第73話 含魔薬
翌朝――
東の空がほんのりと白む頃、俺の【ストック】はすべて完了していた。
水球を三つ浮かべ、リンと共に屋敷を出る。
昨日の祭りの余韻がまだ残る村では、サグマが村長や村人たちと交流を深めていた。
どうやら、名産や特産品、交易品の情報を聞き取っているらしい。
「おはようございます」
全員に軽く頭を下げ、挨拶を終えると、本題へと切り込んだ。
「サグマ様。僕とリンで、ザンクたちが潜んでいるという廃村に向かいたいのですが……ご許可いただけますか?」
穏やかだったサグマの表情が引き締まる。
「……二人で、か?」
「はい。大人数では村の防衛が手薄になりますし、何より、隠密行動が難しくなります。僕たち二人なら足も速いし、もしものときは全力でここまで逃げてきます。無事制圧できた場合は合図を出しますので、そのときは増援をお願いします」
二人だけなら、【風纏衣】で即座に撤退できる。
他の誰かがいれば守らなければならないし、行動の幅も狭まる。
何より、俺たちは、これまでずっと二人で切り抜けてきた。
サグマは一拍、目を閉じ、逡巡の色を浮かべたあと、静かに口を開いた。
「……分かった。だが、無理はするな。お前たちに何かあっては、この旅自体が潰れる」
「ありがとうございます。必ず戻ってきます」
軽く頭を下げると、リンもそれに倣う。
「うむ……頼んだぞ、レオン、リンス。奴らの生死は問わない」
サグマの言葉に背を押され、俺たちは村長のもとへと歩を進める。
彼はすでに、こちらの話を耳にしていたのか、地図代わりの木板と印を手にしていた。
「ここから北西へまっすぐ。森の中に獣道があり、それを辿れば一時間ほどで着くはずです。かつてヤーラ村と呼ばれていた場所ですが……今はもう、あれは村と呼ぶにはあまりにも寂しい」
「ありがとうございます。何かあれば、すぐ戻りますので」
そう言って一礼すると、エイガーや冒険者たちに二人で行くことを伝え、廃村へ向けて歩き出した。
村の外縁に広がる平地を抜け、再び森の緑に包まれていく。
魔物の気配を探りながら、俺たちは慎重にヤーラ村を目指す。
静寂の中、わずかな物音にも注意を払いながら進み――やがて、一時間が経過。
森の隙間から、かすかに茅葺き屋根と木柵の輪郭が見えた。
遠くに、朽ちた集落の影。
近づくにつれ、ヤーラ村の実態が明らかになる。
草木は伸び放題で、手入れの跡などまるでない。
茅葺き屋根には穴が空き、雨風を凌ぐにはあまりに心許ない。
「あんなところに……人が住んでるのか?」
思わず口をついた言葉は、信じがたい光景への素直な疑問だった。
フルタス法爵家の掘っ立て小屋より、さらに劣悪だ。
「まあ、野宿よりはマシなんだろうな……レオ、あそこを見てみろ」
リンの指先の先――そこには、骸。
俺たちを襲った盗賊の一人が、村の入口と思われるところに、土に半ば埋もれるようにして転がっていた。
「……死体、か」
あれは一昨日の深夜、二十二時。
あの時、誰の命も奪ってはいないはず。
じゃあ――あいつの死因は?
答えは出ないまま、俺たちは草木に身を潜め、廃村・ヤーラへと静かに近づいていく。
一年前も、こうして草をかき分け、リンを助けに行ったな……。
今では、隣にいるのが当たり前。いや、それどころか、俺が生きていく上で、一番必要な存在になっている。
そのリンに、ふと視線を向けようとした――その瞬間だった。
視界の先、二十メートルほど向こうの空間がゆらりと、揺れた。
「……ん? 今のは……?」
ぼんやりと眺めた、その刹那――
ゆらりと揺れた空間から、鋭い閃き。
二本の短刀が、俺たちめがけて放たれた!
「伏せろッ――!」
リンも即座に察知し、俺たちは同時に草むらへ身を投げる!
短刀は俺たちの頭上を掠め、背後の木に突き刺さった。
反射的に、俺は飛来元に目を凝らす……いた!
迷彩柄の外套をまとった者が、ゆっくりと輪郭を露にする。
「リン! あそこだ!」
俺の指差す方向に、リンが即座に反応。
翼竜剣を抜き放ち、間合いを詰めようとした――その瞬間。
ヤーラ村の廃墟から、次々と人影が現れる。
「おい! 例のガキと女だ!」
「ガキは殺せ! 女は生け捕りにしろ!」
「女は出来るだけ傷をつけるな!」
チッ――!
咄嗟のことでつい叫んでしまった……が、もうバレたならやるしかない!
【収納】から、昨日サグマにもらった新しい剣を引き抜く。
長年使っていた愛用の剣は、サグマにへし折られたまま。今日からはこいつが相棒だ。
「リン! 危なくなったら即撤退! でも、いけるとこまでは殺りきるぞ!」
「**【魔力増強】**!」
「**【風纏衣】**!」
「**【石纏衣】**!」
リンを強化してから、すかさず【ストック】。
続けて、自身にも魔法を重ねがけする。
「**【風纏衣】**!」
「**【石纏衣】**!」
戦闘態勢は万全!
まずは……あの迷彩野郎、逃がさない!
「**【風詠】**!」
魔力を込めた風が、一帯を駆け抜ける。
風は気配を拾い、俺に敵の位置情報を与える――が、その中で、異質な存在がひとつ。
……あの迷彩柄――逃げてる?
しかも、とんでもない速度だ。俺たちから距離を取るように、森の出口方面へ一直線に。
なんだ……?
あいつ、盗賊団じゃない?
まるで風のように遠ざかっていく。
追うべきか一瞬迷ったが、今は目の前。
敵の本体、盗賊団が先だ!
そう判断した刹那――
俺が動くよりも早く、リンが駆け出す。
彼女は風を纏い、軽やかに地を蹴り、村の入口にふわりと舞い降りる。
俺も続いて飛び出し、リンの後を追う。
まず目に入ったのは、村の入り口に転がっていた死体。
背中に大きく刻まれた刀痕――
しかも、深い。ほかにも刀傷はあるが、間違いなくこれが致命傷。
(この傷痕……まさか――ザンク!? 仲間割れでもしたのか?)
その正体に思考が届くと、リンが風のように跳ねた。
一閃――翼竜剣が唸りを上げ、盗賊の肩口から胸元までを斬り裂く。
悲鳴すら上げられず、その男は血を噴きながら崩れ落ちた。
「なッ……! こいつら、もう飲んでやがる!」
「チッ、俺たちもだ! 飲めッ!」
盗賊たちは腰の麻袋から、忌々しい魔薬――含魔薬と思われる物を取り出す。
が、その手が口に届く前に、リンが二人目の首を跳ね飛ばした。
迷いも、容赦もない。
サグマの言葉通り、生死を問わずを体現している。
圧倒的な動きに、一瞬、奴らの表情が驚愕に塗れる
その隙を逃すはずもなく、俺は左手を掲げ、魔力を叩き込む。
「**【風刃】**!」
放たれた風の刃が一直線に走る。
【魔力増強】の効果を受けたそれは、目標の胴体を斜めに断ち割り、その勢いのまま背後の廃墟までも抉った。
普通なら圧倒的な力量で戦意を失くす……が、奴らは違った。
含魔薬を服用し、ハイになっているのか、仲間が死んでいるにもかかわらず、顔には笑みが浮かんでいる。
「くっくっく……お前らだけじゃねぇんだ、含魔薬を飲んでるのはよ!」
「俺たちだって、ヴィーレ勇国に認められたんだぜ!」
「虹魔法師? 剣姫? 笑わせるなよ! お前らだって、どうせ薬で強化されてただけだろうが!」
誤解……いや、もしかすると、そう刷り込まれているのかもしれない。
敵の叫びを背に、リンが音もなく俺の隣に戻ってくる。
「レオ、事情をよく知るものは生かしたまま捕えたい。ヴィーレ勇国はドラグラス王国の西に位置する国。そこから含魔薬が流れてきているとなると、穏やかではない」
そうか――俺にはこの国への思い入れはないが、リンにとっては違う。
祖国の未来に関わる問題となれば、無関心ではいられない。
「了解。なるべく生け捕りってことだな」
俺は一度深く息を吸い、【風纏衣】の残り時間を測る。
まだ四分は保つ……が、逃走も視野に入れねばならない。
「よし! 三分だ。三分以内にケリがつかなきゃ撤退する!」
「うむ。逃げるタイミングはレオに任せる」
その声が合図となり、俺とリンは一気に敵の集団へと突っ込んだ。
敵の数は三十――いや、それ以上かもしれない。
バックス南東から忽然と姿を消した連中の数を考えれば、まだまだ潜んでいる可能性は高い。
だからこそ、重要なのはこの短時間でどれだけ数を減らせるか。
そして、俺なら魔力を、リンなら体力を、どれだけ温存できるか――
それがこの戦いの勝敗を分ける鍵になる。
ただ、相手も含魔薬の力を得た者たち。
通常では反応すらできないはずのリンの剣閃に、かろうじてだが反応し、剣を合わせてくる。
それでも――やはり、分が悪い。
リンは【風纏衣】、さらに【魔力増強】の効果を受けている。
本来その状態では、疾すぎて彼女自身ですら制御が困難。
だから、全力で動くことは滅多にない。
今のリンは、速度と力をほどよく抑え、体力の消耗を最小限に抑えながらも、通常時よりも遥かに高い戦闘能力を発揮している。
つまり、いつも以上の性能を、いつも以下の消耗で振るえているということだ。
その差は、剣を交えればすぐに露わになる。
二合、三合と斬り結ぶたびに、盗賊たちはリンの一撃に体ごと吹き飛ばされそうになり、まともに受ければその場で膝をつく。
中には――剣ごと真っ二つにされた者すらいた。
「ば、バケモノだ……じゃあこっちもバケモノを……!」
恐怖に駆られた一人の盗賊が、戦場の奥――廃墟へと駆け込んでいく。
そいつはまだ含魔薬を使っていないようで、他の盗賊たちと違い、明らかにリンの剣閃に怯えていた。
「頭ァァァ! 奴らが来ました! ぶっ殺して――え、なっ……ぐああああ!!!」
直後、廃墟の奥からけたたましい悲鳴が響いた。
次の瞬間――
重い打撃音と共に、先ほどの盗賊が建物ごと吹き飛ばされ、空中を回転しながら地面に叩きつけられる。
遅れること数秒。
廃墟から、巨大なクレイモアを肩に担ぎ、魔物めいた気配をまといながら、ザンクはふたたび姿を現した。




