6章-10.罠 2023.11.5
シラウメはアイルの背に乗せてもらい、移動しながらも思考を続ける。ビンゴが言っていた、化け物10体が囲んでいるという一人の人間がマドカであるという証拠はどこにもない。しかしながら、間違いなくマドカであるとシラウメは確信していた。
「マドカ、無事でいてください。」
シラウメは不安を抱きながらも電話をかける。プルルルル……プルルルル……と、何度も呼び出し音が鳴るがマドカは一向に出ない。呼び出し音が鳴る事から、マドカがいる位置は圏外ではないとだけ分かる。
「シラウメ、もう少し今の状況を詳しく教えてくれないかい?」
「分かりました。」
確かにアイルにはもう少し状況を説明すべきだろう。
「まず、今回の事件全体についてですが、人喰いの脱獄犯という驚異を中心に組まれた罠です。背後には策士がいます。策士は、私達警察、及びレンヤ君達が動くことを想定しています。戦力を完全に読まれているという事です。」
「俺たち警察側の戦力は少し調べれば分かる情報だけど、レンヤ君の事を把握しているっていうのは少しおかしくないかい?」
「はい。その通りです。」
アイルに指摘された通りだ。シラウメ達警察が持つ戦闘力は、今までの経歴から殆ど読まれてしまうというのは仕方がない事である。情報収集能力のある人間であれば、それらの情報を正確に手に入れる事は難しい事ではない。一方で、レンヤの情報はそう簡単には得られるものではない。レンヤが行った犯行については、都度全てシラウメが隠ぺいしているし、マドカと出会う以前のレンヤの情報は何者かによって完全に消されている。関係者以外の人間が把握できるはずがないのだ。
「恐らく背後で策を展開している人物は、レンヤ君を元から知っている人間でしょうね。」
「へぇ。」
アイルは呆れているのか、何も小言を言ってこない。背に乗る自分の位置からアイルの表情は見えないため、何を考えているのかは分からない。しかし声色から察するに、言っても無駄だと思われているのだろうと察する。
「相手の狙いについてですが、狙いはマドカの殺害とみて間違いがありません。恐らく、策士はマドカを秘密裏に処理したいのでしょうね。今までの回りくどいやり方から、目立つような犯行は避けたいという意図が見て取れます。マドカという個人に、世間一般の注目がいかないようにしたいのかもしれませんね。」
今までの事件の傾向から、敵側はマドカを秘密裏に処理したいという意図は読み取れていた。不慮の事故や、大きな事件に巻き込まれるなど、マドカ個人が目立たないような方法で殺そうとしている。あくまで複数の被害者のうちの一人であったり、簡単に隠ぺい工作できるような状況での殺害方法等、一般の警察が捜査しても簡単に情報操作できそうなやり方が選ばれている。単純に、マドカという一般人を殺すだけならば、レンヤよりも圧倒的に強い殺し屋を向かわせれば簡単だ。アイルクラスの殺し屋に任せれば一瞬で片が付く話だ。アイルクラスの殺し屋を雇うためにはそれなりの資金が必要にはなるが、今までの策を展開するコストを考えればトントンではないかと思う。むしろ、長期的な策の時点で殺し屋を雇う方が安上がりではないかとも思う。故に、何かしらの意図があるとみて間違いない。
そんな考えから、今回も同じことだと考えていた。複数の人喰いの脱獄犯の被害者の一人となるように策が展開されるのだろうと想定していた。現状、常にマドカの傍にはレンヤが付いているのだから、敵側は簡単には手出しできない状況だ。レンヤの戦闘力を考えれば、アイルクラスを当てない限り確実なマドカの処理は困難だ。万が一、敵の戦闘能力が高くレンヤでは手に負えないとなったとしても、自分たち警察が後から加勢して脱獄犯を処理してしまえば問題ないと考えていた。
しかしながら、その考えは甘かったのだ。ぬるい想定だったと痛感する。
このタイミングでこの規模の策を展開されるなど、全く予想ができなかった。不測の事態により、完全に相手の策に嵌ってしまった。舐めていたわけではない。情報が圧倒的に足りなかったのだ。脱獄犯以外にも化け物が存在し各所に同時に展開されるなど、想像できなかった。その情報は事前に知りえたのかと言えば、知る事は出来なかったものである。シラウメの思考能力を持ってしても、脱獄犯以外の化け物という脅威の発想には至らなかった。一切の情報がなかったのだ。可能性として思いつける範囲では無い。
故に、予測できなかったことは仕方がない事なのだ。しかしながら、そう分かっていても、シラウメは悔しさでいっぱいになる。
レンヤ達に人喰いの脱獄犯の情報を与えたのは間違いだったのかとも考えた。しかし、マドカが動かなければこの策は展開されないのだろう。マドカが外出しなければ脱獄犯は姿を見せないはずだ。従って、何も知らず無防備な状態で突然襲われるよりはマシだと思われる。警察側もマドカの行動を予測しやすくなる事で、マドカが動く時に合わせて動くことができるのだから、伝えた事や見回りを促した事は間違いではなかったのだろうと思う。
念のため、マドカ達には常に警察の監視を付けていた。現在どこで何をしているのか、シラウメは常に把握できる状態としており、自身が対応できない所でマドカが事件に巻き込まれることが無いように気を配っていた。敵側の狙いがマドカである事は以前から明確ではあったが、殺し屋が殺しに行くなどのように直接的に狙われることは無かったため、簡易な監視で十分と考えての対応だった。
「シラウメ。大丈夫かい?」
「はい。すみません。色々と考えてしまって……。」
こんな事になるのであれば、常にマドカを自分の手元に置いて監視するのが正解だったのかとも考えた。今日だって合流してから捜索すべきだった等と考えてはみるが、それはマドカの自由を一方的に奪う事だと思うと、シラウメはその選択肢を除外してしまった。警察として接するのであれば問答無用で指示を出して従わせればいい。マドカを囮にするから協力しろと、安全は保障するからと。そうしていれば今回のような事は起きなかったかもしれない。マドカが酷い怪我を負う事も無かっただろう。
しかし、自分はマドカとは友達として接していたかった。警察と一般市民という関係ではなく、対等な友人でいたかった。結局その願望のせいで大切な友達を失うかもしれないのであれば、自分の選択は間違いだっと思わされる。
「人喰いの脱獄犯は囮、周囲に発生した化け物は警察の注意を引き戦力を分散させるための物、そう考えています。そして、突然沸いたように現れる化け物についてですが、それは地下から発生しているのでしょう。マンホールから上がってきていると見ています。」
「成程ね。確かに地下は索敵の範囲外だ。嫌らしい敵だね。」
「はい。全くです。」
ビンゴのワイヤーによる索敵を逃れるためには地下しかない。敵側はシラウメの使える手段を熟知しているのだと分かる。改めて完全に対策を練られてしまっていると感じる。
「あぁ、そうだ。マドカちゃんって一般人だよね?」
「はい。その通りです。」
「確かに裏の人間が一般人を処理するのは隠したいよねぇ……。成程ね……。それにしては今回はずいぶん大胆な気もするけど。」
「一般人には一般人の脅威を当てる……。といったところでしょう。策士は一般人の脱獄犯でしょうから……。」
「そういう事かぁ。」
完全に敵の手のひらの上なのだろう。悔しいがどうすることもできない。情報量が圧倒的に足りない状態では出し抜くことなどできない。負けはもう認めなければならない。そのうえで被害を最小限にとどめる事が、今シラウメがしなければならない事だ。
「マドカ……。どうか無事でいてください……。」
シラウメは祈るような気持で、呼び出し音が鳴り続けるスマートフォンを握りしめた。
***
プルルルル……っと先ほどから地面に転がるレンヤの携帯電話が鳴り続けている。マドカはギリッと歯を食いしばりながらも、ナイフを構えていた。先に出くわした化け物3体は難なく倒すことができていた。しかし倒した直後、どこからともなく新たな化け物が10体わらわらと現れた。そして、行く手を阻まれ、あっという間にそれらの化け物10体に囲まれてしまう。
「またまたピンチだよ。今日は本当についてないな……。」
マドカは腹部の痛みに耐えながら、自嘲気味に笑って言った。最初にこれらの化け物に囲まれる際、突如背後からの攻撃を受け、マドカは持っていたレンヤの携帯電話を落としてしまっていた。今も鳴り続ける携帯電話は、恐らくシラウメからの着信だろう。もしここで連絡できていればと後悔してもしきれない。携帯電話は化け物を挟んで遥か遠く向こう側まで転がって行ってしまっていた。化け物をどうにかしなければ、携帯電話は拾えない状況である。
流石にこれだけの化け物に周囲を囲まれてしまっては、簡単には太刀打ちできない。下手に動けば死角から攻撃を喰らうだろう。かといって動かなければ、少しずつ距離を詰められて追い詰められてしまう。理解していてもマドカは威嚇の状態から動けずにいた。
「厄日にも程があるって……。」
しかし、いつまでも化け物は待ってはくれなかった。化け物のうちの正面にいる1体がゆらりと動き、一直線にマドカへと突進してきた。マドカは突進してきた勢いのまま振るわれる化け物の爪の攻撃を躱すと、ナイフを振り下ろす。狙いは左手だ。的確な方向と力加減で振り下ろされたナイフによって、化け物の左手首はすっぱりと切り落とされた。直後雄叫びを上げた化け物は振り返りざまに右手を薙ぎ払うようにしてマドカを切りつけた。
「いったっ……。」
とっさに庇った左腕を抉られてしまった。痛みに顔を歪ませながらも、マドカは立ち続ける。そして次々に切り込んでくる化け物の攻撃を避ける。化け物に隙があればナイフで切りつけるものの、やはり深追いはできない。避ける事を最優先にして立ち回る。
マドカの息は上がり、限界が近い事を意味していた。腹を負傷しているのだから当然だ。もしマドカが特異体質でなければ、確実に気絶している事だろう。普通の人間であれば失血死していてもおかしくない量の血液を失ってしまっていた。
冷静に考えて、今周囲を囲んでいる化け物を全て倒す事は可能だろうか。予測ができない。瀕死の自分と元気な化け物10体だ。あまり現実味がない。かといって、隙間を縫って化け物の包囲から抜け出せたとして、その後走って逃げきれる自信もない。マドカは自分が生き残るためにできる最善を考える。
やはり、レンヤの携帯を拾ってシラウメに現在地を連絡し助けを待つのが最も現実的だ。化け物の攻撃を避けながらも移動して、携帯を拾いシラウメに連絡すれば応援が期待できるかもしれない。事実携帯は鳴り続けているのだ。シラウメがマドカの事を気にかけてくれているというのが分かる。
「やるしか……ないっ!」
マドカは向かってくる化け物の手首を的確に落としていく。脅威となる爪の排除と失血死を狙った攻撃だ。最小限の動きで自身の体に負荷をかけない様、そして深追いして反撃を喰らわない様に体を動かす。こんなボロボロの状態でも、段々とコツがつかめてきたかもしれない。技の精度が上がっていると実感する。
両手首を落とされて、爪という武器を失った化け物は次の手段として噛みつこうと突進してくる。しかしながら、その動きは遅く脅威ではない。よく見ると化け物には鋭い牙があった。犬歯が伸びている。まるで吸血鬼だ。どうやら変形しているのは爪だけではなかったようである。噛まれたら非常に痛そうだ。
そんな事を考え戦いながらも、マドカは周囲の化け物の様子を注意深く観察する。自分が生き延びるために、少しでも多くの情報を得たい。すると、両手首を落とされた化け物は明らかに動きを鈍らせていた。もしかすると失血死してくれるかもしれない。
マドカは僅かな希望を感じつつも気を抜くことなくナイフを振るう。少しずつレンヤの携帯に近づきつつ、そして化け物の手首を切り落とし敵の武器を削ぐ。
――大丈夫。同じことを繰り返せば辿り着ける。
あと歩数でいえば20歩程度だ。とその時、比較的遠くにいた化け物がひとりでにバタリと倒れた。その化け物は初めに手首を切り落とした化け物だった。どうやらその手首の切断面から血液を大量に失い、失血死したように思う。これでマドカを囲む化け物は9体になった。
マドカはふぅーっと息を吐き、改めて気合いを入れる。今やっている行動は正しいと確信する。自分が生き延びるための最善の方法に違いない。欲張らずに慎重に、同じことを繰り返そうと決意する。
痛みをこらえながらも必死で同じことを繰り返すうちに、化け物達は一体、また一体と倒れていく。残る化け物の動きも鈍り、次第に勝機が見えてきた。この調子で行けば全ての化け物を処理した後、レンヤの携帯を拾って連絡ができるだろう。
あと、本当に少しだ。残りは弱った化け物が4体。絶望的なあの状況から、ここまでひっくり返す事が出来たのは自分でも奇跡だと思う。この奇跡に希望も膨らむ。辛いマラソンのゴールが目視できた様な気分だ。帰ったら沢山美味しいものを食べて、暖かい布団で沢山寝たい。
マドカがそんな希望を抱きながらも必死で戦っている時だった。パキッと少し遠くの闇の中で物音がした。その予想もしていなかった異質な音に、マドカはびくりとして意識を持っていかれる。
何か小枝などを踏みつけて折れた時のような音だ。足音だろうか。小さな音の様子から、そんな予想がパッと脳裏に浮かんだ。しかし、音の方向へ視線を向けた瞬間驚愕した。
「は?なんで?なんでよ。ありえない……。」
マドカは泣きそうになりながら呟いた。
必死に戦うマドカの目に映ったのは、新たな化け物達が何体も迫っている光景だった。まるで闇の中から次々に湧き出すようだ。化け物の群衆がゆっくりと迫ってきていた。
そして次の瞬間には、バキィィィイイィイィィっと別の方向の闇の中から激しい破壊音が響き渡る。それと同時に消える携帯電話の呼び出し音。マドカが恐る恐るそちらの方向にも目をやる。すると、そちらにも化け物が複数体迫り、そのうちの1体がレンヤの携帯電話を踏み潰し破壊していたのだった。




