第13話 危機
結局、冒険者ギルドの前ですれ違ったあの女性とは再会できなかった。
宿をくまなく探すという手もなくはなかったが……なんか、それってストーカーみたいで怖い。
というわけで、宿で夕食をいただくことにしたのだが、どうにも食欲がなく、料理のほとんどを【収納】の中へ。
これからは素泊まりの宿を探さないと、【ストレージ】の中が食糧で溢れかえってしまうな。
部屋に戻り、まず取りかかったのは【雷撃】の魔法書の精読。
そして、魔力が十分に回復したタイミングで、【洗濯】の【ストック】に取りかかる。
【洗濯】以外の位階魔法はすでに【ストック】してしまっているというのもあるが、それだけではない。
狙いは、他にもある。
一つは、まだ見ぬ第四位階魔法を、完全な形で目にするため。
もう一つは、分割【ストック】が可能かどうかの検証だ。
というのも、第四位階魔法の消費魔力は『80』。
俺の魔力量では、一気に魔力を注ぎ込むことができない。
それに、魔力が一桁になると、体がズシリと重くなり、酷いときは意識すら飛びかねない。
ならば、常に魔力を半分以上残した状態で、少しずつストックしていけばいい。
万が一のときにも動ける体を保ったまま、安全に魔力を貯めていける。
ただ、就寝前だけは別だ。
やることもないし、寝るだけだしな。
魔力をすべて【洗濯】に【ストック】し、眠りについた。
迎えた翌日――
昨夜【ストック】しておいた【洗濯】へ、そっと魔力を注ぐ。
光がゆっくりと魔法陣に満ちていく感覚。
成功だ。分割【ストック】が可能であることを証明できた。
今後は、魔力を一気に消費せずとも、少しずつ魔法を【ストック】できる。
これは、俺にとって大きな進歩だった。
魔力切れで動けなくなる心配も減る。
日々の鍛錬の合間に、こまめに【ストック】を重ねていけるのだ。
俺は、そっと拳を握る。
これからは、就寝前や安全な時間帯以外は、少しずつ【ストック】していこう。
体を守り、力を蓄え、いつでも万全の状態で戦うために。
そして、十分に魔力が満ちたのを確認して、魔法を唱える。
「**【洗濯】**!」
白光を帯びた四重の魔法陣が、俺の頭上に浮かび上がる。
次の瞬間、光が天から降り注ぐように、頭の先からつま先まで、全身を包み込んだ。
汚れが、まるで霧のように――スッと、消えていく。
肌の奥に染みこんだ汗も垢も、心の疲れさえも洗い流されていく感覚。
衣服は新品のような張りを取り戻し、体からは干したばかりの布団のような、ほんのりとした太陽の匂いが漂っていた。
だが、驚いたのはそれだけじゃない。
俺が立っていた宿の床までが、見違えるほどの輝きを放っていた。
柱や壁さえも、まるで建て直したばかりのように綺麗になっている。
……なるほど。
これが、生活魔法ではなく、第四位階魔法である所以か。
身も心もスッキリしたおかげか、朝食はしっかり完食できた。
その足で、さっそく駅舎へ向かう。
当然、昨日すれ違ったあの女性がいるものだと思っていた。
だが、姿は見えない。
……もしかして、もっと早い便で行ってしまったのか?
いや、朝食をとってからなら、この便が一番早いはずだ。
それとも、一つ遅い便……?
だが、その場合、停留所に着くのは夕方前になる。
そこからバーバラまで歩くのは、かなりのリスクを伴うはずだ。
さすがに、それはないと思う。
くそ……彼女の力を借りて、一緒にバーバラまでついて行くことができればと思っていたが、そうはならないようだ。
誰の力も借りられないとしたら、単独で行かなければならない。
今の俺に、一人で危険地帯を越えられるだけの力があるのか?
自問しながら、現在【ストック】している位階魔法のリストを、頭の中でひとつずつ確認していく。
第一位階魔法
【火撃】・【氷撃】・【石撃】・【風撃】・【治癒】・【闇霧】・【閃光】・【開錠】
第二位階魔法
【火弾】・【氷結】
第三位階魔法
【火爆】・【石纏衣】・【風纏衣】・【魔力増強】
これで行けなかったら、一生南まで辿り着けない気すらしてくる。
さらに、【収納】には十分すぎる食料と、サグマからもらった魔力回復薬もある。
覚悟を決めて馬車に乗り込み、一路、南へ。
いつものように、馬車の中では【雷撃】の魔法書に目を通す。
……が、進むにつれて道は悪路となり、馬車の揺れも激しさを増していく。
本当にこのルートで合っているのか?
そんな不安が胸をよぎる中、馬車はひたすら進み――やがて辿り着いたのは、野ざらしの中にポツンと佇む野営地だった。
地面には、数時間前に消えたと思しき焚火の跡。
だが、傍らに『停留所』と明示された案内板が立っているのを見て、ひとまず安堵する。
とはいえ、この治安の悪い土地で、よくもまぁ焚火なんてできたものだ。
……いや、待てよ?
普通の人間であれば、そんな無用心な真似はしないはず。
だとすれば、この焚火の主は、むしろ治安を悪くしている張本人たちなのではないか?
そんな考えが頭をよぎり、警戒を強めながら、傷んだ石畳の上を南へと歩き出す。
が、それも、長くは続かなかった。
グレスト男爵領に入ると、石畳すら消え、道はただの砂利道に変わっていた。
さらに、草が伸び放題。身長百五十センチほどの俺と同じくらいの高さまで伸びている。
……これじゃ、小型の魔物が潜んでいても、気づけるか不安になる。
地形もあまりよろしくない。
この一帯は盆地になっており、左右の丘陵に挟まれるようにして、砂利道が敷かれていた。
その先には、山影がちらりと見える。
唯一の救いは、道幅がそれなりにあること。
馬車が二台すれ違うくらいの広さはある。
もし襲撃があるとすれば、丘の上から。
そんな予感を胸に、慎重に足を進めていたそのとき――
目の前に広がっていたのは、犬とも狼ともつかない魔物たちの死骸。
どれもこれも、見事なまでに一刀両断――魔物たちも斬られたことすら分かっていなかったのかもしれない。
ここを通った人物は、とんでもない実力の持ち主だろう。
そう思ったとき――
ドォォォンンン!!!
遠くから、爆ぜるような音。
同時に煙が上がり、驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ。
戦闘か――?
耳を澄ます。
前方で野郎共の怒号が飛び交っている。
言葉は聞き取れないが、明らかに焦っている。状況は、相当悪いようだ。
相手は、魔物か!?
こんな俺でも、もしかしたら役に立てるかもしれない。
……だが、俺は魔物を知らない。今まで、一度も遭遇したことがないのだ。
もしも、想像以上に危険な相手だったとしたら……そのときは、逃げることも考えなければならない。
そう思い、俺は街道の脇に生い茂る草木の中へ、身を潜めるようにして走り出す。
あれほど鬱陶しかった伸び放題の草も、いまや格好の隠れ場所。
背が低くて良かった、と思ったのは、たぶん初めてだ。
その場所にたどり着いたのは、走り始めてから二、三分ほど経ったころだった。
やや高い位置から見下ろすと――どうやら戦いは、すでに終わっているらしい。
だが、被害は大きい。負傷した男たちが、数名、地面に横たわっていた。
息はある。今すぐ【治癒】をかければ……そう思った矢先――
生き残った男たちが、円を描くように立ち、中心に向かって下卑た笑みを浮かべているのが見えた。
その中心にいたのは、剣を片手に、地に膝をついた一人の剣士。
纏っていた外套は――新緑色だった。




