第五熊 ベアー対アリゲーター
十年間で俺は成長した。
親熊を超え身長は二メートル半、角を合わせれば三メートル半。
鋭い爪と鍛え上げられた腕力が組み合わされば鏡虎の喉をたやすく引き裂く。
分厚い皮膚は強者クラスの敵でも致命傷をあたえることが出来ない。
水の中にいる生物も分かるように進化した嗅覚。
元人間のだから持っている知恵。
対する迷彩ワニも十数年で成長していた。
大きさは十メートルを超えている。
歪みも前見た時より薄く、俺でも鼻がないとそこにいると分からない。
一瞬だけ迷彩ワニと目が合った。
相手は俺のことがあの時逃がした子熊だと分かったのだろうか?
いや、そんなことはどうでもいい。
迷彩ワニが俺のことをあの時逃がした子熊だろが新しく来た餌だろうがどちらでも変わらない。
猛獣がそろったら、どちらか片一方が狩りもう一方が餌になるだけだ。
二人の距離は数十メートル。
迷彩ワニの攻撃する手段は噛み付きのみ。
対する俺はこの鍛え上げた体だ。
(まずは目を潰す!)
俺は頭に手をかける。
正確には頭の角だ。
「ガルァア!」
ボキッと片方の角を折った。
数十年間ずっと頭に生えていた角だ。
やり投げのように、構える。
俺の目論見は単純、この角を投げて迷彩ワニの目を貫く!
(お前の分厚い甲皮には刺さらないだろうが、目だったら刺さるだろ!)
「ガァッ!」
角を思いっきり、投げた。
角は風切り音とともにまっすぐ飛んでいく。
狙い通り迷彩ワニの目に!
バチンッ!
(は!?)
角が迷彩ワニの目の直前で弾かれた。
迷彩ワニの目を見ると少しだけ曇って見える。
(まさか、あれは!)
ワニの目が何かに覆われていた。
その正体は瞬膜と呼ばれるものだ。
ワニが水中に潜るときに目を覆うもので、これによってワニは水中での視力を保っている。
他にも水中で目を守る役割も持っている。
迷彩ワニはこの瞬膜を瞬時に張ることで俺の角から目を守ったのだ。
(異世界だからってそんなのありかよ!)
俺の目論見は失敗した。
だが一つの目論見が失敗した程度で俺は引くわけにはいかない。
迷彩ワニが川のほとりに手をかけた。
ザバッと言う音とともに川から身を上げる。
その距離五メートル。
もう目と鼻の先だ。
俺はもう一つの角を折る。
(次だ、この角をあいつの口の奥にぶち込む!)
距離が三メートルになる。
その瞬間、迷彩ワニの目から瞬膜が収納された。
(来る!)
迷彩ワニが口を開けた。
それと同時に、後ろに飛び跳ねる。
(速い!)
そこからワニが前進しながら口を閉じる。
事前に後ろに飛んだ俺にはもちろん届かない。
しかし、あまりにもワニの口が閉じるのが速い。
速すぎて閉じる姿が見えない。
ワニは口を開ける力は弱いが、口を閉じる力は強い。
ありえないほど強い。
この迷彩ワニも同じようだ。
角を投げ入れる隙なんてどこにもない。
(口を開けるところ見てからじゃ遅い! 開ける前に投げる!)
迷彩ワニの目の前にわざと行く。
当然迷彩ワニが口を開け、噛み付いてくる。
俺は寸でのところでそれを躱す。
(タイミングを計る……)
一発でも喰らったら終わり。
一撃イコール死の攻撃を躱していく。
(ここだ!)
閉じた口に向かって、俺は角を投げる。
予想通りに迷彩ワニが反射的に口を開ける。
(ジャストタイミング!)
口の中に角が入っていく。
丈夫な甲皮を持つこいつとて口の中に刺されば重症だ。
角は真っ直ぐ突き進み、口の奥に刺さるというところで……。
舌にたたき折られた。
(は!? 嘘だろ! 地球のワニは舌なんて使わないぞ!)
地球のワニは確かに舌を使わない。
だがここは異世界だ、ありえない話ではなかったのだ。
(畜生! 角を失っちまった! あれより固い槍状のものは樹海で手に入らないんだぞ!)
後悔している間も相手は待ってくれない。
俺は次の作戦を考えるために後ろに下がった。
ドンッと背中に感触が走った。
(るぇ?)
後ろを向くと木があった。
中に人が住めるほど太い木。
俺は知らず知らずの内に迷彩ワニの罠に引っかかっていた。
誘導させていたのは俺じゃない、誘導させられていた方は俺だ!
(ヤバい! 逃げる場所が……ない!)
こうして考えている間にも迷彩ワニが向ってくる。
冷たい爬虫類の目が笑っているように見えた。
(どう、どうする!? 後ろは行き止まり! この距離だと右に行っても左に行っても捕捉されて喰われる! 木の上に登る時間もない!)
後ろはダメ、右もダメ、左もダメ、上もダメ。
すべてが封鎖され逃げ道はない。
いやすべてではない。
(なら、前は?)
迷彩ワニとの距離五メートル。
助走を付ければワニの頭上をこえ、喰われるのを避けれるかもしれない。
だが、タイミングをミスれば一撃で喰われる距離。
やるしかない。
自然界では一瞬が勝負となる。
この場面で怯んだやつが躊躇したが迷ったやつが相手の餌になる。
(飛んでやる! あいつの頭上を!)
迷彩ワニの方向に向かって走り出す。
飛ぶんだ! 跳ねアザラシよりも高く、もっと高く!
一瞬だけ迷彩ワニが戸惑った。
今までずっと後ろに避けていたやつが急に前に来たんだからそれも仕方がない。
その瞬間に俺は飛んだ。
(おおッ!)
人間時代ではありえなかった跳躍で飛ぶ!
ふと迷彩ワニに追い詰められ木の枝から木の枝に飛び移ったことを思いだす。
(飛べ! 飛べ!)
迷彩ワニが口を開けた。
(一瞬、遅い!)
開けたワニの口先を踏んづけて俺はさらに飛んだ。
そのままワニの頭上を飛び越える。
迷彩ワニが後ろの木をかみ砕くを都が聞こえた。
ワニの背に落ちて転がり地面に落ちる。
その勢いを保ったまま俺は走り出す。
(一端体制を整えるっ)
迷彩ワニもそれに続きUターンする音が聞こえる。
ずるりと這う音が聞こえる、それとともに何かが倒れる音も聞こえた。
直後俺の顔すれすれに木が倒れてきた。
(そうか、迷彩ワニが木に噛みついてから、木が倒れたのか!)
後ろを振り返る。
迷彩ワニは木が倒れてくるのに気づいていない。
耳を使うということを知らなかったんだろう。
こちらを向いて迷彩ワニは走るだけ。
ズンッ! と木が倒れて地面が揺れた。
「ギュガッ」
木が背中に倒れ迷彩ワニが小さい悲鳴を上げた。
初めて聞く迷彩ワニの声。
迷彩ワニは、木の下から逃れようと体を動かし始める。
少しだけだが、上の木が揺れている。
このまま放っておけば、いずれこいつは木の下から這い出てくるそんな予感がした。
(これはチャンスだ! 木に圧迫されてあいつは口を開けれない! 今のうちに目を潰して混乱させる。動揺した迷彩ワニは木に潰される!)
長かった、ついにここまで来た。
家族の仇、迷彩ワニを討つときが、喰らう時が!
(これで終わッ……)
突如地面に穴が開いた。
穴が開いた地面から何かが飛び出し、俺に巻き付く。
尻尾だ。
あいつは俺に攻撃されたら木に潰されると悟り、俺に攻撃を仕掛けたのだ。
ミシミシと俺の体が悲鳴を上げる。
「ガァァァアアアアアアアアアアアッ」
声を上げるが痛みが消えない。
むしろ締め付け上げられどんどん痛みが増していく。
音が激しく、口から血が溢れる。
暴れるどころか、体一つ動かない。
(痛い、痛い、痛い痛い痛い!)
対する迷彩ワニも苦しそうだ。
暴れるのをやめ、俺を捻り潰すことだけに力を注いでいる。
(気を緩めた方が死ぬ。先に意識を失った方が喰われる)
目が赤く染まってきた。
迷彩ワニはじっとしている。
もしかして潰されないほどあいつは堅いのか?
ネガティブな発想が頭をよぎる。
気が緩み、視界が歪む。
肺が締め付けられて、苦しい。
(ヤバい、意識が……)
どんどん俺の意識が削られていく。
だが俺にできることは何もない。
迷彩ワニに締め付けられ動けなのだ、耐えることしかできない。
その耐えることすらできなくなっていく。
歪んだ視界の先に俺の部屋が見える。
(走馬灯か……)
そこから俺の十五年間が流れていく。
幼稚園、小学校、中学校、高校。
そしてこの樹海でのこと。
熊に転生し、親熊に子熊Aと子熊Bとともに育てられ、迷彩ワニに喰われ、一人でこの樹海で生活したこと。
(熊に生まれてから、碌なことしてないな……。
一人で木の上で寝起きして、一人で地上でケガして肉を食って、何にもしてねぇ……。
まだ異世界での生活を楽しんでない、まだ家族の敵を討ってない、まだにんげんになっていない!)
(こんなところで死んでたまるかぁぁぁあああああああああ!!)
「グルルゥァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
肺の空気が無くなるまで叫ぶ。
締め付けられて動けなくても、肺が締め付けられても、口だけは動いた。
走馬灯が終わり視界が戻って来た。
目の前の迷彩ワニが俺の声に怯んで、気を緩めた。
(俺の勝ちだ、ワニ野郎……)
尻尾の力が緩んだ。
同時に取り戻した視界が暗くなっていく。
そこで俺は気絶した。
次章 町のクマさん編!
たぶんギルドとか行きます。