美の美徳
「動くなあ!!」
寝返りを打とうとした瞬間、凄まじくハキハキした声が俺のそれを邪魔する。
(最悪だ……今日はその日なのか)
ゴールデンウィーク初日。
遅くまで寝ていられると思っていたのに、まさかこんな風に起こされるなんて。
「最高だよおにい。待っててね。照明立てて、光調整。うん素晴らしすぎる」
俺は寝相が悪く、いつも芸術的な姿勢になっている……らしい。
だからこそ美を追求する妹にとって、俺の寝ている姿が鑑賞対象になることがあるようだ。
「布団の絡まり具合、と見せかけて絡まっているのは自分。ベッドから出なくていいという安心感。まだまだ寝れるという怠慢が、その姿勢から一気に出ている!! 素晴らしい!!」
ぎゃあぎゃあ喚き散らかしながら、彼女はキャンパスを汚し始める。
こうなると一、二時間は動けない。
本当に最悪だ。
「なあ美朱。今日さ、一緒に私服買いに行かない?」
「なに?」
俺は万年ジャージ引きこもり男。
家にある衣服類はジャージか制服のみ。
ただ、今年のゴールデンウィークは天体観測が控えているのだ。
私服は必須、しかし自分のセンスに頼りたくはないため、妹を誘う。
そんな俺の要求に妹は眉毛をピクリと動かし、固まった。
「おにいが……服を買う!? そんなことが」
あんぐりと口を開け驚愕。
そんなに驚くことかな、と思った瞬間、筆の速度が異次元に上がる。
「絵を盛り上げるのは対称性!! そしておにいと私服で、それを表現できる。なんて高度なことを妹にやらせるんだ!! さすがおにい!!」
なんか、ふざけた解釈で筆運びをより軽くする。
照明は明るいし、妹はうるさいし、さっさと寝たいし。
「でも……なんで急にそんな戯言をほざいたの? おにい」
俺の服を買うことは戯言扱い。
お前の美の探求のほうがよっぽど戯言だろ……。
そんな妹に、俺は経緯を伝える。
「いやゴールデンウィーク後半に学校の奴らと天体観測にいくんだよ。だから……」
「なあにいいぃぃぃ!?」
俺がそれを伝えると、妹はこの世のものとは思えない驚き顔を見せる。
こいつ……黙ってたら可愛いのに、そんなことは起こらないからもったいない。
「妹に虚勢を張る兄。私服を買うという口実に嘘を重ねると葛藤!?」
またもや意味わからん解釈に暴走。
頭がおかしい。
「絵画とはストーリーだ。一枚の絵だからといって動かない訳じゃない」
また始まった。
絵の講義。うるさいしどうでもいい。
「見るものが補完し頭のなかで動かす。一流の絵画は皆そうなってる」
何百回も聞いたよ。
それ。
「そしてストーリーにおいて葛藤こそ最も尊ばれるもの。おにいの嘘ついてまで私服を買いに行きたいという葛藤!! それを妹に表現させるんだね!! さすがおにい!! 高度過ぎる!!」
***
久遠美朱。
俺の妹の中学三年生だ。
高校受験を控えているのだが学校にはいかず。
外をほっつきまわっては描くものを決めている異常者だ。
俺的には不登校ということをあまり問題視してはいない。
こんな才能をそんな檻の中に閉じ込めておくなんてことは勿体ないし、彼女が楽しそうにしていることが何よりも大事だから。
彼女の羽はでかすぎる。
学校みたいな小さい世界ではなく、広い世界で自由に羽ばたければそれが一番いい。ただ――。
「終わったあ。おにい動いていいよ」
自由にさせ過ぎたせいで、俺が被害を被ってる気もする。
一時間動けないってなんやねん。
「お、にい。お、にい。おにいとお出掛け」
画材と照明を片付け、スキップ混じりにどこかへいってしまった。
そうして残された絵はやはり異次元の出来だ。
真ん中に少年が一人寝ており、それを囲うように闇のような部分が渦巻くように描かれている。
タイトルは『悲しい嘘』。
これ見てると、絵画の世界に放り込まれてしまいそうに思えるほどの臨場感がある。
「ってこれ俺のことじゃねえか!!」
クオリティは高いが……。
何が悲しい嘘だ。ふざけんな。