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第7話 天啓の儀

 天啓の儀の朝――



 フルタス法爵家には、いつもとは違う重苦しい空気が漂っていた。

 緊張と苛立ちが渦巻くなか、それを紛らわせるかのように、俺への当たりはいつも以上に強かった。


「おい! 魔法書を描くしか能のない落ちこぼれが……さっさと【治癒ヒール】を持ってこい!」


 ジウムの怒鳴り声と共に、杖が俺の頬を叩く。

 これまで腹や背中だけだった暴力が、ついに顔にまで及んだ。


 口の中に広がる鉄の味。

 視界が滲むほどの痛みに、思わず涙がこぼれそうになる……が、それだけは許せなかった。

 こいつの前でだけは、絶対に泣かない。そう心に決めて、必死に耐える。


 そんな俺を、キャシーが冷ややかに見下ろす。


「ほんと、鈍くさい子……だから落ちこぼれなのよ」


 生活魔法しか使えないはずの彼女の魔力量でさえ、俺より上。

 こなくそ……と心の中で吐き捨て、拳を固く握る。


「落ちこぼれに期待するだけ無駄ですよ。さ、行きましょう。今日は僕が天啓を授かる日ですから!」


 ボヘックの嘲笑。

 煽るような声音。

 こいつらとの会話が最後だと思うと、少しだけ心が楽になる。


 ――あと、もう少し。


 屋敷の門が閉まったら、俺もこの屋敷から出る。

 全ての準備は整っている。


 【収納ストレージ】の中には、十分な食糧、金、長剣、寝袋、そして周辺地図。

 それに念のため、【治癒ヒール】の魔法書一冊と、あと一日で描き終える【治癒ヒール】の魔法書と、白紙の魔法書も。


 フルタス家の連中が罵声を残しながら屋敷を後にしたのは、それから十分後だった。


 静けさが戻った屋敷の庭に立ち尽くしながら、これまでの記憶が走馬灯のように蘇る。

 痛み、屈辱、孤独――そのすべてが心に押し寄せ、気づけば頬を涙が伝っていた。


 ……もう、誰も見ていない。

 だから、少しだけ泣いた。


 そのとき、背後から優しい声が響いた。


「お疲れ様、レオン」


 え――?

 驚いて振り向くと、そこには女性使用人の姿。


「あ、あの……どうして……?」


 涙を拭いながら問いかける俺に、彼女は穏やかに微笑む。


「今日、出るんでしょ?」


「……どうして、そう思ったんですか?」


「こういうお屋敷、たくさん見てきたのよ。あなたみたいな子も……だから分かるの」


 俺のような境遇の子は多いということか。


「……はい。今日、発ちます」


 俺は小さく、でもしっかりと頷いた。


「そう……強く、生きてね」


 それだけ言い残して、彼女は屋敷の中へと戻っていった。

 風が、少しだけ優しく吹いた気がした。



 俺は踵を返し、街の中心部へと足を向けた。


 目指す場所は、教会。

 天啓の儀が執り行われる場所。


 どうしても、見ておきたかったのだ。

 天啓の儀とは、どんな儀式なのか。


 そして、もしボヘックがギフトを授かってしまった場合、どんな能力なのか。

 復讐の機会が巡ってきたとき、敵の力を知っているか否かで、結果は大きく変わる。


 マグサが以前、教えてくれた。

「礼拝堂上部――高い梁の上、あそこなら誰にも気づかれずに儀式を見下ろせる」と。


 実際、夜中に忍び込んで試したことがある。

 薄暗い天井裏のような場所だが、確かに気づかれることはないだろう。


 教会の前には、すでに多くの子供とその家族が列をなしていた。

 緊張、希望、そして不安――そのすべてが入り混じった空気に、街全体が包まれている。


 ……これだけの人混みだ。

 侵入するなら、いつも以上に慎重にいかないと。


 俺は遠巻きに列を眺めながら、静かに裏手へと回る。


「【風纏衣シルフィード】」


 風を身にまとい、無音の跳躍。

 屋根の上へ、まるで風そのもののように舞い上がる。


 三角屋根の頂の裏側が死角になっていることは、マグサからも聞いていたし、自分でも確認済みだ。

 正面からはまったく見えず、周囲の視線も遮蔽物により死角となっている。


 あらかじめ緩めておいたステンドグラスの枠をそっと外し、軋む音一つ立てずに、静かに中へ忍び込む。


 足をかけたのは、下見してあった、礼拝堂上部――高い梁の上。

 そこからは、式場のすべてを見渡せる。


 神父の所作、儀式を待つ子どもたちの表情、見守る家族たちの手の震えすら、手に取るように見える。


 すでに儀式は始まっていた。

 神父の前に、次々と子供たちが進み出ては、水晶の前に手をかざしていく。


 ――が、その多くは何の反応も示さず、無言のまま退出を余儀なくされていた。


 ……そう簡単にギフトは得られないということか。


 そんな中、一人の少女が水晶の前に立ち、首を垂れた瞬間――


 ぱあっ、と眩い光が水晶から溢れる。

 会場にどよめきが広がった。


「おぉ……! これは……」


 神父の目が見開かれ、教会内がざわつく。


「【料理】のギフトが授かったようですぞ!」


 その瞬間、歓声に包まれた。


「やった!」「すごい!」と口々に称える中、少女の父と思しき男が前へ出る。


「ありがとうございます! 神父様! して、この【料理】とは一体……?」

「うむ。この子が作る料理には、特別な効果が宿ると出ておる」


 淡々と語られた説明に、周囲は再び驚嘆の声を上げ、少女とその家族は、感極まったように深々と頭を下げていた。


 その後も、儀式は淡々と続く。


 ギフトを授かった者たちは歓喜の声を上げ、何も得られなかった者たちは肩を落として礼拝堂を去っていく。


 神父が告げるギフトの名も多種多様だ。


 【火の加護】、【制震】、【予知夢】、【剣気】、【槍気】……。

 【剣気】や【槍気】を授かる者は複数いた。

 ……どうやらギフトは、唯一無二ではないらしい。


 そして――

 日が傾き、夕陽がステンドグラスを赤く染めはじめたころ、ついにあいつの番が来た。


 壇上に現れるボヘックの巨体が、緊張に震えているのが分かる。

 普段の尊大な態度からは想像できないような姿だった。


 神父の前に立ち、水晶に手を翳す。


 刹那、水晶が――光った。


「……っ!」


 思わず拳を握る。

 ……ギフトを、得てしまったのか。


 静まり返った空気の中、神父が高らかに告げた。


「おぉー! 【暴食グラトニー】のギフトを授かったようです!」


 続けざま、ジウムの弾けるような声が響く。


「でかしたぞ、ボヘック! 【暴食グラトニー】か! これはもう鬼に金棒だ! 宮廷魔法師は間違いない!」


 ……【暴食グラトニー】?

 一体それが何なのか、俺にはすぐに理解できなかった。


 だが、キャシーも俺と同じで分かっていないようだ。


「あなた? 【暴食グラトニー】とはどういうギフトなの!?」


「ああ、【暴食グラトニー】とはな、食事を摂ることで体力も魔力も回復するギフトだ。即効性が高く宮廷魔法師にも王国騎士にもこのギフトを持つ者はいる。戦いの最中でも回復できる、まさに戦場向きの天啓だ!」


 ……まさか。

 そんな、当たりのギフトを引くとは思わなかった。


 よりにもよって、あいつが――。

 喜ぶ顔を見るためにここに来たわけではなかったのに……。

 だが、知らないよりかはマシか。

 そう、自分に言い聞かせ、最後まで天啓の儀を見届けた。



 教会の中に残っているのは、もう俺と神父だけだった。


 祭壇の片づけを終えても、神父はなぜか帰る気配を見せない。

 俺としては、彼が退出し鍵を閉めたのを見届けてから、静かに梁から降り、こっそりと礼拝堂の隅で寝袋を取り出し、夜を明かすつもりだった。


 だが、予定は狂う。


 神父がふいに、こちらを見上げたのだ。


 さっきまで一度も気配を見せなかったその目が、真っ直ぐに俺のいる場所を捉えている。

 そして、予想外の言葉が投げかけられた。


「……そこの君。降りてきなさい。悪いようにはしない」


 ――バレた!?


 心臓が跳ね上がる。息を殺し、身を潜めるも、神父の視線は逸れない。

 ……もう、逃れられそうにない。


「【頑強パワフル】」


 基礎魔法を唱え、足に力を込めて飛び降りる。

 床を踏みしめた瞬間、かすかに音が響いた。


「いつから……気づいていたのですか」


 問いかけた俺に、神父は微笑みを浮かべたまま答える。


「気づいてはいなかった。だが、そこに隠れているのではと思っただけだよ。昔から、似たような子が何人かいたからね」


 ……そんな有名なスポットだったのか。


「そういった子の多くは、君のように――背負うものがある子だったよ」


 神父は俺の顔に目を留め、悲しげに目を細めた。

 その視線の意味に、遅れて気づく。


 今朝ジウムに殴られた頬――

 ずっと気にしていなかったが、今になってひりつき始めている。腫れも残っているのだろう。


 思わず、顔に手を当てる。

 そして小声で呟いた。


「【治癒ヒール】」


 ふわりと、温かな光が頬を包み、痛みが消えていく。


 それを見ていた神父が、ぽつりと呟いた。


「君の魔法陣は……大きくて、温かいな。きっと良いギフトに恵まれるだろう」


 そして、神父は水晶に手を翳すよう促す。


「さ、君も翳しなさい」


 その言葉に、心の奥がわずかに震える。

 俺の手が、ゆっくりと水晶の上に伸びていった。


 ――光。


 水晶が静かに、しかし確かに光を帯び始める。

 その光は、他の誰よりも長く、柔らかく、深く――。


 神父の顔から微笑が消え、驚きと戸惑いが交錯した表情に変わった。


「……な、なんだ……これは……?」


 その呟きに、思わず身を乗り出す。


「何と……何と描かれているのですか!?」


 だが、俺の位置からでは、水晶に浮かぶ文字は見えない。

 焦りの混じった声で尋ねると、神父はしばし沈黙し、慎重に言葉を紡いだ。


「……【ストック】」


「【ストック】……?」


 聞き慣れない単語だった。


 神父も困惑した様子で、水晶をじっと見つめている。


「私の知識の中にもこれはない……だが、確かにこの水晶は、神の意志によって選定されている。君に授けられたギフト――間違いなく、正真正銘の天啓です」

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