6章-11.後悔 2023.11.5
「何で……?嘘でしょう……?」
シラウメはぽつりとつぶやいて、放心したようにスマートフォンを耳元から外した。
「シラウメ……?」
「……。」
アイルの呼びかけにも答える余裕などない。突然呼び出し音が途絶え、一方的に切れてしまったのだ。一体、マドカに何があったのか等分かるはずがない。しかし、良い事が起きたわけがないのだ。嫌な想像が脳裏に浮かぶ。不安で押しつぶされそうになる。体からみるみる力が抜けていく。
マドカがいると考えられている場所まではもう少しだ。それでも、その距離が永遠と思えるほど遠くに感じられる。シラウメは、ほんの1秒の差で命が失われるという事を痛いほど知っている。ほんの小さな迷いや、判断の遅さ、行動の小さなミス、そんな誤差で簡単に命は消えていくのだ。ついさっきまで笑っていた人間が死ぬところなんて、山ほど見てきた。こんな社会だ、仕方がないと切り捨ててきたが、今回も同じように切り捨てていけるのだろうか。
「シラウメ!」
アイルが突然大きな声でシラウメを呼ぶ。シラウメはハッとして、肩を震わせた。
「まだ生きてる。」
「!!」
「悪いけど置いてくよ。」
その瞬間だった。シラウメはアイルの背中から強制的に降ろされ、その勢いで地面を転がった。極力優しく落とされたようだが、移動速度があまりにも早かったためか、全身に痛みが走る。自転車から転げ落ちたような状態だった。シラウメはよろよろと立ち上がり、アイルが走り去った方角へ視線を向けた。その先にマドカがいるのだろう。
アイルがシラウメを道端に一人残して行く位なのだから、恐らく相当危険な状態なのだと察する。シラウメは祈るような気持ちでアイルが向かった方向へと走り出した。
***
レンヤは懸命に走っていた。シラウメから指示された通り、マドカがいると想定される位置を目指して走る。ビンゴの索敵の情報では複数の化け物に囲まれており、戦っているという話だった。長距離の移動が遅いキャロルとビンゴは周囲の化け物を処理しながら向かう事となり完全に別行動だ。また、襲われている位置が索敵時から移動してしまう事も考慮し、アイルとも別の方向から向かっている。
どうか無事でいて欲しい。マドカには死んでほしくない。何故ここまで他人を思う自分がいるのか、自分でも良く分からない。ただ、大切にしたいと、そう深層心理で思っているのかもしれない。言語化はできそうにない。本能的にそう思って行動しているように思う。ただ、何が何でも失いたくないのだ。それだけは間違いないと断言出来る。レンヤは全速力で走り続けた。
そしてついに想定の場所へと近づいてきた。途端に嫌でも分かる。複数の人間の気配と殺気、そして張り詰めた空気感。心臓がバクバクと鳴る。まだ、戦っているようだ。故にマドカは生きている。空気感からそう読み取り確信する。しかし、安心など一切できない。ほんの1秒の遅れが命取りになるかもしれない。街中で一般市民を次々に切りつけた脱獄犯と、地下で戦った時のことがフッとレンヤの脳裏に蘇る。一瞬にしてマドカに迫った脱獄犯を見た時、本当に絶望したのだ。あんな絶望は二度と味わいたく等ない。
複雑に入り組んだ通りの角を曲がった時、レンヤはついに化け物達を目視した。その先にマドカがいる。化け物達のせいで目視こそできないが、気配で分かる。
「マドカさん!!」
レンヤは声を張り上げる。その瞬間に周囲の化け物達の注意がマドカから自分へ向いたのを肌で感じた。これは好都合だ。レンヤはスピードを殺すことなく向かってくる化け物達を切りつけ次々に処理していく。そして切り裂いた化け物達の隙間からマドカを目視した。マドカはレンヤの方をみて目を見開き固まっている。
しかしそんなマドカに容赦なく化け物は襲い掛かる。レンヤは咄嗟にマドカに襲い掛かる化け物の頭部を狙いナイフを投げる。そのせいで自身に降りかかる攻撃をもろに受けるが、そんな事には構っていられない。
そして、ついにマドカの元までたどり着いたレンヤは付近にいる化け物達を一気に切り刻んだ。その瞬間、ボトボトと肉塊が重力に任せて落ちていく。
「助かった……のかな……。」
ふわり。背中に隠したマドカが崩れ落ちる。まるで糸が切れた操り人形のように倒れた。レンヤはそんなマドカの様子を視界の端で捉えるも、マドカに駆け寄る事はせずに目の前に次々と迫る化け物と対峙する。
状況は良くない。気を失って倒れたマドカを守りながらとなれば動きが大幅に制限される。投げることができるナイフの数は、迫る化け物の数より圧倒的に少ないのだから、慎重になる必要がある。
「クソッ。」
レンヤがそう悪態をついた時だった。レンヤの周囲をとんでもない勢いで小さい何かが複数横切って行った。レンヤにはヒュッと小さな音を立てて空気を切り裂く何かを捕らえる事は出来なかった。しかし、それが何なのかある程度予測はできた。そして案の定、ほぼ同時に現れる異質な存在。黒い影。鋭すぎる殺気とオーラ。
「レンヤ君、大丈夫かい?」
「あ、あぁ。」
レンヤの目の前に現れたのは、やはりアイルだった。ほんの一瞬で周囲の化け物達は全て死体となっていた。何も見えなかった上、反応など全く出来なかった。その圧倒的な力をまざまざと見せつけられ、気づけば体は震えていた。
アイルは周辺に散らばるナイフをひとつずつ拾って回収していく。予測通り、とんでもない勢いで横切っていった何かは、これらのナイフだったのだろう。どれもこれも化け物達の急所を的確に刺している。射程距離に入った瞬間に投擲されたのだろうと察する。
レンヤは震える体に喝を入れて黙らせる。そして、倒れたマドカの様子を確認する。酷い傷だ。まさにボロボロである。この状態で耐えていたなど奇跡でしかない。幸い息はあり、気を失っているだけのようだ。
それを確認してレンヤは漸く安堵から深く息を吐いた。間に合ってよかった。シラウメの的確な指示が無ければ救えなかっただろうと思う。と、そこへゆっくりと歩く足音が遠くの闇から聞こえてきた。この気配はシラウメである。レンヤは顔を上げ、その方向へと視線を向けた。
「全て、私の責任です。私の力不足の結果です。」
シラウメは険しい表情で言った。その様子に、レンヤは何も言えなかった。
「マドカは無事ですか?」
「怪我をして、気絶はしてるけど、無事のようだね。」
「そうですか。」
シラウメの声に覇気は無い。マドカが傷つき倒れている様子を見て心を痛めているのだと、レンヤでも分かる。そして、この状況に苛立ちと悔しさを感じているだろう事も察することができる。
「君のせいじゃない。」
アイルは隣まで来たシラウメにそう声を掛け優しく頭をなでる。しかしながら、その手はシラウメによって雑に振り払われた。
「やめてください!そんな慰めはいりません!」
シラウメは叫ぶように言葉を吐き出してアイルを睨む。
「仕方ない状況だったのかもしれません。しかし、結果としてマドカを危険な状況に合わせてしまったのは私です。もし……、もしもマドカが特異体質でなく、また、ナイフが使えなかったら……。」
死んでいた。そう言葉が続くのだろう。しかしシラウメは最後まで言わずに口をつぐみ、顔をアイルから逸らした。そんな感情的なシラウメの姿をレンヤは初めて見た。いつだって何もかもお見通しで、その場の全てを支配している印象だ。そして、余裕たっぷりに微笑んでいる。そんなシラウメしかレンヤは知らない。自分とは雲泥の差がある別次元の人間で、到底理解の及ばない孤高の存在のように見えていた。故に、普段の様子からは想像できない今のシラウメの様子に驚く。
「そうだね。死んでいただろうね。」
「……。」
「結果論で言うつもりは無いけど。マドカちゃんは生きているんだから、十分じゃないかい?」
「……。」
シラウメの表情は暗いままだ。アイルの容赦ない言葉が突き刺さっているのだろうと想像する。
「シラウメ。客観的に言えば、シラウメ程の思考能力がなければ確実にマドカちゃんは死んでいたと思う。シラウメだからこそギリギリ間に合った。確かにシラウメなら、マドカちゃんが絶対に傷つかない選択肢も思いつけたんだろうね。でもそれは敢えてしなかったんだろう?そういう選択肢をシラウメの意思で選んだんだろう?その結果であれば、今ここで後悔する事にはなんの意味もない。同じ状況が来れば、シラウメは何度だって同じ選択をするんだろうから。ミスがあったなら悔やめばいいけれど、ミスなんてなかったのなら悔やむ必要はないと思うけど。」
「はい……。」
それでもシラウメは自分を責めているようだった。
「だからさ。シラウメ。もし、変えるとしたら。その驚異的な思考能力を、もっと高みへ成長させるしかないんじゃないかい?誰も手が届かないくらいに。圧倒的な力さえあれば、なんでも手に入れられるよ。」
「圧倒的な力……。」
「シラウメは、マドカちゃんの事になると途端に人間的だよね。俺はそれが弱点とは思わないけれど、その部分への対策は十分じゃないように見える。最も効率が良くて最善の策を選ばないんなら、それ相応のやり方も必要なんじゃないのかい?」
「!!」
シラウメはアイルの言葉から、何かに気が付いたような表情をした。何か糸口でも見つけたのだろうか。レンヤには分からない。だが、シラウメはみるみるうちにいつもの調子を取り戻したようだ。雰囲気がまるで違う。
「頼むよ。俺達の司令塔。」
アイルはそう言って、シラウメの頭にポンと優しく手を置いた。それに対してシラウメは、ふふっと爽やかに笑う。完全にいつものシラウメだ。
「すみません。私らしくもなかったですね。我儘を通したいのであれば圧倒的な力があればいいと。そういう話ですか。力さえあれば全て手に入ると。理解しました。あの人の様に、私達も強欲にいきましょうか。私にはその権利が十分にあります。」
そういうシラウメは自信に満ちていた。
「アイルは優しいですね。本当に元殺し屋なのか疑ってしまいそうです。司令塔が取り乱していたならキレても良いと思いますけれど。」
「キレたりなんてしないよ。俺は大人だからね。」
アイルは茶化すように意地悪を口にするが、シラウメはそれを鼻で笑う。
「レンヤ君。色々と諸事情があるため、マドカは私の方で預からせていただきます。とはいえ、マドカ無しでは貴方達は生活もままならないでしょうから、マドカの療養期間はレンヤ君達も私の家で生活してください。余っている部屋をお貸しします。レンヤ君は今日の所はマドカの家に戻ってください。明日、サクマ君を連れて私の家に来て下さい。」
「あぁ。分かった。」
「では、また明日。私達はこの地域の片付けがありますので。」
シラウメはレンヤにそう指示を出すと、スマートフォンを取り出し電話をかけ始めてしまった。ここに自分が残っていても何もできない。むしろ邪魔かもしれない。さっさと立ち去るのが良いのだろう。
レンヤは気を失ったマドカの様子を改めて見る。痛々しい傷を見るだけで心が痛む。何もかも自分の不甲斐なさが原因だ。マドカの一番近くにいたのは他でもないレンヤなのだから、レンヤさえしっかりしていれば間違いなく防げた事だったのだ。その事実が重くのしかかる。潰されてしまいそうだ。期待されていた役割も果たせずこんな結果になるなど、自分の愚かさを呪う。
「君のような人間が何かを手にしたいなんておこがましいよ。弱いなら欲しがるべきじゃない。身の程をわきまえて諦めるべきだ。それが嫌なら周りを黙らせるくらい強くなるしかないよ。せいぜい頑張って。」
アイルはレンヤの方など一切見る事もなく、そう言って気を失ったマドカを抱き上げた。
「早く行きなよ。邪魔だからね。」
レンヤは何も言えなかった。アイルの言葉が重い。口調こそ穏やかだったが、言われた内容は決して穏やかではない。お前は弱いと。弱い者が悪いのだと。弱いくせに欲張った結果だと。そう言われているようだった。事実そういう意味なのだろうと感じる。
レンヤは言葉にできないようなもやもやと渦巻く感情を押し殺して、静かにその場を立ち去った。




