第八話 鼓動か駆動か
「ここは……どこ……?」
ハナコが目を覚ますと、そこは無機質な床が地平線を描く薄暗い場所だった。
ぼんやり明るいが、光源がどこにあるかはわからない。閉塞感はあるが、壁は見当たらない。床に立っているはずなのに、どこか浮遊感がある、そんな場所だった。
「そういえば、わたし……あのカニみたいなロボットに追われてて……。――そうだ!! ゆういちろーは?! おっちゃんさんは?! どこ?! どこにいるの?!」
ふと、遠くの方を見ると人影があった。ハナコは人影をもっと近くで見ようと歩き出した。不安で足が自然と速くなる。気がついたら走っていた。
ある程度近くまで寄ったとき、その影が二人分あることに気がついた。片方は雄一郎の姿、もう片方は見知らぬ少女のようだった。
雄一郎の姿を見てハナコは安堵し、駆ける足を止め、彼に話しかけた。
「ゆういちろー。よかった。わたし不安で不安で……」
そんなハナコを見て雄一郎は応える。
「さよなら。僕はこの人と二人で、二人っきりで生きていくよ。だって僕は人間で、君は機械だから。当然でしょ?」
雄一郎が隣の少女の肩を抱き寄せ、そう言った。少女の顔は影で覆われていた。
そうして二人は歩いていった。その背中を見て、ハナコはどうすることも出来なかった。
床が崩れ落ちた。全てが落ちた。世界も、感覚も、何もかもが落ちていった。
* * *
「――おっちゃん!! ハナコが目を覚ましたよ!!」
そこはコンクリ打ちっぱなしの、無機質な床と無機質な壁に覆われた小さな部屋だった。
「――ゆう……いちろー……?」
「そうだよ。僕だよ!! よかった。もう二度と喋れないかと思った……。――どうして泣いてるの?」
ハナコの目から、いつのまにか涙がこぼれていた。カタカタとシリコンの唇を震わせながら少女は言う。
「夢の中で、ゆういちろーが『さよなら』ってどっかに行っちゃって、わたし、なんにもできなくて、それで」
突然、不安げなその言葉をさえぎるように、少年は少女を抱きしめた。勢いあまって唇が触れる。
そして少年は自信たっぷりに言うのだ。
「大丈夫。大丈夫だよ。絶対に君を孤独になんてしない。不安になんてしない。だからもう一度笑って欲しいよ」
少女の胸の音が、とくん。とくん。と強くなる。モータとシリンダーとピストンは今、少女の心臓になった。
「おうおう、やっぱり若いと熱いねぇ!!」
茶化すように言いながら、海賊風の衣装を身にまとったおっちゃんが部屋の戸を開けて入ってきた。
「雄一郎、傷の調子はどうだ?」
「うん。だいぶよくなったかな?」
雄一郎は、ハナコを抱きしめていた手を離すと、右肩をぐるぐるまわす動作をした。しかしまだ痛みがあるようでどこかぎこちない。
「ゆういちろー、怪我したの?」
ハナコは目を見開いた。
おっちゃんが応える。
「こいつ、お前を守ろうとあのカニロボットのハサミの前に自分から出て行ったんだよ」
見ると、包帯を巻いているからか、服の上から微妙に右肩が膨らんでいるのがわかる。
しかし、少年は笑いながらこう言うのだ。
「どうってことないよ。ただのかすり傷だ~」
そんな少年を見て、少女のモータとシリンダーとピストンは、また、変な動きをするのだった。
* * *
大きなビルの最上階、シロナガスクジラ用の水槽に使えそうなほど大きい窓から街を見ながら、陸朗は受話器に叫ぶ。
「なにっ!? 目的の個体が見つからないだと?! GPSで探せるはずだろう?! なぜ見つからん!!」
大きな音を立て、電話を投げつけるように置く。
そうして、ふと、何かを思いついたように呟いた。
「そうか、兄さんの仕業だな。――――そろそろ兄弟の再会もいいかもしれないな」