第88話 第四位階迷宮
章タイトルが『闇玉と達磨』ですが、『達磨』の部分が変わる可能性があります。
数か月後――
「……本当に、この迷宮は手強いな」
「ああ。他の二つの第四位階の迷宮と比べても、難易度が段違いだ……」
俺たちは今、【海嘯】の迷宮に挑んでいる。
すでに第四位階魔法――【範囲治癒】と【石乱杭】の迷宮は踏破し、それぞれの魔法も習得済みだ。
どちらも骨の折れる迷宮だったが、この【海嘯】の迷宮ほど厄介ではなかった。
というのも、ここの構造は層ごとにあまりにも極端なのだ。
一層目は、ごく普通の石造りの迷宮。
二層目では、視界すら奪われるような豪雨が絶え間なく降り注ぎ、
三層目では、一面に広がる草原に雪がしんしんと降り積もっていた。
そして――今、俺たちが立っているのは四層目。
真上から燦々と疑似的な太陽の光が降り注ぎ、浅瀬のようにくるぶしまで水に浸かるフロアだ。
三層との気温差は、ざっと四十度近くある。
「にしても……暑いな。レオ、すまぬが、これを頼む」
そう言って、リンが羽織っていた外套を俺に手渡す。
受け取った瞬間――思わず言葉を失う。
彼女の肢体を包むのは、リンのナイスボディを強調するかのような水着。
息を呑み、釘付けとなる俺に、リンは顔を真っ赤に染め、慌てたように言う。
「そ、そんなに見つめるなっ! 魔物が……魔物が現れるかもしれないのだぞ!? 四層の魔物は強いのだからな!」
ちなみにこの水着は俺が選んだ。
リンが別の水着を買おうとしたところに、俺が待ったをかけたのだ。
にしても、半年前のリンならこんなことで動揺するような女性じゃなかった。
けれど、最近はちょっとしたことで恥じらいを見せるようになったのだ。
その変化が、なんとも言えず、可愛い。
ただ、リンの言う通り四層の魔物は手ごわい。
ここに現れるのは、マジックスライムやジャイアントスライム、さらに水晶のような殻を持つ蟹型の魔物・アーミークラブなど、水属性の強敵ばかりだった。
リンの言う通り、決して油断などできない相手だ。まともにやり合えば、こちらが消耗するのは目に見えている。
――だが、俺には切り札がある。
【雷撃】。
水を伝って広がる雷は、これらの魔物に対して圧倒的な相性を誇る。
【風絨毯】で空を滑るように駆け、頭上から魔物たちへ雷を叩きつける。まるで空を司る雷神の如く。
光と轟音が地を裂き、感電した魔物たちは悲鳴を上げて悶えながら倒れていく。
そして――
空中からの雷撃で動きを封じた敵の頭上へ、低く滑空しながら一気に斬りかかる。
俺のクレイモアが、アーミークラブの鋼殻を叩き割り、同時にリンの翼竜剣が、スライムの核を正確に捉える。
どちらの武器も金属製ではないため、雷の余波を受ける心配もない。
【雷撃】で制圧し、空から斬り伏せる――
一つのパターンとしてこの戦法が確立されつつあった。
「さて、四層の魔物も倒し切ったな。行くか、五層に!」
「うむ……ここはバックスでも【闇玉】に次いで死亡率が高いと言われるボスフロア……気を引き締めねばなるまい……」
確かに、油断は命取りだ。
――水着姿のリンに気を取られていたら、それこそ真っ先に死ぬだろう。
フロア構造や出現する魔物、戦い方はすでに頭に入っている。だが、それでも慎重さを欠くわけにはいかない。
「リン、これを……」
俺は【収納】から、ふわりと羽織るワンピース型のラッシュガードと、胸元に金色の徽章が輝く外套を取り出した。
そう――俺たちは、二つの第四位階迷宮を踏破したことで、ついに金証へ昇格したのだ。
北カリ村の件で銀証九段まで上がっていたから、時間の問題ではあった。
五層への階段を降りると、すぐ先にボス部屋へと続く巨大な扉があった。
どうやら戦闘中ではないらしく、重々しい金属音を響かせながら扉はゆっくりと開いていく。
――第五層。
そこは四層の延長線上にあるような景色だった。
扉の先には桟橋が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、その中心には小さな家のような建物がぽつりと立っている。
桟橋の向こうには果てしなく広がる海があり、頭上からは疑似太陽が燦々と輝き、波間を金色に染めていた。
俺たちが家へと向かうと、周囲にいた冒険者たちの視線が集まる。
何人かは、ワイバーンと戦いで共闘したことがある者たち。
そして、そこで指揮を執っていた二人組が、こちらを見て目を見開いた。
「れ、レオに……リン!?」
「そ、その徽章――まさか、もう金証に!?」
視線がリンの胸元の徽章を見ているのか、それともその豊かな膨らみに吸い寄せられているのかは、定かではない。
「お久しぶりです、フリードさん、ゲルドさん」
俺は軽く笑いながら言う。
「今日から俺たちも、ここでお世話になります」
一瞬、フリードの顔に気の抜けただらしない笑みが浮かんだが、それも束の間。
彼はすぐに眉間に深い皺を刻み、険しい表情へと戻った。
「ああ……こちらこそよろしく頼む。だが――覚悟しておけ。ここは想像以上に厳しい。俺たちがこのフロアに来てから一年以上になるが……すでに五人、命を落としている」
「……マジか」
思わず息を呑む。
ここに挑む者は全員、銀証以上――それでもなお五名が帰らぬ人となったというのか。
その事実が、五層の危険度を雄弁に物語っていた。
そんな俺の反応をよそに、ゲルドが今度はリンへ視線を流し――いや、這わせるようにしながら続ける。
「とにかくな……奴はとんでもなくデカい。急所まで刃が届かねぇ。冒険者が海に引きずり込まれることも珍しくない。雷魔法で何とか削っていくのが常だが……倒すまでにとにかく時間がかかる。それに、一定以上の傷を負うと海中に逃げ込みやがる。これがまた、面倒極まりねぇんだ」
しかし――それらは最初から想定済みの情報だった。
できるかどうかは別として、対策もすでに頭の中にある。
「ここには、魔法師と冒険者が何人いるんですか?」
「魔法師は――水が四人、雷が一人、火が一人。冒険者が八名だ」
なかなかの大所帯だ。
おそらくフリードたち水魔法師が中心となり、他の戦力を雇い入れているのだろう。
それでもなお、この数で苦戦を強いられているのなら――やはり、この迷宮は他の二つの第四位階とは格が違う。
「そうですか……ちなみに、ボスが出現するのは何時ごろですか?」
「……いつも十二時ジャストだ。だから――残り数分といったところだな」
「では、僕たちも参加してもよろしいですか?」
「もちろん! だが、どうする? 本来なら金証魔法師のお前がこの場の指揮を執るのが筋だが……」
「ええ……では、試したいことがあります。皆さんは――僕たちが攻撃を開始するまで、遠くで待機していただけますか?」
「構わない……だが分かっていると思うが、奴が現れた瞬間、高波が襲うぞ。足を取られたら一巻の終わりだ」
「はい、心得ています。それでは――」
言い終えるより早く、家全体が轟音とともに揺れた。
外壁を叩きつける、壁のような波。
床下から響く低い唸りが、海そのものが怒り狂っているかのようだった。
「来たぞ――ッ! 迎撃態勢を取れ!」
フリードの怒号と同時に、俺とリンは扉を蹴り開けて外へ飛び出す。
――そして、目にした。
濁った海面を割り裂き、そびえ立つのは、烏賊とも蛸ともつかぬ巨影。
海を背負ったような巨体が、桟橋ごとこちらを覆い尽くす。
触手一本が、船のマストほどの太さ。水飛沫を撒き散らしながら空を薙ぐ。
クラーケン――。
深海の大食漢が、ついに姿を現した。




