美の追求者
「カレーでいいか?」
「いいよお。お出かけ楽しみ」
両親は基本的に共働きでいない。
故に俺が美朱の世話をすることは多かった。
クッキー作りでそこそこのクオリティを出せたのも、そのおかげだ。
美朱はお気に入りのペンギンを抱きながら、この前なんか捕まえてきたザリガニに煮干しをあげている。
なんでも、あのザリガニは前から見ても横から見ても対称性を持っていたから持って帰って来たらしい。
ぬいぐるみも同じ原理で気にいっている。
「うわあうまそう!! ありがとね!! おにい」
そういうとバクバク食べ始めた。
家の中は美朱のものばかりだ。
美朱が入賞しまくった賞状が壁一面に飾られており、昆虫の標本やぬいぐるみたちはみな彼女のものだ。
賞状はどちらかというと俺たち家族の方が大切にしている感じ。
美朱はそんなことどうでもよくて、画材欲しさに賞金目当てで応募することがほとんど。
賞状が対称性に欠けていると破り捨てたり、賞状の裏に書き始めることもあった。
***
「じゃあ、しゅっぱあつ!!」
妹は鉛筆とスケッチブック、それと昆虫採集用の小さなカプセルをもって出発を宣言した。
俺としては、服のセンスなんて一生分からない自信があるから、妹に選ばせた方が無難だ。
万が一、誰かに馬鹿にされたとしても「妹が選んだんだよ」で責任転嫁できる。
他人のせいにできるって、こんなにも心が軽くなるのか。やっぱりこのスタンスが最高だ。
彼女とのお出かけだが、なかなか歩みは進まない。
理由は外の昆虫、鳥、ひいては生き物と建物の配置などを見て、すぐ立ち止まってしまうからだ。
今もスケッチブックを取り出し、メモしている。
「う~ン……おしいな」
そう言っては通り過ぎるところもいくつかある。
夏になると暑すぎて付き合いきれないので、今の時期が彼女とお出かけできる限界だろう。
そう思いながら、家から十数分で着くデパートに、三十分ほどかけて到着する。
すると走ってすぐさま洋服屋へ。
俺に似合う物を探し始めた。
「おにい、これは?」
「……明るすぎない?」
「それがいいんだよ。おにいの意味わからない暗さと対称的な明るさ」
最初に持ってきたのはバッチバチの蛍光色。
なんでも、俺の暗さと対称的になっていいらしい。
って誰が根暗陰キャじゃ。
「じゃあ次これ!!」
「うーん……まあいいか」
彼女のオススメは続く。
先ほどと同じ明るすぎるもの、ド派手なもの、シンプルに意味が分からないもの、たくさん用意してきたが。
結局上と下三着ほど買い、俺たちは帰路につこうとしたその時、美朱が目を見開き反応する。
鉛筆を取り出し、手を伸ばし自分の目線と直線状にその鉛筆の先を合わせる。
そうして狂気の目を帯び始めた。
「うわやっば!! 美朱があのモードに入った……」
あれは鑑賞対象を見つけたときの動きだ。
あのモードは“見る”じゃない。“喰う”だ。芸術って名のエネルギーで。
俺は嫌な予感をしながら会計を済ませるとすぐさま美朱のもとに向かおうとしたのだが、遅かった。
美朱はその場を走り去り、どこかに消えていた。
***
――なんて、静かな人なんだろう。
美朱は、人物画は兄以外ほとんど描かない。
ただ、彼女は美しすぎた。
動きに何も音がない。動いているのに空気の鳴動すら感じることができず、彼女の周りから音がなくなったと思えるほどの無音。
となりの奴が抱き着きながらうるさく騒いでいるが、それでも彼女の空間だけ、異質なほど静かだった。
人物としてこの上ないほどに表現できる静。
彼女が動いているところを見れたなら、それは動になる。
完璧な対称性。
それを描きたいと、心から望む。
「たぶん避けてくれるはず。そしたら、激しい動きになる」
美朱はその俊敏な動きでその女性に近づくと、拳を突き立てる。
が、一瞬の出来事。自分でも何が起こったのか分からない勢いで世界が反転。
自分が足を引かけられて転び、その女性に抱きかかえられているのだと遅れて気づいた。
「転んだようね。大丈夫かしら」
「……」
驚きのあまり目を見開く美朱。
上から覗き込む彼女は、あまりにも美しかった。
「翠先輩、なんでそんな奴庇うんですか?」
そんな翠の態度を不満そうに見るもう一人の女。
「何かしら? 深雪」
深雪は怒りながら、翠の対応に腹を立てる。
憧れの人がいきなり殴りかかられたのだ。
怒りくらいは沸く。
「見えてたことも分かってるんですよね? そいつは翠先輩に殴りかかった」
そうしてとぼける翠に今起こったことを端的にまとめると、美朱の胸倉をつかみ起こす。
「減点、九十点。赤点だ」
メモ帳に書き記すこともなく、深雪は美朱を採点する。そして――。
「私が補修してやる。人に殴りかかったらどうなるか、その体に教えてやるよ」
深雪と美朱の戦いが始まった。