あなたに拒否権はありません
カレンは静かにため息をついた。
(今回の嫌がらせは長いわね)
いつもなら食事の時間だが、今夜――というか、ここ二日ほどカレンの分は用意されていない。妹のドーラがそうするように命じたからだ。
カレンは妹の存在を知らないまま、八歳までの幼児期を伯爵令嬢として幸せに過ごした。けれど、母親が亡くなり、父親がすぐに新しい母親と妹を連れてきた。
妹のドーラは父親にそっくりの少女で、年齢は自分と一つしか変わらないという。カレンはすぐに自分と母親が父親に裏切られていたことを悟った。
「お父様、あたし欲しいものがあるの」
ドーラが来たことで、カレンの生活は一変した。
日当たりのいい大きな部屋も、ドレスも、靴も、侍女たちもみんなドーラに奪われてしまったし、まるで召使のような生活を強いられるようになった。下働きの人間たちと同じ仕事をするよう強要され、家族とともに食事をとることも許されなかったし、食事の量もこれまでの半分以下に減らされてしまった。当然、淑女としての教育も受けることができず、外との関わりも遮断され、使用人とすら会話が許されないため、生きているのか死んでいるのか自分でもよくわからない有り様だ。
そんな中、数日前にカレンの幼馴染が屋敷を訪れた。母親同士が友人のため、幼い頃に交流があった男性だ。
彼はカレンの境遇を知ってひどく同情し、援助を申し出てくれた。自分がなんとかするから、と。
けれど、それがドーラの逆鱗に触れてしまった。ドーラはカレンが不幸でなければ許せないらしい。
そうしてカレンはこの二日間食事を抜かれている、というわけだ。
けれど、カレンは不思議と辛いとは思わなかった。世の中にはもっと辛い人がいるのだから、と。
(どうせこの生活ももうすぐ終わるわ)
カレンはこれから自分に待ち受ける運命を知っていた。
父親はカレンを金持ちな老人の後妻として差し出すつもりだ。そうすれば、カレンが幸せになることはなく、ドーラが喜び、伯爵家の資産が潤う。――それでいい、とカレンは思っていた。
***
それから数日後のこと、カレンはドレスを着て馬車に揺られていた。
「お姉様を同行させるなんて、本当に信じられないわ。お父様ったら、王命なんて無視しちゃえばいいのに」
向かいの席でドーラがブツブツと文句を言っている。
今夜は三年に一度開かれる王家主催の夜会だ。参加者は十六歳から十八歳までの貴族の令嬢と決まっており、他の参加者は王室関係者のみという奇妙な夜会で、今年で四回目の開催となる。
「でもまあ、お姉様がアレクシス殿下の結婚相手に選ばれることなんて絶対にありえないもの。お父様も一瞬だけ会場に入ればそれでいいって話していたし、仕方ないわよね」
ドーラが唇を尖らせながらつぶやいた。
この夜会は王弟のために開かれているともっぱらの噂だ。
王弟アレクシスは二十五歳だが独身で、これまで婚約者はおろか、浮いた噂すら立ったことがなかった。王家は彼に結婚をさせるため、こうして定期的に夜会を開催し、花嫁探しに躍起になっているらしい。
しかも、この国では夜会とは別に、十六歳になるまでに婚約を希望する令嬢は、事前にアレクシスと面会をしなければならないという謎のルールまで存在していた。
「世間知らずのお姉様は知らないでしょうけど、アレクシス様ってとんでもなく美しい男性なんですって。その上どんな女性にも冷たく接するから、難攻不落、絶対零度のアレクシスなんて呼ばれているのよ」
「そう……」
「そんな男性を射止められたら最高よね。まあ、お姉様には関係ない話だけどっ」
ドーラはそう言ってふふっと笑う。残念ながらカレンも同意見だった。
なにせ、カレンのドレスはドーラのお下がりでブカブカ、色や雰囲気もまったく似合っていないし、化粧も髪型も申し訳程度に整えただけである。こんな姿を見られたら伯爵家の恥――なのだが『王命に従い夜会に参加をした』という大義名分が欲しいだけなので、これで十分と判断したようだ。
(本当に、私には関係のない話だわ)
カレンは心のなかで静かに笑った。
城に到着するとすぐに、二人は会場へと案内された。きらびやかな会場に数十人の少女が集まっている。事前情報どおり、十六歳から十八歳の貴族の令嬢しか招待されていないらしい。
(どうしてこんなことをするのかしら?)
アレクシスが本当に結婚をしたくないのなら、こんなふうに令嬢を集める必要はないだろう。全力で拒否をするか、お飾りの妻を得ればいいだけの話だ。
けれど彼は、王命を下してまで年頃の令嬢全員と会うきっかけを作っている。なにか理由があってのことなのだろうが――
「カレン様」
と、誰かがカレンを呼ぶ。
振り返ると、ひとりの男性が静かに涙を流していた。
(綺麗な人)
高い位置で結ばれた長い黒髪に、神秘的な光を纏う銀色の瞳、彫りの深い顔立ちに、スラリとした長身の持ち主。男神もかくや、という美しさとオーラを持つ男性だとカレンは感じた。
「あの、どうして私の名前をご存知なのですか?」
こんな男性、一度会ったら忘れられないだろう。けれど、残念ながらカレンの記憶に彼はいない。覚えていないことに謝罪をしながら、カレンは男性に向かって頭を下げる。
「――会いたかった」
「え?」
その瞬間、カレンは男性から思いきり抱きしめられていた。当然、周囲は騒然となり、カレン自身も驚き戸惑ってしまう。
「あ、あの?」
「アレクシスです」
「え? アレクシスって……王弟殿下ですか?」
アレクシスがコクリとうなずく。だとしたら、絶対に初対面だ。こんなふうに抱きしめられるような関係ではない。けれど、オロオロするカレンの耳元でアレクシスが「会いたかった」と何度も何度もささやいている。
「アレクシス殿下、もしかして見つかったのですか?」
と、誰かが声をかけてきた。アレクシスは顔を上げないまま、何度もうなずく。その瞬間、ワッと小さな歓声が上がった。
「よかった……もうダメかと思った」
「まさか本当に見つかるとは」
それらはすべて男性の声だったので王室関係者の声だとカレンは察する。
(一体なにが……)
「殿下から離れなさい、カレン」
すると、ドーラがカレンに声をかけてきた。
アレクシスはカレンを自分の腕に囲いつつ、ドーラへと向き合う。
「君は?」
「お初にお目にかかります、アレクシス殿下。わたくしはそちらの女性、カレンの妹のドーラと申します」
「なるほど、おまえが」
アレクシスはそう言って静かにドーラを睨みつけた。その途端、会場にビリビリと緊張感が漂い、令嬢たちが恐怖で身をすくませる。初対面だというのに明確な敵意を向けられたドーラはというと、戸惑いつつもアレクシスににじり寄った。
「殿下はどうしてカレンをご存知なのでしょう? こういってはなんなのですが、姉は大層な引きこもりで、我が家の人間以外との接触が殆どありませんでした。大変恐れながら申し上げますと、人違いだと思いますの」
ドーラはそう言って、そっとカレンの腕に触れ、自分のほうに引き寄せようとする。が、アレクシスはドーラを突き飛ばすと、ゆっくりと大きく息をついた。
「そんなこと、おまえには関係がないだろう」
「え? だって、その……」
「カレン様を虐げてきたのはおまえだな?」
アレクシスはドーラの顎をグイッと掴み、氷のような瞳で見下ろす。
「そ、んな……虐げただなんて」
「カレン様は細すぎる。肌や髪の状況から鑑みても、きちんと食事ができていないのは明らかだ。それに、良家の子女だと言うのにまともなドレスも与えられていない。おまえのドレスは贅を尽くしたものだというのにおかしな話だ」
「それは、その……」
ドーラの目が泳ぐ。アレクシスは手にギリリと力を込めた。
「許さない。よくもカレン様をそんな目に合わせたな」
アレクシスの激しい怒りに、その場にいた人間が全員震え上がる。カレンはというと、アレクシスを見つめながら戸惑いを深めていた。
(一体どうしてアレクシス殿下はこんなに怒っているの?)
確かにカレンは家族から虐げられているかもしれない。けれど、初めて会った女性のために、こんなにも激怒する男性はそういないだろう。というより、これ以上はドーラが可哀想だ。
「殿下、私は大丈夫ですから、もう……」
「大丈夫じゃありません!」
アレクシスはそう言うと、立ち上がってカレンをギュッと抱きしめた。
「あなたはまったく……そうやっていつも自分を犠牲にしようとする。私がそれを、どれほど悔しく思っていたか」
「ええ? えっと、あの――」
カレンが首を傾げる。幼少期から今までの記憶を必死で手繰り寄せてみたものの、やっぱりアレクシスと会った覚えはない。屋敷の使用人や客人たちに似たような男性がいなかったか考えてみても、絶対に違うと言いきれた。
「申し訳ございません。先程申し上げたとおり、私と殿下はこれが初対面だと思うのです」
カレンの言葉にアレクシスがピタリと止まる。彼は瞳を潤ませつつ「いいんです」と言ったかと思うと、カレンを強く抱きしめ直した。
「覚えてなくても構いません。けれど私は、ずっとあなたに会いたかった。どうしても、カレン様の願いを叶えたかったんです。そのために生まれてきたんです」
「私の願い?」
願い事なんて一度もしたことがないと首を傾げるカレンに小さく笑ったあと、アレクシスは真剣な表情を浮かべた。
「今の私には力がある。あなたが望まずとも――たとえあなたに「やめろ」と命令をされようとも、あなたを救うことができます。私はもう、あなたの命令には従いません。思うがまま行動させていただきます」
アレクシスはそう言って、床にしゃがみこんだままのドーラのもとへと向かう。ドーラは「ヒッ」と声を上げながら後ずさった。
「カレン様に辛い思いをさせた報いは必ず受けてもらう。おまえも、おまえの両親も無事では済まない。覚悟しておくといい」
「あっ……あぁ……」
ドーラが恐怖で泣き崩れると同時に、アレクシスがニコリと笑う。カレンはどう反応したらいいのかわからないまま、その場に立ち尽くした。
***
夜会の後、カレンはアレクシスから半ば強引に城内へと連れて行かれた。
「あの、ここは?」
「カレン様のお部屋です。ずっと前からあなたに会える日を夢見て準備をしておりました」
アレクシスはそう言ってニコニコと笑う。
案内されたのはとても広く、丁寧に手入れをされた部屋だった。上品で落ち着いた色合いの調度類に、ふかふかのソファとベッド。壁面には鏡台や本で埋め尽くされた棚が揃っており、すでに住人がいるとしか思えないほどに充実している。
「素敵……だけど」
「ダメです」
まだなにも言っていないのに、アレクシスはカレンの主張を封殺する。それからカレンを抱きしめた。
「あなたは私と結婚をしてここで暮らすんです。ひたすら幸せに、毎日笑って生きるんです」
カレンの手のひらに口付けながら、アレクシスが懇願する。カレンは思わずドキッとした。
「あの、そろそろ教えてくださいませんか? どうして私のことを知っているんです? どうして私に親切にしてくださるんですか?」
カレンが尋ねると、アレクシスがゆっくりと深呼吸をする。それから彼は徐ろに口を開いた。
◆◇◆
アレクシスには前世の記憶がある。今より数百年前に生きた記憶だ。
当時、国々は領土を巡って激しく争っており、アレクシスが生まれた国も不安定な情勢の中にあった。
そんな中、安寧を求めて隣国と同盟を結ぶことになり、両国の関係を深めるために末姫が隣国へ向かうことになった。
「これが前世のカレン様です」
「私が王女?」
カレンが尋ねると、アレクシスが大きくうなずいた。
「両国の関係を深めるため、というのは建前です。カレン様はただの人質でした」
でしょうね、とカレンは思う。アレクシスは苦しそうに表情を歪めた。
「隣国がカレン様に用意したのは塔の中にあるとても小さな一室でした。日が当たらない落ち窪んだ部屋で、侍女もおらず、満足に食事もとれず、ドレスも――祖国が贈ってきたものはすべて取り上げられ、カレン様は非常に寂しい生活を送っていました」
当時を思い出しているのだろう。アレクシスは薄っすらと涙ぐんだ。
「けれど、あなたはそんな境遇に泣き言一つ言わず、すべてを淡々と受け入れていらっしゃいました。たった一人で。――この同盟がいつか破棄されるとわかっていたのに」
アレクシスはカレンの手をギュッと握る。カレンは胸が苦しくなった。
「あの、アレクシス殿下は?」
「私はカレン様のお父様が密かに付けた影でした。有事の際に動けるように、側でじっと見守ることが私の仕事です。けれど、私はどうしてもカレン様が見ていられなくて……何度もここから逃げましょうと伝えました。食事も、ドレスも、あなたに必要なものは何でも用意をしました。けれど、カレン様は私の提案にうなずくことも、受け取ることもしてくれませんでした。それどころか『自分に構うな』と命令をなさったんです」
アレクシスが声を震わせる。カレンは「そう……」とつぶやいた。
「――そんなカレン様が、最後に一つだけ私に願い事をしてくださいました」
アレクシスが静かに目をつぶる。彼は大きく深呼吸をした。
『姫様、同盟は破棄されました! 塔にも火が放たれ、すぐにこの部屋にも火の手が回るでしょう』
『そう……』
『今ならまだ間に合います。私と一緒に逃げましょう』
『ダメよ』
カレンの父親である国王はカレンを見捨てることを選んだ。間違いなくカレンが殺されるとわかっていて、それでも同盟を破棄した。だから、自分は助かろうとは思わない――前世のカレンは頑なにアレクシスの手を拒んだ。
『あなたは逃げて』
『嫌です』
『逃げなさい。これは命令よ』
『私はあなたの命令には従いません』
アレクシスもまた、頑固だった。カレンがどれだけ命令しても絶対にその場を動こうとしなかった。カレンは泣いた。それでも、逃げないという自分の決断を変えようとはしなかった。
『アレクシスにお願いがあるの。……聞いてくれる?』
『内容によります』
一人で逃げろと言われても聞く気はない――そんなアレクシスの主張に、カレンはこんな時だというのに笑ってしまう。
『違うわ。私のお願い事はもっと利己的で、愚かなものなの』
『一体どんな願い事なんですか? 食事も、ドレスも、なにも受け取ってくださらなかったあなただというのに』
アレクシスが不服そうに唇を尖らせる。カレンは微笑むと、アレクシスの手をそっと握った。
『――もしも生まれ変わったら、私をあなたのお嫁さんにしてほしいの』
その瞬間、アレクシスは静かに目を見開く。カレンは涙を流しながら笑顔を浮かべた。
『私、あなたのことが好きだったの。知らなかったでしょう?』
アレクシスは信じられない気持ちのまま、カレンのことを抱きしめる。カレンはそっと目を細めた。
「本当はね、ずっとずっとあなたの手を取りたかったの。あなたが差し出してくれる優しさを、想いを、全部受け取って抱きしめたかった。けれど、今世の私にはそれが許されなかったから』
『叶えます』
アレクシスが言う。カレンはうなずきながら、ゆっくりと目をつぶった。
『待っていてください。私は絶対、なにがあってもカレン様を見つけ出します』
『ええ』
『約束ですよ。今度会えたら、あなたがどれだけ拒否しようと、私はもう止まりません』
『いいわよ』
クスクス、とカレンが笑う。二人は抱きしめあったまま、燃え盛る炎の中に消えていった。
◆◇◆
「そ、れは、その……」
作り話じゃないのですか?という言葉を必死で飲み込み、カレンはアレクシスを見つめる。アレクシスはニコリと微笑んだ。
「信じられないという気持ちはわかります。これまでこの話を聞いた全員が『嘘だろう』という表情を浮かべました」
アレクシスは王弟なので、表立ってなにかを言える人間はほとんどいないのだろう。カレンは両手でそっと口元を隠した。
「けれど、私にとってはとても大切で譲れない記憶――約束なんです。誰にどう思われても構いませんでした」
アレクシスはそう言いながら、カレンの頭をそっと撫でる。カレンは思わずドキッとした。
「物心がつくと同時に前世の記憶を思い出し、自分が王子に生まれたと気づいたときは、本当に嬉しく思いました。ありとあらゆる方法で、思う存分カレン様を探すことができますし、なにがあっても守ることができますから」
カレンはアレクシスの熱視線を感じつつ、うつむいたまま虚空を見つめる。
「だから殿下は、これまで誰とも結婚をしなかったんですか?」
「そうですよ。私にはカレン様以外の女性は考えられませんから」
アレクシスは微笑みながらカレンを抱きしめる。カレンの心臓が高鳴った。
「あなたに会いたくて、夜会を開く以外にも、色んな方法を試したんですよ? 国内の領地はすべて自分の足で回りました。孤児院や貧民街も、ありとあらゆる場所を。もしかしたらカレン様がいるんじゃないかと思って」
「そう……」
もしもアレクシスが王命による絶対参加の夜会を開いていなかったら、ドーラに幽閉されたカレンとは絶対に会えなかっただろう。アレクシスが婚約前の令嬢に面会を要求していた理由も、万が一カレンが別の人間と結婚してしまうのを防ぐためだったのだ。
「そういうわけですから、カレン様に拒否権はございません。あなたには私と結婚していただきます」
アレクシスがカレンの左手薬指に口付ける。カレンはなにも言うことができなかった。
***
翌日から、カレンの日常はガラリと変わった。
「おはようございます、カレン様」
侍女たちが幾人もやってきて、美しいドレスを着せられ、化粧をしてもらい、髪型を整えてもらう。頭のてっぺんからつま先まで磨き上げられたあとは、アレクシスと一緒に朝食の席についた。
「おはようございます、カレン様」
アレクシスが満面の笑みを浮かべる。それだけで周囲の人間が大きくざわめいた。
「あのアレクシス様が笑顔をお見せになるなんて」
「信じられない」
「美しすぎる……!」
当人を目の前にそんな本音を口にするものはいなかったが、カレンには彼らの心の声がはっきりと聞こえてきた。
(そういえば難攻不落、絶対零度のアレクシスなんて呼ばれているんだっけ)
カレンが思い出し笑いをしていると、アレクシスがうっとりと頬を染め、眩しそうに目を細めた。
「あ、あの……」
「可愛い」
感慨深げにつぶやくアレクシスに、カレンの心臓がドキッと跳ねる。母親の死後、誰かに褒められた経験がないので、どう反応すればいいかわからない。カレンはそっと視線をそらした。
「ところで、王族の婚姻って、そんなに簡単に認められるものじゃないですよね? 家格や人柄を見てから判断するものでしょう? こんなふうに私を城に留めたりして、大丈夫なんですか?」
「普通はそうかもしれません。けれど、私の場合は違います」
「ええ?」
答えは朝食後すぐに明らかになった。
アレクシスがカレンを見つけたという報告を聞いた国王に呼び出されたのだ。
「すぐに結婚しなさい」
国王の言葉に、カレンは思わず目を見開いた。本当は「いいんですか?」と大声で尋ねたかった。妃にふさわしい女性かどうかの見極めの期間がいるのではないかと問いかけたかったが、相手は雲の上の存在だ。そんな勇気はカレンにはない。
「ありがとうございます、陛下」
「二人の婚約についてすぐに公表しよう。できるだけ早く式を挙げなさい。アレクシスの気が変わらないうちに」
笑顔のアレクシスに対し、国王は必死の形相でそう訴えた。
「大丈夫ですよ、陛下。私の気が変わることは絶対にありません。それに、カレン様に拒否権はありませんから」
アレクシスはそう言ってカレンの手をギュッと握る。その様子を見ながら国王はほんのりと瞳を潤ませた。
「あのアレクシスが……どれだけ美しい女性を勧めても絶対にうなずかなかったアレクシスが……」
「事前に申し上げていたでしょう? カレン様を見つけさえすればすぐに結婚します、と」
(……なるほど)
つまり、アレクシスはすべてを――前世の話まで国王に打ち明けたうえで、結婚を先延ばしにしていたのだ。カレンを見つける以外の状況を完全に整えたうえで。
国王はカレンへクルリと向き直った。
「カレン嬢、これは王命だ。絶対にアレクシスと結婚をするように」
「は……はい」
退路が完全に絶たれている。カレンは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
***
(けれど、本当にいいのかしら?)
時間が経つにつれ、カレンは不安に駆られていた。
アレクシスは本当によくしてくれている。彼は食事やお茶の時間のたびに部屋へやってきて、カレンに美味しいものを食べさせてくれるのだが。
「アレクシス殿下、あの……」
「自分で食べれます、と言うのでしょう? 知っています。けれど私はあなたを甘やかしたいのです。というか、そう約束をしました。カレン様に拒否権はありません」
目の前に差し出されたフォークを見つめつつ、カレンは複雑な心境で口を開く。この問答の前にはアレクシスの膝の上に乗せられそうになったので、全力で拒否して向かいの席に腰かけたばかりだ。
「アレクシス殿下、私は子供ではありませんよ?」
「当然です。けれど、子供以外に食事を食べさせてはいけないという決まりはありません。大体、カレン様は痩せすぎです。もっとたくさん食べていただかなくては」
アレクシスはそう言いながら、ムッと唇を尖らせる。カレンの家族のことを思い出しているのだろう。
(別に構わないのに)
こんなふうにしっかりと食事をできるだけでカレンは十分幸せなのだから。
――そう思うカレンだったが、アレクシスはとにかくカレンを甘やかしたいらしい。城に来てから毎日のようにドレスや宝石が届くので、カレンは戸惑いっぱなしだった。
「嬉しくありませんか?」
カレンの反応が芳しくないので、アレクシスは叱られた犬のようにシュンとしてしまう。
「嬉しくないわけじゃないけれど、私のためにお金を使っていただくのは申し訳なくて……」
「――変わりませんね」
アレクシスが微笑む。その瞳に映っているのは前世のカレンの姿なのだろう。そう思った途端、カレンの胸がツキンと痛む。
(アレクシス殿下が私に優しくしてくれるのは、私のためじゃない)
カレンと前世のカレンは別の人間だ。しかも、カレンはなにも覚えていない。アレクシスから優しくしてもらえる理由も権利もないとカレンは思っていた。
(私……私は――)
「アレクシス殿下、至急お耳に入れたいことが」
と、アレクシスの補佐官から声がかけられる。使用人を含め、カレンと二人きりのときは絶対に邪魔をしないように言い含められているからよほどの緊急事態だろう。
「なんだ?」
「それが、カレン様のご家族が城に乗り込んで来ておりまして……『殿下と話がしたい』と主張しているのですが、いかがしましょうか?」
「えっ?」
カレンが思わず声を上げる。
(一体なにをしに来たのかしら?)
あの夜、ドーラは強制的に城から追い出されてしまった。それ以降、カレンは家族の誰とも連絡を取っていない。今、彼らがどんな状況かまったくわからなかった。
「いいよ、私が対応しよう。カレン様はこちらでお待ちください」
アレクシスが立ち上がる。「待ってください」とカレンはアレクシスの袖を引いた。
「私も一緒に行ってもいいですか?」
「え?」
カレンの言葉にアレクシスはためらう。カレンは真剣な表情を浮かべた。
「私の話をするのでしょう? でしたら、除け者にされるのは嫌です」
「……わかりました」
アレクシスはしばらくの間迷っていたものの、最終的にはカレンの主張を受け入れてくれる。緊張で嫌な音を立てる心臓をなだめつつ、カレンはアレクシスとともに両親やドーラのもとへと向かった。
「アレクシス殿下!」
城内の応接室につくなり、父親と継母はアレクシスに深々と頭を下げた。この数日の間に、二人揃ってひどくやつれ、表情が疲れ切っている。一方、ドーラは不機嫌なのを隠すことなく、憮然とした表情でソファに腰かけていた。
「一体なにをしに来たんだ?」
「どうかお聞きください! カレンのことはすべて誤解なんです! どうか、どうか我が家への処分を考え直してください!」
「そうです! わたくしどもはあの子のことを、それはそれは可愛がっておりましたもの。ねえ、カレン?」
継母がカレンに尋ねてくる。カレンは「え?」とつぶやいた。
「実は、カレンが痩せて見えたのは、殿下とはじめてお会いした数日前にドーラと喧嘩をして、食事が喉を通らなかったからなのですよ。血が半分しかつながっていないのに、とても仲のいい姉妹でしたから……ねえ、ドーラ」
「――そうですわ」
ドーラはそう言ってニコリと笑う。非常に不服そうな笑顔だ。
(この人たちはなにを言っているのかしら?)
呆れてなにも言えずにいると、彼らは冷たい眼差しでカレンを睨みつけてくる。
「カレン? どうした?」
「なにか言ったらどうなの?」
「あなたが殿下に勘違いをさせたんでしょう?」
怒りと悲しみで胸が痛み、カレンの手のひらに爪が食い込む。とそのとき「なるほどね……」とアレクシスがつぶやいた。
「つまり、ご自分たちは悪くない。すべては私の勘違いのせいだと、そう言いたいわけですね」
「いえいえ、まさか」
「殿下はなにも悪くありません。悪いのは殿下に勘違いをさせてしまったカレンですわ」
父親たちはそう言いながらニコリと笑う。その途端、アレクシスがカレンの父親へと掴みかかった。
「そんな主張がまかりとおるはずがないだろう!」
「ヒッ!」
継母とドーラが怯えながら後ずさる。アレクシスは彼の補佐官たちに目配せをし、二人の退路を塞いだ。
「カレン様はなにも悪くない。そんなことはわかりきっている! けれど、おまえたちに制裁を加えるため、きっちり裏をとっておいた。現在伯爵家に勤めているもの、すでに退職した者たちを含めて徹底的にな。姉妹仲がいい? バカも休み休み言え! まともに食事を与えず、使用人の仕事をさせ、最終的には資産家に売り渡そうとしていたのだろう? 私がここまで知っているとわかった今、同じことが言えるか? カレン様が悪いと、本気でそう言えるのか?」
「あ、いや、その……」
しどろもどろになりながら、父親が言い訳を考えている。継母とドーラは身を寄せ合い、涙を流して怯えている。
とうとうなにを言っても無駄だと悟った父親は、ガクリとその場に膝をつくのだった。
***
ドーラや両親はそのまま城内のどこかへ連れて行かれた。その翌日には伯爵家の爵位や財産がすべてカレンのものになると決まっていて、書類にサインをするよう求められた。これから先、三人がどうなるのかカレンは知らない。けれど、知る必要はないと感じていた。
「アレクシス殿下、ありがとうございました」
ずっと辛くないと思っていた。仕方がないとも思っていた。けれど、あの環境から離れてみてはじめて、カレンは自分が傷ついていたことを思い知る。
カレンが笑うとアレクシスが嬉しそうに目を細めた。
(だけど……)
「カレン様?」
考え込んでしまったカレンにアレクシスが声をかける。
「どうかなさったんですか?」
アレクシスは心配そうな表情でカレンの顔を覗き込んできた。
カレンは今、とても幸せだ。自分を虐げてきた家族はもういない。お腹いっぱい食べることができ、ふかふかのベッドで眠ることができ、可愛いドレスや靴、宝石に囲まれて、何不自由ない生活を送ることができている。
けれど――
「もしも――もしも私があなたの思うカレンじゃなかったら、アレクシス殿下はどうします? 万が一、間違いだったら? カレンの記憶を持つ別の誰かが現れたら、アレクシス殿下は……」
その瞬間、アレクシスはキョトンと目を丸くする。それからケラケラと笑いはじめた。
「そんなことで悩んでいたのですか?」
「なっ……」
そんなこと、ではない。カレンにとっては死活問題だ。
アレクシスはカレンを抱きしめると、ポンポンと頭を撫でた。
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないわ。だって……だって私、思い出せないもの。アレクシス殿下のこと。これだけよくしてもらっているのに。だからきっと、私はあなたのカレンではないのだわ」
幸せだからこそ、ずっと不安だった。
(もしも、彼にとっての『本当のカレン』が現れたら?)
そのとき、自分はどうなってしまうのだろう?
アレクシスはカレン以外の女性にはとことん冷たい。あの冷たい眼差しが自分に向いたらと思うと、カレンは怖くてたまらなかった。
(こんな気持ち、知らなかった)
カレンはずっと、感情を殺して生きてきた。辛いとか悲しいとか苦しいと思うことはなかったし、自分よりも寂しい思いをして生きている人間はたくさんいると言い聞かせてきた。なにがあっても平気だと感じていた。
けれど本当は、自分の心を守るために自ら麻痺させていただけで、負の感情が蓄積されいたのだと思い知る。
(怖い)
今が壊れることが怖い。幸せが失われることが怖い。アレクシスがいなくなることがとても怖い。
「――確かに、私には魂の色や形は見えません。ですから、カレン様のおっしゃるとおり、あなたの前世は私の愛したカレン様とは異なるのかもしれません」
カレンの胸がズキッと痛む。
アレクシスにも『絶対』と言い切れないのなら、やはりこれは薄氷の上の幸せなのかもしれない。
けれどそのとき、アレクシスがカレンの頬にそっと触れ、とても優しく目を細める。涙がこぼれそうなほど穏やかで温かいその表情に、カレンの胸が熱くなった。
「ですが、あなたをひと目見たその瞬間、私はあなたに恋をしたのです。ですから、私の愛するカレン様はあなただけ――カレン様だけなんですよ」
「アレクシス殿下……」
アレクシスの唇がカレンの額に触れる。カレンの瞳から涙が一筋流れた。
「それに、正直なところ私はあなたが記憶を持って生まれなかったことに安堵しました。あんな辛くて寂しい日々を思い出してほしくはありません。苦しかったことは忘れていいんです。いいんですよ、カレン様」
とめどなくこぼれ落ちる涙をどうすることもできないまま、カレンはアレクシスに抱きしめられる。
「いいの?」
思い出せなくても、間違いかもしれずとも、それでもこの男性に――恋に縋ってもいいのだろうか?
「ええ」
と、アレクシスが即答する。
「カレン様は私と一緒に幸せになる運命なんです。あなたには私の優しさを、愛情を、すべてを受け取っていただきます。もとよりあなたに拒否権はありませんから」
アレクシスの言葉にカレンはクスクスと笑い声を上げる。
「ええ、そうね」
カレンはアレクシスの胸に飛び込むと、満面の笑みを浮かべたのだった。
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