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第1章-1

 レジェーラント大陸、地の国アーステラの首都ダーラム。街をぐるりと囲む壁に何かが衝突した。その音は街中を駆け巡り、カフェの屋上テラスでくつろいでいたヘイレンとシェラを飛び上がらせた。


 遠くで壁が砂煙を吐きながら崩れていく様子を、ふたりは呆然と見つめる。


「壁が壊れちゃった……魔物かな?」

「……可能性はあるね。行ってみるか」


 ふたりはブラック珈琲を飲み干して、カップを片付けて駆け出した。


 瓦礫の山の周りでは、門番たちがてんやわんやしていた。あるヒトは通り過ぎる民の誘導を、またあるヒトは「医師に知らせろ!」「瓦礫を取り除け!」などと叫んでいた。


 門番のひとりがシェラたちを認めると、ああと叫びながら駆け寄ってきた。


「シェラード様!アルティアが!」

「ええ!?」


 なんと衝突したのは、グリフォリルだった!ふたりは瓦礫に駆け寄った。アルティアの姿は全く見えない。非常にまずい状況だ。


 シェラは視線を上げて壁の状態を確認した。崩れてくる様子は無さそうだが、用心しておいたほうがいいな。


「ヘイレン、もし壁がまた崩れてきたら、バリアを張ってくれる?」

「わかった。……その瓦礫は?」

「ひとつひとつが重くてヒトの力だと相当時間がかかるから、ここはひとつ……凍らせて粉砕させる」

「瓦礫って凍るの!?」


 驚くヘイレンをよそに、シェラはしゃがんでそばの瓦礫に両手を当てた。ひとつ深呼吸をして、そして集中した。淡い水色の光が手に集まってくると、瓦礫に白いものが這い始める。時折パキッ、ミシッと音を出しながら、瓦礫は凍っていった。


「すごっ……」


 半開きの口が塞がらないヘイレンと、周りの門番たちが騒つく中、シェラは瓦礫を全て凍らせた。アルティアまで凍ってないか不安になったので、エールを召喚して気配を確かめてもらった。普段はシェラよりも大きく、二足歩行の姿なのだが、瓦礫の上にちょこんと乗った氷狐(ひょうこ)は、その場で目を閉じて少しの間じっとしていた。


 ややあって、エールは目を開けて「キュ」と短く鳴いた。シェラは頷くと、氷狐は瓦礫から飛び降りてシェラのそばに待機した。その間に再び魔力を溜めた。


「破片が飛ぶかもしれないので、皆さん気をつけて!」


 ヘイレンが注意喚起してくれたので、集中力を切らさず溜められた。一呼吸置いて、シェラは瞬間的に力を放った。凍った瓦礫が、ばごーん!と派手な音と共に木っ端微塵になった。


 ふわりと吹いた風が、破片を舞い上がらせた。それは陽光に照らされて、美しく輝いていた。






 グリフォリルの厩舎担当の騎士たちが、幻獣を運ぶ準備をする中、シェラはぐったりしているアルティアのそばにしゃがんだ。口が少し開いている。頭から突っ込んだのだろうか。首のもふもふを少し逆撫でして脈を探すが、熱を感じないことに血の気が引いた。


「アル……!?」


 シェラは首を叩いた。ヘイレンが駆け寄ってきて、月色の獅子の身体に触れた。


「鼓動が……ない!」


 凍ってはいなかったが、体温を奪い鼓動を止めてしまった……!?シェラの鼓動が速くなる。


 グリフォリルの心肺蘇生など経験のないふたりに、絶望感がまとわりつく。互いに顔を上げ、互いの不安な顔を見合っていると、医師が駆け寄ってきた。


「身体を仰向けにできる?片方の前脚をこう、開く感じで」


 シェラはアルティアの背側に移動して、震える手で前脚を上げた。ヘイレンも幻獣の脇のあたりを持って扶助する。開かれた胸元に、医師は持っていた白い玉を当てた。それは身体にするりと入っていった。


「ティア、それって……オーブ?」


 オーブはいわゆる魔法の塊で、色が濃いほど濃度も高い。白いと濃さがわかりづらいが、心肺蘇生だと莫大な魔力を要するため、濃厚なものだと伺える。


「そう。無属性のね」


 ティア……ミスティアは幻獣の胸に手を当てると、霧の魔法を注ぎ始めた。ヘイレンも前脚を支えながら、反対の手で癒しの力を当てた。細かな傷がみるみるうちに消えていく。


 と、幻獣の身体がびくりと跳ねた。オーブとティアたちの魔法が蘇生に成功したようだった。鷲の鉤爪がゆっくり握ったり開いたりしだす。アルティアは深く息を吐いた。


 シェラは上げていた前脚をゆっくり戻した。アルティアの目がうっすら開いたのを見て、ティアは少し移動して首元を撫でた。


「アル……」


 ティアがそっと声をかけると、前脚の動きが止まった。しばし見つめた後、返事をしたのだが……。


「……ねぇちゃん」

「……えっ」


 誰と見間違えているのかと、シェラとヘイレンは困惑した。壁を壊す程の衝撃は、アルティアの脳を壊してしまったのか?


 しかし、戸惑っているのはふたりだけだった。ティアは頭を上げようとするアルティアに「ダメよ」と優しく制すると、額を撫でながら霧を出した。


「このまま厩舎まで運ぶから。アルはもうしばらく眠ってなさい」


 アルは「ぐぅ」と小さく唸ったが、やがて微睡んでいった。






 幻獣は、その場にいた騎士たち全員で荷台に乗せられ、厩舎へと運ばれていった。職ニンが集まってきて、壁の復旧作業が早速始まった。現場を後にして、シェラはヘイレンとティアの間に入る形でダーラムの複合施設ヒールガーデンへと向かっていた。


「ねぇちゃん……って、アルティアにはお姉さんがいるのかな?」


 ヘイレンはシェラも気になっていることをティアに聞いた。医師は「んー」と唸るものの、しばらく黙って歩みを進めていた。


「少し、いいかしら?」


 やっと発した言葉がそれだった。ティアはシェラたちが先程までいたカフェに入っていった。いつもブラック珈琲を頼むはずが、今日は違った。


「カフェラテを、チョコとシロップ多めのトッピングで。あ、ホイップも追加でお願い」


 それはなかなかに甘そうなカフェラテを頼んだのであった。シェラはティアの横顔が、どこか不安というか、怯えているように見えていた。


 同じものであれば半額で飲めるサービスを使って、シェラとヘイレンはブラック珈琲をオーダーして受け取った。3にんはテラスへ向かい、ティアが端っこのあまりヒト目のつかない席を取った。


 ……ティアはヒトには聞かれたくない事を、話してくれようとしているのかな。


 席に着いて、マドラーでゆっくりかき混ぜると、じっくりと甘いカフェラテを味わう。ほっと一息ついて、またマドラーでかき混ぜ始める。ティアが口を開くまで、ふたりはじっと見守っていた。


「……ヒト、だったのよ」


 カフェラテが半分くらいまで減ったところでそう言った。


「ヒトだった……?」


 シェラの眉間に皺ができる。ヘイレンも首を傾げていた。


「グリフォリルのくせに、ヒトの言葉を喋るでしょ?」

「そうだね……」

「とりあえず『アルにしかない特殊能力』ってなってるけど、ヒトだったから喋ることができてるの」


 声が少し震えている。ティアは両手でコップを持ってカフェオレを口にした。こくんと飲み込んで、小さくため息をついた。


「……シェラは『翡翠の王』って知ってる?」


 この世界には、宝石を『核』に持つ『コア族』がいる。彼らは核がヒトでいう心の臓であり、それが壊れた時に初めて死を遂げる。また、ヒトと同じ心の臓も併せ持っている。それはヒトと同じ位置にあるが、核の位置はほんにんのみぞ知る。


 ティアが言った『翡翠の王』もコア族だとシェラは思ったが、本質はよく知らない。召喚士としてレジェーラント大陸をそれなりに巡ってきたが、まだまだ知らないことはたくさんある。


「ごめん、初めて聞いた。翡翠の、って言うからにはコア族なの?」

「って思うでしょ。……魔物よ」

「え……」


 ティアは一瞬ニヤッとして、カフェラテを飲んだ。


「翡翠の王を崇める村が、その昔存在していたの。当時は魔物じゃなくて幻獣だった。それは翡翠色に染まる美しい湖の主だった……」


 コップから手を離して、ティアは胸元を押さえてやや俯いた。


「……でもね、ある日を境に、翡翠の王は(にえ)を求めるようになったの。ある日っていうのは、私が生まれた日」

「ティアの……生まれた日に何かあったんだ?」

「ええ。母は私とアルを産んだの」

「……え?」


 さらりと衝撃の告白をされた気がした。ミスティアとアルティアは……双子だった!?


「ヒトって一度にふたりも産めるの?」


 ヘイレンの驚いた点が微妙にズレているが、それはさておき……双子が産まれた日を境に王が変わってしまった、というのは如何(いか)なものか。


 ティアはヘイレンに向けて少し笑った。そうね、稀に三つ子とか四つ子とかもいるわよ、と言った。それは大変そうだと青年は顔を引き攣らせていた。


 ややあって、霧の療法士は話を戻した。


「……でね、私の産まれた村では『双子は厄災の種』だったのよ。双子を産んだ母も『厄災を産んだ罪』といわれて、翡翠の王に贄として捧げられちゃったらしいわ。だから……私は母をよく知らないの」


 カフェオレを飲み干したらしく、おかわりを買ってくると言って席を立った。ヘイレンとふたりになる。壮絶な過去を聞いて、シェラは今、困惑している。


「大丈夫?息してる?」


 そっと肩に手を当て、ヘイレンが心配そうに声をかけてくれなければ、きっと窒息して倒れていたかもしれない。息を大きく吐いて、珈琲を一口飲んだ。


「ありがとう。……それにしても、とんでもない話をさせてしまったな」

「うん……。なんだかまだ続きそうだけど、シェラ大丈夫?」

「僕よりもティアが心配だな。こんなの、思い出したくもない出来事だろうし、かと言って話をやめさせる方法も思いつかないから、もういっそのこと全部話してもらって気を楽にしてもらうほうがいいのかな……」


 無性に甘いものが欲しくなった。シェラは一瞬席を離れてシロップとマドラーを取ってきた。コップ半分くらいの珈琲に対して、満タンに入っていた容器が半分近くにまで減るほどシロップを注いでしまった。


「え、甘そう……」


 目を剥くヘイレンを横目に、シェラは黙ってマドラーをカップに突っ込んで回した。無色透明のシロップが混ざり合い、どことなくドロっとした珈琲に変わった。躊躇なく口に含むと、珈琲はどこかへ行ってしまっていた。


「……美味しい?」


 律儀に聞いてくるヘイレンに、心が少し和んだ。シェラは苦笑いした。


「シロップの味がする」

「デショウネ」


 と言いながらも、ヘイレンはシロップ入りの珈琲がどんな味なのか気になったようで、少し注いでシェラが使っていたマドラーで混ぜて飲んでいた。


「ちょっと甘い珈琲もいいね!」


 新しい味に出会った時のヘイレンの表情は、いつも本当に嬉しそうだ。自然とシェラも微笑んでいた。


 それから少しして、ティアが戻ってきた。手に持っていたカフェラテに思わず目が行く。


「ホイップ、さっきより多くない?」

「ええ。なんか食べたくて」


 シロップ過多で飲むのがつらくなった珈琲を頑張って消費しようとするシェラもシェラだが、てんこ盛りのホイップを見てさすがに心配になる。普段こんなことしないはずなのに、不安を紛らわせるためなのか……?


「えっと、母が生贄にされちゃった、まで話してたわね」

「うん……。あのさ、ティア」

「なに?」


 シェラはたじろいだ。彼女は腹を割って話そうとしている。それをやめさせてはいけない……と思い直した。


「いや……何でもない……です」

「……ごめんなさい、母の話は余計だったわね。でも……アルも贄として身を捧げたから、と思ってついでに話しちゃった」

「え?じゃあ、あのアルティアは……?」


 ヘイレンが目を回しそうになっている。シェラは固唾を呑む。


「アルは翡翠の王に身を捧げた後、ヒトの身体とヒトだった記憶を失った。代わりに今の姿……グリフォリルの身体を与えられた。それで、私を乗せて島を出た。最初に降り立ったのは、確かポルテニエだったと思う。船がたくさん並んでいたわ」


 ティアは今でも当時の光景を夢で見ることがあるらしい。それくらいに衝撃的な出来事だったのだろう。ティアは持ってきたスプーンをホイップに突っ込んで、口いっぱいに頬張った。


「記憶は無くなったけど、ティアを乗せて島を出ることはできたんだ?グリフォリルって、信頼関係を築かないと簡単に乗せてもらえないでしょ?」

「そうね。でも、あの時は私も夢中でアルに跨って……彼もすんなり乗せてくれたわ。なんでかしら?ああ、でも、王に身を捧げる前に何か言ってたわ……」


 何だっけ、とこめかみに指を当てて思い出そうとした時、ティアの表情が歪んだ。向かい合っていたシェラよりも隣にいたヘイレンが彼女の肩にそっと触れた。


「ミスティア?大丈夫……?」


 スプーンがからん、と音を立ててテーブルに着地した。ヘイレンはふらっと倒れてきたティアを支えた。まずい、とシェラも席を立つ。


 ヘイレンと反対側でティアの様子を窺う。彼女は何か小声で呟いている。シェラはしゃがんで口元に耳を近づけた。


「……きおく……もど……ったら……だめ……」


 シェラがゆっくりティアの顔から離れようとした刹那、彼女はカッと目を見開き、身体を起こした。わっ、とヘイレンが小さく声を上げた。


「アルを逃さないと!王が来る!」


 そう言って、残りのホイップをがっつき、カフェラテを一気飲みした。その変貌ぶりに、ふたりは唖然とするしかなかった。


「え、ちょっと待って、ティア、落ち着いて!」


 シェラの制止もむなしく、ティアは勢いよく席を立って走って行ってしまった。屋上から地上へ降りられる階段を駆け降りていく姿を見届ける……。


「追いかけないと!ボク、先に行くよ!」


 ヘイレンもくいっと珈琲を飲み切ると、片付けて後を追って行った。シェラはゆっくり立ち上がり、()()()()()()()を飲み干した。少し咽せた。


 コップを片付けて、歩いて階段を降りる。考え事をしながら歩くと、ヒトにぶつかったり何もないところで躓いたりと危険極まりないのだが、どうしてもさっきまで聞いていた話を思い返してしまう。


 厩舎へ向かう足取りはいつもと変わらない感覚だったが、いざ到着すると、ヘイレンに「遅かったね!」と若干怒り気味に言われてしまった。


「ミスティアは厩舎にまだいるよ。アルティアはいないけど」

「……え?」


 手を引っ張られてようやく我に返った。ヘイレンに連れられて向かった先では、ティアが茫然と立ち尽くしていた。アルティアがいたであろう部屋は部屋でなくなっていた。


「これ……」

「アルがやったんですって。意識が戻った途端に暴れて、壁にブレス放って逃げ出したって……」


 ティアの頬を雫がひとつ伝っていった。


「あのコ……きっと思い出したのね、何もかも。記憶が()()()()()()()……。だから、ここを出て行った。どんな手を使ってでも。この街を守るために」

「守るため?」


 シェラは首を傾げる。ティアはうん、と頷くと、こちらに身体を向けた。


「……身を捧げし者の記憶が戻りし時、翡翠の王は最期を迎える。身を捧げし者を継承者とするべく、魔物を携えて世界を彷徨い求める。身を捧げし者が時期翡翠の王となるまで、災厄は永遠(とわ)に続くだろう」


 それは、王から直接聞いた言葉だそうだ。アルティアが身を捧げた直後にそうティアに語ったとか。


「アルティアの記憶が戻ったということは、翡翠の王は死にかけてるってこと?」

「そうね。だから、王位継承者を求めて湖を出る。魔物を連れて。アルは時期翡翠の王にならなければならない。でも……」


 ティアは袖で頬を拭った。


「もうあの村には民はいない。みんな魔物に喰われたって」

「翡翠の王の生贄にされたとかではなくて?」

「ええ。私がアルと島を出てポルテニエで生活してて、いつかの情報誌で島の村が滅びた、って記事を見たの。湖から巨大な竜が現れて村を襲った、みたいな感じだったかしら。でも、翡翠の王は竜じゃないの。王は……大蛇だったはず。子供の頃の記憶だけど、あの姿ははっきりと思い出せるわ」

「……レヴィアサンのような龍だったら、大蛇と見えててもおかしくないと思うけど」


 その龍は、レジェーラント大陸を囲む海に生息する巨大な海龍で、蛇のように身体が長い。鹿のような角を生やし、長い髭に触れると寿命が延びると云われているが、実際に触れたヒトはいないので定かではない。海底に存在する『水界』や水の国ウォーティスの港町ポルテニエでは海の守り神として崇められている。


 シェラは一度だけレヴィアサンに遭遇したことがあった。召喚士の修行でレム(レムレス)の付きビトとして巡礼の旅に出ていた時だった。威風堂々としながらも、優雅に海を泳ぐ姿はまさしく神々しいものだった。


 シェラの一言を聞いて、ティアは青ざめた。


「まさか……翡翠の王が……村を?ああ、でも、可能性はあるわ……。シェラの言うとおり、贄を求めて村を……」


 ティアは己を落ち着かせるためにため息をつく。


「……とにかく、アルを見つけださないと。私……アルには王になって欲しくない。もう翡翠の王を崇める村も民もいないもの。王になれば贄を求めるかもしれない。そんなの嫌。それにもう、あの文明は終わったのよ」


 行こうとするティアを、シェラは腕を掴んで止めた。霧の療法士は当然召喚士を睨む。


「離して」

「アルが行きそうな場所に心当たりがあるの?」

「それは……」

「翡翠の王は魔物を引き連れて大陸を探し回るんでしょ?アルより先にそっちに遭遇するかもしれないし、そうなると交戦は避けられないよね」


 シェラはそっと手を離した。ティアに睨まれている間、ヘイレンは厩舎内をあちこち見渡していた。


「ちょっとごめん、アルティアって無属性だったっけ?」


 何か感じ取ったのだろうか?シェラとティアはヘイレンと顔を合わせる。


「アルティアかどうかはわからないけど、あっちのほうでほんの少し魔法の力を掴んで……」

「え!?」


 その方角は、ダーラムの南……火の国ファイストだった。アルティアはそこまで逃げていたのか?


「グリフォリルで追いかけましょう」


 ティアは再び「待って」と止めようとしたシェラの手をかわして行ってしまった。近くの騎士に話をして、また戻ってきた。


「ちょうど3頭出せるって」

「……ティアって戦えたっけ?」

「霧の魔法は治癒だけじゃないのよ?居場所を特定させないようにするとか、目眩しとか、そういうのだけどできるわよ。……それで『戦える』って言っていいかだけど」


 相手を惑わす、という戦法か。シェラは頷いた。


「いいサポート攻撃じゃないかな、相手の隙を狙えるわけだし。でも、無茶はやめてね」

「それ、そっくりそのまま返すわよ」


 微笑するティアにシェラは苦笑した。ヘイレンの笑みも、どこもなく引き攣っていた。






 グリフォリルを借りて厩舎を出た時、壊れた壁側の門から悲鳴が上がった。逃げ惑うヒトビトで、大通りはパニックに陥る。3にんは素早く騎乗して、幻獣たちを上昇させた。


 壁より高い位置に到達し、壁を越えようとした時、魔物が群れを成して壊れた壁から侵入しようとしていた。シェラはグリフォリルを誘導しつつ、先頭の魔物に氷の魔法を放った。次々と凍っていき、そして粉砕されていく。


 グリフォリルから飛び降りて壊れた壁の前に着地する。そしてまた、氷の魔法を広範囲に放つ。ヘイレンは上空から聖属性の魔法を放って応戦した。


 相当な数を屠ったはずなのに、減っている様子がない。このままだと魔力が保たない。シェラはエールとフィリアを召喚して総出で討伐を試みた。


 魔物の様子が変わったのは、それから少ししてからだった。四つ足の獣型から、二足歩行のヒト型へ、それらは弓矢を携えていた。思わぬ姿に、一瞬躊躇してしまった。一斉に放たれた矢の雨を、咄嗟にフィリアがシェラの前に降りて翼を羽ばたかせたが、全てを跳ね返すことができなかった。矢は数本フィリアに刺さり、その瞬間、シェラはくず折れた。


「シェラ!」


 ヘイレンがバリアを作りながら降りてきた。グリフォリルを逃がし、駆け寄ってくると、手を(かざ)して飛んできた矢を跳ね返した。その(かん)にフィリアを帰らせた。


「ありがとう、助かった」

「ケガは?」

「僕は無傷。フィリアが受けた矢の痛みが僕に来ただけ……」

「それで、だったんだ……!」


 更なる矢が、バリアに当たる音が耳に刺さる。ヒト型の魔物はまるで王の駒の如く、等間隔で矢を放ってくる。止むことのない矢の雨に、エールも苦戦している。


「ティアはどこに?」

「わかんない……グリフォリルごと見失っちゃって」


 身動きが取れない。そのおかげで壊れた壁からの魔物の侵入は防げているが、このままでは埒が開かない。


 痛みが引き、体勢を立て直した時、それまで降り注いでいた矢の雨がピタッと止まった。ヘイレンが警戒しつつバリアを消すと、白い(もや)が辺りを包んでいた。エールの気配はあるが、姿は見えない。


「これ……霧?ミスティアかな?」


 シェラの前では、ヘイレンがいつでもバリアを張れるように構えている。静寂が降りる。自分の息遣いが嫌に響いた。


 その静寂を破ったのは、魔物たちの叫びだった。杖に魔力を瞬時に溜めた時、ヘイレンが咄嗟にバリアを張った。が、わずかに遅く、爆風が彼を吹っ飛ばした。シェラは身体で受け止めて、入れ替わるように前に出て、魔法を地に放った。


 青白い光が地を這い、氷の結晶を咲かせた。再び魔物の咆哮。しかしそれは、先程のものとは違った。


 まるで、竜のようなそれだった。


 シェラは弧を描くように杖を払い、上空にも氷の刃を放った。見えない相手だが、確実に目の前にいる。魔物の小さく唸る声で居場所を見極めていた。


 霧が少し晴れた。ぼんやりとようやく魔物の輪郭が見える。地に放った氷が、それを拘束していた。怪しく光る双眸は、緑色だった。


 魔物がカッと目を見開いた。瞬間、右肩に激痛が走った。


「いっ……!」


 反射的に押さえると、生暖かいものが手を染めた。足を下げて踏ん張り、赤く染まった左手を翳して氷の壁を作った。三度咆哮を聞いた時、シェラの鼓動がどくんと大きく鳴った。ミシミシと右腕が変化(へんげ)していく音を最後に、意識が消えた。






 シェラは魔物に飛び掛かっていった。ヘイレンは召喚士の姿に唖然としていた。右腕は青黒い竜のもの、背には同じ色の竜の翼が右側だけ生えていた。彼が竜騎士だった頃の相棒ディアンのものである。


 過去に、邪神竜ティアマディアという魔物の討伐で、シェラは右腕を失った。(あるじ)を相手の攻撃から庇ったディアンも散った。後でわかったことだが、ディアンは黒曜石(オブシディアン)を核に持つコア・ドラゴンであり、核は共に戦場にいた射手(しゃしゅ)ラウルが回収し、シェラの体内に入れ込んだ。そうしてシェラは再び腕を得、邪神竜を葬ったという。


 しかし、翼まで生えているとはどういうことなのか。いつだったかシェラは怯えていたことがあったな、とヘイレンは思い出していた。


 使うたびに竜の意思に囚われていく。いつか完全に囚われてしまうのではないか、と。


 ヘイレンは魔物の短い悲鳴で我に返った。見上げると、竜の腕相手の首をへし折り、胴体から離したところだった。ひっ、と思わず声が出る。


 鮮血が降り注ぐ前にバリアを張った。どす黒い血の雨はそれに当たると、ジュワッと音を立てて蒸発していった。


 エールが力無く落ちていくシェラを空中で受け止めて、ヘイレンのそばへ戻ってきた。右肩から出血している。腕を元のヒトの形に戻すことはできないが、傷を塞ぐことはできる。エールにシェラを抱えてもらったまま、右肩にそっと手を当てた。


 白く淡い光が傷を塞ぎ始めた時、びきん、と頭痛が走った。ギュッと目を閉じて少し俯く。ややあって、低い声が聞こえてきた。


『我を……シェラから……離せ』


 それはディアンの声のようだった。


「離すって……どうやって?」

『核を……取り出せ』

「と、取り出す!?」

『これ以上我を……我の力を解放すれば、シェラを取り込んでしまう。シェラは……我となる』

「なんだって……。でも、えっ、取り出すってそんなこと……」


 つまりは塞ごうとした傷を抉って核を取り出せということだろうが、そんなことをしたら、腕は?シェラの命は?


 エールが何かの気配を感じ取り、顔を上げて耳をピンと前方に向けた。ヘイレンもつられて顔を上げると、遠方から大きな黒い影がこちらへと近づいてきていた。四肢が力強く大地を駆ける音……。刹那、エールが鳴いた。


 大きな黒い影から、小さな黒い影が放たれると、弧を描いて飛んでくる。それは魔物ではなく、朱色に光る玉を持った竜騎士だった。


「これを!」


 ヘイレンの前に見事に着地したと同時に、竜騎士は右肩の、ついさっきまでヘイレンが押さえていた幹部に玉を押し当てた。


「んぐっ!」


 シェラの身体がびくりと跳ねる。咄嗟にヘイレンは身体を押さえた。朱色の玉は竜の腕と翼を覆った。ギリギリと、反発するような締めるような、そんな音が耳に障る。


「そのまま我慢してろよ」


 シェラの左手が、竜騎士の手首を掴んだ。むっ、と竜騎士は力を入れた。


「なんだよコイツ、こんなに……強かったか?」

「レントさん、今は……ディアンかもしれない」

「ああ?」


 竜騎士レントに睨まれて、ヘイレンは身震いする。再び頭痛が来るが、ヘイレンはレントを見つめていた。彼は視線を落としてじっと紅玉を見ている。


「……一旦の応急処置だ。だから、もうちっとシェラの腕になっといてくれ」


 シェラの手の力が抜けた。紅玉の光が弱まり、やがて消えた。翼は無くなり、召喚士の右腕は元のヒトのそれに戻っていた。肩の様子を見てみると、傷は塞がっていた。ふう、とレントは大きくため息をついた。


「……で、魔物は?こんなことしている間に襲ってくるかと思ったが、何もなかったな」


 何かあったらエールが鳴いているはずだが、確かに静かだった。シェラが屠ったのを最後に、魔物の気配は感じなくなっていたことに気がついた。


 そうこうしていると、霧が薄くなっていった。晴れて遠くが見えるようになった。大量にいた魔物は影すら無かった。ふう、と一息ついた時、グリフォリルが一頭降りてきた。


「ミスティア!よかった、無事で!」


 見失っていた霧の療法士の姿を認めて、ヘイレンは安堵した。グリフォリルに乗ったまま近づいてきたが、その表情は疲れ切っていた。


「シェラは大丈夫……あら、レント?どうして?」

「アルティアが都まで飛んできたんだよ。ダーラムに魔物の群れが行っちまったって言ってきてな。それだけ言って、どっか行っちまったけど」

「……そう。それで、来てくれたのね」

「まあな……。強い竜の力も感じたから、ただの群れじゃねぇと思って駆けつけたら、まぁシェラがな……」


 レントはシェラの左手を引っ張って身体を起こし、ひょいと自分の肩に担いだ。


「アルティアを追うのはやめとけよ?相当魔力を使っちまってるだろうし、一旦立て直したほうがいい」

「……わかったわ。ガーデンへ戻りましょう」


 意外と素直なミスティアに、ヘイレンは少し引っかかるものを感じたが、シェラの容体のほうが気になっていて、すぐに引っかかりは取れてしまった。

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