世界の正しさとは自分である
――最近のオタクは、自分が正しいってことをアピールするのに必死だ。
「推しが尊い」とか、「推しが幸せならそれでいい」とか。
言ってることはご立派だけど、結局それって――。
“共感される正しさ”を選んでるだけじゃないか?
俺は違う。
他人に正しさを見せつける必要なんてないし、証明する必要もない。
なぜなら、俺は――知っているから。
俺が正しいと。
「また主人公と付き合いやがってえ!!」
そんな正しい俺の名前は久遠朔夜。
推しの幸せよりも、自分の脳を守ることに勤しむ厄介オタクである。
今は今期のラブコメを視聴中。
最終盤で主人公とヒロインが結ばれ、無事、俺の脳は破壊された。
「だいたいおかしいだろ!! ビジュで釣って、結局イチャラブとか……ふざけ切ってる!」
ラブコメの根幹に、俺は当たり散らす。
俺は……創作に自分を重ねたことがない。だって、それは俺じゃないから。
違うんだよ。根本的に。楽しみ方が。
故にフィクションはダメだ。
す〜ぐ彼氏作る。
じゃあ、現実はどうか?
もっとダメだ――というのが世間の総意だが、俺は希望を抱いている。
だから今日も、俺は学校に行く。
彼女は俺の脳を守ってくれるから。だから――。
「現実だけが、俺の希望だ」
見つけていただき、読んでいただきありがとうございます。
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