4章-4.お迎え 2023.10.21
レンヤは変わらない動きでナイフを振るう。当然脱獄犯も変わらない動きで躱していく。脱獄犯からすれば、この変化のない状態を長引かせる事にデメリットは無い。そのうちレンヤの体力が無くなり動きが鈍ったところで攻撃を入れればいいと考えているのだろう。その推測が正しい事を示すように、脱獄犯は全く無理な攻撃はしてこない。いやらしいなと感じる。
そしてしばらく切り合いをした頃、案の定ジリジリとレンヤは押されてきた。体力の限界である。腕を上げるのにも苦痛を伴う。足はもつれそうだ。それでも手を止める訳にはいかない。現状のレンヤに出来る攻撃はこれだけなのだから。一方で脱獄犯はまだまだ余裕そうだ。レンヤの動きが鈍ってきた事に気がついたのか、楽しそうに顔を歪ませて笑う。
そしてついにその時が来た。レンヤは攻撃の直後に足がもつれバランスを大きく崩しよろけた。体力の限界による明確な隙だ。脱獄犯は待ってましたと言わんばかりニィッと笑い、すかさずそこへ拳を打ち込んできた。
みるみる迫る拳に恐怖を感じずにはいられない。レンヤは迫り来る痛みにぐっと歯を食いしばった。
レンヤは集中する。
ここだ。ここしかない!
レンヤは見極める。脱獄犯の動きを、仕草を、感情を。勝利を確信しニヤリと一際歪んだ笑みを浮べ、拳に全体重を乗せたようだ。そして、拳はレンヤの左肩へと一直線に向かった。
そして、脱獄犯の拳がレンヤの左肩に当たった瞬間、レンヤは目を見開き隠していた左手でナイフを投げた。
そう、レンヤが狙っていたのはまさにこの瞬間だった。脱獄犯の明確な隙。勝ちを確信した全力の攻撃の瞬間だ。勝ちを確信した攻撃をキャンセルなどしないだろう。その瞬間こそ1番無防備になる。そう考えた。まさに、肉を切らせて骨を断つ作戦。
グサッ……というナイフが刺さる音と、ゴブッ……という、骨が砕ける音が重なった。レンヤは勢いよく5メートル程飛ばされ、その後地面を転がった。
うつぶせで倒れるレンヤにはどうなったかわからない。作戦は成功しただろうか。それとも……。
レンヤは肩の痛みに悶えながら、なんとか顔を上げた。するとそこには脱獄犯が立っていた。だが、動かない。視線を上げていくと、狙い通り脱獄犯の首には、レンヤが投げたナイフが刺さっていた。目を見開きレンヤと目が合う。
まだ、生きてるいるのか……?
失敗か……?
ナイフは浅かったのだろうか。分からない。だが、確認しようにも激痛で動くことが出来ない。恐怖が押寄せる。
しかし、次の瞬間、脱獄犯は直立したまま後方へドサッと倒れた。
「死んだか……?」
レンヤは肩を押さえ、衝撃を与えないよう注意しながらゆっくり立ち上がり、よろよろ歩いて男に近づいていく。レンヤの左肩は完全に折れてしまっている。激しい痛みだ。レンヤは仰向けに倒れた脱獄犯を軽く蹴り反応の有無を確かめる。脱獄犯は目を見開いたまま、動くことは無かった。
「死んでるな……。」
レンヤは脱獄犯の死を確認すると、脱獄犯の首からナイフを引き抜いた。そして、べっとりとナイフについた血液を払い、道路際に投げ捨てた荷物の方へと歩いていった。道路の端に腰を下ろし、カバンから携帯をとりだす。
プルルルルル……
プルルルルル……
数回の呼び出し音の後、ガチャリと音がなって通話が開始された。
「あ……。もしもし……。終わった……。」
「おっ!マジで!?分かったすぐ行くね!てか、レンヤ君怪我した?息が荒いよ?」
「……。肩の骨が折れたかも……。」
「ありゃ、大変。おとなしくしてるんだよ!」
「へーい。」
レンヤは電話を切った。マドカの元気そうな声を聞いて、やっと終わったんだと実感が湧く。レンヤは深呼吸をした。
今回の敵は本当に強かった。実際レンヤの体力は限界だった。よろけたのも本当だった。自分には演技など出来ない。演技などしたら直ぐにバレると思った。だから、本当に体力が無くなる極限状態で勝負に出る事を決心したのだった。他に方法を思い付かなかったとはいえ、危険な賭けだった。
ナイフがもししっかり刺さっていなければ、確実に今頃あの世行きだ。改めて考えるとゾッとする。
レンヤは、目の前に転がる死体をぼーっと眺める。首の傷口から、ドクドクと血液が流れている。もう動くことの無い脱獄犯にホッとする。
しばらくそのままの状態でいると、遠くからマドカとシラウメ気配が近づいてくるのを感じた。レンヤはその方向に目をこらすと、二つの影が見えた。その二つの影は次第に大きくなり、段々と形をはっきりさせていく。
「レンヤ君!お疲れっ!」
「レンヤ君。お疲れ様です。ずいぶん派手にやられましたね。」
マドカとシラウメは笑顔だ。
「レンヤ君はそのまま休んでていいよ!今かたしちゃうから!」
マドカは死体をリアカーに乗せる。もちろん傷口は例の布を貼って塞いだ。地面に流れ出た血液はシラウメが丁寧に回収し、痕跡はあっという間に消え去った。
「さぁ、帰りましょう。レンヤ君歩けますか?」
レンヤは左肩を押さえながら、よろよろと立ち上がる。
「んー。無理そうですね。アイルを呼びましょうか。」
ふらふらと足元がおぼつかないレンヤを見兼ねたシラウメは、スマートフォンを取り出しアイルを呼び出そうとする。
「アイルさんだけはやめてくれ……。会いたくない……。」
レンヤは懇願するようにシラウメを止める。脱獄犯と出くわす前のやり取りを思い出すと、とてもじゃないが会いたくない。
「ふふっ。そういわれると、余計アイルを呼びたくなりました。とはいえ、レンヤ君を運ぶことが出来るのはアイルくらいです。観念してください。」
シラウメはさわやかに笑う。そして、レンヤの懇願も虚しく、容赦なく電話をかけ始めた。
***
「やぁ、シラウメ。それに可愛いレンヤ君。肩痛そうだね。」
ニコニコ笑いながら、斧を持ったアイルがついにやって来てしまった。
「あら?アイル。よくこれがレンヤ君とわかりましたね。それにその斧は何ですか?」
「ん?あぁ、この斧は、さっき歩いてたら物凄い勢いで飛んできたから、反射的に掴んじゃったんだよねぇ。それと、レンヤ君とはさっきあっちの通りで会ったんだ。」
アイルはくるくると斧を振り回しながら言う。レンヤはその斧に釘付けになる。まさにその斧とは、脱獄犯が持っていた物だ。間違いない。反射的に掴んだとアイルは言っていたが、そんな簡単に捉えることが出来るものではなかったはずだ。回転し物凄い勢いで飛んでいったのだ。そのスピードにレンヤは全く反応できずに冷や汗をかいた記憶がある。
「とりあえず、アイル。斧をおろしてください。危ないですから。」
「ん。OK。」
アイルはシラウメの指示通り、斧をポイッと投げ捨てる。すると斧はグサリと地面に突き刺さった。
「わぁお。ずいぶん重い斧だったんだねぇ。びっくりだ。」
「私は振り回していながら、その重みに気付かない貴方の方にびっくりです。」
シラウメは心底呆れたように言う。
「で、です。アイル、レンヤ君を家まで運んであげて下さい。怪我が酷いようなので、慎重にです。」
「お安いご用だ。さぁ、レンヤ君。お兄さんの方へおいで!」
やばい……。
何かが確実にやばい……。
本能がそう言っている……。
ニコニコと笑みを浮かべ、両手を広げて迫ってくるアイルに恐怖を感じる。レンヤは思わず後ずさる。肩の痛みより、目先の危機だ。警戒心を剥き出しにする。
「レンヤ君、逃げるのは良くない。怪我が悪化するかもしれないからね。」
と、アイルが静かにそういった時だった。レンヤは急に体がふわりと宙に浮くような感覚を覚えた。
いや、実際に浮いている!?
「なっ!おろせっ!」
レンヤは驚いて叫ぶ。何故ならば、一瞬のうちに目の前にいたアイルは自分の背後にいて、自分を抱き抱えていたからだ。そして、その一瞬の出来事にレンヤは全く反応出来なかった。それが信じられなくて仕方ない。
「わぁお。軽いねレンヤ君。羽みたいだ。」
アイルはニコッと笑う。レンヤはアイルの笑みにひたすら恐怖を感じる。本能的にこの人間には勝てないと理解してしまう故に、捉えられている事が怖くて仕方ないのだ。現状自分の命はアイルに握られている。
「うっはー!レンヤ君お姫様抱っこだぁ!レンヤ君可愛いし、アイルさんカッコイイから絵になるねー!」
マドカはレンヤの心情など知る由もなく、興奮して楽しそうだ。
「おろせっ!おろしてくれ!」
レンヤは力を振り絞り暴れる。強行突破しかない。流石に暴れる人間をそのまま抱えようとは、思わないはずだ。どうにかこの状態からは抜け出したい。こんな身の危険を感じたままでいるなど精神が持たない。また、お姫様抱っこされたまま移動するなど、恥ずかしすぎて死にそうだ。
「レンヤ君、暴れるのはいいんだけど、喋らないでくれるかな?気分が滅入る。俺は今可愛い女の子を抱っこしている気分なんだ。もしそれが男だと自覚してしまったら、俺は君を殺してしまうかもしれない。だから、黙っていてくれないかい?」
レンヤはピタリと動きを止めて黙った。アイルからただならぬ何かを感じ取り、本能がそうさせた。アイルの水色の瞳が真っ直ぐに自分を見下ろしている。とても冷たく刺さるような視線だ。レンヤはその雰囲気に完全に呑まれてしまった。本当に殺される。そう感じる。アイルの機嫌を損ねたらその場で死だ。間違いない。
「さて、帰りましょうか。」
シラウメの掛け声で、一同はマドカ宅目指して歩き出した。マドカは、リアカーを押し、シラウメはレンヤの荷物を持って。アイルはレンヤを抱き抱え、レンヤはおとなしく黙った状態で。
静かな夜道に3人分の足音が、静かに響いていった。




