6章-6.カニバリズム 2023.11.5
マドカはレンヤを置いて、一人脇道に入っていく。恐怖心はある。近くに潜んでいるというのだから慎重になるべきだろう。レンヤのあの様子ではとてもではないが一緒に見て回る事はできないだろうと思う。ゆっくりと進んでいき、8mほど歩いた所にある1番近くの死体の前にしゃがみ込んだ。そしてじっくりと観察する。
血液は流れるだけ流れ出し、近くの壁面に飛び散る血液や小さな肉片は既に乾いていた。犯行後かなり時間が経っているように見える。専門家ではないため正確な時間は分からないが、服に染み込んだ血液が乾いている事からも、少なくても1時間は経過していると見て良さそうに思う。傷口を見るに、やはりナイフで切り裂かれたようには見えない。獣が食い破ったと言った方がしっくりくる。無理矢理肉を力業で割いているようだ。そして、案の定内臓は全く無かった。周囲にも内蔵は落ちていないので食われたのだろう。シラウメの話通りだ。また、肋骨が雑に手前に折られて開かれている。素手で折ったのだろうか。手前に開いているのを見れば、鈍器で叩いて折ったのではない事は明らかだ。
マドカは更に、死体の首を動かしたり体を少しずらして観察する。首の骨が折れていたりはしないようだ。頭部にも外傷はない。背中側も確認するが背中は綺麗だった。外傷は腹部のみで間違いない。従って、死因は失血死かショック死だろうと思う。
「えぐい事するなぁ……。」
マドカの予想が正しければ、この腹部の傷は生きたまま最初に受けた傷だろう。殺された後に腹を割かれて食われたのではない。生きたまま取り押さえて腹を切り裂き喰らったに違いない。この死体の苦しみの表情からもその仮説が正しいと思わされる。腹部に攻撃を受けた衝撃で気絶やショック死できていればまだ良いだろうが、もしできていなければと思うと居たたまれない。最悪自分の臓器が食われるところ見させられた可能性まである。
マドカは一人目の観察を終え、次の死体へと向かう。同様にしゃがみ込んでじっくり観察すると、やはり状況は同じだった。ただ1つ異なるのは、血の渇き具合だった。つまり、一人目とは殺された時間が違うということだ。1人目よりももっと乾いていた。
その後もマドカは、次々と同様に血液の渇き具合を気にしながら、丁寧に死体を観察して進む。奥に行くほど血液が乾いているという事もなく、死体の配置と殺害順序はバラバラだった。これだけ派手な犯行にも関わらず通報されることもなく現場を維持しているのを考えると、この通りを通った者は皆殺しにされているのではないだろうか。目撃者は必ず殺されていると見て間違いなさそうだ。また、静かで密集した住宅街のど真ん中だ。悲鳴がや物音が響けば、周辺に住む住民が窓から様子を確認しようとするだろう。故に音もなくひっそりと犯行が繰り返されていると考えられる。
マドカは改めて周囲の状況を確認する。この脇道はまっすぐな細い道だ。この脇道からさらに枝分かれした道は存在していない。そして行き止まりの道である。奥のほうまで行くとさらに街灯が減り暗くなっていく。しかしながら死体はそちらの方まで続いているようだ。目視できる死体の数は13体。恐らくではあるが、この脇道に入った者とこの通りに出入り口がある住民、そして脇道の入り口を通過したものを軒並み殺したのだろう。通行人をこの脇道にさえ引きずり込んでしまえば犯行は容易そうだと思われる。ゆっくり内臓を食べる時間も確保できそうだ。とはいえ、13人分の内臓を喰らったとなると相当な物量ではないだろうか。この一晩での犯行なのだから、満腹になるのではないかと思われる。マドカは前科の資料を思い出すが、前科では1度の犯行では1人だった。これほど同時に殺戮するような事はしていなかったと記憶している。もしかすると、これがシラウメが言っていたパワーアップなどの異常状態にあるという事なのかもしれない。
そんな事を思考しながら次の6体目の死体を観察するため、マドカは死体の目の前にしゃがみ込んだ。そして傷口に目を落とした瞬間、マドカはハッとして立ち上がった。
――これはダメなやつだ。だってこの死体は……。
マドカはゆっくりと慎重にポケットに手を入れスマートフォンを取り出す。慎重に細心の注意を払いながら。極力音を立てずにゆっくりと。そして画面に目を落とし、履歴からレンヤを探す。
――落ち着けば大丈夫。この死体に辿り着くまで無事だったんだ。もうしばらく先の未来も無事かもしれない……。
震える手でスマートフォンを耳に当てる。呼び出し音がかかるまでが長い。電波が異常に悪いとでもいうのだろうか。こんな時に限って運が悪い。少しでもレンヤの携帯が鳴って着信履歴が残ればいい。履歴が残るだけで十分だ。
――早く掛かって。お願いだから。
マドカがそう強く念じた時だった。バキンッ!!と耳元で激しい音が響いた。
「え……?」
困惑して固まる。何が起きたのかは分からない。ただ、スマートフォンを持っていたはずの右手にびりびりと痛みを感じていた。マドカは恐る恐る視線を自分の右手へと向ける。案の定スマートフォンが無い。一体どこへ消えてしまったのか。マドカは恐怖に怯えつつもゆっくりと振り返る。そして振り返った先、飛び込んできた光景に息が詰まった。
マドカが持っていたスマートフォンを握りつぶし粉々にしている脱獄犯は、ニヤリと不気味に笑っている。パラパラとスマートフォンの破片が地面に落ちていく。そんな様子にマドカは自嘲気味に笑う。完全に深入りしすぎたのだ。後悔しても遅すぎる。
そう、最後に見た死体は本当に死んで間もない死体だったのだ。何故そう判断できるかと言えば、内臓が食べかけだったためだ。恐らく食べている途中で、レンヤとマドカが近づいてくる事を察知し近くに身を隠したのだろう。確かにレンヤは、脱獄犯は近くにはいると言っていたが、ここまで近くに潜んでいるとは思わなかった。この脇道の構造を把握した時点で気が付くべきだったのだ。近づいてくるマドカを息を殺して淡々と狙っているという可能性に。
脱獄犯の様子は明らかにおかしかった。足を肩幅以上に開き、猫背で腕を前にだらりと垂らしている。普通の人間の姿勢ではない。そして、脱獄犯はボトリと潰されたマドカのスマートフォンを地面に落とした。片手でスマートフォンを握り潰したようだ。筋力も相当異常値かもしれない。
「……。」
恐怖で声も出せない。マドカはゆっくりと後退りする。少しでも距離を保ちたい。一瞬にしてマドカのスマートフォンを奪い握り潰したことからも、戦闘力は相当だ。マドカでは全く相手にならないだろう。近くに転がる死体が数分後の自分の姿に見えて仕方ない。
――お願いだよ。レンヤ君。気が付いて……。
泣きそうだ。マドカは恐怖と絶望で泣き出しそうになるのをぐっと堪える。レンヤはほんの30m先にいる。しかしながら、声も出せず逃げる事もできない、唯一の連絡手段であるスマートフォンを破壊されてしまってはレンヤを呼ぶことはできない。この緊急事態にレンヤが自ら気が付いてくれなければ助けは来ないという事だ。マドカにできる事は、どうにか少しでも時間を稼いで、音を出したり異常を知らせる事くらいだろう。落ち着けば声を出せるかもしれない。走って逃げれば自分の気配の動きでレンヤが気が付く可能性だってある。
しかしながら、マドカの願いとは裏腹に、脱獄犯はゆらりと動き出した。そして一気に踏み込み距離を詰めてきた。マドカはとっさに後方へ飛ぼうとする。しかし恐怖で竦んだ足は全く言う事をきかず、強張った体は何も反応しない。もつれる足にバランスを崩す。みるみるうちに目の前に迫りくる脱獄犯の巨大な手に、恐怖で目を瞑る。
「かはっ!」
ドンっという衝撃音と共に、マドカは背中全体の痛みと喉の痛みであえぐ。まるで心臓や肺が口から飛び出しそうになるような感覚で、体内の空気を無理矢理吐き出させられたかのようだ。どうやら、がっしりと脱獄犯に首を掴まれ、背中を硬い壁に押し当てられているようだ。地面に足は殆どつかない。つま先立ちのような状態で首がどんどんしまっていく。しかし、マドカは何とか目をこじ開ける。状況を確認するため恐怖を押さえつけて瞼を開けると、目の前にはニヤニヤと笑う脱獄犯の姿があった。やはり感覚通り、脱獄犯の血にまみれた左腕でしっかりと首を掴まれ吊るされている。身動きなど一切できない。声すら上げられない。マドカは頬にツーっと涙が伝うのを感じた。
――死にたくないよ。助けて……。
目前に迫る死に、体はブルブルと震える。ほんの30m先にはレンヤがいるのに。その30mが本当に遠く感じる。脱獄犯は怯えるマドカを見て楽しそうに口元を歪ませた。意思疎通ができないという話だったが、ただの暴れるだけの化け物という事でもないのだろう。しっかりと欲望が存在し、思考もあるに違いない。マドカに助けを呼ばせないように立ち回る事からも、犯行に対する計画性まで感じ取れる。
脱獄犯はマドカにわざと見えるように自由な右手をゆっくりと怪しく動かす。その右手の爪は長く、8cmほどの長さがあるように見える。それを見てマドカは成程なと感じた。その長い爪がこの犯行の凶器だ。あの爪で腹部を刺し無理矢理に切り開いたのだろう。その証拠にべっとりと爪には血液が付いており、小さな肉片もこびりついている。あえてその様子をこれから殺そうとする人間に見せつけるなど趣味が悪い。単純に内臓を喰う事が目的ではないという事だ。対象を恐怖に落とし、最大限怖がらせて楽しんでいるのだ。どこまでも悪趣味だ。
ただ、化け物が人間的部分が存在すると理解した瞬間、マドカの中で何かがストンと落ち着いた気がした。飢えた獣のような生き物を相手にしているのではない。それであれば、足掻く余地がある。そんな気がする。マドカは覚悟を決めた。死ぬ覚悟ではない。そう、この脱獄犯と戦う覚悟だ。マドカはキッと脱獄犯を睨みつける。勝つ見込みはゼロだ。力量差を考えれば当然である。しかしながら何の抵抗もせずに一方的に喰われるなど、そんな事はプライドが許さない。
自分自身の身体や思考の異常性については、生きてきた中である程度客観的な判断をして理解している。他者との違いに苦しんだ日だってあった。自分が化け物のように思えて絶望した時だってあった。到底人間とは思えない自分に絶望したのだ。獣のような五感の鋭さ、平均よりも遥かに高い身体能力、そして現代科学では説明できないような事象も含めて。周りと同じように人間でありたいと願い、極力外部に異常な部分は見せないように生きてきた。しかし、いくら隠しても隠しきれないその異常な能力に改めて自分が化け物であると思えて絶望してきたのだ。
最近ではもう、いっそ開き直って、化け物として生きてやろうとすら思っていた。普通である事を諦めていた。他者との比較で苦しむのをやめるため、異常値を受け入れて、しっかりと認めて生きようと覚悟を決めたのだ。自分自身の一部だと認めようとしたのだ。それなのに今は、大人しく人間面して迫りくる死に絶望するなんて、何てアホらしいのだろうか。ブレブレの自分の思考にうんざりする。自分は無力な人間なんかじゃない。異常値の塊である化け物なのだ。そう開き直ってでも生きてきたのだ。だから今ここで、できる事が何もなく、一方的に喰われるだけなんて絶対に認めたくはない。認めてしまえば今まで苦しんできた日々も、その苦しみから立ち直るためにした覚悟も裏切ってしまう。
「化け物同士、喰らいあうのがお似合いだよね。」
マドカは、ガシっと左手で自身の首を掴む脱獄犯の腕を掴む。そして右手に持ったナイフを勢いよく脱獄犯に突き刺した。人間の体の構造は熟知している。どの筋を切断すれば解放されるのか知っている。マドカは的確に脱獄犯の腕の筋を切断し、そのままの勢いで脱獄犯の腕を深く切り割いた。




