第11話 ファジャスにて
ファジャスの街は、まるで異世界そのものだった。
石造りの建物が整然と並び、街角ごとに燃える松明と魔石灯が揺らめいている。
炎と魔石の光が織りなす幻想的な風景は、まるで夢の中のようだった。
目を輝かせながら辺りをキョロキョロと見渡していると、隣を歩くサグマが苦笑を浮かべる。
「やれやれ、完全にお上りさんだな。まぁ、それも無理はないか」
そんな彼がぽつりと語り出す。
「ガーネット伯爵家は、代々火に愛された家系だ。火系統の魔法に秀で、授かるギフトもそれに関連するものが多い。今年の天啓の儀では、伯爵家の嫡男――ルークがとんでもないギフトを得たと話題になったよ」
――ルーク。
俺と同じ十二歳で、すでに名を轟かせる存在?
「どんなギフトだったんですか?」
俺の問いに、サグマはゆっくりと答える。
「【白炎】――白き炎のギフトだ」
その響きだけで、どこかワクワクするものがあった。
カッコいい。
「ギフトを得た瞬間、ルークの赤い髪が真っ白に染まったそうだ。以来、彼の魔法から放たれる炎は、すべて白い――通常の火魔法を遥かに凌駕する威力を持つらしい。もはや同年代どころか、宮廷魔法師すら敵わないと噂されている」
……信じられない。けれど、それが天啓の力なのか。
「けどな、実はフローラル伯爵家三女の方が……」
サグマが言葉を続けかけたそのとき――
目的の建物が、視界の先に現れた。
石造りの二階建て。落ち着いた佇まいの宿の看板が、魔石灯に照らされて静かに揺れていた。
「今日の寝床はここだ。レオン、お前もここに泊まれ。金は俺が出してやる」
そう言ってサグマが軽く顎で建物を指す。
「ここから先、南に向かうとフェリクまでは、簡易宿や野営所ばかりだ。今のうちに休んでおけ」
「何から何までありがとうございます」
部屋に荷を下ろすと、すぐに作業に取りかかった。
鞄から取り出したのは――完成直前の【治癒】の魔法書。
ジウムから繰り返し注文されていたあれだ。
今日、魔力を注ぎきれば完成する。
だが、逆に言えば今日を逃せば、それまでの全てが無駄になる。
魔法書は、連日途切れぬ魔力の注入がなければ完成しない。
筆を走らせていたそのとき――
コン、コン――とノックの音と共に、聞き慣れた声が響いた。
「レオン、ちょっといいか?」
「はい。少々お待ちを」
鍵は開いている。だが、あのサグマにドアを開けさせるのは筋が違う。
俺は立ち上がり、自ら扉を開けた。
そして、サグマの目が、机の上に置かれた魔法書に吸い寄せられる。
「やはり、レオンが【治癒】の魔法書の作成者だったのか」
やべ……バラすつもりはなかったが、反射的にサグマの歓待を優先してしまった。
だが、不思議と後悔はなかった。
この男には、借りがありすぎる。
そして何より、ジウムのような下劣な輩とは根本から違う。
それに、薄々勘づいていたようだしな。
俺とジウムの会話を聞いていれば、察しの良いサグマなら気づかぬはずがない。
「はい。これはせめてものお礼にサグマ様にと描いておりました。完成するまで少々お時間をいただけますか?」
俺が魔法書にペンを入れ始めると、サグマも集中した様子で作業を見つめる。
一時間以上、無言のまま時は経ち、ようやく【治癒】の魔法書が完成した。
「僕にはこれくらいしかできませんが……どうか、受け取ってください」
しばし沈黙ののち、サグマがその手で魔法書を丁寧に受け取る。
「……初めて見た。魔法書が完成する瞬間というのは、これほど神秘的なものか……ありがたく、受け取らせてもらう」
感慨深げに呟いたあと、彼は魔法書をそっとテーブルに置いた。
そして、トーンを変えて話を切り出す。
「さて――次はお楽しみの時間だ。魔道具屋と武器屋、案内してやるよ。お前、ちゃんと見て歩いたことはないだろ?」
願ってもない申し出だった。
「はいっ! ありがとうございます!」
まず向かったのは――武器屋。
武器といっても、店内には剣や槍だけでなく、鎧、盾、外套、法衣など多種多様な装備がずらりと並んでいる。
得物はある。サグマから手に入れた長剣だ。
今さら殺傷能力の高い武器を手にしたところで、使いこなせなければ意味がない。
宝の持ち腐れってやつだ。
だったら、ちゃんと鍛えてから手に入れる方がいい。
そう判断して、武器購入は見送りに。
防具も同様。今の俺にはまだ早い。
だが、一つだけ――気になるものがあった。
それは、魔石を留め具にあしらった外套。
見た目の派手さだけではなく、暑さに対する耐性を持っているという。
機能性も十分……だが、値段は金貨一枚。
うーん、悩む。
ひとまず保留。
魔道具屋の品を見てから、判断することにした。
その魔道具屋――
足を踏み入れた瞬間、俺の目は思わず釘付けになった。
さすがは火の名家――ガーネット伯爵家の領都・ファジャス。
棚という棚に、火系統の魔法書が並び、店内を赤く染めていた。
「……どうして、これほどまでに魔法書が揃っているんですか?」
素直な疑問を口にすると、サグマがすぐに答えてくれる。
「ああ、ここは冒険者の街とは違うからな。ガーネット伯爵家の退役者たちが一族の後進のために魔法書を残す習慣がある。その余剰分が、こうして市場に流れるってわけだ」
なるほど、そういう事情か。
それにしても、第四位階魔法の魔法書まであるとは……。
だが、値段を見ると、目玉が飛び出そうになった。
大金貨一枚――とても今の俺が手を出せる代物じゃない。
さらに、その隣には魔法書を超える存在感を放つ、一振りの剣が飾られていた。
柄には緻密な赤い魔法陣、刀身には文字の刻印。
一目でただの武器じゃないとわかる。
こういうのは武器屋じゃなくて魔道具屋で売っているのか……そう思い、値段を見ると――大金貨三枚……誰が買うんだ、こんなもん。
そんな思いを胸に歩いていると、不意に視界に引っかかった一冊の魔法書。
「これ……買えたりしますかね?」
俺がそう尋ねて指差した魔法書を見て、サグマが意外そうな顔をする。
「おいおい……雷系統か。使えるのか?」
俺の手が伸びていたのは、第一位階魔法――【雷撃】
「分かりません。でも……なんとなく、使える気がして」
たぶん、いや――間違いない。
俺は、これを覚えられる。
サグマは軽く頷きながら、少し渋い顔で補足する。
「そうか……知っているとは思うが、【雷撃】は 【火撃】よりも殺傷能力は劣る。痺れも長くは持たない。長所は、着弾の速さくらいだ。外套よりもこっちでいいのか? それとも両方買うのか?」
迷うことなく魔法書を選択。
弱い魔法でも構わない――覚えれば魔力は増える。無駄にはならないからだ。
俺が魔法書を手にして、カウンターに並ぶと、案の定、店主は怪訝な顔を向けてきたが――
サグマが身分証を見せた瞬間、空気が一変。
「……あ、かしこまりました!」
すぐに丁寧な応対に変わり、何の問題もなく購入完了。
こうして俺は、新たな魔法書を手に入れた。




