8章-4.約束の時間 2023.11.19
時刻は夜中の3時を回ろうとしている。関係者以外は立ち入る事の出来ない空間。業者の人間ですら存在しない静まり切った空間にシラウメはいた。建設途中の地下鉄の駅構内は、暗く静かだ。階段をひたすら降りた先に、ぽつぽつと円柱状の太い柱が立つだけの大空間があった。天井高さは3メートル程度と高くはないが平面的に広い。そんな空間に1か所だけ、工事現場で使用されるような設置型の照明が点灯していたのだった。シラウメはその照明が照らし出す位置に静かに立った。堂々と、怯える事もなく。
この照明は明らかに敵である知能犯が用意したものだろう。だからこの位置で待てば良いのだと判断した。
シラウメが身に纏う真っ白なトレンチコート、そして特徴的な白い長髪は照明を強く反射してキラキラと光り輝く。体格は小さくとも、その存在感は圧倒的だった。シラウメは、トレンチコートの上着から取り出したスマートフォンを確認する。すると、スマートフォンに表示された時刻は丁度夜中の3時を示した。約束の時間だ。シラウメはスマートフォンをポケットに仕舞うと顔を上げた。
間もなくすると、コツ、コツ、コツ、コツ……と、暗く広い空間に、ただ一つの足音が響き渡る。シラウメは足音の方向へと視線を向ける。するとそこには、1つの黒い影があった。
「……」
ライトの真下にいるシラウメからは、その人物の様子は全くと言っていいほど目視出来なかった。しかし、照明が照らす範囲までその人物がやって来ると、はっきりと顔が確認できた。黒のスーツに黒のダッフルコートを着た男、それは間違いなく脱獄犯の一人である知能犯だった。
「おや、お一人ですか? 神辺白梅君」
知能犯はニヤつきながらシラウメに尋ね、シラウメと一定の距離まで近づくと立ち止まった。
「貴方こそ、お一人なんですか?」
シラウメはたった独りで歩いて来た知能犯に対して、爽やかに笑いながら尋ねかえした。すると知能犯は、クククと少し笑う。
「ふふっ、そんなわけ、ないですよね?」
「そちらこそ……」
知能犯がそう言うと同時に、シラウメの背後に音も無く4つの影が現れた。
「シラウメ、終わったよ」
「ご苦労様です」
その4つの影は照明の範囲まで近づくと、それぞれ、アイル、キャロル、ビンゴ、そしてレンヤの姿となった。キャロルの持つ大鎌とレンヤが手にしていたナイフにはべっとりと血液が付着し今も滴っている。そんな彼等を見た知能犯は、わざとらしく驚いたリアクションを取るとニヤついた。
「おやおや、これからアナタ達を襲う予定で配置していた化け物を、もう倒してしまったのですか?」
「はい。その通りです。時短させてもらいました。別に構わないですよね。どうせそれらは貴方にとって、メインではないのでしょうから」
知能犯はシラウメの回答を聞くと、満足そうにニヤリと笑った。
「その程度は想定の範囲内という事ですか。白梅君。まぁ、ワタクシもアナタがその程度読んでくるのは想定の範囲内ですがね」
知能犯はそう言ってクククッと笑った。
一体何がそんなに面白いのだろうか。まるで理解できない。シラウメは冷めた目で知能犯を見ていた。
「化け物達は、武力を持たない貴方にとっては優秀な戦力でしょう? それをこの場に用意しないなんてありえませんし。この駅の入り組んだ構造を考えれば、いくらだって戦略的に有効な配置場所があります。たとえ雑魚でも、束になれば武力として優秀です。戦略としては妥当だと私も思いますよ。それに……。貴方でしょう? 知能の欠片もない化け物を自由自在に操っているのは。」
シラウメの発言を聞いた知能犯はしばしの間目を見開いた。しかし、直ぐにその目は細められ口元は不気味な程綺麗な弧を描く。そして、知能犯はゆっくりと口を開いた。
「やはり、分かっていましたか。そうです。ワタクシが超能力で化け物を操りました!」
知能犯は断言した。摩訶不思議な実に都合の良い能力、催眠術の類と推測できる力を、知能犯は確かに使えるのだと。知能犯はその能力を超能力と称した。本当かどうか、全てを信じる事は無いにしろ、やはり存在するものなのだとして思考すべきだろうと、シラウメは改めて思う。
「ふふっ。超能力ですか。羨ましいですね。そんな能力を持っているだなんて。何でも出来てしまうじゃないですか」
「おやおや? アナタは超能力の存在を否定しないのですか? ワタクシはてっきり驚くか、そんなものはあり得ないと騒ぎ立てると思っていましたのに……」
「……」
シラウメは何も答えず、ただ爽やかに微笑んだ。
「それはそれは。非常に柔軟な考えをお持ちで……。とてもお利口ですね。これは期待してしまいます。ククク……。良いです、良いです。この調子でワタクシを楽しませてください。せっかくですので、そんなアナタには特別に、少しワタクシの超能力の事を教えて差し上げましょう!」
知能犯は独り楽しそうだ。本当に腹の底から虫唾が走る。
「ワタクシの超能力は、催眠術の延長線上にあります。そう、催眠状態にある人間に対して暗示をかけ、後の行動を操れます。また、その人間の記憶も思い通りに消すことができるのです。ただ、万能に見えるこの術には難点がありましてね。ククク。意志の強い人には効かないのです」
知能犯が今説明した内容については、ほぼ想定通りだった。シラウメにとっては特段驚くような内容ではない。意志が強い人間に対しては効果を発動しないという点も、通常の催眠術でも言われている事であるため、納得のいく話である。ただ、何故知能犯は難点まで述べたのか。この点は深く考えるべきだろう。
「何故、欠点までわざわざ教えてくれるんですか? 貴方にとってメリットは何も無いと思いますが」
敢えて嘘を伝える事でシラウメ達を混乱させようとする事は無意味だ。シラウメには無限の思考を可能とする能力がある。その事は知能犯も知っているはずなのだから、敢えて嘘をつくことがどれだけ無意味であるのかは分かっているだろうに。
「ククク。サービスですよ。だって不公平でしょう? せっかくGAMEをするんですから、出来るだけ公平にすべきだと思いまして。万能ではないという事実を公開した方が、アナタ達の戦略の幅が広がり、GAMEが楽しくなると思ったまでですよ」
「ふふっ。そうですか」
自分がより楽しむために、デメリットを含めた情報を相手に与えたという事らしい。知能犯の性格を考えれば十分に理解できる行動だ。ここまでくると怒りすら湧いてこない。呆れが勝ってしまった。恐らくこのデメリットの情報は後に何かの仕掛けに利用されるはずだろう。シラウメは今回の知能犯の行動すらも思考に組み込み、戦略のアップデートを行っていった。
「おやおや。その反応を見るに、ワタクシがこうした行動をとる事まで想定済みでしたか。すみませんね。アナタを少し馬鹿にしていたようです」
知能犯は本当に楽しそうにニヤリと笑って言った。
「そろそろ貴方も手の内を見せたらどうです? 時間は有限なんですから。こんな調子ではいつまで経っても貴方がやりたいGAMEとやらは始まりませんし。もし、このまま見せる気がないのであれば、こちらから攻めますが。いいですか?」
シラウメがそう言った瞬間、知能犯は何かに気付いて目を見開いた。しかし、直ぐに冷静さを取り戻したようで、再び不敵な笑みを浮かべる。
「ワタクシにナイフなんてあてて……。アナタはワタクシを脅すつもりなのですか?」
「脅すだなんて生温い。無防備に棒立ちしているんですから、さっさと首を飛ばして終わりにしてしまおうかなと。むしろそうして欲しいのかと思いましたが。ふふっ。もしかして違いましたか?」
この時、知能犯の背後にはアイルがいた。アイルは音もなく一瞬にして知能犯の背後に回り込み、ナイフを知能犯の首に当てて身動きを封じていた。通常であればこの状況、完全に王手だ。直ぐにでも知能犯の首を飛ばして終わりにできる。だが、恐らくそれはできないだろう。何かしら殺す事が出来ない仕掛けがあるはずだ。故に安易な事はできない。知能犯の余裕そうな態度を見てもそれは明らかだ。この場では絶対に殺されないという自信が、知能犯にはあるのだと分かる。
その仕掛けがどんなものであるのか。シラウメ達はそれを正確に把握しなければならない。つまり、知能犯にナイフを当てたのは、手っ取り早くその情報を得るための手段に過ぎない。実際の所、王手でも何でもないのだ。ただ、知能犯としても、現状首にナイフを当てられているのだから、下手な事はできないはずだ。勢いで殺されては困るのだろうから、それを回避するためにも、ここで自身を殺すことができない理由をシラウメ達に言わなければならない。知能犯だって、楽しみにしていたGAMEができないままに、ここで死にたくはないだろう。
「おやおや。白梅君。それはそれは、非常に軽率な行動ですよ? ワタクシを殺せば街の人間がたくさん死にますが、よろしいのですか?」
シラウメは知能犯の問いには答えず、ただ微笑み続けた。




