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おれんじ戦記  作者: つきたておもち


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 *    *    *


 木の香りだ。

 店に入ったとたん、雪華の周りをふわり、と木の香りが取り巻いた。

「新築?」

 微かに漂う木の香りからそう呟いた雪華へ、

「古民家をリノベーションしたんじゃないかしら。」

 前からこの建物はあったわよ、と、店員に店の奥まった場所の、窓際で4人掛けの席に案内され、雪華と向かい合う形で椅子に腰を下ろした福本が、雪華の呟きに答える。

 この店は、雪華たちが勤める会社から、駅に向かう方向とは反対側に歩いて15分くらいの場所にあった。こちら方面に関しては、雪華はあまり地理に明るくない。雪華は電車通勤だ。なので駅の周辺の繁華街や百貨店辺りでいつも買い物をしている。やはり、駅周辺の方が小洒落た店が多い。だからどうしても行動範囲は駅周辺となってしまい、駅から遠ざかる方向へは、足を伸ばしたことがなかった。

「この喫茶店の隣がとても美味しいパティスリーでね、この喫茶店でもそこの洋菓子を提供しているの。」

 この店、知らなかったでしょう、と、福本は含み笑いをする。

 木の香りが微かにするだけあって、店の造りはほとんどが木で出来ているようだ。少なくとも、客から見える範囲では木造つくりに見える。そして、木の香りと混じって漂う、かぐわしい珈琲の香り。

 見上げた天井も高い。高い天井から吊り下げられているシーリングファンが、この店の空気をゆっくりと循環させていた。

 店内を見渡すとあちらこちらに、大小さまざまな観葉植物が置かれている。そして、気にならないくらいの音量で、クラッシクが流れている。

 店内は奥行きがあり割りと広めだ。客もそこそこ居るがとても落ち着いた空間のせいなのか、みな静かにこの店の中の時間を過ごしている。人のざわめきも、この落ち着いた空間に吸収されているようだった。

 ひと昔前の、純喫茶、というようなものなのか。

「落ち着く、いいお店でしょう。マスターは珈琲に拘っていて、ここのブレンド、とても美味しいのよ。ケーキとの相性も抜群でね。」

 福本が雪華を誘うのは、いつもこのような喫茶店だった。

 彼女が雪華に紹介する店は食事をするところでも、飲酒をするところでもなく、落ち着く空間を提供している喫茶店だ。

 最初は、偶然だった。

 雪華が仕事帰りに立ち寄った、駅前の大通りから一本中に入った、あまり人が行き交うことのない細い通りの、小さな喫茶店で偶然に福本とばったり出会った。

 雪華は、仕事帰りに喫茶店へひとりで良く立ち寄っている。

 特に、気持ちを切り替えたいときに、だ。職場のイヤな気を、独り暮らしをしているアパートに持ち帰りたくないときに、立ち寄っている。

 福本と偶然、その小さな喫茶店で出会ったときも、雪華が課の中で発言したアイデアを、課長から鼻であしらわれ、静かに立腹したまま退社した日だった。

 その小さな喫茶店の入り口近くの、窓際の席に彼女は座っていて、ぼんやりと外を眺めていた。だから、雪華が喫茶店に入ってきたことに、彼女は最初、気が付かなかったようだ。

 反して雪華は店に入ってすぐに、福本が居ることに気が付いた。その彼女の姿は、雪華が職場で知る、覇気のある姿ではなかった。何かが、あったのだろうな、と邪推してしまうくらいに、弱々しく見えた。たぶん、誰にも見られたくない姿ではないだろうか、と。ゆえに、そのまま回れ右をして店から出ようとした。

 が、店のマスターが、客として雪華が入ってきたことに気が付いてしまったため、店の扉を閉めることが出来ず、奥の席に雪華を案内するマスターのその言葉掛けで、福本に気が付かれてしまった。

 雪華に気が付いた福本から、何故か相席することを求められ。

 福本のことは、雪華は他課の課長であったが知っていた。男性がほとんどを占めるこの職場で唯一の女性管理職である福本は、ある意味目立っていたからだ。福本も、雪華のことを知っていたようだ。ただそのことは、雪華は特に驚くことではなかった。雪華自身、職場では浮いている自覚は十二分に持っている。

 お互いがお互いの存在を知っているとはいえ、顔見知り程度のものだ。雪華と福本は、言葉を交わしたことはあるが、事務連絡くらいだ。同じ部署に配属されたことは、もちろんない。

 そのように雪華は、福本とは親しくはなかったが相席を何故か断れずに、招かれるまま少し緊張して福本の真向かいに腰を下ろした。

 断れなかったのは、喫茶店の扉を開けて最初に見た、福本の横顔が雪華の頭の中を過ぎったからかもしれない。噂を聞く福本は、厳しい印象が雪華にはあった。福本は男性がほとんどを占める管理職の中で、媚びるでもなく怖気づくでもなく、かといって威勢を張っているわけでもなく、堂々と渡り歩いている。それが一部の職員から、厳しくて怖い存在として語られていた。年齢に似合わない真っ赤なルージュの色、と揶揄されていても彼女のその姿が揺いだことはなかった。その雪華が持つ福本の印象と、この店の片隅で窓の外を眺めていた横顔との印象のギャップが、なんとはなく、彼女からの誘いを断りにくくさせていた。

 相席で、彼女はこの会社で数少ない女性社員である雪華に、何を話すのか、と。

 けれども、相席をしても彼女は特に何も話さず。

 ふたり、静かに向き合って、マスターが提供してくれた珈琲を無言でゆっくりと味わったあと、ふたり一緒に店を出て、別れの挨拶をしてそれぞれの帰路に着いた。


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