7章-1.考察タイム 2023.11.12
着慣れないパンツスーツに身を包み、間宮菜月は緊張した面持ちで歩く。今日は研究所にいた時のようなラフな服装に白衣を羽織った姿ではない。しっかりと身だしなみを整えてきた。赤み掛かったショートヘアーに寝ぐせは一切無く、愛用している赤い淵の眼鏡には曇り一つない。一切隙の無い姿だ。
そんな恰好をしているのには訳がある。本日はシラウメが働く警察の部署へ赴いていた。通称、裏警察と呼ばれるシラウメをトップにした部署は、シラウメが住む豪邸内に拠点を構えている。訪問の目的は依頼された調査の結果報告だ。いつもであれば、ナツキが働く研究所へシラウメが訪問するのだが、今回は諸事情によりナツキが訪問することになったのだった。
シラウメやマドカが住む街の広範囲に、化け物のように姿を変えた人間が大量に同時発生した事件から丁度一週間経つ。事件の詳細を聞くに、非常に大規模でかつ、危険な事件であるとナツキは感じていた。一般人が出くわせば確実に殺されてしまうだろう化け物が、街中に現れたのだ。とんでもない話である。
合計で80体以上の死体が回収され研究所へと運ばれてきた時、ナツキは丁度研究所にいた。時刻は深夜も深夜だった。ほんの数時間もすれば朝日が昇りそうな時間に、突然なだれ込んできた死体の山に仰天したのだった。その後シラウメから連絡を貰い、それらの死体を調べて欲しいと依頼を受けた。経緯はそんなところだ。
そして現在。ナツキは無言で豪邸の廊下を歩いていた。前を歩くスーツを着た40歳前後の男に黙ってついて行く。廊下の片側は一面大きな窓が連なり非常に明るい。床は木素材で、心地よい2人分の足音を響かせる。
目的の場所はシラウメの執務室だ。暫く廊下を歩き続けると、前を歩く男が1つの扉の前で立ち止まった。きっとその扉の向こうがシラウメの執務室なのだろう。
男はコンコンと扉をノックする。
「お嬢様。間宮菜月様がお見えになりました。」
「はい。どうぞ。」
部屋の中からシラウメの声が聞こえた。男は扉を開け、ナツキに室内へ入るよう促した。ナツキは促されるまま室内へと足を踏み入れた。
「おはようございます、ナツキさん。ふふっ。お待ちしてました。」
ナツキを出迎えたシラウメはさわやかに笑って言う。今日も相変わらずシラウメは神秘的な風貌だ。サラサラの白い髪に色素の薄い肌、灰色の瞳に華奢な体。本当にお人形の様だ。
「おはよう。シラウメちゃん。」
「そちら、座ってください。今お茶を入れますから。」
シラウメは微笑み、お茶を入れるために部屋の奥へと行ってしまった。ナツキは案内されたソファーに座る。明らかに高級そうなソファーだ。座り心地は当然のごとく最高である。
ナツキは手にした黒のカバンを膝の上に置き、中から数冊のファイルを取り出す。これからシラウメに報告する調査結果をまとめたものだ。どこから説明しようかと考えながら、ぐるりとシラウメの執務室の様子を観察した。
洋館を思わせる立派な外観から予想した通り、内装や家具も洋風で高級感があるもので揃えられていた。天井は高く明るい。窓も大きく室内へと自然光が適度に差し込んでいる。照明もこの洋館にふさわしい、シンプルではあるが洗練されたデザインのシャンデリアだった。複数の小さな球体の照明が集合したようなデザインで、可愛らしさも少し感じる。
そして周囲には壁いっぱいに本棚が置かれていた。恐らく全て仕事に関する物なのだろうと思われる。自分の研究室の強烈な圧迫感を感じさせる本棚状況よりはマシだが、シラウメも相当であるなと感じて笑ってしまった。部屋の様子からシラウメの事を少しうかがい知ることができて、ナツキは嬉しくなる。ところどころに小さい小物の飾りも置かれている辺りは可愛らしい。その中でも印象的なのは、腰の高さ程度の棚の上に小さな黒猫の置物が置かれているところだろうか。一番目立つ位置にちょこんと黒猫が座っている。猫が好きなのだろうか。真相は分からないが人間味のある様子に好感が持てる。
しばらく部屋の様子を見回し楽しみながら待っていると、シラウメが盆にティーポットとカップ、お菓子乗せて戻って来た。
「わざわざ私の家まですみません。本当は私がナツキさんの方へ行ければよかったんですけれど……。今、目を離せない人達がいつも以上に多くて……。」
「ご苦労様さね。」
現在シラウメのこの豪邸には、事件に巻き込まれた橋口まどか(ハシグチマドカ)が療養していると聞いている。マドカの他にもマドカと一緒に暮らしていた人間もここにきているという事で、シラウメの業務が増えているのだろうと察する。また、マドカは異常体質だ。とてもじゃないが一般の病院へは入院させることはできない。故にシラウメの目の届く範囲で対処せざるを得ないはずだ。苦労しているなと感じる。
白地に細かい花が描かれた陶器の可愛らしいティーカップに、シラウメはゆっくりと紅茶を注いでいく。その途端に、ふわりとフルーティーな香りに包まれた。シラウメは紅茶を淹れる様子すら優雅だ。所作の一つ一つが美しいと感じる。シラウメが紅茶を淹れ終わり向かいのソファーに座りなおしたところで、ナツキはさてと話を切り出した。
「早速、先日の調査結果からいくさね。」
「はい。よろしくお願いします。」
ナツキはカバンから取り出しておいたファイルの1つを、シラウメが見やすい方向に向けてローテーブルに広げた。
「今回の化け物の事は、獣化人間と呼ぶ事にしたさね。結果を先に言うと、今までの事件同様遺伝子操作で間違いないさー。外見的特徴は長い爪と牙さね。どの獣化人間も同様の変化をしてたさー。脱獄犯も同様の操作で間違いないさね。」
遺伝子操作である事を示す数値の表の部分を指さすと、シラウメはそれを食い入るように見ていた。
「今回の遺伝子操作では、今までに見られなかった人体の外見にまで影響を及ぼしているさね。爪と牙の変形の詳細だけど、爪は硬質化して厚みも増しているさー。しっかりと武器となる造りだったさね。細かい事を言うと、爪の付け根、指先部分にも変形がみられたさー。あれだけの長い爪の付け根なんだから当然と言えば当然さね。武器として爪を使用した際に、その武器の起点となっても荷重に耐えられるように、指先とはしっかり接着しているような形状になっていたさー。」
「もはや人間ではないですね……。」
「そうさね。爪を武器に使う別の動物の形状に近いと私は思うさー。」
ナツキはシラウメが淹れてくれた紅茶を一口飲む。香りから想像できてはいたが、やはりフルーツティーの様だ。砂糖を入れていなくてもほんのりと甘い。温かい飲み物を飲んだことで、無意識にしてしまっていた緊張がほぐれていくようだ。
「次に牙さね。犬歯が尖って吸血鬼のような見た目になっていたさー。恐らく、歯は抜け替わりそうな様子だったさね。たとえ抜けても次の歯が生えてくるように見えたさー。見えている歯の裏側に新しい歯が生え始めていたさね。まるでサメのようさー。」
シラウメはそれを聞いて少し考えているようだった。そしてしばらくすると、ゆっくりと口を開いた。
「人間の更新できる部分……。その部分へは遺伝子操作で変形が可能である可能性が高い……?」
「そうさね。遺伝子操作後、時間経過で少しずつ変形していくと見ているさー。爪、牙なんかは更新が目に見えて分かるから、今回、目立っただけと見られるかもしれないさね。」
「っ……。」
シラウメは何かに気が付いたのだろう。しかしナツキはシラウメの反応を待たずに続ける。
「シラウメちゃんなら分かると思うけど、人間が更新する部分は当然、爪や牙、それから髪とか目に見えて分かり易い部分だけじゃないさね。更新頻度が高いそれらの方に気が行きがちだけど、実際は体全体が常に更新されるさー。約7年で人間の体は一新するさね。細胞レベルで言えば、7年経てば別人さー。」
「つまり、7年かければ人間はどんな形にでも変形できる可能性があると……。そういう事ですか……?」
ナツキはじっとシラウメを見た。正直この問いの答えは分からない。あくまで可能性だ。不確定要素ばかりの、根拠の薄い推測である。従って研究者として断言してあげる事はできない。むしろシラウメに対して、研究者である自分が断言してしまう事は、今後のシラウメの思考を阻害してしまう可能性すらある。これ以上の言及は不要だろうとナツキは判断した。
シラウメは頷きも否定もしないナツキを見て、再び何かを考え始めたようだ。ぶつぶつと小さく独り言を言いながら思考している。よく見るシラウメの思考する時の様子だ。一体彼女の中ではどんな思考が繰り広げられているのだろうか。以前シラウメ本人から聞いた話によれば、色々な事象や要素を取り上げて、あらゆる可能性を洗い出し、そして最も可能性が高いと考えられるものを比較検討して探しているそうだ。常人がキーワードから連想して思考を積み重ねていくのとはアプローチが根本的に異なるようである。
確かにシラウメの様に全てを列挙して比較検討していけば、バイアスもかかりづらい。罠に嵌りにくくなるかもしれないとは思う。しかし、そう思ったところでナツキには真似る事などできそうにない。まず、全てを考慮して可能性を洗い出す事から常人にはできない。故に、シラウメが天才少女等と言われているのだろうと改めて思う。
「次に知能面の結果さね。今回の獣化人間に関しては著しく知能が下がってるさー。とてもじゃないけれど統率の取れた動きなんてできるわけないさね。全て死体だったからテストしたわけじゃないけど、遺伝子操作の痕跡や検査結果の数値からそう判断できるさー。恐らく、言語すら理解できないさね。意思疎通なんて以ての外。ただ欲望のままに生きているだけの状態といえるさね。当然彼らは、人間の区別なんてできないさー。」
ナツキが説明を続けると、思考していたシラウメはハッと顔を上げて困惑した顔をしていた。
困惑するのも頷ける。実際の獣化人間の行動と検査結果が全く食い違っているのだ。当然の反応だろう。事件の状況などは研究する上で必要な情報であるため、ナツキにも共有されている。報告では、獣化人間達は、統率の取れた動きをしていたそうだ。現れる位置についても、無作為ではなく何かしらの意図があると取れる配置だったと聞いている。そして明らかにマドカを集中して狙ったと取れる行動だったとナツキでも思う。これらの事実は、今回の検査結果からは全く説明ができない。
ナツキはシラウメが淹れてくれた紅茶をまた一口飲む。そしてシラウメの反応を静かに待った。しばらくそのまま静かな時が流れたが、数分経過したところでシラウメはふーっと息を吐き顔を上げた。何かしらの解を得たのだろうか。
「ここまで来たら、最悪の場合の事を考えるべきかもしれませんね……。」
「最悪の場合……。」
「はい。摩訶不思議な都合の良い力の可能性です。」
摩訶不思議な力。魔法とかそういう物だろうか。まさかなと感じつつもナツキは想像を膨らませる。
「実は昨日、学校爆破事件の時に爆弾を操作していた男と連絡が取れました。ナツキさんが以前教えてくれた、橋口零に関する件です。姉であるアズサの爆弾の爆発を間近で喰らった際に戻ったという記憶について。」
「あー。彼ね。連絡取れて良かったさね。」
「はい。本当に。それで、彼が言うには催眠術を掛けられた……、と言っていました。」
「催眠術?」
ナツキは思わず聞き返す。まさかシラウメからそんな言葉が出るとは思わなかった。しかしながらシラウメが冗談で言っているのではないというのは雰囲気から分かる。
「『彼の言う催眠術』というものを肯定して考える限り、彼の話には破綻がありませんでした。従って、催眠術という術は確実に存在するのだと私は判断しています。可能性として十分に考慮すべき事象ととらえています。」
「具体的にその催眠術とやらは、どんなものだったさね。」
「電話で聞いた話では、まず1つ目が部分的に記憶を消されていたという事です。それも大事な部分だけ消されています。従って催眠術を掛ける側は、消したい記憶だけを思い通りに消すことができると判断して良いでしょう。消されていた内容としては、脱獄したときの事と橋口零と接触したときの事、そして催眠術を掛けられたという事です。そして次に2つ目、思考の操作です。これらの記憶が抜け落ちているのにもかかわらず、彼は一度も疑問に思う事は無かったとのことでした。また、何も疑問に思うでもなく主犯の男と手を組み犯行に及んだそうです。従って、催眠術で思考の操作もできるのではないかと推測できます。そう考えれば、いままで謎だった、『脱獄犯が前と同じ犯行を行う』という点と『マドカを巻き込む可能性が高いエリアで犯行を行う』という点にも納得がいきます。あくまでこれは『彼の言う催眠術』の事ですけれども。」
「……。」
開いた口が塞がらないとはこういう時の状態なのだろうとナツキは自覚する。そんな摩訶不思議な事象があり得るのかと、到底信じる事などできない。しかし、あのシラウメが断言するのだ。きっと事実なのだろう。要するにこの催眠術が今回の事件でも使用されたという事なのだと察した。シラウメが言ったことが、本当に可能かもしれないと想定して動くべきだとナツキも思う。これがシラウメの言う最悪の場合の想定であると理解した。
「それで、催眠術を掛けている人物が誰だか、目星は付いてる感じさね。」
「橋口零ではない他の誰かと彼は言っていましたから、おそらくは残りの脱獄犯のうちの1人とみています。」
残る脱獄犯は2人だ。そのうちの一人は史上最悪の知能犯などと言われていた人間だ。数年前、警察を相手に多くの事件を起こし世の中を騒がせた人物である。連日ニュースになるほどの騒ぎだったため、ナツキも記憶に新しい。世間一般には語られていないが、この人物は遊ぶように犯行を行うという話だった。警察を弄ぶように、まるでゲームをするかのような感覚で一般市民を巻き込んで爆破事件やテロなどを起こしていた。そしてもう一人は、マッドサイエンティストと呼ばれている科学者だ。違法な人体実験を行って捕まったのだと聞いている。
「さてと、獣化人間の話はこれくらいにして、マドカちゃんの話に入るさね。」
「はい。お願いします。」
ナツキは、獣化人間関係の資料を閉じテーブルの端に寄せると、別のファイルを取り出してシラウメが見やすい向きで広げた。
「マドカちゃん、その後の具合はどうさね?」
「はい。すっかり良くなっています。とはいえ、傷は深いですからしばらく様子見が必要です。なので、今はここで療養中です。」
「それはよかったさー。流石に心配したさね。あれだけの血液を失って深い傷を負えば普通は生きてはいないさー。マドカちゃんだからこそ、生き残れたさね。ほら、ここ。これが結果さー。」
ナツキは広げた資料の数値を指さす。マドカの検査結果だ。
「血液の異常増加……。遺伝子操作の痕跡……。やはりマドカも……。」
シラウメは資料を食い入るように見ながらつぶやく。
「ただね、シラウメちゃん。マドカちゃんと彼とでは、少し違うんさー。その違いは専門的で大きな差じゃないんだけど、何て言うのか結果は同じだけど過程が違うみたいな感じさね。」
「別の人間が成果物だけを見ながら研究して、同じ結果に辿り着いたかのような状態って事でしょうか?」
「おっと。随分核心を突くさね。流石シラウメちゃん。」
驚くわけでもない妙に納得した様子のシラウメを見ると、この事象は想定の範囲内だったのだろうと察する。橋口零が何をしたいのか少しずつ掴めてきたかもしれない。
恐らくマドカという成功例は再現性が無かったのだと推測できる。同じ手順で同じ操作を行っても同じ結果が得られなかったのだろう。誰がマドカの遺伝子操作を行ったのかは分からないが、偶然の賜物で出来てしまったのだろう。
同じやり方でやっても同じ結果を得られない原因は、被験者の個体差によるものや外的要因等あらゆる差異が考えられる。故に突き止めるのは果てしない作業だったに違いない。恐らく橋口零の研究目的は、偶然ではなく確実に同等の成果物を得られるようにすることなのだろう。数多くの失敗作達や、今までの脱獄犯達がその推測が正しい事を物語っている。
これは完全にナツキの推測ではあるが、この研究が目指す所はきっと、人類の進化ではないだろうかと思う。新人類を生み出そうとしているのではないかとさえ思えてくる。とんでもない話だ。倫理感も何もない。神を冒涜している行為だと非難する人間がそこら中に湧いてきそうだ。
「あー。そうだ、シラウメちゃん。一応分かっていると思うけど断言しておくさー。遺伝子操作を施された人間は、二度と元には戻らない。気の毒だけれど一生そのままさね。反対方向の操作をすればって思うかもしれないけど、それはもう体が耐えられないさー。だから、獣化人間みたいに知能面を下げられた人間は処分するしかないさね。」
「そう……ですか……。」
シラウメは少し顔を曇らせた。その理由はナツキには分からない。獣化人間に対して心を痛めているとは考えにくい。
「あ。すみません。もし、マドカが普通の人間に戻れる可能性があるのならと……。ずっと他者との違いで苦しんでいるのを見てきたので……。」
「成程さー。生き物は本能的に異質なものに対しては恐怖を抱き避けるさね。子供なんて特に残酷さー。」
マドカが苦しんで来たというのは想像に難くない。人と違う事はこの国の社会で生きる上では大きなハンデだ。集団の中で生きる上で、異質な物を持つ者はのけ者にされやすい。検査結果の数値を見ても分かるが、恐らくマドカは身体的にも精神的にも平均値から大きく逸脱してしまっていると考えられる。特にマドカは女の子だ。女の子の社会は小学校に入学する時には既に優しくない。空気を読んだり足並みをそろえたり、できなければすぐに仲間はずれにされてしまう事だろう。特異性が認められて尊敬されたりちやほやされるなんて事は殆どあり得ない。マドカがずっと苦しんできたというシラウメの言葉にナツキは心を痛めた。
「あ!でも、最近のマドカは元気なんですよ!異質なことに悩んで影を落としていたのに、今では全く別人です。自暴自棄になっているように見える時もあったくらいなのに。ふふっ。笑顔だって作り物じゃなくて、心から笑っているみたいで……。」
「あら。それは良かったさね。」
「はい!本当に良かったなって思います。」
シラウメは爽やかに笑う。友人の良い変化を心から喜んでいるのが分かる。本当にシラウメにとってマドカは大切な友人なのだろうと改めてナツキは思う。
「あー。あともう一つ。シラウメちゃん、今度から死体はもう少し大きめにカットして欲しいさね。細かすぎると検査が大変なんさ―。」
「えっ!?すみませんっ!そこまで気が回ってませんでした……。必要以上に切り刻まないよう、最低限の攻撃で仕留めるよう、ちゃんと彼らに言い聞かせておきます。そうですよね。細かすぎれば同じ個体を断定するのにも手間がかかってしまいますよね……。お手数おかけしてしまい申し訳ないです。」
シラウメはバッと勢いよく頭を下げた。
「えっと……。シラウメちゃん?もしかして殺す過程で刻んじゃってるって感じさね?持ち運びのために細かくしているわけじゃなくて。」
「……。」
シラウメが頭を下げたままフリーズしている。
「シラウメちゃん?」
シラウメはゆっくりと頭を上げた。その表情にはいつもの爽やかな笑顔など一切無い。やらかしたと後悔するような表情である。
「そ、そうですよね。普通細かくする理由は持ち運びって考えるものですよね。すみません。最近戦闘が続いたので、彼らの常識に毒されてしまっていたようです。普通人間はそんなに簡単にスパスパ切れるものではありませんよね……。私としたことが……。変な事を言ってしまい申し訳ありません。間違った発言でした。」
「……。」
ナツキは別世界を垣間見てしまったような、そんな気分になった。自分が知るべきではない世界をチラ見してしまった事は早急に忘れるべきだろう。
「大丈夫さー。聞かなかった事にするさね。」
「本当にすみません……。」
ナツキは苦笑した。表と裏の棲み分けは大切なことだ。その狭間に立って、正しく棲み分けができている事を管理するのも、シラウメ達、裏警察の役目であると聞いている。表の人間であるナツキは裏の事情や常識を知るべきではないのだ。従って、先のシラウメの発言は明らかに失言である。とはいえ、ナツキの立場は、シラウメに協力し研究に携わっている仲間である以上、片足を踏み込んでいるようなものだと言える。故に、失態というほどの失態ではないように思う。
「シラウメちゃんお疲れ様さね。シラウメちゃんの事情はある程度分かっているつもりさー。私の前で位、気を抜いていても問題ないさね。リラックスリラックス!」
「ありがとうございます。」
ナツキが笑顔を向けると、シラウメはやっと笑ってくれた。規律を守るうえでは重要な事であるが、自分にまで気を張っていて欲しくはないなと思う。せめて事情を知る自分といるときくらいは、気楽に接してくれればいいのにと感じる。ナツキは少しぬるくなったフルーティーを飲み干すと、テーブルに広げていた資料をカバンへと丁寧に仕舞っていった。




