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第52話 刻まれた恐怖

「おやおや……これはこれは。先客がいらっしゃるとは、まったく知らずに失礼を」


 わざとらしく丁寧な口ぶりで言いながら、フリードが薄笑いを浮かべる。

 当然、ギルド職員を通じて俺たちが先に潜っていることなど知っているはずだ。

 それに、冒険者ギルドから俺たちを見ていたことも知っている。

 その視線は、俺たちがこの迷宮に潜るまで続いたから、間違いなく確信犯だろう。


「お久しぶりです。フリードさん。どうしてここに?」


 なるべく刺激をしないように問い返すと、フリードはこともなげに肩をすくめる。


「もちろん。【鈍化スロー】を習得しに来たのさ。君たちも、そうだろ?」


 そう言いながら、彼らは当然のように俺たちのテントの近くへ荷物を降ろそうとする。


 それをすぐに制止した。


「すみません。こちらは女性が多いので、できれば離れた場所にお願いします」


 丁寧に言ったつもりだったが、フリードはにやにやとした笑みを崩さない。


「ふむ……でも、君はその女性たちと寝泊まりしているわけだろ? なら、俺たちが隣にいたって問題ないんじゃないか?」


 その言葉には、明らかな含みがあった。

 何か言い返せば、やましいことがあるのか……とでも言いたげな態度。

 だが、こちらも譲るつもりはなかった。


「……いえ。ご遠慮願います」


 フリードは、肩をすくめながらも仕方なさそうに、部屋の隅へと荷物を運ぶ。

 対照的にゲルドは、感情を剥き出しにしながら、俺を真っ直ぐに睨みつけてくる。

 そんな空気を払うように、俺はミザリーへと声をかける。


「カタリナさん、ミザリーさん。大丈夫ですか? ミザリーさんが良ければ、もう迷宮を出てもいいですけど?」


 俺自身は、すでに【鈍化スロー】を習得済みだ。

 今ここに残っているのは、ミザリーがその魔法を覚えるため。

 ミザリーは、少しだけ俯き、指先をぎゅっと握りしめたが、やがてこちらを見て笑みを浮かべた。


「……うん、大丈夫。二人がいるし……ここで頑張りたい」


 本音を言えば、帰りたい――そう言ってほしかった。

 だが、魔法を習得していないミザリーがこう言っている以上、俺が帰ろうというのはアンフェア。ここはミザリーの意志を尊重することに。


 すると、今度はカタリナが俺に目を向ける。


「レオ、悪いんだけど、あの二人との交渉は任せていい?」


「もちろん。ボスを倒す順番とかを決めればいいのですよね?」


 俺の問いに、カタリナは軽く頷く。


 この迷宮のように、複数のパーティが同時にボス部屋に滞在している場合、トラブルを避けるために、あらかじめ討伐の順番やルールを決めておく必要がある。

 時には、交渉しだいで、バーバラ迷宮でのユンたちのように共闘することもあるという。


 俺が彼らに近づくと、当然とばかりにリンも隣を歩く。

 荷解きをしている彼らに声をかける。


「すみません。ここでの取り決めについて話をしたいのですが」


 ゲルドの鋭い視線が俺に突き刺さる。まるで、次の瞬間にも殴りかかってきそうな殺気だ。だがフリードはそんな相棒の様子を気にも留めず、いつもの笑みを浮かべた。


「構わないよ。すべて君たちに任せよう……ただ、一つ訊いても?」


 フリードはその笑みを崩さぬまま、どこか探るように言葉を続ける。


「君たちが代表じゃないだろう? なのに、どうしてわざわざ君たちが交渉に来るんだい?」


「彼女たちは、ある出来事を境に男には不信感を抱くようになってしまったようで」


 わざと皮肉を効かせたつもりだった。

 それが効いたのか、一瞬、沈痛な面持ちとなる。

 ん? 罪悪感はあるということか?

 カタリナもそういう素振りを見せていたが……。


「そうか。俺たちも知らない仲ではない。何かあったら頼ってくれと伝えてくれ。助けになれるかもしれない」


 どこかに謝意を感じる言葉。

 そして、フリードはふとリンの方に目を向け、親しげな声をかけた。


「リン。久しぶりだね。また会えて嬉しいよ」


 差し出された手に、リンは一瞬も迷うことなく手を伸ばし、握手を交わした。


「うむ。フリード殿もゲルド殿も、よろしく頼む」


 そして驚くことに、今度はリンの方から、ゲルドへと手を差し出したのだ。

 

「よろしくな!」


 つい先ほどまで、俺にあからさまな敵意を向けていたゲルドが、子供のような屈託のない笑顔を浮かべて、リンの手をぎゅっと握った。


 リンは警戒している様子などなく、その後、交渉に移る。


 結局、俺たちがポイズンフロッグを倒し、フリードたちがファイアフロッグを倒すことで落ち着き、カタリナ、ミザリー両人の下へ戻った。



 ♢



 俺が【鈍化スロー】を習得してからは、ミザリーがただ一人で壁面の魔法陣を読み解き、俺たちはそれぞれの場所で黙々と魔法書を読んでいた。

 しかし、フリードとゲルドが来た今、同じようにはできない。


 ミザリーが一人でいることに不安を覚えた俺たちは、自然と彼女の近くに陣取り、皆で魔法書に目を通すことにしたのだ。


 一方の彼らはというと、フリードが壁面の魔法陣を読み解く傍らで、ゲルドがひたすら素振りを繰り返していた。


「はっ! せいっ! せやっ!」


 やけに大声で、わざとらしく、こちらの注意を引くような動き。

 その目線はあからさまにリンを追っている。

 リンの気を引こうとしているのは明白だった。


 そして――その瞬間。


 鋭く振り抜かれた剣が風を裂き、斬撃が空を裂く。

 そのまま俺たちのテントを一直線に断ち切り――布が、音もなくぱっくりと裂けた。


「すまねぇ! 少し力を入れちまうと、つい斬撃が出ちまうんだよ!」


 己の力を見せつけようとしただけの行為に、形式だけの謝罪。

 すると、フリードはにこりと笑みを浮かべ、まるで些細な事故であるかのように軽く言ってのけた。


「……あいつは昔からああなんだ。力の加減ってやつが、どうにも苦手でね。ギフトを得た今もそれは変わらなくてね」


 その言葉には、さりげなくギフト持ちであることを匂わせる含みがあった。


 しかし、「はい、そうですか」で、済ませられる問題ではない。

 力を制御できないというのであれば、それこそ素振りの向きや位置、場所を考慮すべきだ。

 ましてやこちらのテントを破損させたのだ。きちんと弁償してもらう必要がある。


 俺が腰を上げかけたその時――隣に座っていたリンがそっと魔法書を俺に預け、先に立ち上がった。


「ゲルド殿」


 澄んだ声が、ボス部屋に響き渡る。


「うまく力を扱えぬのであれば……私が剣を教えてやろう」


 その言葉には棘があった。


「ん? そうだな、教えてもらおうか……ただし」


 ゲルドが口の端を吊り上げ、下卑た笑みを浮かべる。


「加減が利かないんでな。お前の服を裂いちまうかもしれない。それでも、いいのか?」


 あからさまな下心と挑発。

 その言葉が場の空気を一気に濁らせる。

 だが、リンはまるで聞き流すかのように言い放った。


「よかろう……ドラグラス王立学校を、一年で退学処分となったその実力――」


 僅かに語気を強め、吐き捨てるように続ける。


「見せてもらおうか」


 どうやらリンはテントを切られて完全に怒っているようだ。


 対して、ゲルドは余裕を装ったまま笑みを浮かべているが、その額には青筋が一本、はっきりと浮かんでいた。


 そんな剣吞な空気の中、ただならぬ緊張に肩をすくめる者が二人。


「れ、レオ……止めた方がいいって!」

「そ、そうよ……! リンが強いのは分かってるけど、相手は銀証の冒険者だよ!? 相手が悪すぎるって!」


 ただ、俺はリンの実力を知っている。


「大丈夫。ここはリンに任せよう」


 彼女は感情で動くような女ではない。怒っていても、理性は決して失わない。

 俺の言葉に、カタリナとミザリーは渋々ながらも頷いた。

 けれどその目は、まだリンの背中を心配そうに見つめ続けていた。



 皆の視線が集まる中、リンとゲルドが向かい合う。

 二人の間には微妙な距離があった。

 約十メートル――打ち合いではなく、牽制の距離。

 ぴたりと空気が張り詰める中、先に動いたのはゲルドだった。


「悪いな、リン! 俺、加減ってのが苦手でさ!」


 正眼に構えた剣を高く振り上げ、破顔しながら叫ぶ。


「深手を負わせちまったら……責任はちゃんと取ってやるから、安心しろよ!」


 その言葉と同時、斜めに振り下ろされた剣から、唸りを上げて斬撃が放たれる。


「【剣気オーラ斬り】ッ!」


 圧縮された剣圧が一条の光となってリンを穿たんと飛来する――

 だが、 リンは微動だにせず、ただ一歩前へと踏み出し、抜き打ちのような剣閃を放つ。


 金属音さえ立たず、まるで風が薙いだかのような静寂。

 次の瞬間、斬撃は霧散し、風に溶けた。


「なっ……!?」


 ゲルドが目を見開く。自信に満ちていた顔が、驚愕へと一変する。


「初見で……あっさり弾いた、だと……!?」


 彼の動揺をよそに、リンは涼やかに応える。


「初見? ……【剣気オーラ斬り】など、さほど珍しい技でもあるまい」


「な、馬鹿言うなっ! 【剣気】のギフトがなけりゃ、この技は――!」


「ふむ。貴殿は本当にドラグラス王立学校に在籍していたのか?」


 声は静かに、しかし鋭く刺すように。


「確かに、【剣気】のギフトがあれば威力は上がる。だが、技そのものは基礎魔法の応用だ。剣術に通じる者であれば、訓練と理解で誰でも使える……少なくとも、私はそう教わったがな」


 リンは小首をかしげるようにして、ほんの小さく剣を構え直す。

 次の瞬間――彼女の剣が振り下ろされた。


「【剣気オーラ斬り】」


 その軌跡から生まれたのは、風を裂くような一閃。


「――っ!?」


 咄嗟に反応できなかったゲルドの体が、遅れて揺れる。

 鋭い斬撃が肩から腰へと斜めに走り、彼の衣服を深々と裂いた。血が滲み、赤が浮かぶ。


 動揺で固まるゲルドに、リンが一言、冷ややかに告げる。


「……やはり、この程度か。昔は斬撃魔法などと呼んでいたらしいが……魔法とは認められなかった理由がよく分かるな」


 リンは【剣気オーラ斬り】の威力に納得いってないらしい。

 確かに、前に見た【花舞剣流・花風斬】より、距離は近くとも威力は低かった。


「言わせておけばァァァ!!」


 怒声と共に、ゲルドが飛びかかる。


 殺気を込めた剣が唸りを上げて振るわれるが――


 リンは、一歩も動かない。

 軽く、滑らかに受け流す。

 まるで、風を避ける布のように。


 バランスを崩すゲルド。

 だが、リンは追撃しない。


 その立ち振る舞いは、まるで指導。

 否、剣術指南の稽古そのものだった。


「くそっ! くそぉっ!!」


 焦るゲルドの剣は、ますます荒れる。

 無駄に力が入り、軌道がブレ、大振りになるほどに隙が増える。


 ――ああ、やはり。


 俺は、見惚れるように二人の剣戟を見続けながら、気づかされる。


 一太刀を振るったあとの戻りの速さ、体幹の安定、そして気の置きどころ。

 すべてが、剣士としての技量を物語っている。


 ゲルドの戦いは見せつけるための剣。

 リンの戦いは伝えるための剣。


 もしかすると、これはただの喧嘩や模擬戦などではなく、

 リンなりの講義なのかもしれない。

 生徒は二人――ゲルドと……俺だ。


 そう思って、俺は目を逸らさず、まばたき一つせず、彼女の剣を見つめた。


 やがて、息が荒くなり、肩で呼吸をするようになったゲルドに、リンが静かに語りかけた。


「……ゲルド殿。今年で十七と聞いたが?」


「……はぁっ、はぁっ……それが、どうした……?」


 疲労と焦燥がにじむ顔で、ゲルドが答える。

 そんな彼に、リンは相変わらずの涼やかな声音で続けた。


「そうであれば、貴殿は私の姉と同学年ということになる……在籍時に見かけたことはなかったか?」


 リンの姉とゲルドが同い年!?

 彼も意外そうな表情を見せる。


「っ!? お前みたいな奴……見たことあるわけ、ねぇだろ!」


「そうか……フリード殿はあるか? 現在はドラグラス王立学校三年騎士科。特級クラス、序列一位のはずだが?」


「「「――っ!?」」」


 フリードとゲルドはもちろん、カタリナとミザリーまでもが目を見開いた。


「リンのお姉さんが……ドラグラス王立学校生……?」

「それも、特級クラス序列一位って……」


 ゲルドは明らかにその序列一位に心当たりがあるらしく、震えながら数歩、よろめき後退した。


 リンは、その姿を見て――初めて、薄く笑みを浮かべながら歩み寄る。


「……なるほど。きっちりと、その体に刻み込まれているようだな」


 淡々とした言葉。だが、逃げ場のない部屋に重く響いた。

 ゲルドは尻もちをつきながら、それでも這うようにして後ずさる。

 顔は青ざめ、目には恐怖が満ちていた。


次女あねの名は、デネブ――【剣鬼】デネブ・フローラル」


「ひぃぃぃいいいっっっ!!!」


 だが――リンの動きは、止まらない。


「デネブが妹――【剣姫】リンス・フローラル。参る!」


 優雅に、剣を構える。

 無駄のない動作で、腕を引き、鋭く、大上段に振りかぶった。


 そして――


 コツンッ。


 風切り音すら生まないほど減速された斬撃。

 刃の腹が、まるで羽毛のように優しく、ゲルドの額に触れる。


 その瞬間――


 「ひゅぅっ……ぶふっ……」


 間の抜けた吐息とともに、ゲルドの身体がガクンと崩れ落ちる。

 白目を剥き、口から泡を吹きながら、そのまま意識を手放した。

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