第6話 十二歳になりました
時は経ち、十二歳を迎えたある日のこと――
「レオン、ちょっと来い!」
昼食を終え、自己鍛錬に没頭していた俺を、フルタス法爵の嫡男・ボヘックが呼びつけた。
「なんでしょうか?」
こいつがかかわると、碌なことが起きない。
まだ、十二歳だというのに、身長が百七十センチを優に超え、体重はまさかの百キロオーバー。
さらに、ジウムとキャシーの血を色濃く受け継いだ、その歪んだ笑みに、俺の本能が警鐘を鳴らす。
「模擬戦をするぞ。かかっこてい」
以前もこう言われたが、雇い主の息子に対して怪我を負わせることなどできるわけがない。
「かしこまりました。では……」
また、【火撃】の的になるだけかと思ったのだが、今日は違った。
「【闇霧】!」
ボヘックの右手に黒い魔法陣が浮かび、数秒後、辺りを黒い霧が包む。
相変わらず、魔法陣は歪んでいて発動も遅い。霧の濃さもたいしたことない。
だが、ボヘックはそれを承知で、連発してくる。
「【闇霧】! 【闇霧】!」
生まれながらにして魔力に恵まれたボヘックだからこそできる芸当。
この【闇霧】は術者しか、視界を得ることができない。
霧の中に入れば、俺は盲目。ボヘックだけが有利になる。
「どうした? 怖気づいたか? ほら、来いよ!」
安い挑発に引っかかるのも馬鹿らしいが、俺から行かないと、父のジウムと同じように癇癪を起すタイプ。
仕方なく、俺は霧の中へと一歩を踏み出した――その瞬間、
ズドンッ!
足元の地面が崩れ、体が落下する。
――落とし穴かッ!
気づいた時には、すでに底。
すぐさま、穴の上から声が降ってきた。
「やっぱり頭は足りてないようだな! 【火撃】!」
爆ぜるような音とともに、火球が放たれる。
運良く照準がズレ、炎は穴の縁を焼くだけに留まった。が――
「【火撃】! 【火撃】! 【火撃】!」
魔法陣を残したまま、連続で撃ち込んでくる。
同じ陣を使い続ければ、魔法陣はどんどん真円に近づき、精度が上がっていく。
――このままじゃ、マズい!
「へへっ……ようやく、その気取った顔を焼ける! 魔力のない落ちこぼれのくせに、顔だけはいいとか、気に食わなかったんだよ!」
気に食わないのはお互い様!
お前ごとにやられてたまるか!
「【剛力】! 【加速】! 【頑強】!」
基礎魔法で身体能力を強化し、落とし穴の壁を蹴って跳躍して一気に脱出。
この三つを習得するのにかかった時間は、合わせてわずか一週間。
第一位階魔法よりも習得は簡単。
その分、効果もそれなり。持続時間は十秒。
だが、魔力さえあれば、誰にでも扱えるというのは、よくできたバランスだと思う。
そして、魔法師は基礎魔法を嫌うというのを、足しげく通う書店で聞いていた。
ボヘックも例外ではなく、顔を真っ赤にして俺を指さしながら蔑む。
「なっ!? お前っ――! 魔法師が基礎魔法を使うなんて恥ずかしくないのか!?」
俺はそんなちっぽけな矜持など持ち合わせていない。
「自分が目指すところは魔法師ではないので……」
ただ、この言葉を吐くのは辛かった。
それは、父と母の期待を裏切ることになるから。
きっと二人は俺を魔法師にしたかったはずだ。
もとより、俺も本心ではない。
俺自身も、かつては魔法師になると信じて疑わなかった。
「ちっ! 腑抜けが! もういい!」
思い通りにならなかったことに腹を立て、ボヘックは踵を返して去っていく。
その背中を見送りながら、小さくため息を吐いた。
「ふぅ……危なかったな」
体を鍛えていなければ、たとえ基礎魔法を使っていても、あの落とし穴からは脱出できなかっただろう。
昼も夜も、毎日こつこつと自分の身体をいじめ抜いた。
その積み重ねが、ようやく形になった。
その夜――
書店に足を運ぶと、ちょうど良いタイミングで店が開いていた。
ここの主は気まぐれで、一週間に一度、店を開けるかどうか。
だからこそ、こうして開いていると少し嬉しくなる。
「マグサさん、今日は何かいい品が入りましたか?」
マグサというのが本名かどうかは、分からない。
しかし、気づいたら俺は店主のことをマグサさんと呼ぶようになっていた。
「ああ、お前が欲しがっていた魔法書がようやく手に入ったぞ。ほら、これだ」
俺の顔を見るなり、彼は一冊の魔法書を差し出してくる。
この店に通ううちに、マグサも少しずつ俺への警戒を解いてくれるようになっていた。
今では、欲しい魔法書を覚えてくれていたり、必要そうな情報を教えてくれたりする。
「おぉ! これが基礎魔法の【浄化】ですね!」
「ああ、基礎魔法が嫌いな魔法師でも、これだけは欲しがっているやつだ。値段は約束通り大銀貨四枚だ」
値段は通常の四倍。
だが、この魔法は一人立ちするのに必須ともいえる魔法。
体内の排泄物を浄化し、トイレに行く必要がなくなる――それが、【浄化】の効果。
旅に出る者や、長時間遺跡や迷宮に潜ったり、任務を行う者にとっては、これ以上に便利な魔法はない。
だが一方で、魔法師たちは矜持だの美学だのを理由に、この魔法の習得すら避けると聞く。
「ありがとうございます。これはマグサさんに頼まれていた物です」
鞄の中から四冊の魔法書を取り出す。魔法書はすべて【治癒】。
「助かる。お前の持ってくる【治癒】は好評でな。魔法陣が美しくて習得しやすいって評判なんだ」
そう言いながら、マグサは手慣れた動きで金貨一枚と、大銀貨六枚を差し出した。
どうやら、俺の魔法書――とくに【治癒】は、他の魔法師たちの間でも一目置かれているようだ。
その影響か、しばらく前から買い取り価格が大銀貨四枚から五枚へと引き上げられていた。
これまでに【治癒】の魔法書は、すでに十冊以上は売っている。
我ながらよく描いたものだと思う。
けれど、売るばかりじゃない。俺もちゃんと、それなりに買ってはいる。
まずは、先ほどの【浄化】を含めた基礎魔法を四種――【剛力】、【加速】、【頑強】。
次に、生活魔法の【着火】。
火起こしするのに、わざわざ【火撃】を使う必要がなくなるのは魔力の節約にもつながる。
さらに、第一位階魔法の中でもかなり希少な【開錠】。
これは高かった。金貨二枚。
魔法書だけじゃない。
長剣も一本、取り寄せて購入した。
こちらは大銀貨一枚と手頃な価格。武器の中では安い部類だが、質は悪くないと思う。
本当は、第二位階魔法もいくつか欲しいところ。
だが――金貨四枚ともなると、さすがに気軽には手が出ない。
何があるか分からない今、手元に残す金は命綱でもある。
「マグサさん、もしかしたら……ここに来るのは今日が最後かもしれません」
「……そうか、今週だもんな。この街の天啓の儀は」
俺は、自分の素性をマグサに語ったことはない。
名乗り出たことすらないのだ。
でも、彼はどこかで気づいていた。いや――調べたのかもしれない。
「今後、どうするんだ?」
「……冒険者になろうかと思います」
この世界では、十二歳になると冒険者登録ができる。
マグサから聞いたその情報を、俺はずっと胸の中で温めていた。
冒険者カードがあれば、それが身分証明書になる。
魔道具屋でも、武器屋でも、堂々と売買できるようになる。
ただ、この街で登録するわけにはいかない。
誰かの目に触れれば、またあの屋敷の影が伸びてくる。
だから、遠く離れた街で新たに名を刻むつもりだった。
「そうか……寂しくなるな」
マグサはそう言って、小さく笑った。
その目に、ほんの少しだけ優しい色が宿っている気がした。
「僕も……この街に来てから、ここで過ごす時間が一番、好きでした」
心の底から本音が漏れる。
すると、マグサは黙って店の奥に引っ込み、ひとつの小瓶を手に戻ってきた。
中には、赤く輝く液体――魔力回復薬。
「餞別だ。持っていけ」
「これは……? いいのですか?」
「ああ。魔道具屋の中に入ることすら難しいのだろう?」
言葉少なげに、そっと差し出される小瓶。
思わず、胸が熱くなる。
「ありがとうございます! 最後に、水晶をお借りしてもいいですか?」
マグサは無言で頷き、再び店の奥へ。
そして、淡く光る鑑定水晶を差し出してくれた。
俺は手を翳す。
水晶に映しだされた数字は『50』。
これは、十歳で魔法を扱えるようになる者の半分以下。
ボヘックと比べれば、五分の一にも満たない魔力量だった。
――魔法師としては、最低レベル。
以前、マグサにも言われた。
「普通、この魔力量なら魔法師であれば落ちこぼれ。騎士……あるいは、非戦闘職を目指すのが一般的だ」と。
俺も、現実は分かっている。
だからこそ毎日のように、剣を振り続けてきた。
魔法師になれなくても、生き抜く力は手に入れる。
「……では、僕はこの辺で」
「ああ。近いうちに会うこともあるだろう。《《またな》》、《《レオン》》」
静かに、だが確かに送られた言葉が、胸に染み入る。
俺は小さく頭を下げて、ゆっくりと扉を後にした。
目指すのは掘っ立て小屋。その先の未来。
……そして、ついにその日がやってきた――
-----あとがき-----
明日から20時5分に投稿となります
-----あとがき-----