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(なんだ、女か)
生まれ落ちたとき、かけられた第一声がソレだった、らしい。
*
「課長、頼まれていた資料を作成しましたので、確認願います。」
高峰雪華は自席から、今季異動してきた男性課長の座する上席へ、ヒールの音を軽やかに鳴らしながら近付く。そして、手にしていたパワーポイントでまとめた会議資料を丁寧な所作で手渡した。
その、雪華を課長はいったん見上げ、検めるかのように雪華を頭の上から足元まで見渡す。
そして、
「ん、まぁ。良いんだけどね。」
と、ぽつり、と呟いた。
その課長の呟きを耳聡く雪華は拾うと、
「何がですか?課長。資料に不備でもありましたか?」
課長が雪華へ何を言いたいのかを察していながら、自身の名前に劣らない華やかな笑顔を課長に向け、そう訊ねる。
訊ねられた課長は慌てて、
「あ、いや。資料は今から確認するから。何かあれば、声をかけるよ。」
と、彼は歯切れ悪く、口の中で少しごにょごにょと言って、雪華へ席に戻るように伝えた。
ので、雪華はそれ以上課長を追及することなく、よろしくお願いします、と再びヒールの音を鳴らしながら、自席へと戻る。
課長が雪華へ、何を言いたかったのか。
たぶん、雪華の服装に、何かひとことくらい注意をしたかったのだろう。
この会社は制服の支給はなく、私服だ。
私服、といっても学生のキャンパスではないので、ビジネスに相応しく男性はスーツにネクタイが主であり、女性も男性よりも多少華やかではあるが、オフィスカジュアルコーデだ。
雪華も当然、本日のコーデはブラウスにジャケットを羽織り、パンツといった、一般的なコーデだった。ただスーツの色がオレンジ系、といった、明るさがあるだけだ。オレンジといってもくすんだオレンジ、朽葉色だ。中のブラウスは黒なので、ド派手と言うほどでもない。
髪も先日の休日に、ミディアムの長さからばっさりとショートにして、色も明るめのブラウンに染め直した。
踵が鳴るこのヒールもハイヒールではなく、ミドルヒールだ。目くじらを立てられるほどの、高さではない。
ただ、オフィス内を見渡しても、雪華のような彩のある服装をしている者は皆無なので、ド派手でなくとも自然と雪華は目立っていた。
とは言え、これらは服務規程の範囲内だ。だから課長は、注意をしたくてもできなくて、口の中でごにょごにょと言うしかなかったのだろう。
このご時世、下手に部下に対して口を出せば、セクハラ、パワハラで訴えられかねないことも、彼の頭の中を掠めたに違いない。
事実、雪華は以前、服装、髪の色のことで当時の上席から、上席の自席でグループスタッフたちの前で、派手だと、仕事するに似合わない色使いだと、注意を受けたことがあった。
雪華が所属するこのグループは、女性は雪華だけだ。そもそもこの会社自体、正規職員の女性は少ない。女性職員のほとんどは、派遣社員か会計年度任用職員かといったところだ。彼女たちの服装は、誰かから何かを言われているのかのように統一されていて、まるで制服を支給されているかのような鼠色か紺色かといったコーデばかりだ。
ゆえに、ネガティブな意味で雪華が彼の目にとまってしまったのだろう。
昭和のオジサンといった価値観がアップデートできていない上席は、その価値観のままで雪華の服装、髪の色を見せしめのように注意した。
だから雪華はこのご時世の流れに合わせて、それらのことを人事課へ相談したのだ。
その行動は相談というより、チクッた、が正しいのかもしれない。
相談後、人事課から雪華に何らかの事後報告はなかった。ただそれ以降、上席は雪華を憎々しげに見るようにはなったが、雪華のコーデに物申すこともなく、雪華とは必要最低限しか関わらなくなったので、何かお達しはあったのだと推測している。
けれどもそのような状況下で仕事がうまく回るはずもなく、報連相がうまくいかないことによる小さなトラブルも頻発したため、雪華が異動するか、と思っていたが、上席が出向として飛ばされる形で異動してしまったので、軍配は雪華にあがった結果だった。
雪華のチクリくらいで下請けの会社へ現職階のまま出向異動する、という沙汰がでたことは、彼はもともとそれほど仕事ができる人物ではなかったということだろう。それは雪華の、彼への評価と合致していた。だからチクッた行動に心が痛むことはなく、むしろ、ザマーミロ、と心の中で舌を出したくらいだった。
雪華にとっては武勇伝に近いこの一連の出来事は、恐らく、まことしやかに上席の間で噂になっている。
はずだ。




