6章-8.応援要請 2023.11.5
マドカが十分に逃げ切ったのを気配で確認したレンヤは、全神経を目の前の人食い男に集中させる。
禍々しいオーラ。獣のような風貌。マドカによって腕に切り傷を負ったにもかかわらず、人食い男はたいして痛がる様子も無い。骨の手前まで切れているだろう。血がドクドクと流れている。しかしながら、脱獄犯は全く気にしてないようだ。また、目の焦点が合っていないようにも見える。明らかに様子がおかしい。
――狂っている。
レンヤは、そんな人食い男に恐怖を感じずにはいられない。だが、レンヤはニヤリと笑った。
「オイ、化け物。切り刻んでやるよ。」
強がりだ。明らかな格上に挑むなど自殺行為だ。愚かだ。そんな事は分かりきっている。しかしながらそれは、レンヤにとって逃げる理由に等なり得なかった。
レンヤは一気に地を蹴った。腹の底から湧き上がる怒りが収まらない。自分が駆けつけた時、マドカの腹を今にも割こうとしていたこの脱獄犯を、許せるわけが無い。そして、そこまでされるまで駆けつけることが出来なかった自分にはもっと腹が立っていた。グロテスクな光景に耐えられないなどと腑抜けた理由でマドカを1人で行かせてしまった事を心の底から後悔した。
もはや当初抱いていた殺害動機であるカニバリズムについてはどうでもいい。嫌悪で存在すら否定したい程だったが、今ではそんな事どうでもいいと思えるくらいに、目の前の脱獄犯に腹が立っている。
レンヤは脱獄犯に接近すると、いつものようにナイフを振るっていく。しかし脱獄犯は、レンヤの連撃を軽々避けていった。
――やっぱりか……。
予想通りだった。こんな攻撃が当たるとは端から思っていない。まるでアイルを前にした時のような気分だ。絶対に勝てないと分かる。圧倒的な力量差だ。天地がひっくり返っても勝てないだろう。
スピードは負けているし、隙は見当たらない。だが、レンヤは攻撃を辞めない。どうにかしてでも殺す。それだけを考えてナイフを振るっていった。
***
同時刻。マドカは十分にレンヤがいる場所から離れ、レンヤの黒いガラパゴス携帯から電話をかけていた。もちろん相手はシラウメだった。そして、通話を終えると、パタリと携帯を閉じた。
「どうしよう……。」
マドカはそう呟き、独り考えだした。というのも、シラウメとの電話で分かった事であるが、どうやらシラウメ達も戦闘中のようだった。シラウメの話だと、この周辺に異様に長い爪をした様子のおかしい人間が複数現れたとの事だった。各地に同時出現し、それらは人を襲う事から野放しには出来ないと。恐らくレンヤが待機していた場所に現れた男たちと同じ類のものだろう。死体の様子を見たが、それらは明らかに化け物だった。人間とは言い難い。シラウメは警察として、そちらの処理をしなければならないだろう。優先すべきは、レンヤの命よりも無関係な一般人だ。
故に直ぐにレンヤの元に助けは来ない。レンヤは自力で持ちこたえなければ死ぬだけだ。マドカは自分の無力さに嫌気がさす。これ以上自分には何も出来ないのだ。そして、シラウメに言われたのは、少しでも人目のある場所へ移動して避難して欲しいという事だった。深夜でも人目のある場所、明るい場所となると駅前の飲み屋が集まる場所やコンビニくらいだ。今いる場所からは絶望的に遠い。この傷で動く事を考えると笑えてくる。
――それでも動かなきゃ。
マドカは痛みで気が狂いそうになる。冷や汗は止まらない。しかし、今いる場所も十分に危険地域だということが分かってしまったのだ。立ち止まる事は出来ない。シラウメもどこに化け物となった人間が出現しているのか、まだ把握ができていないようだった。また、一部の場所では電波が無くなり連絡が取れなくなるという。今、何かが確実に起きている。しかし、その何かを自分は知る事はないのだろうなと思う。シラウメはたとえ分かっていても自分には教えてはくれないだろうなとマドカは思う。
そんな事を考えながらも、安全な所へと1歩ずつゆっくり進んでいたマドカだったが、ピタリと歩みを止めた。そして、はははっと自嘲気味に笑った。
「本当、何なの?聞いてないよこんなの。」
前方に現れた影にマドカは絶望する。長い爪を持ちダラりと腕を前に垂らした化け物。それが3体だ。脱獄犯と比べれば弱そうに見える。しかしながら目の前に現れた化け物は成人男性と同じ体格だ。たとえ化け物化していなくても、マドカに取っては脅威である。さらに負傷した状態なのだ。乾いた笑いしか出てこない。
マドカはナイフを握りしめた。そしてキッと化け物化した人間を睨みつける。もうやるしかないのだ。助けはここへは来ないとハッキリ分かっている。絶望している場合じゃない。
「切り裂いてあげるよ。正当防衛だもん。合法だよね?」
マドカは不敵に笑った。こんなもの狂ってなけれやり切れない。狂い方ならよく知っている。あれだけ間近でレンヤを見てきたのだから。
マドカが言い終わると同時に、現れた化け物達は一斉にマドカへと向かってくる。
「なぁんだ。おっそいじゃん。怖がって損した。」
化け物達の速度は、脱獄犯と比べれば明らかに遅かった。一般男性とさほど変わらない。違いはやはり長い爪という武器だろう。爪の長さによるリーチの長さに十分に気をつければ、攻撃を避ける事はさほど難しくは無い。
「遅いよ化け物。」
マドカはそう言ってひらりと攻撃をかわすと、化け物化した人間の右手首目掛けてナイフを振り下ろした。ブシュッと肉や骨が切断される音と血液が吹き出す音がするとともに、右手首が地面にボトリと落ちた。
「ぐぁああぁあぁぁあ!」
脱獄犯と同様の叫び声が響く。叫び声を聞いたマドカはニヤリと笑った。これであれば自分でも倒せる。勝機は十分にある。落ち着いて的確に対処すれば3体程度なら問題ないはずだ。マドカは最小限の動きで、化け物となった人間を処理して行った。
***
一方でマドカから連絡をもらったシラウメは、薄暗く静かな住宅街の4m程度の道幅の小道でひたすら思考を行っていた。戦力を分散させて各地に出現した化け物化した人間達と交戦していた。
通話を終えたスマートフォンを鞄に仕舞いながら、ブツブツと小さく独り言を呟きながら思考する。
「ビンゴ、一旦ここへキャロルとアイルを呼んでください。」
「ラジャー!」
茶色の短髪、ぱっちり二重の吊り目、そしてヘーゼル色の瞳を持つ7歳の少年ビンゴは、元気に返事をすると黒い手袋をはめた手を振り上げ、細かく指先を動かした。その指先からは、無数のワイヤーが伸びている。四方八方に伸びていくワイヤーの先は夜闇に消えており繋がる先は見えない。しかしそんなワイヤーをビンゴは器用に操っている。
しばらくその場で待っていると、アイルとキャロルがシラウメの元へと戻ってきた。
「キャロル、貴女は道中の化け物を処理しながらレンヤ君のいる脱獄犯の方へ行って下さい。脱獄犯は即刻殺してかまいませんから。場所は分かりますね?」
金髪のショートヘアー、吊り目、深緑色の瞳を持った8歳の少女、キャロルは頷き、手にした大鎌にへばりついた肉片や血液を遠心力で地面に振り落とした。心もとない街灯に照らされたキャロルの大鎌は、まるで血肉を欲するようにギラりと怪しく光る。
「了解じゃ、シラウメの事は任せたぞ。」
キャロルはそう言い残して、直ぐに闇に消えて行った。
「あーあ、キャロルの奴いーなぁ。オレ様もあっち行きたかったゼ。」
ビンゴはワイヤーを操りながら走り去るキャロルをチラリと見て愚痴をこぼした。
「適材適所です。電波妨害で簡単に連絡が取れない以上、貴方がそばにいないと私は皆さんに指示を出せません。」
「チェッ。」
ビンゴはシラウメの説明を理解出来ても不満らしく、小さく舌打ちをする。そんなビンゴにシラウメは苦笑した。
「ビンゴ。さっさと索敵してよ。この周りのはもう終わったからさ。どっちに残ってるのか分かんないの?」
アイルは気だるそうだ。アイルの威圧的な言い方に、ビンゴはあからさまに不快感を示した。
「今やってるから、黙ってろよ。」
「こんなに時間かけるなんて、役に立たないなぁ?」
「んだと!?」
「やめなさい。アイル、それくらいにしてください。」
アイルは不貞腐れたようにそっぽを向いてしまった。シラウメはそんな彼らに軽くため息をつくと、思考を再開する。
ビンゴはワイヤーを操る事で、索敵など周囲の情報を探る事ができる。しかしながら、同時に探ることが出来る範囲はそれ程広くは無い。今回現れた化け物が出現した範囲は、ビンゴが把握出来る範囲よりもずっと広く、一気に全てを把握することが出来ない。一方のアイルは、周囲であれば敵の気配を探ることが出来る。従って、ざっくりとでも敵の位置が分かれば解決するのだ。しかしながら、今回の規模ではビンゴの限界を超えてしまったため上手くいかない。
化け物となった人間はそれなりに強い。個体差が大きく強い個体も含まれている。また、気配に敏感で獣並の鋭さだった。
当然、シラウメが動かすことが出来る他の部下にも見回りをさせて周囲に現れた化け物を索敵している。そちらからの情報もあって、ある程度は既に片付けることが出来ている。索敵と同時に処理まで出来てしまえば良いのだが、戦闘力を持たない部下には処理まではさすがに指示できない。強い個体に当たってしまえば、無駄に死人を出してしまうことになる。事前準備もなくタイムリーな指示が出せない状況では、一般人に被害が出ないようにだけ調整するのが限界だった。故に現れた全ての化け物を、アイル、キャロル、ビンゴで処理しなければならない状況だ。
「ねぇ、シラウメ。これは一体何が起きてるんだい?明らかに何かの策だよね。」
「はい。その通りです。人喰いの脱獄犯という脅威を軸にして、明らかに私たち警察の動きを視野に入れた策が展開されています。それに、レンヤ君達が動いている日に……。」
「シラウメ。思考中に悪いんだけど、敵が増えた。」
「えっ!?」
「数は8体。ビンゴ何やってんの?」
アイルは先程とは比べ物にならない位威圧した様子でビンゴを責める。その様子にビンゴはビクッと肩をふるわせた。
「違うっ!この周りの半径30mの範囲には網を張ってるから入れるはずない!!」
「は?現にその内側に入ってきてんじゃん。」
「っ……。」
ビンゴはギリっと歯を食いしばっている。
「シラウメ、考えてる所悪いけど、勝手に処理してくるね。」
「ごめんなさい。お願いします。」
シラウメはじっと考える。自分の立ち位置から得られる情報、マドカからの電話で得た情報、他の部下からの報告内容、そして突然近くに現れた化け物。全てを考慮して、可能性を導かなければならない。
戦闘力のないシラウメにあるのは優れた思考能力のみだ。今は一刻を争う状況である。いかに速く、いかに正確な解を導くことが出来るのかが非常に重要だ。
「ビンゴ、いいですか。今から私が言う場所にワイヤーを集中させて下さい。そしてそこに化け物がいれば処理をお願いします。周囲の私を守るための網は解除して構いません。」
「!?」
ビンゴは明らかに困惑している。シラウメの指示が予想外だったのだろう。
「ウメ姉、本当に……、良いの?」
「はい。問題ありません。」
「ラジャー!」
シラウメはスマートフォンで地図を表示させ、ビンゴに位置を指示した。ビンゴは腕を動かしながらその位置を確認する。
「できますか?」
「当然できるゼ!!」
ビンゴは一気に腕を動かし、体全体を使ってワイヤーを操り始めた。
「どっこいしょー!!」
ビンゴが元気に掛け声をかけた瞬間、周囲を飛び交っていたワイヤーの音が消え、ワイヤーが広範囲へ移動したのが何となく感じられた。
「おっ!!いた!」
シラウメには鋭い感覚などない。どこに敵がいるのかなど目視できなければ気がつくことも出来ない。故に彼らの能力に頼る他ない。しかし、これが明確な誰かの策略だとすれば話は別だ。配置された戦力を読むのであれば、それはシラウメの戦場だ。ランダムに発生した驚異では無い。敵の意図を読み解けば、確実に解答にたどり着けるはずである。
「ウメ姉、流石!言われた全部の所にいるゼ!」
「ふふっ。それは良かったです。」
ビンゴは一気に全身を使ってワイヤーを巻き上げた。きっと各地に散らばった化け物を一気に処理したのだろう。一連の動きが終わるとビンゴはワイヤーを回収したようだ。
「何体いましたか?」
「各ポイントに3体から8体、合計で24体。」
「了解です。ありがとうございます。」
広範囲に索敵と攻撃ができるビンゴは、シラウメにとって貴重な戦力だ。ビンゴの能力のおかげで、シラウメの戦略は大幅に広がるため非常に助かっている。
「引き続き索敵をお願いします。この付近については防御は不要なので範囲を広げてください。」
「ラジャー!」
使えるワイヤーの数は限られている。防御を無くせばその分広範囲を把握出来る。少しすると、周囲に新たに現れた化け物を処理し終えたアイルが戻ってきた。
「アイル。急ぎ移動します。出現場所は全て把握しました。一気に処理して回ります。」
「分かったよ。それならシラウメ、俺に乗って。」
「え?」
「急ぐんでしょ?ほら。ワイヤーの防御も解いたみたいだし、シラウメが単体で立っていたら俺たちは心配で戦えない。」
「分かり……ました……。」
シラウメはアイルの背中ににおぶさる。
「シラウメ、ちゃんと、首にでも腕を回して捕まっててくれないかい?ちゃんとくっついてないと遠心力で飛ばされるよ。」
シラウメはギュッとアイルにしがみついた。シラウメの握力では振り落とされてしまうということだろう。腕を回すくらい、しっかりとアイルにくっついている必要があるようだ。
「うん。これは悪くないね。行先は?」
「私が指示するルートで人喰いの脱獄犯の所まで行き、キャロルを回収します。最短ルートで行きますので。ビンゴも索敵しながら付いてきて下さい。」
シラウメ達は、シラウメの指示通りの道順で現れた化け物を片っ端から処理しながら進んで行った。




