第2章-4
ふたりの竜騎士が穴から地上へと駆け上がっていった少し後、アルスはゆっくり身体を起こした。痛みがやわらぎ、熱も引いた。心配そうにこちらを見るアルティアと目が合った。
「だいじょーぶか?」
そう言うアルティアも怪我は無いかと聞いたが、オレはへーき、と元気のない声で返ってきた。
「随分と逃げ回ってたんだな」
「……ん。もう、オレ、こんなの嫌だよ。こんなことになるなんてさあ……」
頭を下げて『伏せ』の姿勢になると、ピンと立てていた耳をだらんと下げた。
「さっきも言ったが、闇の国の王がアルティアを保護したいってよ。ヴィルヘルは魔物も共存する国だが、余所者がお前を襲うようなら、ヴィルヘルの魔物が守ってくれるはずだ」
「そーなの?すげぇな……そんなトコだったんだな、闇の国って」
穴の外ではレントとフレイが魔物を一掃しようと武器を振るっているだろうに、アルティアはくわぁと大きく口を開けて欠伸をした。相当疲れているようだ。
「ヴィルヘルに逃げ込めば、魔物の群れから逃げられる。俺もお前を守り通すつもりだ。……特にあの王から」
王、と聞いた途端、耳がピンと立ち、トロンとしていた目がかっ開いた。アルスは正直に話した。
「アルティアが抱えていた心の闇を吸い上げた。その闇から、直近の出来事や過去……アルティアが幻獣になる前の時代の記憶を見た」
「なん……だって」
幻獣は少し慄いた。
数日前に見た夢とアルティアの記憶が合致した時、アルスは内心少しだけ嬉しかった(内容は嬉しくないが)。それはともかく、アルティアの過去を知った以上、俺はこいつを翡翠の王から守らねばならないという使命感を抱いていた。
「あの王を崇めてる集落ってお前の故郷だろうけど、まだ崇めてんのか?」
「いや、もう無いよ。集落も、ヒトも。アイツが滅ぼした。オレをこの姿に変えた後、何日かしてから。情報誌を持ってねーちゃんが厩舎に来て教えてくれた」
「アルティアの姉は、今もどこかに?」
「……アルスも知ってるヒトだよ」
「なんだって?」
ふふん、とアルティアは鼻を鳴らした。こんな時に勿体ぶるなよ。……しかしながら、アルスの知る女性は数少ないし、もう誰か勘づいている。
「崇めるヒトビトがいないなら、王になる必要もねぇな。で……そんなもんいらねぇって何を与えられようとしていたんだ?」
取り込んだ闇の記憶からは残念ながら得られなかったことをアルティアに聞いた。姉の正体を聞かれるのかと思っていた幻獣は、えっ、と反応が遅れた。
「あ……えーっと……それってあの時か……。あれはね、記憶。オレが失っていた記憶をアイツが喰って、代わりに歴代の王の記憶をけいしょーされそうになったの」
「記憶を喰われて、空っぽになったところに王の記憶が注ぎ込まれたら……」
「オレはオレじゃなくなる気がする。翡翠の王はヘビからグリフォリルの身体に変わって生き始める。乗っ取られるって感じか?」
アルティアはふぅ、とため息をつく。
「島から逃げ出すために、オレを空が飛べる生き物に変えてくれ、って王に願った。対価として『記憶と身体』を捧げろって言ってきたからそうした。で、ねーちゃんを乗せて島を出たんだろうな……」
どうやら無我夢中だったようで、島から脱してからの記憶が無いらしい。確かにアルスが見た記憶も、アルティアが話したあたりまでで霞んで見えなくなってしまったので、見るのをやめた。
「てか、何でオレ、急に思い出したんだろ?思い出した途端に追いかけられてんだよな。何でだ?」
「それは『ねーちゃん』が知ってそうだぞ。聞きに行くか?」
「あー、そうかもな。何か聞いてるかもしんねぇ。……まだダーラムにいるのかな」
「それだとここからそう遠くはないな。とりあえず、上にいる魔物を全部倒してからだな」
アルスは短剣を取り出して鉤爪に変えると、即座に立ち上がった。直後、一匹の魔物が、レントたちの攻撃を掻い潜ってこちらに降りてこようとしていた。ちょうどアルティアの背中側から来ていたので、アルスも移動した。
「伏せとけ!」
アルティアは頭を下げて、翼をぎゅっと身体に引っ付けた。魔物は、ヒトの形をしていた。霊体のように青白い光を纏っているが、目は空洞なのか黒っぽく映り、雄叫びを上げながらアルスに襲いかかってきた。
アルスは真っ向から鉤爪を突き出した。避けられることもなく簡単に刺さり、悲痛な叫びと共に消えた。なんともあっけない。これに続いて何体か来るのかと警戒するも、それきりだった。
「竜騎士様々だな……!」
背後で異様な魔力を感じた。アルティアに近づき、彼を守るように構える。
「無事か?」
念の為アルティアの様子を窺う。幻獣は耳をピクリと動かし、顔を上げた。
「いるよぉあそこに。いっぱい!」
幻獣の見つめる方向には、闇に包まれた洞窟が伸びていた。アルスはアルティアの前に立つ。暗闇の中でも普通に見える目であるがゆえに、洞窟の奥から四つん這いになって向かってくるヒト型の魔物がたくさん向かってくるのが見えていた。……鳥肌が立ちかける。
「オレのブレス、一発かましてやるからどいて」
アルスは振り返った。ゆっくり立ち上がり、頭を低くして口元に魔力を溜め始めた。アルティアの後肢あたりに移動して警戒を続ける。少しして、ドタバタと音が聞こえてきた。
アルティアの口元に光が溜め込まれた時、アルスは暗闇の先で魔物が変化していく瞬間を見てしまった。それは塊となると、さっきアルスが倒したはずの大蛇へと変わっていった。
「嘘だろ……」
思わず声が漏れたが、アルティアの耳には届いていなかったようだ。翼を少し広げて顔を上げ、溜めていた力を放った。
轟音と共に真っ直ぐ飛んでいったブレスは大蛇に命中した。しかし消失はせず、再びヒト型に変わってバラけ、向かってきた。
「ええー!?」
幻獣の後肢がくず折れて『おすわり』の状態になった。アルスは駆け出した。鉤爪に魔力を溜め、薙ぎ払う。弧を描くように闇の波動が広がると、魔物は次々と消失していった。
こうなれば体力勝負か。鉤爪を振るいながらも、アルスは翡翠の王がいないか探してみるが、それらしい姿は確認できない。ゾンビの如く湧き出てくる魔物がうっとおしい。
と、無数の魔物の中に、ひとつだけ異質なそれを見つけた。翡翠色の双眸が、アルスをとらえた時、金槌で頭を殴られたような衝撃を覚えた。
刹那、魔物の騒音が消えた。姿も見失った。アルスはよろめいたが、腰を落として手を膝に当ててなんとか踏ん張った。
『継承の、邪魔をするな』
脳内に響く『声』に、顔を顰める。頭痛が酷いが、アルスは対抗した。
「お前を崇めるヒトなんか、もういねぇぞ!お前が滅ぼしたんだろうが!」
『我が命を、王が喰らいし全ての記憶を、次なる王へと継承する。翡翠を崇める者が絶えたとしても。翡翠がこの世にある限り、時を喰らい、時を語る役割を担う』
翡翠がこの世にある限り……。
「お前、コア族か?」
そう問うた刹那、翡翠の閃光がアルスの胸元を貫いた。光と共に、赤黒い鮮血が、地に直線を描いた。
脱力して膝をつき、突っ伏した。にじり寄る音がして、バシン!と背中を叩くようにして押さえつけられた。
「んゔっ!」
鉄の味がして、吐いた。血液が吸い取られていくような感覚。意識が遠のいていく。
『お前の記憶を喰らおう。我が駒となり、アルティアを捕え、我が身の前に差し出せ』
知らないヒトビトの憂えた表情、見知らぬ大地、集落、翡翠色に染まる湖、その底に沈みゆく者は、後ろ手に縛られ、両足には錘が付けられていた……。
脳が壊れかけた時、突然視界が真っ白になった。聞き覚えのある咆哮が、アルスの意識を蘇らせた。左胸に強烈な痛みを覚えて咄嗟に押さえたら、誰かの手が傷を押さえていた。
「だめ……いや……」
そんなことを呟きながら、必死に押さえてくれている。アルスの右手が重なっていることになぜか気づいていない。フレイのオレンジの眼から、大粒の涙が雫となってアルスの頬に落ちた。
鼓動がないことに相当動揺と不安、恐怖を感じている。アルスは軽くフレイの手を握った。それでようやく彼女が気づいた。
「アルス!?」
涙をこぼしながら、まん丸の眼で覗き込んでくる。
「手……どけてくれ……」
掠れ声でやっと言うと、フレイはゆっくり手を引っ込めた。右手に魔力を集め、溢れ出てくる己の血を糧にオーブを作る。とにかく傷を塞がねば。先日と同じ場所を貫かれたが、偶然だろうか。そんなことをぼんやり考えながら、目を閉じて身体の傷を治そうとした。
が、突如抱き起こされて集中力が切れた。目を開けると、フレイではなく今度はレントの朱色の眼がこちらを見ていた。
「そのまま手ごと巻くぞ」
アルスの右手にレントの左手が重なると、火の色の縄のようなもので縛られた。手がしっかりと固定され、患部をグッと押さえられるようになった。火の縄の魔力がアルスの魔力を高めたのか、オーブがすぐに出来上がり、そして身体にするりと溶けていった。
「ボル!」
レントが短く呼ぶと、どん、とすぐそばに地竜が着地した。前脚で器用にアルスを抱えると、後肢だけで力強く地面を蹴った。たったの1回の大きな跳びで、穴の入口に着地した。それが合図だったのか、入れ替わるようにシーナが降下していった。
咆哮が聞こえてくるが、もはや誰のものかわからない。アルスは地竜の前脚に包まれたままため息をついた。
「しっかりしろ!」
レントに怒鳴られても、フレイはのろのろとしか動けなかった。武器を杖代わりにしてようやく立ち上がる。その間、アルティアはブレスを放ち、レントはメイスを振るっていた。
左胸を貫かれ、鮮血が溢れていたにも関わらず、アルスは意識を取り戻し、自らの血でオーブを作ろうとしていた。即死だと思っていたのに、どうして……。
いや、死んでいなかったことには安堵しているのだが、それよりも「なぜ?」が先行してしまい、フレイは混乱していた。
そんなことを考えている場合ではない。今、目の前の魔物を、レントとアルティアと一緒に倒さないと。頭を左右に振って、ふう、と一息ついて落ち着かせる。
竜を模った頭を下に、柄の端を両手で持つと、少し後ろに退いて走り出す。急停止して力一杯振り回す。ヒト型の魔物は次々と殴られて消失していく。
「あああああもう!」
埒が開かない状況に急に腹が立ち、怒り任せにぶん回した。ハンマーの頭は火を纏い、殴って魔物を撲殺すると同時に、先の魔物に火の玉をくらわせていた。
ずぶっ、とめり込んだ。武器を見ると、ヘビの腹に竜の頭が埋もれている。光が眩しくなる。フレイは素早く両手の持ち方を変えた。
「もおおおう!消えてえええ!!」
魔力を瞬時に溜めて竜頭に注ぎ、爆発させた。
どごーん!と凄まじい音と共に、フレイは武器を持ったまま吹っ飛んだ。着地する体勢にはなっていたが、どん、と何かにぶつかってしまった。というか、受け止めてくれたようだった。
「えっ!?」
がしっと前脚で掴まれると、そのまま急上昇した。穴から高速で脱出した。自分が生み出した炎は柱となって、少し追いかけてきたが、シーナには届かなかった。
ややあって、炎は次第に萎んでいった。シーナは穴の外、みんなのいる場所へと着地した。翼を貫かれたダメージは大きいはずだが、相棒は痛みに耐えて主を助けてくれた。
「ありがとう、シーナ」
フレイは相棒の鼻面を優しく撫でた。それから、翼の様子を窺う。少し流血していた。シーナは翼をたたんで、尻尾を巻いて伏せの姿勢をとった。そわそわし始めたので、どうしたのかと首を傾げる。ふと気配を感じて振り返ると、仁王立ちでフレイを見下ろすレントがいた。
「放つならそうと先に言え!」
爆発寸前に、レントはフレイの異変に気づき、アルティアに跨って先に脱出していたが、判断が遅かったら灰になっていただろう。
「ごめん……。あまりにもムカついちゃって……」
また力が抜けてしまい、へたり込んでしまった。決してレントに怒られたからではない。一戦を終えて気が緩むとこうなる。そして極めつけに、涙がどっと流れ出る。
急な感情の変化にレントは驚く様子もなく、黙ってそばに来て、ぽんと頭に手を置いた。そのままそっと胸元に寄せた。彼の胸を借りて、少し泣いた。
魔物との戦いなんて、何度もやってきたはずだ。でも、何度やっても怖いものは怖い。いつ傷つくか、いつ死ぬか。立ち回りを考えながら魔力を使い、武器を振るわねばならない。……めちゃくちゃ疲れる。
魔物が穴から這い出てくる気配は無かった。1体屠るのは容易かったが、それが何十体、何百体といるとさすがに心が折れそうになる。そうなる前に一掃できてホッとした。
「……アルスは?大丈夫?」
落ち着いたところに、アルスのことで不安がまた押し寄せてきた。鮮血がドクドクと流れ出てくる光景が蘇ってくる。フレイは身震いした。
「大丈夫だ。自己再生し終えてボルの手の中で眠ってる」
ボルはレントの相棒の地竜ボルカノのことだ。大きく発達した前脚は、触れるだけでスパッと斬れそうな見た目の爪だが、ボルカノが力を入れなければ切れることはない。後肢で立ち、二足歩行もできる地竜は、『大地の覇者』とも呼ばれている。
「あいつ……右に心の臓があるみてぇだ。だから即死を免れた」
「み……えぇ!?」
フレイはレントに預けていた身体を起こした。疲れ果てて伸びていたアルティアの耳がピクリと動いた。
「そりゃパニックになるよな。普通は左にあるもんだし。ただ……この事は黙っておいたほうがいい。アルスのためにも、な」
「そ……そうね……。知らなかったことにしとこう……かな……」
まだ、自分の心の臓がバクバクうるさい。フレイは深呼吸を繰り返した。
小半刻(約30分)経った頃、ボルカノが短く唸った。フレイにアルティアのケアを任せ、レントは相棒に近寄った。
「どうだ?落ち着いたか?」
治療のためと思ってまだ拘束は解いていないが、見た感じアルスの容体は良さそうだ。
「……ああ。縛ってくれたのがかなり助かった」
「そりゃよかった。んじゃ、解くね」
レントは相棒にアルスの身体を起こさせた。支えつつ、彼の縛った手に触れて拘束を解いた。するりと手が降りて、傷が塞がっていることを認めた。……服に小さな穴が空いてしまっているが。
「魔物は……全滅したか」
「ああ、たぶん。新たな気配もねぇし。アルティアも落ち着いてる。あいつ怪我なさそうだし、アルスが起きたらダーラムに戻るかって話をしてた」
そうか、とアルスはアルティアを窺った。『伏せ』の体勢で、けれども頭は地面につけ、耳は垂れ下がっていたが、急にぴんとこちらに向けて立てたかと思うと、顔を上げた。
「おう……アルス、起きたんだな」
アルティアの首元を撫でていたフレイもアルスに気づくと、ゆっくり立ち上がった。幻獣は身体を起こして四肢でしっかり立つと、身体を震わせた。白い毛と砂埃が少し舞った。
ボルカノの手が離れたので、レントに支えられながら立ち上がる。少しふらついたが、自力で歩けそうだったので、レントに短くお礼を言った。
「さて、アルティアの護衛ってことで、ダーラムまで一緒に向かうつもりだが、それでいいか?」
レントは疲れ切った様子の幻獣に問いかけた。幻獣はしばし考え、答えた。
「オレ、ダーラムには帰らない」
「え?」
誰もが一斉に声を出した。
「オレさ、ダーラムのでっけぇ壁ぶっ壊しちゃって。あれが元通りになるまでは、違うところにいようと思ってて。魔物を街の中に入れないためにも」
アルティアは、自分が大量の魔物を呼び寄せているなら、迷惑のかからない荒野などに居続けたほうがいいと考えていた……みたいだったが。
「でさ……アルス、ヴィルヘルに行ってもいいか?翡翠の王はたぶん、天空界まで追っかけてこねーだろうし。その、闇の国の王がオレを守ってくれるんだっけ?オレ、疲れちゃったからさぁ……お願いしちゃおっかなぁって」
鷲の前脚を少し浮かせて開いたり閉じたりを始めた。……いつもよりぎこちない。
「え、さっき倒したのが本体じゃないの?」
フレイは目を丸くして幻獣に問うた。アルスは見ていないが、それはもう派手に爆発したらしい。
「んー……あれ、分身だわ」
「ええー……。じゃあ、まだ終わってないんだ……ショック」
とても残念そうにフレイはため息をついた。
「オレがブレスでぶっ潰したのも分身だったし、あいつ、どんだけ分身作ってんだろ?本体見つけないとキリがないんだけど」
耳がまただらんと垂れ下がって少し頭を低くした。アルティアのため息を聞いたところで、アルスは口を開いた。
「ヴィルヘルに行くなら俺を乗せてってくれ。道中何かあった時は乗りながら鉤爪を振るうことになるが」
「ホント?もちろん!乗ってちょーだい!」
いつもより覇気のない声だったが、嬉しそうに目は輝いていた。
「……てことで、アルティアは俺とヴィルヘルに向かう。都の長に頼むのもアレなんだが……ダーラムの騎士に伝えておいてくれないか?」
「ん、了解。てか、王の命令だっけか?」
「命令……というほど強いもんじゃねぇな。頼まれたっつーか」
「ほぉ。まあ、騎士に何か言われたら『闇の国の王が保護を要請して、アルスが実行した。アルティアの同意もあった』……って感じで言ってていいか?」
「ああ。それでいい。ありがとう、すまねぇな」
任せとけ、とレントは口角を少し上げた。




