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第32話 異変

 脳内に響く、けたたましい音――【時報アラーム】で目を覚ます。

 テントの中に漂う至福の香りを胸いっぱいに吸い込み、まずは歯磨きから始める。


 歯ブラシは、ナメリスという魔物の尾毛を加工したもの。

 歯磨き粉は、塩とセージをすり潰した天然素材。

 これらはすべて道具屋で売られている。リンに教わった知識だ。


 それまでは、うがいだけで済ませていたが、歯磨きをするようになってからは口の中が清潔に保たれ、朝を気持ちよく迎えられるようになった。


 やがて、リンも目を覚ます。


「おはよう……もう起きていたのか」


「ああ、おはよう、リン。俺は先に見張りのところへ行ってくる。ゆっくり支度してきていいよ」


 テントの外へ出ると、ちょうど見張りの交代のタイミングだったようだ。

 俺たちが来たときに立っていた男が、寝袋にくるまりながら軽く手を振ってくる。


「よう、俺はもう寝るからな。しっかり見張ってくれよ?」


「了解です。おやすみなさい」


 軽く言葉を交わしたあと、俺は現在の見張りをしている二人に向き直る。


「おはようございます。昨夜、合流させていただいたレオと申します」


「ああ、聞いてる……って、お前……! 大規模討伐の第一功の魔法師じゃねえか!? マジで?」


「はい、一応。魔法師として登録できました」


「ってことは、魔法師が見張りをするのか……?」


 なるほど、そっちか。


「ええ。そのつもりですが……問題あります?」


「いや、ダメってわけじゃねえ。むしろ頼もしいぜ。俺はユン、こっちはアサド」


 ユンは愛想の良い男だったが、アサドと呼ばれた方は、少し無口で硬い印象。

 俺をじっと見つめたまま、最低限の礼儀として軽く会釈するだけにとどめた。


 ――と、その時。


 テントの中からリンが現れた瞬間、むさ苦しかった空気が一変した。

 華やかな香りが漂い、場が一気に熱を帯びる。


「遅れてすまない」


 凛とした佇まいと隙のない所作。

 寝起きとは思えないその姿に、見張りの男たちの視線が一斉に集まる。

 が、彼女は一切意に介さず、真っ直ぐ俺の隣へと近寄り、当然のように腰を下ろした。


「お前ら……まさか、二人パーティってことはないよな?」


「え? あ、はい。そうですけど……ユンさんたちも二人じゃないんですか?」


「……くそぉぉぉッッッ! 羨ましすぎるだろ!!」


 突然、ユンが己の膝を思いきり叩き、絶叫した。


「俺たちは四人パーティだ! さっきまで見張ってたのも四人編成! 普通はそうだろ!? こうやって交代で見張りや休憩を回すには、それが一番効率いいんだよ!」


「……というと?」


 俺憎しとギロリと睨みながらも、気持ちを落ち着かせてからユンは続ける。


「二十時から八時まで――計十二時間の休憩時間を、まずはパーティ毎に半分ずつに分ける。六時間休憩、六時間見張りってな感じだ。けどな、六時間しか眠れないのはキツい。特に俺たち前衛の冒険者はな。だからさらにその六時間を二人で三時間ずつ受け持つんだ。今は俺とアサドが担当中。三時間後には残りの二人が交代で起きる」


 確かに、それなら一人あたり三時間の見張りで済む。

 残りは休める時間になるし、迷宮での消耗を考えれば理に適っている。俺たちみたいな二人パーティには厳しい話だ。


「でも、二人で見張っていて、魔物が襲ってきたら対処できるのですか?」


「まさか、魔物がきたら全員を叩き起こすさ。あくまでも見張りだ。魔物が来たらみんなで戦うのは鉄則さ」


 そうだよな。

 寝ている間に死んでしまったら、恨んでも恨み切れない。


「じゃあ、リン。リンはまだ寝ておいてくれ。昨夜はかなり疲れてただろ? 少しでも――」


 言いかけた俺の言葉を、リンは静かに首を振って遮った。


「大丈夫だ。昨夜に唱えてもらった魔法で身も心もスッキリしている」


 言った瞬間、ユンとアサドの視線が同時に突き刺さる。

 まるで「テメェ、夜中に何やってたんだ」と無言で問い詰められているかのような重圧。

 リンは相変わらず涼しい顔だが、俺の方が耐えきれなくなる。


「変な誤解があるかもしれませんが、僕が使ったのは【洗濯ウォッシュ】です」


「……は? 【洗濯ウォッシュ】?」


「そう、魔力で汚れや疲労を取り除く魔法。別に変なことなんかしてないですから」


 変にヘイトを買っても困るだけだしな。

 ちゃんと説明すると、ユンとアサドが顔を見合わせ……ユンがポンッと手を打った。


「なーんだ、そっちか! いやぁ~、よかったよかった! てっきり女を狂わせる魔法かと思っちまったよ」


 すぐに機嫌を戻してくれた。

 ……が、その直後、彼の口から余計な一言が飛び出す。


「おねショタなんて流行らねぇよな!」


 ……言わせておけば。


 本当なら何か言い返したいところだったが、ぐっとこらえる。

 どうせこれから先、ことあるごとに言われるんだ。この言葉にイチイチ反応していたらずっと怒っていないといけない。


 それに――横を見ると、リンは少し首をかしげていた。


「おね……ショタ?」


 知らないようだな。

 そのまま何も知りませんようにと、俺は心の中で祈った。


 ともあれ、ただこうやって喋りながら見張っているだけじゃ、時間がもったいない。

 【洗濯ウォッシュ】も分割しながら【ストック】しているし、空いた手で素振りでもしておこう。


 リンに教わった通り、足の運びと体の軸を意識しながら、剣を振る。

 一振りごとに余計な力を抜き、正確に、そして鋭く。


 その様子を見ていたユンが、不思議そうな顔をしながら声をかけてきた。


「……お前、魔法師なのに素振りなんてするのか?」


 少し意外そうな、でもどこか感心したような口調だった。


「ええ。僕、魔力量があまり多くないんです。だから剣も使えないと、いざという時に何もできなくなってしまうので」


「何言ってんだよ、第一功がよ。あの【火爆ファイアバースト】、マジでヤバかったぞ? 盗賊共が吹っ飛ばされていく様は見ていて爽快だったわ」


 思い出したのか、ユンがニヤリと笑う。

 ……褒められてるのは嬉しいが、俺自身はまだまだ足りないって思ってる。

 ユンはそんな俺をしばらく見ていたが、ふと思いついたように言った。


「でもまぁ――そこまで熱心に鍛えてるなら、ちょっとくらい見張りの位置ずれても文句言うやつはいねぇよ」


「え?」


「隣の部屋なら、声を張れば届くしな。ここから完全に離れるのはダメだけど、ちょっと動いて素振りしたいってんならいいぜ。ただし、魔物は出るかもしれないから、油断すんなよ」


 その言葉に、思わず声が弾んだ。


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 深く頭を下げると、ユンは照れ隠しのように手をひらひらと振った。


「礼なんていいって。頑張ってる奴は応援したくなるもんだよ」


 ユンに背中を押してもらい、すぐ隣の部屋に移動すると、五体のオーク。


 そして、俺の隣には、何も言わずについてきてくれるリンの姿があった。

 まるで、保護者のように頼もしい。

 剣を構えると、その存在だけで背筋が伸びる気がする。


 今日も四体のオークを、リンが迷いなく引きつけてくれる。

 その間に俺は、一対一でオークと対峙。

 たが、昨日までとは何かが違った。

 視えるのだ……いや、予見できると言うべきか。


 まるで、目の前のオークの動きの数秒先が読み取れるような感覚。

 右手が動く、腰が沈む、肩が開く――その僅かな予兆を感じ取った瞬間には、次の攻撃が頭の中に浮かび上がる。

 薙ぎ払ってくるのか。振りかぶって叩きつけてくるのか。

 それが、分かる。


 もちろん、未来が視える能力を手に入れたわけではない。

 でも、確かに自分の中で何かが変わりつつあった。

 そんな微細な変化を、リンは見逃さなかった。


「レオ、だんだん戦いに慣れてきたな」


 四体のオークを前にしても、彼女は一瞥すらせず、俺の動きだけを見ている。


「視野が広がってきている。俯瞰で戦場を捉えられるようになってきた証拠だ。少しずつでいい、視野を広くとることを意識しろ。そうすれば、いずれ複数を同時に相手取ることも可能になる。その調子で頑張れ」


 言葉の節々に込められた信頼が、心の奥を温かく満たす。

 ――リンに、褒めてもらえた。

 ほんの一瞬、嬉しさが胸に込み上げた。

 だが、その余韻に浸る暇など与えられない。


「また肩が下がっているぞ! 何だその太刀筋は! 魅せる剣などまだ早い!」


 ビシィッ、と音がしそうなほどの喝が飛ぶ。

 浮かれていた気持ちが一瞬で吹き飛ぶ。


 女騎士様は剣のことになると手厳しい。

 だが、俺にはそれが心地よかった。

 誰かに見てもらえている。そう思うだけで満たされる。

 それがリンのような実力者であれば、なおさら――。


 一体ずつ、確実に、オークを斬り伏せる。

 全てを倒し終えると、慎重に通路へと顔を出し、ユンたちの様子を確認。


 問題がなければ、反対側の部屋へと進み、オークたちと戦う。

 何往復しただろうか……?

 すでに【洗濯ウォッシュ】の【ストック】は完了している。


 リンが懐中時計を取り出し、ちらりと確認する。

 針が示すのは、八時ちょうど。

 これで十二時間におよぶ交代制の見張りが完了し、ようやく迷宮探索に移れる時間帯だ。


 ――そのときだった。


 通路の向こうから、息を荒げた足音が響く。

 そして姿を現したのは――いつぞやに見た筋骨隆々の巨漢魔法師。

 以前にも見たその男が、今は見る影もなく、恐怖に引きつった顔でこちらへと駆けてくる。


 《《一人》》で、慌てふためきながら。

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