第30話 格の違い
「迷宮の中はそんなに明るいわけじゃないんだな……」
淡く発光する壁に手をかざしながら、思わず呟く。
外からはかなりの光量に見えたのに、意外だった。
すると、聞こえていたのか、リンから一言。
「気を抜くな。その壁から魔物が湧くぞ」
「え……? マジで……!?」
まさか壁から出てくるなんて聞いてない。
咄嗟に身を引き、リンの隣にすっと並ぶ。
その仕草にリンがふっと微笑むが、すぐに鋭い目つきに変わる。
「――戦闘音だ!」
静まり返る迷宮の中、前方から響く金属音と叫び声。
入ってまだ数分だというのに――早くも交戦中か。
俺たちは駆け出す。
たどり着いた先、そこは広間。
武器を構えた冒険者が三人。対峙するのは、五体のオーク。
加勢しなきゃ!
そう思って一歩を踏み出しかけた瞬間――
ふいに、俺の前にすっと差し出された手が、行く手を塞いだ。
彼女は前方の戦闘から一瞬たりとも視線を外さず、小さく口を開く。
「状況を見ろ。今はまだ出るときじゃない」
促されるままに、俺も視線を戦場に向けた。
ちょうどその時、一人の冒険者が魔法を詠唱し、自身の身体に淡い光がまとわりつく。基礎魔法――【剛力】だ。
次の瞬間、彼の剣とオークの鉈が交叉する。
鉈の一撃を受け流し、反動でバランスを崩したオークの懐に、鋭い一閃。
分厚い皮膚を切り裂き、間髪入れず膝へと突き立てる。
ぐらりと膝をついたオークの脳天に、ためらいなく止めの一撃が振り下ろされた。
見事な剣さばきだった。
だが、それ以上に目を奪われたのはその後――
オークの巨体が、まるで霧のように床へと吸い込まれ、魔石を一つだけ残して静かに消えた。
他の冒険者たちに目を移す。
それぞれが、無駄のない動きでオークを仕留めていく。
掛け声も指示も最低限。沈着冷静、戦場に慣れた者の動きだ。
やがて、倒れたオークたちは、魔石だけを残して消えていった。
「つ、強いな……」
思わず漏れた声に、リンが隣で答える。
「……そうだな。でもレオもすぐに追いつけるさ」
リンの期待に応えるためにも、もっと研ぎ澄ませなければ。
と、ここで気になったことを口にする。
「一つ、教えてくれ。オークたち……どうしてあんなふうに消えたんだ?」
「ん? ああ――」
リンは視線を広間に残しながら答えた。
「迷宮で生まれた魔物は、そこで死ぬと、魔石を残して迷宮に還る。迷宮が自らを保つための循環だ。だが、一度でも外に出た魔物は受肉という現象が起きて、迷宮に還らなくなるらしい。奴らはそこで繁殖し、生態系にもなると聞く」
まるで迷宮が生存本能を持った一つの生き物みたいだな。
にしても、迷宮の外に魔物が出ると、繁殖するのは質が悪い。
少しでも迷宮を管理にするのに自信がないのであれば、潰した方が賢明だな。
グレスト男爵の判断が正しかったと認識する。
冒険者たちの脇を通り過ぎようとした、その時――
意外にも、彼らのほうから声がかかる。
「ん? その新緑色の外套……大規模討伐で第一功を挙げた二人じゃないか?」
「おお、やっぱりそうだ。噂は聞いてたけど、まだこんなところにいたのか」
「気をつけろよ。前線組も、思ったほど奥までは進めていない。上位個体の出現が相次いでる。死者こそ出てないが、けが人は続出中だ」
その言葉に、リンが静かにフードを取ると、一礼する。
「貴重な情報に感謝する。ところで、貴殿たちはこれ以上進まぬのか?」
問いに応じて、三人のうちのひとりが苦笑まじりに答えた。
「進んでたさ。けどな……思った以上に手強いって話になって、一度バーバラに戻ることにした」
別の冒険者も続ける。
「特に厄介なのが、オークの脂。剣にこびりついてな、切れ味がどんどん落ちる。もっと麻布や灰を多めに持ってくるべきだったよ。戻るなら早い方がいいぜ? とくに……リンスだったか。お前、剣士だろ? その手の消耗品、かなりの数が必要になるからな」
「やはり剣が劣化していたか。オーク相手に基礎魔法はやり過ぎかとは思っていた」
これが、得物を使う者たちの宿命――
武器や防具は、手入れを怠れば容赦なく性能を落とす。
剣士である以上、それは戦力低下に直結する死活問題だ。
入口へと戻っていく冒険者たちの背中を見送りながら、俺は隣のリンに目を向けた。
「なあ、リンは……大丈夫なのか? オークの脂とか」
彼女は少しだけ口元を緩めると、当然だとばかりに答える。
「問題ない。だからこそ、私の荷物には衣服が多いのだ」
「というと……?」
「着替えとしてだけじゃない。汚れた衣服にセージの煎じ液を染み込ませれば、即席の布として剣を拭える。煎じ液も十分に持ってきている。二、三週間は困らぬだろうな」
やけにリンの荷物が重いと思ったのは、そのせいなのか。
「それに、私は彼らよりも剣の劣化は遅い」
「どうして?」
問いかけに、リンは何も答えず、そのまま無言で歩き出した。
すぐ隣の部屋に足を踏み入れると、涎を垂らしたオークが五体、こちらに気づいて唸り声をあげた。
その光景を前にして、彼女が振り返り、にこりと微笑む。
「任せろ。理由が分かる」
そう言って、彼女は魔法を一切使わず、ただ静かに歩み出す。
冒険者たちが戦いの前に強化魔法を唱えていたのとは対照的に、リンはただ無言で剣を抜くだけだった。
オークが舐めたのか、それともただ鈍いのか、力任せに巨大な鉈を振り下ろしてくる。
しかし、リンは身じろぎ一つせず――次の瞬間、ギリギリの距離で刃をかわすと、そのまま一閃。
オークの巨体が真っ二つになり、魔石を残して迷宮に吸い込まれていく。
さらに残る四体が怒号をあげて襲いかかるも、すべて同じ。
最小限の動きでかわし、すべて一太刀。
迷いも、無駄もない。圧倒的な剣捌きだった。
最後の一体を斬り伏せた後、彼女は振り返って、肩越しに微笑んだ。
「な? 分かっただろ?」
コモンウルフとの戦いでリンの強さは把握しているつもりだった……しかし、想像の遥か上だった。
剣が劣化していたとはいえ、冒険者たちは基礎魔法を駆使して、オークを倒していたというのに、リンはただの一度も魔力を使わず、五体すべてを一太刀で瞬殺した。
しかも、敵の攻撃に触れさせることがないので、剣が傷まない。
あれだけの技量があれば、武器の劣化が遅いのも当然だ。
「次は、レオの番だ。やってみろ」
次の部屋に足を踏み入れた瞬間、またもオークが五体。
獣のような息遣いとともに、涎を垂らしてこちらを睨んでいた。
そのうち四体をリンがひきつけてくれる。俺に任されるのは一体だけ。
……それでも、十分すぎるほどの脅威だった。
目の前に立つオークは、二メートルを優に超える巨体。
その腕には、俺の長剣よりも太く重そうな鉈が握られている。
まるで鉄塊。あんなものを振り回されれば、まともに当たった瞬間、俺の体など砕け散るだろう。
思わず足がすくみかけたその時――リンの声が背中を押してくれた。
「レオ、お前なら魔法に頼らずとも倒せる。オークは大きいが鈍重。腕の振りだけは速いが、直線的で動きも読みやすい。慌てるな。お前の剣なら、必ず仕留められる」
……リンの前でだけは、絶対にかっこ悪い姿は見せたくない!
男は度胸!
自分に言い聞かせながら、一歩――いや、半歩だけ前へ踏み出す。
オークの鉈が唸りを上げて振り下ろされた。
紙一重で躱し、その隙を突くように剣を振る。
教えられた通り、肩を支点に腕を剣の一部と見なして――全神経を刃に込め、一閃!
ビュンッ!!
オークの右腕が宙を舞い、赤黒い飛沫が弧を描く。
その巨体が怯んだ隙を逃さず、袈裟斬り、さらに返す刀で右薙。
だが、オークは倒れない。膝をつきながらも、まだ殺意を宿した瞳で睨み返してくる。
……やはり、まだ力が足りない!
「くそっ……次で決める!」
剣を高く掲げ、最後の一撃に入ろうとしたその瞬間――
「レオ! 右だ! オークの左手が――!」
リンの声に即座に反応し、視線を移す。
オークの左手が、ハエでも叩くかのように大きく振りかぶられ――
「チッ!」
バックステップで飛び退いた直後、地面に叩きつけられる音が響く。
もし反応が一瞬でも遅れていたら、俺は今ここにはいない。
しかし、そこに生じた隙を、俺は逃さなかった。
全力で踏み込み、刃を振り抜く。
ズバァッ!!!
オークの太い首が断ち切られ、ぐらりと揺れてから崩れ落ちる。
その巨体が静かに還っていくのを見届けて、俺はようやく息を吐いた。
すると、俺とオークが一対一になるよう、リンが巧みに引きつけていたうちの一体を俺の方へとリリースする。
次はこいつを殺れ。ヘイゼルの瞳がそう告げていた。
望むところだ。実践に勝る経験はなし。
俺はただひたすらに剣を振るい、牙を剥くオークに立ち向かった。
結局、五体のオークを倒すのに五分を要した。
だが、確かな手応えが残る。
太刀筋は鋭さを増し、剣が風を裂く音は、今までとは明らかに違う。
さすがにリンには遠く及ばないが、少しずつ近づいてはいる。
「リンのおかげでだいぶ慣れてきたよ」
そう声をかけると、彼女は僅かに顎を引き、静かに言葉を返す。
「――残心を忘れるな。気を抜けば、その一瞬が命取りとなる」
ピシャリと言われ、思わず身が引き締まる。
確かにさっきの左手での攻撃は危なかった。
浮かれるな……ってことか。相変わらずこの女騎士様は手厳しい。
だが、次の瞬間。
リンの目元が、ほんのわずかに柔らいだ。
「……ただ、太刀筋は確実に良くなっている。この調子で励め――行くぞ」
言うが早いか、彼女は再び前を歩き出す。
その背中が頼もしく、そして遠い。
俺は遅れまいと足を早め、彼女の隣に並ぶ。
今の俺にできるのは、ただ彼女の隣に立つこと――
けれど、いつか必ず。
再会したときには、本当の意味でその隣に立てるようにと心に誓った。




