵が見ればろうとするだろう。

「夜は夕餉を呼ばれに陣屋へ行くから、同行してくれるか」

 下手したてに出て頼むと、重益はようやく表情をやわらげた。

「承知しました」

「もう伯父上にお見せしたから脱ぐ」

 貴之が立ち上がって鎧を外そうとすると、すぐにまた慎吾がやって来た。

 陣羽織を受け取って脇へ畳み、杏葉ぎょうようを外して袖を取りのけ、引き合わせの紐をてきぱきと解いていく。こうした支度を手伝うようになったのは最近だが、もうすっかり手慣れている様子だ。

 籠手こてすね当などは残したが、胴丸どうまると袖、佩楯はいだてを外しただけでもだいぶ体は軽くなった。俊紀の言葉ではないが、たしかに装備をすべてつけているとくたびれる。

 陣羽織を着直し、座ってお茶をすすっていると、胴丸や大量の付属具を腕いっぱいに抱えて運んでいった慎吾が、柱かどこかにぶつかったらしい物音が聞こえてきた。

「ほらな」どじだろう、と重益に目くばせをする。

「なるほど、可愛げがある」

 ふたりで顔を見合わせてにやついていると、内廊下から唐木田からきだ智次(ともつぐ)が来て声をかけた。

「若、そろそろ昼餉ができますが、召し上がりますか」

「うん。ここで、みなで食おう。景綱かげつなや隣の宿所にいる者たちも呼んでこい」

「は」

 さっと頭を下げて行きかけた智次が、ふと足を止めて玄関のほうを見た。

「どうした」

「何か、外が騒がしいような……」

 彼は様子を見に行き、少しして戻ってきた。

真境名まきな和高(かずたか)さまがお見えです」

「和高どのが?」

 真境名家の次男和高は、寛貴ひろたか伯父に仕える小姓上がりの近習きんじゅうだ。彼の長姉の真境名(りょう)と、貴之の叔父の石動(いするぎ)博武ひろたけ昵懇じっこんの間柄という縁もあり、何かの催しなどで顔を合わせれば軽く雑談を交わすこともある。

「わざわざ挨拶しに来てくださったのか」

「いえ、火急のご用件とか」

 貴之は腰を上げ、急いで玄関へ出て行った。

「和高どの、お久しぶりです」

 土間で待っていた和高は息を切らし、額に薄く汗を浮かべていた。ここまで走ってきたのだろう。

「貴之さま」声が張り詰めている。「急ぎ、陣屋へお越しください。御屋形さまがお待ちです」

「伯父上にはさっきお会いしたばかりだが――」

 言いながら、慎吾が早くも土間に下りて揃えてくれた履き物に足を突っ込む。

「何か問題でも?」

 和高は愛嬌のある童顔を引き締め、黙って短くうなずいた。


 先ほど訪れた時とは打って変わり、陣屋の中には大勢の武将がひしめき合っていた。

 到着すると貴之たかゆきはすぐに伯父のいる部屋へ通されたが、二十畳近いその広敷ひろしきもすでに立錐りっすいの余地もない。それでも彼が来たのを見ると、ぎっしり居並んだ人々は横に詰めて通り道を作ってくれた。

「貴之、おまえに伝えることがある」

 寛貴ひろたかは彼が対面に座ると同時に、硬い表情でそう切り出した。

「たった今、百武ひゃくたけ上空で偵察をしている天眼てんがん組から報告があった。守笹貫かみささぬき信康(のぶやす)が兵を引き連れ、一刻ほど前に城を出たらしい。目算で、総勢六万あまり」

 予想していた以上の大軍勢だ。貴之は息を呑み、誰にも気取けどられないよう小さく身震いをした。

「信康だけですか。道房みちふさ公は」

「城に残ったようだ。よわい九十を超え、さすがに出陣は断念したとみえる。おそらく天守にもり、守りを固めておるのだろう」

 寛貴は言葉を切り、少し躊躇ためらうような間を置いてから、重く暗い声音で言った。

「軍勢はここ由淵ゆぶちではなく、耶岐島やぎしまを目指している」

 父の陣――。

 貴之は衝撃に打たれ、しばし声を失ってうつむいた。

 今回、父貴昭(たかあき)が指揮する右翼軍は総勢五万あまりと聞いている。対する敵、耶岐島(ごう)を領する高閑者たかがわ家の軍勢がどれほどかは知らないが、由淵城に入っている満倉みつくら軍七万と同等とみるべきだろう。そこへ守笹貫軍六万が加わるとなると、兵力差は一気に広がってしまう。

 周囲からちらちらと、気の毒そうな視線が向けられるのを感じながら、貴之は二度(つば)を飲み込んで顔を上げた。

「耶岐島へ援軍は」

「むろん送る」

 寛貴は力強く言い、一同を見渡した。

義家よしいえ率いる真境名まきな勢八千。正虎まさとら率いる由解ゆげ勢六千。さらに、わしの手勢からも三千をき、旦部たんべ黒葛(つづら)家の俊宗としむねを将として預ける」

 一万七千。それでもまだ差が大きすぎる。そんな貴之の心中を察したように、強い眼差しを注ぎながら伯父が続けた。

鯉登こいと(ごう)へも伝令は行っている。宗主禎俊(さだとし)さまが中央本陣を率いて、すぐさま救援に乗り出されるだろう」

 果たして間に合うか――。鉄塊のように重い不安が胃の中にずんと音を立てて落ちるのを感じたが、それを表に出さないようぐっとこらえ、貴之は床に拳をついて前に身を乗り出した。

「寛貴さまに、お願いいたしたき儀がございます」

 伯父がすっと目を細める。何を言うか、すでに読まれているようだ。

「援軍に、この黒葛貴之と七草さえくさ衆六百をお加えください」

 部屋を埋め尽くした武将たちが身じろぎし、一斉にざわめいた。しかし寛貴は微動だにしていない。

「ならぬ」

「どうか、伏してお願い申します」

「わしはおまえを貴昭から預かったのだ。行かせるわけにはいかぬ」

「父や、身内も同然の者たちが危局にあることを知りながら、寛貴さまのお旗本で安穏あんのんとは過ごせません」

逆上のぼせ上がるな!」

 かつてないほど厳しい声音で寛貴が大喝だいかつした。

「おまえごとき若輩が駆けつけたぐらいで、戦局が変わるとでも思うてか」

「思いません」

 貴之もまた声を高め、視線をひたと伯父に据えた。

「ですが、立身たつみ衆の心持ちは多少なりとも変わります。大将の嫡子が済河焼船せいかしょうせんの覚悟で参じたと知れば、自ずと彼らの士魂しこんは奮い立ちましょう。それが死戦へ身を投じる胆力につながるものと存じます」

 貴之は本当に、自分が行けば戦の役に立つだろうなどとはまったく考えていない。ただ、父の麾下きかで黒葛家のために戦ってくれる者たちの近くにいて、少しでも勇気づけたかった。その役目は七草さえくさ家の跡取りである自分にしかできないと思っている。

 突き刺すような伯父の鋭い眼光。

 それとまっすぐににらみ合い――見つめ合い――貴之は心のたかぶりを懸命に抑えて静かに言った。

「決して無駄死にはせぬとお約束いたします」

 その瞬間、固く引き結ばれていた寛貴の口元が少しゆるみ、唇の端を苦笑がかすめた。

「まったく……」黒葛の子だな、と口の動きだけで言って、伯父は大きくため息をついた。「わかった。行け」

 諸将が再びどよめく。

「真境名義家、由解正虎、黒葛俊宗、それから――黒葛貴之。ただちに出立しゅったつの支度をせよ。小荷駄の手配も忘れるな」

「御意」

 即座に応じて、指名された四人が腰を上げる。

 寛貴はほかの三人に続いて行こうとした貴之の視線を捉え、目顔で再び座らせた。

「事の次第を書状に書く。あちらへ着いたら真っ先に父に渡せ」

「はい。伯父上――お許しくださり、ありがとうございます」

 普段の口調に戻し、手をついて頭を下げると、寛貴は沈痛な面持ちでうなずいた。

「約束をたがえるな。わしを後悔させるなよ」

聳城国マップ https://13604.mitemin.net/i136505/

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