君は笑っていて
流血表現はありませんが死の表現はあります。ヒーローが三千世界の鴉を殺す系なので残酷面があります。
ご注意ください。
ダレン侯爵家に誕生する娘は特殊な能力があった。『死病移し』というもので、相手の死病や大怪我を一生に一度だけ我が身に移すことができる能力であった。
その能力を代々のダレン侯爵家当主は利用した。
莫大な財貨および筆頭侯爵家の地位と引き換えに、国王もしくは直系の王子の危機に娘を身代わりにする契約を結んだのである。
マリージェンはダレン侯爵家の次女として生まれた。
マリージェンの姉は12歳で、マリージェンの三人の叔母にいたっては3歳と8歳と17歳で死亡していた。
長女を喪った母親の嘆きは深く、当時10歳のマリージェンに少しでも安らぎを与えたくて、母親はマリージェンに婚約者を望んだ。祖母も力添えをしてくれた。
だが、所詮はマリージェンは籠の中の鳥。
婚約者は、臣籍降下した王弟が当主であるマグダス公爵家の嫡子ルグルトであった。
婚約者という名のマリージェンの監視役だった。
その5年後。
マリージェンは15歳となり。
ルグルトは19歳となっていた。
「マリージェン、新しいオルゴールを持ってきたよ」
ルグルトはマリージェンに会うために足繁くダレン侯爵家を訪問していた。オルゴールはルグルトが初めてマリージェンにプレゼントした品で、以来マリージェンのお気に入りとなっていた。
「新しいオルゴールですか? わぁ、正面に花の蕾がついています。この前はお人形のオルゴールを貰ったばかりなのに、ありがとうなのです!」
ベッドの上で、笑顔でルグルトを歓迎するマリージェン。
マリージェンの世界は狭い。
自分の部屋と隣室のサンルームしか知らなかった。
誕生と同時に、逃亡を不可能にするために足を潰されていて歩くことができなくなっていた。余計な知識は外への憧れになると教育もされていない。貴族の令嬢なのに読み書きも計算もできなかった。
そのため、もともと神が望んだ生まれつきの無垢な愛児であったのか、必要な教育がなされなかった結果なのか、マリージェンの言動は少し幼いところがあった。
さっそくマリージェンがオルゴールの螺子を回す。
カタッ。
と、微かな音とともに正面の花の蕾が開花して小さな妖精が姿を現した。繊細な旋律が流れる。
「この音楽、知っています。ねね様のオルゴールと同じ音です。おみみが覚えています」
マリージェンが小さな妖精を撫でる。
「ねね様は、『悲しいと嘆くだけの、嘆ける死は幸せなのよ』と言っていなくなってしまいました。だからルグルトはマリージェンが死んだら、悲しい感情だけで悼んでください。悲しい以外はいりません。そうしたらマリージェンは幸せなのです」
ダレン侯爵家の娘で15歳まで成長できた者は稀であった。
泣いてしまいそうな自分を隠すみたいに微笑むマリージェンは残酷な運命を受け入れていた。父親も兄弟も助けてはくれないのだ。マリージェンの存在は透明なのである。誰も見ない。母親すらもマリージェンの未来を見えていないふりをする。何も持っていないマリージェンから父親も兄弟も王家もさらに奪うだけだ。犠牲はダレン侯爵家の歴史に必然のものとして組み込まれていて、その利益による隆盛も当然のものとされているのだから。
マリージェンには。
鳥籠から逃げるための羽根はなく。
鳥籠の扉を開けてくれる人もいない。
運命が理不尽だと訴える相手すらいなかった。
ルグルトは、ため息のような笑い声を口の端からもらす。
「いいや、マリージェン。僕が君を弔うことはないんだよ」
古い楽器を奏でるみたいに優しくルグルトはマリージェンをベッドから抱き上げた。突然の浮遊感にマリージェンがルグルトの首にしがみつく。ポトン、とオルゴールが手から落ちた。
「ルグルト?」
「おいで。今日でダレン侯爵家は消滅するから、僕と行こうね」
部屋の外には大勢の兵士が整列していた。
「ゆくぞ」
「「「「ハッ!!」」」」
兵士たちに囲まれて、マリージェンを抱いたルグルトがゆっくりと階段をおりる。広い玄関ホールには、手足を縛られたダレン侯爵家の血族たちが膝をついていた。父親も兄弟も親族もいる。
「マリージェン! 助けておくれ!」
「俺はおまえの兄だぞ! 助けろよ!」
「菓子をあげたことがあるだろう、助けてくれ!」
ダレン侯爵家の血族が口々に喚く。
マリージェンは不思議そうに首を傾げた。純粋な疑問を口にする。
「マリージェンが皆様を助けるのですか? では皆様はねね様を助けてくれましたか? 叔母様を助けてくれましたか?」
姉が死んだ時、マリージェンは10歳。
末の叔母が17歳で死んだ時はマリージェンは6歳で、姉のことも叔母のことも忘れることなどできなかった。窓に鉄格子がはまったあの部屋で、3人で肩を寄せ合っていたのだ。連れていかないで、と泣いて縋ってもマリージェンは無力だった。
「ねね様も叔母様も嫌だと泣いていたのに。皆様はよってたかって無理矢理にねね様と叔母様を部屋から荷物のごとく運び出したのに。自分たちのことは助けてくれと何故いうのですか? ルグルトは優しくしてくれない人には優しくしなくていい、と教えてくれました」
なっ、とか、うっ、とか声をねじれさせたダレン侯爵家の血族は青ざめた。目を逸らした者もいれば、ギリギリと歯を鳴らして睨む者もいる。
睨まれたマリージェンは怯えはしなかったが、ぷーと頬を膨らませた。
「皆様はるるるです」
いじわるをマリージェンはるるると表現する。ルグルトがるるるが可愛いと訂正をしなかったので、そのまま覚えてしまったのだ。
「目障りだし耳障りだ」
ルグルトが不快げに吐き出した言葉で、兵士たちが一斉に動く。ダレン侯爵家の血族たちに口枷をつけ、手際よく顔のみ出して身体を大きな樽につめていく。鼠が大繁殖する郊外の廃屋内に樽ごと放置され、5日後、衛生のために廃屋もろともに燃やされる予定だった。
すでに国王も、王族も、マグダス公爵家すらも残っていない。昨夜、王家の血に繋がる者は全員が地上から消え去った。軍部と暗部を掌握したルグルトによって密かに葬られたのだ。
ダレン侯爵家には軍部から派兵したが、王家は暗部を差し向かわせたので抵抗する間もなく一挙に暗殺をされてしまったのである。
表向きは、ダレン侯爵家の暴挙によって王家は滅亡して、唯一生き延びたルグルトにダレン侯爵家は族滅させられた、というストーリーとなることだろう。廃屋の火も、追われて逃げ込んだ廃屋で自ら、という筋書きとなる。
具体的な状況の相反や事柄の食い違いも、矛盾点があって整合性が欠けていようとも、勝者の論理は正しい歴史となる。軍部と暗部を背景にして、建前の正当性もあるルグルトに異議を唱えられるだけの権力を所有する貴族は国内にはいない。
「……間に合ってよかった。『死病移し』はマリージェン一人となったから、滅多なことで使うことはしないと確信していたけど……」
ルグルトが呟く。
零れる砂みたいな時間を止めるように、マリージェンを抱きしめる指先が震えていた。
「ルグルト?」
「だって王家にマリージェンを渡すなんて許せなかった。独り占めしたい嫉妬でマリージェンを殺してしまいそうで。でも、マリージェンを殺すよりも王家を滅ぼす方が千倍もいいだろう? だから頑張ったんだよ」
「じゃあ、マリージェンの命はルグルトが使うのですか? だとしたら嬉しいです。マリージェンはルグルトが大好きだから」
「違うよ、マリージェン。命はいらないよ。僕とマリージェンはずっといっしょに生きるのだから」
王家もダレン侯爵家も、何人いや何十人もの令嬢の命を啜って栄華を極めてきた。
それが反撃されただけである。
王家とダレン侯爵家の最大の過ちは、ルグルトをマリージェンの婚約者にしたことだ。
一瞬でマリージェンの虜となったルグルトは、その時から全てを滅ぼすことを決めてしまったのである。終焉という罪を喰らうことを、たった14歳で。
王家とダレン侯爵家にとっての不幸は、ルグルトには実行する類まれなる頭脳と能力があったことだった。
自分に連なる者を抹殺して。
地獄に堕ちようとも。
悪魔と罵られる覚悟でルグルトは、マリージェンを独占したかったのだ。
扉からルグルトが足を踏み出した。
初めて直接に太陽の光を浴びたマリージェンが声を弾ませる。色なき風が光に照らされて、まるで風そのものが光っているかのように眩しい。
「おひさまです。風も吹いています。空気がキラキラしています!」
空気は虹の破片のように煌めきを紡ぎ。
木々の葉擦れの音はさざ波のように唄い。
鳥たちが高く低く囀り、蝶々が舞姫のごとく翔び。
花々が花色あざやかに色を織り。
風は花の甘い香りを含んでマリージェンの鼻をくすぐった。
「ルグルト、マリージェンは別の世界にきたのですか!?」
無邪気に笑ってはしゃぐマリージェンが愛おしい。
ぎゅっ、とマリージェンを抱きなおしてルグルトも笑った。
「マリージェン、僕と結婚してくれる?」
「結婚ってなんですか?」
「そっか、結婚をマリージェンは知らないのか。フ、フフ」
「なんだかルグルトの顔がるるるです」
「誤解だよ。ちょっと愉しみになっただけだよ」
笑いながらルグルトが歩く。朗らかな笑い声が響いた。
一方で主のいなくなった部屋ではオルゴールの音が止まり、静寂に包まれていた。そして二度とマリージェンがこの部屋に戻ることはなかった。
王国の歴史書は語る。
ルグルト国王は、賢明な君主として王国を繁栄に導き20年にわたって王国を治めた。
側室を娶らず病弱な正妃のみであったが生涯仲睦まじく、同じ日同じ時間に世を去った。子どもはいない。
後継は家臣で最も有能であった者が立太子されており、これによりルグルト国王の血筋は終わり、新たな王朝が成立したのであった。
後世において『死病移し』の公式な記録は残っていない。ルグルトが焚書にしたのだ。
その名前は。
言の葉が紡ぐ御伽噺となり、幻として微睡むだけとなった。『死病移し』に降り注ぐ火の粉は消え去ったのである。
【雨】
ルグルトはマリージェンを抱きあげて、小雨の中を歩いていた。宝物のように自分のマントで包んで。マリージェンは顔だけマントから出して、カンガルーの赤ちゃんみたいになっていた。
雨降る天をひたすら仰ぐマリージェン。
「ルグルト、ありがとうです。マリージェンは雨に濡れてみたかったのです」
鉄格子の窓から見る風景ではなく。
直接に雨に触れることができて、マリージェンは大喜びであった。
「少しだけだよ。マリージェンは身体が弱いのだから。心配だよ」
と言っていたルグルトの予想通り、マリージェンは翌日に熱を出した。
「ああ! やっぱり!」
おろおろするルグルトに、マリージェンはベッドに横たわって微笑んだ。
「でも、ルグルト」
心から言う。
「マリージェンは幸せです」
読んでいただき、ありがとうございました。
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