* 2 *
眼前に、視界いっぱいの海。
皮肉なほどにくっきりと、空との境が一本の線となって現れている。赤い太陽を迎え入れる準備をしているかのようで、ヴェルガーはさらに重い気持ちになる。
ミウナと初めて出会った岬には、あのころと変わらず、桜の木が立っていた。
まるで、なにもかもを知っているとでもいうように、悠然と両手を広げている。ヴェルガーを慰めることも、責めることもなく、ただそこに在る。
「何しに来たんだか」
ため息とともに、声を吐きだした。
大泥棒になりたかったわけではなかった。しかし、このままこの地を去る気には到底なれない。
「情けねえ」
次期領主となる男の評判など、いやというほど聞いている。気に入った女性を次々に妻として迎え入れているらしい。そんな男のもとへ行って、ミウナが幸せになれるはずがない。
──その様子じゃ、お姫様を盗めなかったみたいねえ、大泥棒さん。
海から、声が流れてきた。
「その呼び方、やめろよ」
ヴェルガーは眉根を寄せる。話をするような気分ではないのだ。
──いいの? ミウナちゃんは、あなたの大事なお友達でしょう?
「しかたねえだろ」
呻くように、こたえる。
会いに行ったのに、望まれなかった。いますぐここから連れ出してと、頼まれたわけではない。
「しかたねえんだよ」
繰り返す。自分にいい聞かせるように、ゆっくりと。
しかしすぐに、口の中に苦いものが広がった。理由などわかりきっていた。
納得していない。
これでいいわけがない。
──覚えてるわよ、あなたとミウナちゃんが、初めて会ったときのこと。
声は、囁くように続けた。
──あたしだって、同じ思いだったもの。毎日毎日、ちょうどいまあなたが居る場所にすわって、話しかけてきて。答える声なんてないのに、そんなことおかまいなしで。そりゃあ、姿を出してしまいたくもなるわよね。
ヴェルガーは目を閉じた。
もちろん、覚えていた。
ミウナは一人だった。
溺愛されているが故に滅多に出ることの許されない屋敷を抜け出して、ここから海を眺めていた。
今日あったできごと、読んだ本のこと、いま気になっている些細なこと──懸命に、語りかけてきた。
友だちが欲しいのだと、彼女はいった。
だから、いてもたってもいられなくなったのだ。
「ミウナは、人間だからな」
ヴェルガーは、目を閉じた。
彼女は大人になっていく。
遅かれ早かれ、いつかは結婚する。だれかのものになる。
「オレがどうこうできるはなしじゃねえよ」
──そうかしら。
声は笑う。
──それでいいなんて、思っていないくせに。
「…………」
ヴェルガーは黙った。そんなことは、いわれるまでもなかった。
ミウナは意地っ張りだ。柔らかい表情で、令嬢としての空気をまとって、いつだって本当の気持ちを隠している。
予告状なんて嘘だと、いっていた。
本当に、そうなのだろうか。
ふと思いつき、懐を探る。薄桃色の封筒を取り出した。島を出るまで開けるなといっていたが、それに対して返事をした覚えはない。
別れの言葉でもつづられているのだろうかと思いながら、封を開ける。
目に飛び込んできた文面に、一瞬、息が止まった。
「──君が、ヴェルガー君だね」
唐突に呼びかけられ、ヴェルガーは心臓が飛び出る思いだった。慌てて手紙を封筒に戻し、呼吸を整えながら、おそるおそる振り返る。
立っている人物には、見覚えがあった。
豊かな髭が印象的な、身体の大きな男性。
「あなたは……──」
ヴェルガーは、直感した。